常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

傴僂女は出産の夢を見るか? ~「ハンチバック」を読んだ〜

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欲望を育てる

ちょうど一年ぐらい前に「家を買う」という、ある意味普通の人間なら人生最大の決断のために、欲望を育てるということについて考えてそれをブログに書いた。生きるために必要なものの一つが、どんな形のものであれその人の「欲望」に根ざしたものであるというのはあながち間違っていないと思う。

映画「スリー・ビルボード」で主人公に名指しで非難された警察署長は、美人の奥さんや素晴らしい馬を残して拳銃で頭を撃ち抜いて自殺する。自身が末期がんであることを知り、人生の来し方、行きし方を眺めてもう十分だと考えた末の行動だと読み取ったが、要するに欲望が全て満たされてしまった故にこれ以上生きる必要がないと考えて命を断ったということである。生きていることは何がしかの欲望を育てていくことだろう。この映画の警察署長の様に欲望を育てきって満足(末期がんで助からないということもあるが)して死ぬという人はこの世にはそう多くないと思う。

むしろ最後まで自分の欲望とまっすぐに向き合えなかったり、それを見つけたときには手遅れだったりということのほうが多いはずだ。なぜなら、大抵の欲望は突き詰めていけばモラルに反するものだからである。個人的なものであるということは、そのまま反社会的であることにつながっているからである。

 

 

妊娠と中絶を欲望する?

この小説の主人公は、かなり重度の障害をもっていて、それらのハンディキャップをテクノロジーの力で補完しなければ生きられないため、親の残してくれた遺産によってすべての補完機能を完備した自前の介護施設で生きている。その上両親が残してくれたらしき遺産により金銭的には全く困ることがないようだ。そしてネット上ではライトノベルや体験記事を書くことで社会との繋がりを維持している。

しかし、肉体の無いネットの世界でいくら妄想を膨らませても根源的な欲望は満たされない。彼女の欲望は人類一般の欲望である、健全な肉体を持ち、その肉体がなければ出来ないことだ。すなわち人類が人類であることからくる本能の一つ「親族を形成する」ために子孫を求めることである。そのためには生殖行為を行う必要がある。そこで介護スタッフを金で買ってそれを行おうと試みる。しかし、自分の肉体では妊娠、出産に耐えられないことは自覚している。そこで少なくとも妊娠すること、そしてその結果として中絶することを望むのである。

 

妊活に失敗

私も人類の一員であると一応自負しているので、かつて親族を形成しようと試みたことがある。「試みた」と言っている時点で先は見えているかもしれないが、その試みは失敗に終わった。その失敗の代償はかなり大きかった。一度は妻の胎内で生を受けたかに見えた我が子は、なぜか突然その営みを止めた。数ヶ月かけてわずかに大きくなった自分の肉体を妻の体の中に残したまま、魂は元いた世界へ戻ってしまったのである。

その残された肉体はそのままそこにとどまっているわけにはいかない。通常の玉姫様のように体外へと押し出されなければならないのである。もちろん玉姫様と同じように痛みを伴う。深夜に痛みに悶え苦しむ妻を虎の門病院まで自家用車で搬送することになった。妻が手術を受けている間、病院の廊下にあるベンチで真っ暗な窓の外を見ながらぼんやりと待っていた。やがて、あまりにも無力で手持ち無沙汰であった私は、仕方なくスマホでゲームをしながら妻が出てくるのを待っていた。

 

インベーダーゲームの進化系

タイトーの言わずと知れた名作「スペースインベーダー」。私のゲーム好きはあそこから始まったと言っても過言ではない。そのスマホ版ゲームとしてリリースされていた、今となっては名前も忘れてしまったが、タイトーシューティングゲームの歴史(進化の過程)を辿るようなゲームだったと思う。

今改めてなんとういうゲームだったかを調べようとApp Storeを検索してみたが、既にそのゲーム自体はすでにサービス終了していた。その理由はおそらくiOSのアップデートに合わせてゲームアプリもメンテナンスしていかないといけないが、そのためのリソースをかけてもそれに見合う収益は得られないと判断したからだろうと思う。

 

 

 

人体の進化は止まっている

我々は日々ささやかな知恵と勇気で人生に立ち塞がる障害をなんとか凌いで生きている。一方でハードウエアとしての人類は、かなり前にそのバージョンアップをやめている。収益が見込めないからバージョンアップを止めたゲームアプリとは理由は異なるが、環境に合わせて変化するのが進化なら、環境を自分たちの都合で改変できるようになった我々は進化しないだろう。おそらく唯一の変化に対応するために進化させてきた知能ですら、その代替となるChatGPTなどの生成AIを人類は開発してしまった。生成AIによる活動は人間の過去の資産を縮小再生産するだけだ。(私はシンギュラリティ否定派である)もはや完全に自分で自分の進路を塞いでしまったと言えるだろう。

 

暑すぎる今年の夏

本当に2023年の夏は暑かった。過去形で書いたが、九月になってもまだまだ暑さは続くのだろう。この暑さに対しても我々は生物学的な進化で対応することはできない。これまで培ってきた人類のささやかなテクノロジーを持って対処していくしかない。

ちょっと話が逸れたが、この小説の主人公は(あくまでこの話の主人公は作者が作り出したフィクションで作者ではない)残念ながら、その欲望を果たす前に頓挫する。その無念さは私と妻が味わった無念さと変わらないだろう。この話の主人公のような人が、例えば攻殻機動隊の草薙少佐のように義体を手に入れて、電脳世界だけでなく、リアルワールドでも活躍する様な未来が近いうちに来るだろうか。私たちのように、妊活に失敗という苦い経験をすることもなく、望めば人工子宮で子供を得られる様な未来が来るだろうか。おそらくそんな未来はもう来ないだろうと思う。そしてきっと来年の夏も今年以上に暑いに違いない。

 

 

健全な肉体に健全な精神は宿る?

この言葉は実は間違った広まり方をしていて、実際ギリシャ時代にこの言葉を本に書いたい人は、健全な肉体に健全な精神が宿るといいのだが(実際はそうではない)という意味で書いたという話を以前どこかで読んだ。

傴僂女がその身に宿した精神も、極めて健全な人類共通の欲望を持つに至った。「ノートルダムのせむし男」に出てくる主人公「カジモド」の名前の意味は「不完全」だそうだ。しかし彼が劇中でヒロインであるエスメラルダを思う気持ち=欲望は、その他の健全な肉体を持つ登場人物と変わらない人類として「完全なもの」だった。

テクノロジーの進歩とその袋小路が、我々の進化をとめてしまった。我々は永遠に不完全のまま止まることになったのかもしれない。しかし、その肉体に宿る精神は、それが健全であろうとなかろうと、人類の根源的な欲望を完全に備えていることをこの小説は示してくれたと思う。