常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

天敵の天敵は友達だ、世界に広げよう天敵の輪~  「天の敵」を観た

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本多劇場

2022年10月2日下北沢の本多劇場でイキウメの「天の敵」を観た。

前回の「Shoot me Show me」を観て、すっかり演劇を見る楽しさが蘇ってしまい、次!、次のをくれ~!!という状態になっているところへ、日経新聞の紹介記事を読み、そのままLoppiでチケットを購入してしまった。

実際に行ってみてわかったが、全席指定だったので、買ったときにはすでに本多劇場での最終日のものだった。スケジュールを見るとこの後大阪で二回公演があるが、実質今回の東京での公演は最後と考えていいだろう。

 

www.ikiume.jp

 

あらすじ

今回の演目である「天の敵」は、実は2017年に初演されている。なので、あらすじを書いても良いのではないかと思うが、ネタバレが嫌な人は読まないことをおすすめする。

冒頭の部分は公式から引用します。

 

二〇一七年、ジャーナリストの寺泊満は、菜食の人気料理家、橋本和夫に取材を申し込む。きっかけは妻の優子だった。寺泊は難病を抱えており、優子は彼のために橋本が提唱する食事療法を学んでいた。当の寺泊は健康志向とは真逆の人間だが、薬害や健康食品詐欺、偽医療の取材経験が多く興味があった。優子がのめり込む橋本を調べていく内に、戦前に独自の食事療法を確立した長谷川卯太郎という医師を知る。寺泊はこの長谷川と橋本の容姿がよく似ていたことに興味を持ち、ある仮説を立てて取材に臨んだ。寺泊は、プロフィールに謎の多い橋本は長谷川卯太郎の孫で、菜食のルーツはそこにあると考えた。橋本はそれを聞いて否定した。実は橋本は偽名で、自分は長谷川卯太郎本人だと言う。本当なら122歳になる。信じない寺泊に、橋本は19世紀から始まる自分の数奇な人生を語り始める。橋本の長寿の秘密は食事にあった。不老の健康法は、寺泊の病をも治す可能性がある。しかし、その食事療法は、明らかに人の道を外れていた。(チラシより引用)

 

寺泊の抱えている難病がALSであること、つまり現在は治療法がなく数年後には必ず死に至るという背景が、この橋本=長谷川の語る「食事療法」への寺泊の興味を観客のそれを超えた切実なものにしている。

もちろん観客にとってもアンチエイジングや健康は「永遠の今」を望む現在の我々にとって切実な問題だ。その方法が人の道を外れていても、もし本当に効果があったら絶対に実行に移す人間が出てくるだろう。

ちなみに「永遠の今」というキーワードは、たとえばマーベルスーパーヒーローズに出てくる人たちが、逆説的にスーパーパワーを持ちながら、抱える問題はごく当たり前な人間のものであること、つまりそれは機械やテクノロジーで能力を拡張した現代人が置かれている状況を戯画化したものであり、それは現状にとどまりたい=永遠の今を享受したい我々の姿であるということらしい。

ちょっと話がそれてしまったが、この演劇も行き過ぎた健康志向やアンチエイジングなど「永遠の今」にしがみつく現代を生きる我々=観客にとっても無視できない題材を扱っているため、寺泊とは別の立ち位置にいながらも長谷川の語る話にのめり込まざるをえないのである。

 

 

 

 

永遠の命は永遠の今

先述のマーベルスーパーヒーローズにはもっと長く生きているキャラクターは沢山いる。122年生きているだけでは、そこまで特殊な状況ではないかもしれないが、30代ぐらいの肉体で健康そのものであれば、特殊かもしれない。豊富な人生経験という意味では「人を喰ったような」対応により、(自分より人生経験の乏しい)若い人間を手玉に取ることは簡単かもしれない。最近プレイしたゲーム「Horizon ~Forbidden West~」には、まさに今の延長線上の世界からさらに1000年を生きた「ファー・ゼニス」という集団が出てくる。しかし彼らも1000年も生きている割に俗っぽく、自分たちを滅ぼしに来るAIに対して逃げるついでに寄ったかつての地球でも、再生した人類に対してなんの興味も持たず、むしろ滅ぼそうとする。全然成長がみられない。いや、科学は格段の進歩を遂げている。再生した人類の持っている科学にくらべて、桁違いの(魔法のような)力を持っているが、その精神は低俗で野蛮だ。むしろ、再生した人類のほうが高い精神性を持っているようにも見える。

一体、我々の心というのは何なのだろうか? ふとそんなことを疑問に思う。そのような問はいつもは意識されないが、ふと振り返るとそこにいつもいる自分の影のようなもので、しかし影を覗き込んでも何も見えてこない。

 

 

 

Ghost in the machine

過日車を運転しながらFMラジオを聞いていたら、なにやらとても面白い曲が流れてきたのでメモっておこうと思い、しかし運転中なのでペンもメモ帳もない。仕方がないので信号待ちの間にスマホボイスレコーダーを立ち上げてDJが言った演奏者と曲名を吹き込んでおいた。しかし、そのグループ名と思しき名前と曲名で検索をかけてもなかなかヒットしない。聞いていたFM局のWEBサイトへ行けば、番組中にかけていた曲は記載されていたと思うが、すでにいつだったかがわからないので、しばらく忘れていた。

曲のタイトルは「Ghost in the machine」だったが、その曲名で検索するとポリスの曲がヒットする。最終的に判明したバンド名は「Dawes」だった。これ、日本語でなんて読むのが正しいかわからないんだけど、FM番組のDJが呼称した音をそのまま録音しておいたはずなんだが、そのスペルが全然わからなかったので、検索にヒットしなかったのである。

この「Ghost in the machine」というのは「機械の中の幽霊」ドグマという、G・ライルという人が提唱した概念で、デカルト提唱の心と体の仕組みをわける考え方では、心の仕組み、何から構成されているのかは見えないという問題提起を象徴する言葉だ。つまり、心にもきちんとした機械論的アプローチができるし、身体と離れたところにその機能があるわけではない、むしろ身体と不可分なのが心だろうという考え方のすすめであった。

この考え方からすると、いくら千年生きようと、万年生きようと体の年齢、状態に心は依存していることになる。知識や思考がいくら高度になっても、心の状態(感情や感覚)は一定のままなのだろう。小学生なのに飛び級して大学生になった人間のようなものかもしれない。心の変容の問題はこの劇の話と少し離れるのでここまでにする。

 

 

Misadventures Of Doomscroller

Misadventures Of Doomscroller

  • アーティスト:Dawes
  • Rounder / Umgd
Amazon

 

 

インタビュー・ウイズ・インケツシャ(ここは本当にネタバレします)

演劇の話に戻ると、このドラマのシチュエーションはどこかで観たことあるなと思った。「インタビューウイズバンパイア」のそれと同じだと思いあたった。あの映画のレスタトは200年生きているという設定だが、バンパイアという存在を対置することで、人間の欲望についてその細部を照射することができるドラマだった。

「天の敵」でも、直接牙を立てて吸うのでは無いが最終的にはバンパイアと同じような存在になっていく。永遠の若さと健康を手に入れた代償として、普通の食事が食べられなかったり、太陽の光が弱点であったりすることもバンパイアと同じである。最終的には、この手に入れた力が無制限に拡大していくのを恐れた長谷川卯太郎によって「飲血によるバンパイア化」を止めると語られる。しかし、ALSである寺泊に対しては、現在のところこの方法が唯一の生き延びる方法ではないかと告げで舞台を去る。残された寺泊はどのような選択をするのか? いや、そもそもこの話自体が壮大なホラ話ではないのか? しかし、その寺泊の心境の切実さは想像を絶するほどに深刻だ。いや、私だっていつ寺泊と同じような境遇になるかもしれない。これは我々一人一人にとってもすぐ隣りにあるかもしれない闇なのだ。心が身体に由来するものでありながら、身体が心を裏切るとき、心は本当に身体から生まれているのだろうか? 「機械の中の幽霊」問題は、普通の人が普通に考えるだけでは解けそうにない。