常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

ターミネーターとの終わりなき戦い ~「未来から来た男 ジョン・フォン・ノイマン」を読んだ~

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すっかりご無沙汰

ブログを書く習慣がなくなってしまった。せっかく暑い暑い2023年の特別な夏が終わって、少しはまとまったものを考えることができるような気温になったのに、なぜ書けないのか? 一つには趣味で続けている杖道の審査や試合があったため、集中してお稽古をしていたからというのもある。基本的には土日しか出来ないので、パソコンのディスプレイに向かってキーボードを叩く時間が作れなかった。この2ヶ月ぐらいの杖道に集中した時期についても後で書きたいと思うが、まずはその間やはり寝る前にちびちび読書をして毎晩楽しみに読んだ「未来から来た男 ジョン・フォン・ノイマン」について書く。

 

 

爆縮レンズ

私がジョン・フォン・ノイマンという人物について特別な関心を持つようになったのは原爆の「爆縮レンズ」というものを設計した人ということをなにかの記事で読んだからである。アインシュタイン相対性理論によって原理的に原子爆弾というものが可能だということはわかったが、それを実際に爆発させるためには、ものすごい圧力で圧縮しなければならないが、それをどうやって実現するのか? というテクノロジーが生み出されていなかった。そこをこのジョンが設計した「爆縮レンズ」で実現したのだという。残念ながら物理の世界に詳しくないので、この「爆縮レンズ」がどのような原理で生み出されたのかは分からないが、光学レンズであれば光を屈折させて一点に集めるものを想像するが、それを爆発の力で実現するもののようだ。すなわち圧縮したい(核融合させたい)ものの周りに通常の爆薬を球状に配置(サッカーボールの皮の様なもの)して、それらの燃焼反応を同期させ中心の一点に圧力が集中する方法を編み出したということのようだ。今回読んだ本にも、この辺の開発ストーリーが書かれていた。しかし、思ったほど重要なエピソードという感じではなかった。その後の水素爆弾では別の方法による臨界状態の生成?を行うようになったので、ある意味プルトニウム原子爆弾のみのテクノロジーなのかもしれないが、それによって原子爆弾が実現可能になるかどうかというキーのテクノロジーであることは確かだろう。

 

ノイマン型コンピューター

我々が日々使っている、今もこの文章を書くのに使用しているPCの基本アーキテクチャーを作ったのもジョンだ。だからコンピューターはノイマン型と呼ばれている。一時期並列処理だとか、第五世代コンピューターだとか非ノイマン型コンピューターというものが考案された時期もあったが、今も主流はノイマン型だ。この先量子コンピューター(非ノイマン型)がそれに取って代わっていくかもしれないが、それらの機械の使用目的は現在も開発が盛んなChat GPTに代表されるようなAIのためだろう。以前のブログにも書いたが、確率処理だけで文章を生成しているのにその結果が人間にとって意味のあるものに感じられるというのは本当に不思議だ。機械は「意思」を持たない(機械の中にあとから幽霊が宿ることはない)が、そもそも機械というのは目的を持って設計された時点でそれは「意志」を内蔵している。あとはその「意志」をドライブする「意思」があればいいのだが、そこをこの世界のすべてをデータとして持った母数を基盤とした確率論的正しさで活動の方向性という「意思」を与えてやれば自己完結するのではないだろうか?

 

セル・オートマトン

ノイマン型コンピューターのプログラム上で動く自己増殖するセル・オートマトンライフゲームももともとはジョンの発明だ。一定のルールで自己増殖していく2D平面上のパターンを設定すると、一定の形状や動くパターンを見出すことができるという。こちらも高校生ぐらいの時に初めて知ったときから、今に至るまで何の意味があるのか今ひとつピンとこない。

しかし、初期状態の設定さえ与えてやれば、自分で自分を複製して無限に増えていく機械を想像すると、その意味はおぼろげながら見えてくる。例えとして、宇宙に一台の機械を放ったら、それが指数関数的に増殖していき宇宙をくまなく調べて回る探査機のようなものがもし出来たら、その基礎となるテクノロジーはこのセル・オートマトンということになるのだろう。

 

どの未来から来た男なのか?

日経新聞の土曜版には見開き2ページの書評コーナーがあるが、10月のページにこの本を評したものがあった。その選者が「そもそも、どの未来から来た男なのか?」という疑問を呈していた。日本にとって、世界唯一の原爆を実戦で使用された国にとっての未来とは異なる未来から来ただろうということだ。これについて少し考えてみた。

ぼんやりとそのことを考えながらここまで書いてきて、核兵器、コンピューター(AI)、セル・オートマトン、そしてジョンという名前を並べたら自然とあの話が浮かんで来た。そう、ご存知「ターミネーター」だ。今度NETFLIXproduction I.G.制作の新作アニメシリーズが作られるらしい。一作目から「2」「3」ときてテレビシリーズ(JKターミネーター)「4」(クリスチャン・ベール)「Genisys」「New Fate」と色々なターミネーター世界線が描かれてきている。

一作目で未来から来た男はカイル・リースで、それを行なったのがジョン・コナーなのだが、これらの実現のためにジョン・フォン・ノイマンが未来から来たというなら、それって正しくスカイネットが起動して人類を根絶する未来のための布石をしていたように見える。つまりノイマンスカイネット側から送り込まれた殺人ロボットT-XXXみたいなものだったということになる。この本の最初の方に実はジョンは別の天体から来たが、人間生活を学んで完璧にそれをこなしているのだというジョークが囁かれていたというエピソードが出てくる。こう聞くとまさにふさわしい感じがするが本当にそうだろうか?

 

 

 

ファースト・ターミネーター

「2」の冒頭でサラ・コナーのモノローグとして「世界はヘッドライトをつけないで高速道路を全速力で走っている車」みたいだと語るシーンがあった。テクノロジーの無軌道な発展はその先に何が待ち受けているかを考えていないという意味だと捉えていたが、現代文明に重要な意味を持つテクノロジーの発展の根本には常にこのジョンの影があることを踏まえるとまた別の意味が見えてくると思う。

ジョン・フォン・ノイマンハンガリー生まれだが、ヨーロッパでのナチスの台頭、ユダヤ人排斥を逃れてアメリカに渡る。ナチスはいわゆる「ユダヤ人問題に対する最終解決」として絶滅政策を行った。そのことに強い恐怖を覚えたジョンは、それに対抗するより強力な兵器として原子爆弾の開発、そのための数値計算のためのコンピューターの開発を行った。自ら(の民族)を絶滅せんとするものとの戦いを始めていたのである。そういう意味でではジョンはもう一人のジョン(コナー)と同じ立場にいると言えるだろう。

 

ジャッジメント・デイ

未来から来た(本当は来ていないが)ジョン・フォン・ノイマンはまさに自分のターミネーターとの戦いをアメリカに来て開始していたとすれば、どの未来から来たか? は自ずと答えが出るのではないだろうか。同じ民族の末裔が、まさに2023年の今約束の地で自らの国と民族の存続をかけて戦い続けており、そのためには「核の使用も辞さない」覚悟であるという。ただし、この本にも出てくるが同じユダヤ人であるアインシュタインイスラエルの方針には賛同できず、協力を断っている。ノイマンも同じだったようだ。

町山智浩の本「ブレードランナーの未来世紀」で解説されているように、この「ターミネーター」を含む一連の映画にはネタ元となる映画があってそれが「素晴らしき哉、人生!」という映画なのだが、それらに共通する筋書きは

(1)世界が少しづつおかしくなって、最終的に主人公が窮地に陥る

(2)誰かが主人公にこれはあれのせいで、このままほって置くと世界は破滅すると教える

(3)主人公はやるべきことを知り、そのために邁進、世界を救う

というものだったと思う(本が手元にないので記憶で書いています)

暗闇の向こうに見えてくるはずのものは「審判の日」なのである。それはいつかは見えないが、確実にやってくる「ジャッジメント・デイ=取り返しの付かなくなる日」なのである。それに対する終わりなき戦いをジョンの同胞(本人はそう思っていないかもしれないが)は続けているのである。

ジョン自身は最後はがんで死んでしまう。最終的には脳に転移して「5+7のような計算にも時間がかかる」ような状態になってしまう。ジョンが死んだ後の二番目の妻クラリのエピソードが一番深く考えさせられた。詳細は書かないがジョンがどのような男だったかはこの部分が語っていると思った。