常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

俺はこう生きる(生きた?) 〜「君たちはどう生きるか」を観た〜

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巨匠のカーテンコール?

既に一ヶ月ぐらい前の話になってしまったが、表題の作品「君たちはどう生きるか」をもちろん(ツンデレ)吉祥寺ヲデオンで見てきた。画面の下は前列の観客の頭によって連なる大山小山の形で欠けているが、そんなことは全く気にならない。とにかく宣伝も前評判も全く聞かない状態で観た。こんなに事前情報がない状態で映画を観るのはほとんどないことかもしれない。それこそたまたまつけたテレビでやっていた映画を観る様な経験に近い。観終わってからもパンフレットもないので、登場人物や場所の名前などが記憶頼りなのはご了承頂きたい。

前作の「風立ちぬ」が最終作ということだったので、それを覆してでも作りたかった話と考えるか、巨匠のカーテンコール、あるいはボーナストラックぐらいのつもりでみるかによっても印象は違ってくるのではないかと思う。

 

難解なストーリー

世間の評判では特に若者にとってはストーリーが難解だったという様な声があるらしい。観終わってヲデオンから出る時に周りにいた女の子達が難しかったねー、と言う声を聞いた。しかし、(上辺上の)ストーリーとしては特に難解とは思わないが、ではこのストーリーが何を意味しているのか、作者宮崎駿は何を言いたいのか?と考えたときには、なんだかよくわからないというのが正直なところだ。

私が見た「もの」のあらすじを簡単に書くと、母(1)を亡くした主人公(2)が謎の使者(3)の導きによって謎の世界へ死んだ母を探しに行く。そこでは現実にいた人の面影がある別の人たち(4)がいて彼を助けてくれる。やがてその謎の世界を作った人(5)に対面し、この世界を引き継いでほしいと言われるが、欲に取り憑かれた仮の支配者(6)によって謎の世界は崩壊、主人公は現実の世界に戻る……という感じだ。

このストーリーを観終わって一番先にした解釈は、主人公(2)は宮崎駿で、戦争中に自身の母(1)を失くすまでは自分の生い立ち(「君たちはどう生きるか」の本をもらったことも事実)、疎開して母の実家の屋敷に移ってからは、謎の世界=自分の空想の世界で母を探す試みが、そのままアニメーション作家としての道のりで、途中から出てくる強欲なインコとその王(6)たちはアニメ作品を商業的に利用する人たち、謎の世界の創造者(5)は老境に至った自分自身で、その時点で主人公は君たち=広く言えば観客だが、おそらくこれからアニメーションを作っていくクリエイターたち(7)に変わっていて、ここまでのストーリーが全て後に続く人たちへのメッセージ「俺はこうやって作品作りをしてきた。君たちはどう作る?」となって終わる……というものだった。

ここであえて他人の感想を参考にしてしまうが、私が個人的に勝手に師匠と思っている内田樹先生がブログで感想を書いてくれているので、まずはそれを読んで頂きたい。

 

blog.tatsuru.com

我々は何を見たのか?

内田樹先生の感想によると、今回の作品にはこれまでの宮崎駿の作品にあったものが2つ無いらしい。一つは「可愛らしいトリックスター」そしてもう一つが「空を飛ぶ少女」だそうである。

可愛らしいトリックスターというのはトトロとかジジみたいなもののことだろう。今回の作品に出てきたアオサギは不気味な中年男がアオサギの着ぐるみをかぶっている様な出立ちだ。私の解釈だと、アオサギはやはり宮崎の分身で、謎の世界=自分の想像の世界であれば、そこへ自分自身をドライブするのはやはり「欲望」で、それはやはり外面の下に蠢く醜いけれど凶暴なものだろう。翼を持つというところからも果てしない空=空想への飛行を可能にする存在だ。

一方の空を飛ぶ少女というのは、魔女の宅急便の主人公はまさにそれだし、ナウシカカリオストロで飛んで行った峰不二子もそうだという。逆にもののけ姫のサンは飛ばないし、コナンのラナも飛ばないし、紅の豚のフィオも……最後は自分で飛行機に乗って飛んでたか。とにかく少女が満をじして空を飛ぶことで、観客のカタルシスを一気に爆発させて巻き込む演出が持ち味なところを封印してこの作品はできているということである。

 

私の観ない宮崎アニメ

私があまり好んで見ない宮崎アニメもある。まずトトロがそうだ。テレビで何度か放送があったはずだが、一度も最後まで見た事がない。「魔女の宅急便」は好きな方だが、やはり対象が女子だなと思う。「千と千尋の神隠し」も女子むけ「崖の上のポニョ」に関しては少女を通り越して幼女向けだろう。また、「風立ちぬ」も誰がターゲットなのか判らない映画だと思う。それこそ遺作(のはずだった)だから監督本人が納得していれば良いのかも知れないと思って観た気がする。

これらの作品をなぜ私が観ないのかにはあまり立ち入らないことにするが、ただ単に面白くないからと言うことではないと思う。むしろ積極的に忌避する成分が含まれている作品群なのじゃないかと思うが、その成分がなんなのかはよく判らないし、不愉快なものの腑分けをするのも作業としては意味があるかも知れないが、今回はパスする。

 

私が好きな宮崎アニメ

私が中学生の頃、テレビは毎日5時から7時ぐらいの間、つまり小学生や中学生が学校から帰って来て、「ご飯だよ〜」の声で食卓に呼ばれるぐらいまで(食事中もテレビを点けて良い家では観ていたかも知れないが、うちの家はダメだった)アニメーション漬けだったと言っても過言ではない。

その中で宮崎駿の作品だという意識を持ってみたのは恐らく「未来少年コナン」が最初だったと思う。実はその前に世界名作劇場で放映されていた「アルプスの少女ハイジ」も宮崎・高畑コンビの作品だったのだが、それを知るのは高校生になってアニメ雑誌を読み漁る様になってからだったと思う。そういう視点でアニメを見る様になって、ルパン三世(新)のテレビシリーズの中で宮﨑駿が担当した回「死の翼アルバトロス」や「さらば愛しきルパンよ」なんかでその良さを再確認した。そしてルパン三世劇場版第二作である「カリオストロの城」である。

この作品で見たルパン一味や銭形警部などの格好良さが私の人格形成に多大な影響を与えているはずだ。既に五十路になり、純粋な形では残っていないかも知れないが、それでも男は、人間はかくあるべしというのはこの作品の中から頂いたものだ。そういう意味では、「すずめの戸締り」の感想を書いたときに「もののけ姫」が残したメッセージ −我々は自然を壊しているし、それはもう取り返しがつかない ― が影を落としてはいるが、それは一つの十字架であって、人格の基礎が根を張ってそこから養分を吸い上げている対象ではない。ちなみにその頃の私のヒーロー像は「平賀キートン太一」だったからと言うのもあるかも知れないが……

 

 

 

私たちはこう生きる(生きた)

こうして考えてみると、今回の作品で「君たちはどう生きるか」と問われたなら、私は既に宮﨑駿監督の過去の作品で生き方についてのメッセージ("とんでもないもの"を盗めるような人間になること!)は勝手に受け取っているのだから、無理してこの作品を解釈する必要もない気もしてきたが、最後に一番気になった部分だけ挙げておく。私が見逃しただけなのかも知れないけど、直人が最初に異世界へ入った時に上がった島にあったお墓?は一体なんだったのだろうか?何かが出て来そうになったけど、なんとかそれをやり過ごしたみたいな描写でそのまま島を離れたまま最後まで触れられてなかった気がするけどアレこそが母の墓だったのだろうか?