常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

「CONTROL」をプレイした

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○あのゲームの続編?
人類は太古の昔から様々なものを制御、管理してきた。植物の育成をコントロールして食料生産を、病気や怪我を治療することで健康と生命を、野生動物の襲撃や人間同士の争いを建築や武装によってなど、主に科学や技術を利用してそれらを成し遂げてきた。

2021年には地球の平均気温をコントロールしようとしている。地球温暖化は少なくとも人類の営みで平均気温を上げるという「テラフォーミング」を可能にしたと考えれば凄いと言った人がいたが、今度は下げることはそう簡単ではない。最近放映されたNHKの番組でも取り上げていたが2030年までにその道筋を着けないと、その先は「なるほど環境破壊、カタストロフまっしぐら」だ。

www.nhk.or.jp

 

 


今回プレイしたゲームはPSPlusで無料提供されていたゲーム「CONTROL」である。一応クリアした……んだと思うんだが、正直そこはどうでもいい気がしてきた。
最近のゲームはクリア後のお楽しみで、その世界観の中にずっと浸っていられるので「DEATH STRANDING」も未だに時々起動しては、電動バイクで走り回ったり、「Gohst of Tsushima」では綺譚をやったり、ストーリーの二周目をやったりと気軽に作品世界に戻っている。
「CONTROL」も一旦エンドロールが流れたが、ミッションがまだ少し残っている。しかし、私にとってこのゲームはクリアしたかどうか以上に重要なことがあった。

実はこのゲームは「ALAN WAKE」と関係があったのである。見逃していたとはうかつだった。もし知っていたら、無料ではなくちゃんとお金を出して買っただろう。

 「ALAN WAKE」というのはどういうゲームかというと、作家である主人公のアラン・ウエイクが行方不明の妻を探しにブライトフォールズという町にやって来る。

そこで数々の怪事件に遭遇する……と言うストーリーで、三人称視点からプレイヤーキャラであるアラン・ウエイクを操作して謎を解くというものだ。ちなみに武器は闇に対抗する「光」——懐中電灯である。

 

○あらすじ
世界の設定がよくわからないのに、あらすじを紹介出来るのか?と思うが、とにかくやってみる。
このゲームの主人公=プレイヤーが操作するキャラが「ジェシー・フェイデン」という女性である。年齢は20〜30代だ。
スタートから謎の建物に入って出られない。建物の名前はFBC、Federal Bureau of Controlである。連邦制御局とでも訳すのか。もちろん実際のアメリカ合衆国には存在しない(と思う)。
彼女はここに何をしに来たのか?自分の弟を探すために来たらしい。弟はスライドプロジェクターと一緒にこの建物に連れ去られて以来行方不明なようだ。
このFBCは何を「制御」しているのか?ここで「ALAN WAKE」とつながりがある事を事前に知っていたらすぐわかったのだが、普通の人間が知らない(つまり実際には存在しない)異次元からの干渉という脅威が、普通の人々の生活を脅かさないように「制御」しているのである。
異次元からの干渉ってなに?さあ、ここからがこのゲームのユニークなところなので実際にプレイしていただいた方がいいと思うが、恐らく元ネタとなっているのは「ALAN WAKE」と同じで、昔のテレビ番組「トワイライトゾーン」とか「アウターリミッツ」などからインスパイアされた世界観だ。70〜80年代のオカルト・UFO・超常現象などのテイストである。私の好きな映画「MIB」やゲームの「サイレン」などと同じ系列である。
このゲームの紹介記事やビジュアルを見ても、一見そういうテイストのゲームだとわからない。その事によって、この手の話が好きな人々の所にこのゲームが届いていないんじゃないかと心配している。単に私の注意不足で見落としていただけかも知れないが。

 

メン・イン・ブラック (字幕版)

メン・イン・ブラック (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

SIREN

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  • 発売日: 2003/11/06
  • メディア: Video Game
 

 

○ゲーム内容
ゲームのプレイスタイルはサード・パーソン・シューティングと言って差し支えないだろう。「ALAN WAKE」と違ってゲーム序盤で「銃」が手に入る。

ゲーム開始直後からジェシー・フェイデンは謎の存在と(テレパシーで)会話している。恐らくその「存在」こそがプレイヤー自身で、プレイヤーはまさに主人公ジェシー・フェイデンをゲーム機のコントローラーを使って「コントロール」している。
しかし、本当に「コントロール」されているのは実はプレイヤーの方である。ゲームを始めた瞬間から、クリアに向けて順番に与えられたミッションをこなす。
しかし、終盤までプレイしてきて見えてきたものは、人類がこれまで科学技術によって未知の現象や理解不能な存在を制御しようとしてきた事に対する限界が、一種の皮肉やアイロニーによって表現されていると感じた。
コントロールという名のゲームをコントローラーを使ってクリアしようとするが、クリアできない。コントロール不能、コントロールの限界をプレイヤーに垣間見せるのがこのゲームの目的だったのでは?と思える。その意味でこのゲームのエンドロールの不条理な感じは大変満足だった。

 

 

○我々の「コントロール

冒頭に書いた我々が目指している地球気象の「コントロール」は不条理な結末を迎えないようにあと10年以内に達成しなければならない。不条理な結末を迎えたときはそれを見ているプレイヤーは存在しない。(ピロリロピロリロピロリロ……)