常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:II」を観た

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○立川シネマ・ツー極上爆音上映+極上音響上映
緊急事態宣言が明日解除されるという日曜日に急に思い立って「シン・エヴァ」を観てきた。10時45分の回を予約したのだが、あいにくの雨で電車で行くところを自動車で行ってしまったため最後の立川駅周辺の渋滞にはまり、劇場内に入った時には既にいろいろなところで公開されている「パリ復元」作戦中であった。
本編が始まってから劇場に入ってくるなんて、上映前のマナー説明でも取り上げられていないぐらい基本的なマナーで、自分がやられる方の立場だったら怒り心頭だと思う。同じ回を観ていた皆様にはここに謹んでお詫び申し上げます。
その後、2時間超の上映時間を観終わっての感想だが、端的に言って2019年に観た「ブレードランナー 2049」の時は、数十年を経て同じ世界の続きを観ること出来たことで感無量であったが、今作にはそれとはまた違った感慨があり、昨年末に観た「鬼滅の刃 無限列車編」で流した涙とは違う意味での涙腺の解放があったと思う。映画のキャッチコピーで「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」と言っているが、正にその言葉通りこれでこれまでの”すべての”エヴァンゲリオンにさよなら出来る映画だ。

 

 

○あらすじやネタバレはなし
あらすじを書けないわけでは無いが、書かない方がいいと思う。もちろんまだ劇場での上映が開始されたばかりで、観てない人が沢山居る状況だからと言うのもあるが、正直に言ってそもそもネタはばれていて、ばれていない、と言ってもいいと思う。
私自身の体験を語らせてもらうと、25年前旧作のTVシリーズが始まった当時、耳の早い友人から作画が間に合わずに放送できなくなりそうになり、それまでの放映された映像を庵野監督自身が編集し直して放映したという伝説の回(第壱四話「ゼーレ、魂の座」)の録画ビデオを渡されて、まだ厨二病回路をかろうじて温存していた私は「なんだかわからんけどすげえ」とはまってから、劇中に使われているジャーゴンを解説する本などを読んで人類保管計画や死海文書の謎を解こうとした。

 

ゼーレ、魂の座

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  • 発売日: 2016/04/29
  • メディア: Prime Video
 

 


そして全てが明らかになると期待して「エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを君に」を観に行った。劇場からでる時に、周りの人間(恐らく十代)から聞こえてきた
「ぜんぜんわからん。観なきゃよかった」「もののけ姫観に行こうぜ」(その当時は同時期に上映されていたのである)
と言う言葉がその時の自分自身の心情を代弁してくれていた。

 

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

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  • 発売日: 2019/08/01
  • メディア: Prime Video
 

 


その後漫画連載もスタートして最初は読んでいたが、途中で読むのを止めてしまった。自分自身が漫画をあまり読まなくなった時期でもあり、またいつか読んでみたいとは思っている。

 

 


2007年に新劇場版がスタートして、庵野監督が本当にやりたかったものにより近づけて作り直された「序」「破」そして「Q」まで観てきて、5年間かけてまさに「エヴァ」そのものが書き換えられて行く過程を目の当たりにしてきた。きちんと時間をかけて作り直された映画は大変美しく、新鮮な驚きを感じさせる部分もあったが、その一方でストーリーと、主人公およびそれを取り巻くキャラクター達は皆すでに十分”手垢にまみれた”感があった。そして逆に新キャラが何人か入っている上に旧キャラクターも名前がちょっと違うということもあり、逆に旧作(TVシリーズと劇場版)はなかったことにされているのでは?という思いもあった。(しかしそれは杞憂であった)

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

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  • 発売日: 2007/09/01
  • メディア: Prime Video
 

 

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

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  • 発売日: 2009/06/27
  • メディア: Prime Video
 

 

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

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  • 発売日: 2012/11/17
  • メディア: Prime Video
 

 


『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告【公式】

○「:II」を観て思ったこと
そして2021年3月21日「:II」を観終わった53歳の自分は、ものごころ着いた頃からアニメ、漫画の方面の創作物を好んで摂取して(もちろんそれ以外の社会に生きる人間の様々なイベントを経過して)人格を形成した人間として「正しく現在にいる」ことを確認することが出来た。
「お宅」という言葉生まれる前からその方面を嗜好してきた人間として、自らをネガティブな意味での「お宅」であると思ったことがない。だからネガティブな意味で「お宅」であることは、自分たちの世界に閉じこもって自らのための愉悦のみに浸り続けると世間一般には解釈されると思うが、閉じこもっていてもいなくても今を生きている同時代感覚というものは持っている人は持っていると思うし、「お宅」向けの作品を作る側の人間でも、生きている時代の空気を嫌でも吸って生きていて、それが作品内容に反映しないということはあり得ない。この作品を観て、作品が持つ時代感覚を素直にキャッチすることが出来たと思えたことが、正しく現在にいると思えた理由の一点目。
もう一点は本作で描かれた碇シンジの成長の姿に納得できたことなのだが、これをきちんと説明するためにはネタバレ(ストーリー上の展開を知らないとわからない)が必要なので結論だけ言うといつものやつである。前回のブログでも触れた村上春樹が言っている「優れた物語はまるで鑑賞者個人に宛てた手紙のように感じられる」ということだ。
つまり本作は普遍的な物語(ブレードランナー 2049にも鬼滅の刃無限列車編にもスターウォーズ7・8・9にもあったが、TVシリーズと旧劇場版にはなかった)を内包しているのである。それを正しく受け取れたと思えたことが人生において53年間、現在までを生き、さらに今を生きていると思えた理由の二点目である。何を言ってるのかわからないとおもうが、現時点での素直な感想である。いつかもっと別の形でこのことに関しては書いてみたい。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

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