常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

「永遠の1/2」を読んだ

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〇小説巧者の不朽のデビュー作
遂に三十数年来の宿題を片付けることが出来た。この年になると自分の人生における宿題の中で、もう「絶対に片付けることが出来ないもの(宿題)」が増えて絶望的な気分になることが多い。(余談だが、そういうものを「墓場まで持っていく」と言うが、そもそも墓場にはそういうものは一切持ち込めないと思うのでその時点で帳消しになるのかも知れない)そんな中で「一冊の本を読む」と言う、比較的クリアするのに障害のないものであるとはいえ、一つ減らせたことは感慨深い。しかしながら、私が博多の予備校で講師から聞いた本のタイトルとそれを引き合いに出して諭された話の記憶とは全然異なる内容の話だった。そして、本としての面白さは早くも今年のマイベストとあげた「ホテルローヤル」を抜いて暫定一位になってしまった。

 

永遠の1/2 (小学館文庫)

永遠の1/2 (小学館文庫)

 

 

 

〇あらすじ
主人公は27歳で無職の青年である。無収入だが、なぜか競輪で稼ぐことで当座の生活費には困らなくなり、年上の彼女も出来て万事がうまく行ってる……と思ったら自分の住んでいる街に、自分に瓜二つな男がいることが段々明らかになり、さらにはそのそっくりな男の行動が、主人公の人生に影響を与え出す。最終的には主人公はその自分にそっくりな男に会って、その男になぜそのような行動を取るのかを問う……というのがかなりざっくりしたあらすじである。
このあらすじを読んでも、この本の何が面白いのかは全く解らないと思う。「月の満ち欠け」のブログの時にも書いたが、小説の面白さとはあらすじには書けない部分にあるのだと確信した。

 

〇タイトルについて
読み終わって一番びっくりしたのは「アキレスと亀」の話は全く引用されていなかったことである。人間の記憶の曖昧なことは私も十分承知しているつもりだが、恐らく私の頭が勝手に作り出した妄想だったようだ。
この本は「モラトリアムについての話」だという今となっては確かめようのない”ソース”の情報がミックスされて、若者が永遠に決断を保留し続ける様を、亀にアキレスが追いつけないパラドックス(アキレスから亀は永遠に1/2だけ前に進み続け、故にアキレスは絶対に亀に追いつくことが出来ない)を用いてモラトリアムをなぞらえたものだと思っていた。だからこの本のタイトルは「永遠の1/2」なのだと勝手に思い込んでいたようである。(もしかしたら、どこかの書評でそんなことが書いてあったのかも知れない。とにかく本自体はこれまで読んだことがなかったのは確かだ)
では、この本のタイトルはなぜ「永遠の1/2」なのだろうか?(余談だが、カミさんに今読んでる本のタイトルは?と聞かれて答えると、ああ、零戦の話ね……みたいな反応が返ってきていた)実は本のかなり初めの方にこの言葉が出てくる。たしか、凄く長く(感じる)時間の比喩として使われていたと思う。考えてみれば永遠という時間は無限なのだから半分にしても変わらず永劫の時間を持つ。しかし、この小説の実時間は一年と少ししかないのである。会話で少し出てきただけの言葉がタイトルになる理由が見つからない。
もちろんタイトルとして非常にそそるというか、いろいろな想像をかき立てられるし、私の記憶にもしっかりと刻み込まれ、30年過ぎても手に取らせるだけの力があるよいタイトルであるとは思う。今回読んでみて、受け取った内容を元にこのタイトルに込められたものを勝手に想像すると、地球からは絶対見えない月の裏側のように、人間が自分にとって永遠に解らない「半分」(ダークサイド)があり、普段はそれに対して向き合うことは出来ないが、この話のように自分にそっくりな人間が現れて、自分に似たような行動(しかし理解不能)を取っているとき、その人間に対して、なぜそのような行動を取るのか?と質問することが出来て初めて、その質問自体が無意味である事を知る……というような部分を込めて「永遠(にわからない自分の)1/2」というタイトルにしたのではないかと思った。

 

 

〇この本の中の「一年間+」
私が買った文庫本は恐らく「月の満ち欠け」で直木賞受賞されたときに一連の作品全て(かどうかわからないけど)が刊行され、この作品も三十三年ぶりに復刻されたもののようである。巻末の作者の「三十三年目のあとがき」も大変面白かった。(あの女性とはその後連絡がとれたのだろうか?)
本の中に出てくるお札には一万円札と五千円札に聖徳太子が描かれていたことや、主人公たちが見に行く映画も「スターウオーズ」「クレイマー・クレイマー」だったり、ジャイアンツには江川がいたり、それを日々ナイターとしてテレビ(ブラウン管だ)で観ていたりしている姿の描写を読んで、それらをリアルタイムで知っている世代としては非常に面白かった。そして今思うに、恐らくこの本が発表された当時はこれらの小道具や出来事は誰でも知っていることであり、違和感なく受け入れられると同時に描写の同時代性が優れていたと思う。

 

 

長崎県西海市
私の個人的な事情として、(時代は平成だったが)大学時代を長崎で過ごしたこともあり、この本の舞台である西海市は競輪がある事も知っているし、佐世保の女子高生はなぜか長崎市のそれより大人びて見えたりしたし、休日はバイクで大村湾を一周したりして西海橋のたもとで一休みしたりもした。

なので、この本の登場人物がいわゆる長崎弁を話していないことは途中まで非常に違和感を感じていた。しかし、これはあくまで小説であるので、小説の中の「西海市」なのだから人々は標準語のような言葉を喋っているのだろうと解釈した。さらに読み進めていくうちに、これは根っからの長崎人ではないからわかることでは無いかと思うが、登場人物が方言は使っていなくても長崎人らしいやり取りをしているように感じられて、途中から方言でなくても気にならなくなった。

30年前に過ごした長崎の日々を思い出すことが出来たと言う点からも、本当に読んでよかった、面白い小説であった。

 

www.city.saikai.nagasaki.jp

「心理的安全性」について

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心理的安全性とは?

honz.jp


HONZで紹介されていた本に「恐れのない組織」というタイトルのものがあった。まだ、HONZの記事を読んだだけで、本そのものは読んでいないことをお断りしておく。しかし、その本のサブタイトル<「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす>という文の「心理的安全性」とは何だろうと思い、そのHONZの記事から更にリンクされていた所も読んでみた。

eijionline.com


この記事を読むと解るが「心理的安全性」というのは組織の中で生きるものにとって大変重要な要素で、簡単に言うと「その組織内の誰もが正直に行動して、なおかつその事で不利な扱いを受けない事が保証されていること」といえるのではないかと思った。これを考えてみて、私の頭に一番に浮かんだのはポール・バーホーベン監督の映画「スターシップ・トルーパーズ」の最後の方に出てきたラズチャック小隊だった。
映画の中でラズチャックは言う「Everyone fight, No one quites.」と。そしてその言葉通りに自ら先頭になって”虫の大軍”と戦い、死んでいく。隊長が死んだらその次に偉い人間が隊長になる。「リコ小隊!リコ小隊!」と周りの歓声を受けながら新たに隊長になりやはり同じスローガンを挙げる。「Everyone fight, No one quites.」とーーー。


everyone fights no one quits


ちょっとずれてる気もするが、心理的安全性がもたらすものは「誰でも発言できる風通しのよい企業文化」とはいうものの、その根底にはその組織にいる人間全員が企業活動にフルコミットする(全員が戦う。誰も止めない)という前提があっての話ではないだろうか。だからその発言にも自然と重みが生まれるし、お互いの意見を尊重できるようになるのではないだろうか。恐らくこれは鶏が先か卵が先かだと思うが、少なくとも両方がないと高い理想を持って任務を遂行できる強い組織は成り立たないのではないか。

##子供の頃思っていたこと
自分が子供の頃だから昭和40年代の後半から、昭和50年代の前半ぐらいの話になるが、その頃漠然と世の大人たちの振る舞いに対して、その中に潜む不機嫌や不安のようなものが有るように感じていた。それは世の中の大人と言っても基本的には自分の親や親戚、あるいは友人の親、先生などに限られるので、そんなに広い世界を視野に入れての話ではないが、そのような心理の原因はやはり第二次世界大戦における日本の敗戦があるのではないかと思っていた。
今回紹介された概念である「心理的安全性」は、恐らく戦時中にほぼ完全に日本社会の中から破壊されたのではないだろうか。国全体が戦争状態にある事や、その国民総動員で戦争に向かう中で、それに反対するものや非協力的なものは憲兵などが取り締まったり、隣人同士が監視し合ったりと、極度の心理的不安の中で生活することを余儀なくされたと想像されたからである。

これは先ほどの「スターシップトルーパーズ」の一場面を想起したことと矛盾しているかもしれないが、バーホーベン監督の意図はもちろん逆だと思う。私の感覚はあえてそれを一周回って「是」としたと解釈して欲しいと思う。


第二次世界大戦とその後に続く世界を二分した米ソの冷戦を経て、ようやく世界は安定を得たように見えるが、一方で地球温暖化や化学物質による汚染のような環境問題が深刻さを増して、今度はそちらが「心理的安全性」を社会から奪いつつある気がする。本当はそのような深刻な問題に立ち向かうときこそ、クリエイティブな発想が最も大事であり、そのためにはあらゆる局面で「心理的安全性」が確保された上での議論や計画、実行が欠かせないはずなのだが。

 

「英語独習法」を読んだ

西荻窪駅のマイロードにあるお店の前にあった樽

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www.nhk.or.jp

〇異色の大河ドラマ
本題に入る前に少し今考えている事を書かせていただきたい。
NHK大河ドラマ麒麟がくる」が明日最終回を迎えそうだ。年末、12月中に最終回が来ない大河ドラマは未だかつて無かったのではないか。日曜日の夜八時にテレビの前に座って大河ドラマを見るようになったのは、30を過ぎてからだったように思う。
今回は戦国時代のスーパースターである織田信長豊臣秀吉徳川家康などが出ており、物語的にもよく知られた時代を、あえて三日天下とか裏切り者てきなネガティブなイメージの強い明智光秀(十兵衛)を主人公にして、彼の視点からの信長と周辺の人間模様を描いている。ドラマを見ている我々は、十兵衛が最終的には信長を殺して、木下藤吉郎秀吉に討たれることを知っているので、必然的に我々の視点は「なぜ十兵衛はその結末を選ぶのか?」になる。
その結末を観ることが出来る最終回が楽しみだが、私が今回の大河で一番楽しんだのは佐々木蔵之介演じる木下藤吉郎こと後の豊臣秀吉の役どころである。「秀吉」を主人公にした大河ドラマもあって、竹中直人の当たり役と言うことになっているが、それとも違う、「独眼竜政宗」の勝新太郎演じた秀吉とも違うが、ある種のヒール(悪役)的にのし上がっていく秀吉像が佐々木蔵之介の演技とも相まって非常に共感が持てた。麒麟がくるでは、十兵衛に引導を渡す重要な役どころでもあるので、その対決が大変楽しみだ。
王道で治める国になると麒麟がくるそうだが、その意味では徳川家康麒麟を呼んだ武将(王)ということになると思うが、その時代が来るまでに秀吉が更に戦乱の世を続けたという解釈になるのだろうか。いずれにしても今回の主題である「麒麟を呼ぶもの=王道での政治」は、そういう世の中から逆算して立てられた主題であって、では日本の歴史上室町・戦国時代より以前にそういう世の中を夢見た人自体がいたのかどうかは怪しいと思う。いずれにしても明日の最終回を楽しみしている。

 

英語独習法 (岩波新書 新赤版 1860)

英語独習法 (岩波新書 新赤版 1860)

 

 

〇読んで得た腹落ち感
今回読んだ本もいつものHONZで紹介されていたもので、会社の帰りにイトーヨーカ堂武蔵境店西館にある八重洲ブックセンターでパラパラと立ち読みしたら、そのままレジに持って行かざるを得なくなり購入した。なぜ、購入しないといけないと思ったのかと言えば、認知科学的に英語学習が分析されていたからである。
この本でも最初に書かれているように、世の中には英語がすぐ出来るようになる様なうたい文句で売られている本は数多ある。私も、小説の書き方本には及ばないものの、かなりの冊数を費やしてきているが、その本のやり方を信じて最後までやりきっていないからダメなのだと思わされてきた。
よく言われることだが、英会話学校や語学教室は挫折型ビジネスと呼ばれていて、大抵の人は成功しないので、例えば授業料や教材などを最初に買わせてしまい、とれるものは先に取ってしまう。あとは生徒がどれだけ頑張るかが成果の鍵を握っており、教室側は成功しなくても損しない仕組みになっている。結果にコミットする……〇〇ップ英会話というのもあったが、いずれにしても失敗しても本人が困るだけだ。指導や教育を提供した側は痛くもかゆくもないのである。
したがってこれまで、自分の根性のなさが英語習得に対する最大の障壁だと考えていた一方で、感覚的には実は日本語が堪能であることが、むしろ英語学習にとって妨げになっているのではないか?という漠然とした思いがあった。つまり最大の壁は自分の持っている「日本語」(母語)だというものだ。
この本では、正に先天的に習得した母語である日本語の言語システム=「スキーマ」が、英語の「スキーマ」の形成をいかに阻害しているか、について明快な論理と証拠で書かれていた。それが本当に腹落ちするもので、さらに習得した母語スキーマを用いてしか、後天的に習得する外国語のスキーマを学習できないという矛盾が、外国語学習の困難さの正体だったということが解った。
それに対する、認知科学的に正しい英語学習法についても、豊富な例で紹介されており大変親切でよい本だと感じたので、英語の学習が伸び悩んでいる方に本当におすすめであると申し上げる。

 

永遠の1/2 (小学館文庫)

永遠の1/2 (小学館文庫)

 

 

〇次に読んでいる本は…
昨年読んだ「月の満ち欠け」の佐藤正午さんのデビュー作「永遠の1/2」を読んでいる。予備校の先生が私に残した30年越しの宿題であるが、やっぱり記憶とは全然違った。(実際に読んでないし、あらすじすら聞いていないのだから違うも何もないが)読み終えたらまた感想をブログに書こうと思う。なんと言っても一万円札に聖徳太子が描かれていた頃の話なのでなにやらタイムスリップしたような感じもするが、まだ冒頭しか読んでいないが大変面白いので楽しみである。

(去年)「鬼滅の刃」を観た 漫画も読んだ

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〇もうすぐ如月(ハニー)
2021年も既に一ヶ月が過ぎようとしている。そう考えると一年というのは12ヶ月しかないのだから当たり前だが、意外と短いのだなあと思う。これも50を過ぎて時間の感覚が圧縮されてきたからだろう。
あまり2020年が遠い過去になる前に、去年のことを振り返ってみることにする。昨年を語る上でどうしても避けて通れないものはCOVID-19だが、それについてはこれまでもいろいろと書いてきたので、今回は触れないことにする。

それ以外で昨年とてもはやったのに私がブログで触れていないことと言えば「鬼滅の刃 映画版 無限列車編」だろう。どこかで、映画を見に行って煉獄さんの生き様に号泣したというようなことは書いた気がするが、何処に書いたか覚えていないし、きちんとタイトルからそれに言及した記事としては書いていないと思う。

 

〇まずはアニメシリーズから(ネタバレします)
鬼滅の刃面白いよ、みたいな話を最初どこから聞いたのか?は今となっては思い出せない。しかし、一つ通常とは違うルートで来た情報があったことは大変記憶に残っている。それは私がこのブログでも度々触れている、中年になってから始めた武道「杖道」の新年会の席で「〇〇の呼吸」とか「型」「全集中」というキーワードが語られていたことだ。実際に稽古する武道でも「呼吸」や「型」は常に意識されている。特殊な「呼吸」によって爆発的なパワーを出すとか、いろいろな「型」(技)で敵を倒すとかは正直違うと思う。しかし、漫画的な嘘をつく上で、それらの要素を上手く利用しているなと感じた。作者は恐らく何らかの武道(恐らく居合い系)をやったことがあるのではないかと思った。
とにかくNetflixで観ることが出来そうだったので一話から見だした。そこでまたNetflixマジックにかかり、あれよあれよという間にテレビシリーズ最後まで観てしまった。「続きはWEBで!」ならぬ「劇場で!」という引きに愕然となったが、映画版が公開される頃ちょうどコロナで自粛の日々が始まってしまった。聞けばこのテレビシリーズも映画を合わせてもまだ原作漫画の7巻ぐらいまでのはなしで、漫画の単行本は既に23巻で完結らしいと言うことがわかった。先も知りたいが、漫画は持ってないし……映画はなかなか見に行けそうにないし……という感じで悶々としていたが、12月12日についに吉祥寺オデオンで観た。

 

 

 

〇映画版
既に今では300億を突破しているが、この無限列車編でのもう一人の主人公とも言える”300億+の男”「煉獄杏寿郎」は、まるでマチルダさんを失った後のアムロのように「煉獄さん……煉獄さん……」と心の中でつぶやいてしまう様な強烈な印象を、2時間強の上映時間で私にもたらした。恐らくその心情はラストの炭治郎や善逸、猪之助の心に去来したものと同じものだろう。それにしても此の正にコロナ禍の世界だからこそ、人のために生きることを平然と選び、恐れることなく命をかける生き様に心打たれる、ということもあったと思う。

 

 

 

 

〇そして漫画へ…
映画を見終わったその足で、単行本を買いあさって年末までには1巻から最終23巻までを揃えることが出来た。年末年始のお楽しみに取っておこうと思ったのだが、恐らく2日ぐらいで読み終わってしまったと思う。原作漫画を読んで思ったが、本当に無駄に引き延ばしていないのが功を奏していると思った。ジャンプのことだから、人気がある漫画はできるだけ引き延ばして、水増ししていった結果、訳の分からない話になる(まあ、それなりに長くなってもきちんと引っ張ってくれる作品もあるので、一概には言えないが……)よりは断然いいし、それ以上にスピーディで無駄がないので読んでいる方がぐいぐい引っ張り込まれる展開がよかった。そして最終巻にはある意味おまけのようなエピソードがあるが、あれがある事も救いを感じるし、何より、キャラクターに対する印象を最もいいものに昇華させると同時に大正から令和への接続をやってのけるという最近あまり見ない王道のエンディングで大満足であった。

 

 

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

 

〇今後は?
また、アニメの話に戻るが、本当に映画版の続きの「吉原編」もきっと映画版でやるのにふさわしい話ではないかと思うが、一体いつ観られるだろうか?
というか、この後はシリーズでやるのか、それとももう単発の映画版をハリー・ポッターみたいに年イチぐらいで公開する様な形になるのかは解らないが、それにしても漫画で全部話が分かった後でも、アニメになって画面を動き回る姿が見たいと思えるのは不思議である。続きが見られるのがいつになるのか解らないが、出来れば遠くない未来になって欲しいと願うばかりである。

 

紅蓮華(期間生産限定アニメ盤)(DVD付)

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  • アーティスト:LiSA
  • 発売日: 2019/07/03
  • メディア: CD
 

 

「ホテルローヤル」を読んだ

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〇既に今年読んだ中では暫定ベスト1
この小説の中に出てくるセリフで、解説で川本三郎さんも引用しているが、いわく「男と女には身体を使って遊ばなければならない時がある」という意味のセリフが出てくる。私もそれと同じように「涙でなければ落ちない目の曇りがある」と思う。
30歳ぐらいの時に、やたらと涙もろくなった時期があり、ビデオで「もののけ姫」を見ては泣いていた時期もあった。しかし、五十路を過ぎて流れる涙は三十路とは違う。そしてこの小説で久々に五十路にふさわしい涙を流させてもらったと思う。さらには、ここのところモヤモヤとしていた頭の中に一筋の光が差したように感じた。ラブホテルを題材にした小説なので、万人にお勧めできると言うものでもないのかも知れない。(読み終わった後で、私は全くそうは思わない)しかし、少しでも興味を持ったのであれば読んでみた方がいいと思う。
私自身、書店で平積みになっているときに表紙を見て惹かれるものを感じたが、裏の紹介文を読んでなんとなく後ろめたさもありその時は買わなかった。読み終わった今ではその事を激しく後悔している。本年度の目標として、これからは自らの直感をもっと信じて読書にしろ映画にしろ、選んでいきたいと思う。

 

ホテルローヤル (集英社文庫)

ホテルローヤル (集英社文庫)

 

 

〇大河小説を書ける天才少年はいない
食べ物、料理が「美味しい!」と感じるには、それが美味しいものである事も大変重要だが、食べる側の事情(コンディション)にも左右される。空腹は最良のスパイスというように、今その人が本当に「食べたい!」と思っているときに食べたものが「美味しい」と感じるということもあると思う。
物語にもやはりそれを味わうタイミングが重要で、人間が生きていくことに対する深い洞察に支えられた物語は、それなりの経験を積んだ時に初めて全身で味わうことが出来るようになっているのではないだろうか。私も今年二〇二一年で54歳になるわけだが、この小説に出てくる7つの短編の中で、読み込むのに年齢的に若すぎると言うような物語は一つも無かったと思う。
前回読んだ「マナーはいらない」の中でも「数学の難問を解く天才少年はいても、大河小説を書ける天才少年はいない」と言う一文があったが、まさに物語の深みは時間をかけた経験だけが可能にしてくれるのだろう。

 

 

〇グランドホテル形式
一つの同じ場所を舞台にした群像劇を「グランドホテル形式」というと言うことも、巻末の川本三郎さんの解説に書かれてあった。この小説はその形式だったことも、私にとって刺さった理由かもしれない。
一番最初の「シャッターチャンス」という話で、既に廃墟になっているラブホテルでヌード撮影をするというエピソードが出てくるのだが、私自身この「廃墟」に20代の後半ぐらいにひどくはまった時期があった。その頃私が住んでいた長崎には、廃墟界(そんな界があるのか?)のレジェンドとも言うべき「軍艦島」があったのである。
現在は産業遺産として保存が進められているようだが、私が長崎に居た当時は、釣り船の瀬渡しで上陸し、釣りを楽しんでまた船で帰ると言うようなことが出来たのである。実際はその当時でも所有会社の三菱マテリアルは上陸を禁じていたのだが、それは台風や波の浸食により堤防が壊れたりしていたため、事故が起きても責任取りませんよと言う意味で禁止していたのだと思う。(軍艦島の話はいずれ別の機会にきちんと書きたいと思っている)
本題に戻るが、その軍艦島で廃墟というものに初めて触れたわけだが、島で見るもの全て、寂しく朽ちていく住居や施設が往時の姿を想起させるのだ。しかも猛烈に。団地の中を歩いていると、先の角から住人が出てきそうなのである。団地の中庭にある公園からは子供が走り出してきそうだ。この辺りの感覚は以前いたく感動したゲーム「NieR:Automata」にも通じるものがあるが、とにかく、その廃墟のエピソードから始まって、各エピソード毎にどんどん時間を遡って行くと言う構成が本当に素晴らしい。それは正に廃墟で想起させられるかつての姿を過去に遡って実際に見ることが出来るということだからだ。

 

 

〇日本の女性、母たち
最後に私の涙腺を解放した箇所について書いておきたい。またまた、解説の川本三郎さんも「本書の白眉」と指摘されているが、六番目の話「星を見ていた」である。内容についてはネタバレになるので書かない。しかし、ここに書かれているような境遇の女性は、私の祖母ぐらいの世代には地方に普通に居たのではないだろうか。
女性が、一人の人間として生きていくことの意味など考える暇も無い程日々の生活に追われている姿を簡潔に、そして的確に描写されていると思う。そんな、夜空の星の一つのような女の人生の一部を鮮やかに書き出すことで、それを読んだ人に、そのような人々がかつていた、と言うことを思い出させてくれる。それは同時に自分の母、その母などの昔の姿を想像することにもつながる。その上で今のこのコロナ禍の暮らしを見るにつけ、何とも名付けようのない感情にとらわれて愕然とさせられるのである。

「マナーはいらない」を読んだ

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〇小説の書き方本です
もう何冊目なのか、全く分からないと言うぐらいこの手の本を読んでいる。そんな暇があったらもっと普通に小説を読めばいいのに、なぜかこの手の本があると手に取らずには居られない。実は先日も某作家(あえて誰とは書かない)の小説の書き方本を読んだのだが、あまりの内容のなさに感想をブログに書くのは控えさせていただいた。まあ、正直その方の小説はかなり昔に読んだきりで、ファンでも何でも無かったのだが、内容をパラパラと見たらやはり一度は目を通しておこうと思ったのだった。
そういう意味では、実はこの本の作者の小説は読んだことがない。「舟を編む」をかみさんが買ってきて読んだので、そのあとで読ませてもらったが、冒頭で挫折してしまった。理由は分からない。

 

 

 

 

〇文からほとばしるもの
正直、この本が「小説の書き方」を解説している内容は、読む人のレベルによって違うのではないかと思う。しかし、この作者の文体からに染み出る熱量は、全ての小説を書こうとしている人を勇気づけるとおもった。あの最近流行のなんとかの刃のライオンヘアーの方のように、心を燃やしたくなる何かが出ている気がする。(EXAIL愛もほとばしっていたが、その辺はよく分からなかった)
あと、作者が読んで役に立った本で「スクリプトドクターの脚本教室 初級編」「同・中級編」を上げておられるが、私もこの中に出てくる「旅人の鞄」の型は、それを知った途端に全集中できて、一つシナリオセンターの課題を書くことが出来た。旅人の呼吸……じゃなくて鞄は大変役に立つ型だと思う。
ちゃんと、人称や構成といったテクニカルな話も書かれている詞、それらを伝える文章が「走っている」というか「ノリがいい」という様な感じで本当にあっという間に読み終えてしまった。

 

 

スクリプトドクターの脚本教室・初級篇

スクリプトドクターの脚本教室・初級篇

  • 作者:三宅 隆太
  • 発売日: 2015/06/25
  • メディア: 単行本
 

 

 

スクリプトドクターの脚本教室・中級篇

スクリプトドクターの脚本教室・中級篇

  • 作者:三宅 隆太
  • 発売日: 2016/06/25
  • メディア: 単行本
 

 

 

〇今年は挑戦する
毎年毎年言ってる気もするが(言ってない気もする)今年こそは文章の作品で何か一つ賞をとりたい。出来れば小説でがいいが、そうやって具体的に何かを書いているときにこの本を読むと大変為になりかつ、やる気が出る本だと思う。
前回読んだ「月の満ち欠け」で小説としての面白さとは何か?というかなり漠然とした問いかけに対して、かなり漠然とはしているものの、何か光を見た気がする。その光に向かって進んでみたい。本年もよろしくお願いいたします。

 

光の射す方へ

光の射す方へ

  • 発売日: 2020/10/01
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

「月の満ち欠け」を読んだ

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直木賞受賞作
佐藤正午の「月の満ち欠け」を読んだ。直木賞受賞作ということで、岩波文庫「的」装丁の本が店頭に並んでいたのを少し前に見たのを思い出した。読むことになった切っ掛けは、カミさんが既に買って読んでおり、それが本棚にあったからだが、実際に手に取って読もうと思ったのは伊坂幸太郎の「面白い小説を読みたいと思ったら、そして年に一冊しか読まないのならば佐藤正午の小説を読むべき」というような主旨のことが帯に書いてあったからである。何より今考えているのが「小説としての面白さとは何か?」だったというのが大きい。
結論から言うと、読んでよかった。大変楽しませていただいたと思う。そこから導きうる「小説としての面白さとは何か?」についても少し書いてみようと思う。

 

月の満ち欠け

月の満ち欠け

 

 

〇あらすじ(ネタバレです)
かなりざっくりした説明で申し訳ないが、生まれ変わりの話である。しかも、自分が愛するひとのために何度でも生まれ変わって会いに行くと言う行動がストーリーの裏側にあって、それを登場人物それぞれの視点から描き出していくと言うのが大まかな流れである。
最初にスポットが当たるの(この人が主人公だと思われる)が「自分の娘が誰かの生まれ変わりだった父親」でその視点から話が進むのだが、そもそも本の最初に自分に会いたいと言ってきた時点で既に二回目の生まれ変わりを果たしているのでややこしい。主人公としては、生まれ変わりを最初に疑われた時点でそんなことはあり得ないと思っていたが、主人公の妻は数々の状況証拠から誰かの生まれ変わりではないかと疑っていた。そしてその母と娘は自動車事故で死んでしまう。
主人公の娘は更に生まれ変わって、今度は自分の前世の夫の勤める会社の社長の娘に生まれ変わる。前世の夫はまたまた状況証拠から、これが死んだ自分の妻の生まれ変わりではないかという疑念を抱き、そしてそれを確信する。ところがまた、この二人も自動車事故で死んでしまう。
更にまた生まれ変わった主人公の娘は、冒頭の父親に会って彼にお願いすることがある。それは一度目の生まれ変わりの時に描いた絵をもってきてもらうことだった。その絵には生まれ変わる前の妻だったときに不倫した相手の肖像画が描かれていた。それによって主人公はますます「生まれ変わり」の証拠を突きつけられるわけだが、やはりそれを信じる気になれない。それはなぜかというと……自分の愛する妻は、自分のところに帰ってきていないからだろう。しかし、それが実は違うと言うことが最後に明かされるところでこの話は終わる。

 

前世を記憶する子どもたち

前世を記憶する子どもたち

 

 

〇ホラ話をいかに面白く語るか
この本の最後に参考文献として紹介されているが、いわゆる前世の記憶を持つ子供というのは世界中で確認されているらしい。私自身は前世も、生まれ変わりも、魂の不滅も全く信じていない。恐らくこの作者もそうだろうと思う。人が生まれ変わるとか、前世の記憶があるなどというのをホラ話と思っているから逆に存分に語ることが出来るのではないか?
例えばこの小説に出てくる二度生まれ変わる女の人のキャラクターは、こんな性格の人だったらひょっこり生まれ変わって来そうだと読者が思える人として造形されていると思う。その女の人を生まれ変わりに追い込む夫のキャラクターも決して悪人というわけではないが、その人の性格とこの女の人との組み合わせが悲劇を生む。
もちろん、人が死んで別の人に生まれ変わった!と言うだけでもそれを信じるなら、十分に面白いトピックではある。しかし、私が前項で書いたようなあらすじを読んでも全然面白くないだろう。私もあえて登場人物の固有名詞やエピソードを排除してこの小説のあらすじ(プロット)を書いてみたが、そこに描かれていないものが正に「小説としての面白さ」なのだと言うことを実感させられた。

〇個人的なエピソード
私がまだ学生だった頃、一向に将来について真剣に考えようとしない我々に塾の先生が言った。君たちは佐藤正午の小説「永遠の1/2」を読んだことがあるか?と。その時にその先生が語ったことによると、この「1/2」と言うのはアキレスと亀のことで、永遠にアキレスは亀に追いつけないパラドックス(単位時間当たりでアキレスが1進むと亀はアキレスの1/2だけ進む。時間を細かく見ていくと永遠に1/2だけ亀が先行することになり、アキレスは亀に追いつくことが出来ない)をモラトリアムを引き延ばして永遠に成熟しない(大人にならない)ことを選択していると言う意味でこの小説は引用していると話してくれた記憶がある。しかし、今改めてその「永遠の1/2」のあらすじを読んでみると全然違う話のようだ。何かがごっちゃになって記憶が混乱しているのかも知れないので、いつか読んでみようと思う。

 

永遠の1/2 (小学館文庫)

永遠の1/2 (小学館文庫)