常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

予め訓練された(おしゃべり)生成トランスフォーマー 知性とは何かなんて答えられないがChatGPTについて考える

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3ヶ月ぶりのブログ更新

2016年にはてなブログを開始してから、3ヶ月更新しなかったというのは記憶にない。一ヶ月ぐらいは何度かあった気がする。何故こんなに長い間更新しようと思わなかったのか?おそらくその答えは「中国出張中だったから」なのだが、では何故中国出張中だとブログが書けなくなったのか?に対する答えは恐らく「日本語のインプットが極端に減ったから」だと思う。

私の仮説だが、文章を書くためには、文章を読んだり、聞いたりする必要があると考えるからだ。それは例えるなら、大変卑近な例で申し訳ないが、人間食べないと出るものが少なくなるのと同じ事だと思う。もしくは息を吐くためには吸わなければならないということか。

前回の中国出張では10日間ホテルに監禁されるなど特殊な体験があったこともあるが、それまでの日常で一定量の日本語インプットがあったから書けたのだと思う。その後年末に一度帰国して3月頭から再び中国は広東省佛山市順徳の北Jiao(日本語にない漢字、サンズイにワガンムリ、ハの下にヱと口)での生活が再び始まった。

もちろん仕事の上で使うのはほとんど日本語だが、聞こえてくる会話はほぼ中国語か広東語(もちろん理解できるのはほんの僅か)ホテルでもテレビはすべて中国のチャンネルのみという環境では圧倒的に日本語のインプットがない。出張も後半になって仕事も佳境であったため読書もままならない状況であった。そして90日の中国滞在VISAをほぼ使い切って先日帰国した。日本に到着して成田からスカイライナーに乗り日暮里で山手線に乗り換えて社内の日本人を見て率直に感じたのは「気持ち悪さ」だった。表情や仕草が気味が悪いのである。恐らく中国に90日近くいたせいで、周りにいる人達の立ち居振る舞いが中国人的なものが普通になっていたからだと思う。中国にいる間は、日本人と違う中国人のAttitudeに違和感をずっと覚えて暮らしてきたはずだったが、いざ日本に帰ってきてみると、日本人の(というか東京人なのかもしれないが)Attitudeが気持ち悪く感じるとは意外だった。それぐらい人間は郷に入れば郷に従うものなのかもしれない。これが適応Adaptationというものなのだろう。

 

確率のみで会話する装置の衝撃

帰国する直前に本社から今話題の生成系AIであるChatGPTに関しては業務に積極的に使用していく方針であることが伝えられたため、ちょっと勉強しておこうと思い色々ネットで検索してみた。折しも帰国直前にiOS版の「ChatGPT」アプリが日本向けにもダウンロード可能になったということで、早速インストールしてみたが、中国にいるうちは使えないと言うことがわかったので、まずは周辺の情報を仕入れることにした。そもそもChatGPTとはなんぞや?というところから調べようと思ったのだが、ちょうどいいことに日本ディープラーニング協会のシンポジウムがYoutubeに公開されていたのでそれを見ることにした。

 

www.youtube.com

入力以上の出力はない

このシンポジウムのなかで、なぜ急に会話が人間らしくなったのか?についての進化のポイントについての説明があったが、これが衝撃だった。例によって詳しい内容は動画を見て直接内容を理解された方が良いと思うのでここでは詳細は省かせてもらうが、やっている事は一つ一つの語の後ろに連なる語を「確率的に高いもの」から選んでいるだけなのだ。文章の意味とか文脈とかを全く理解していないのにこの内容の受け答えが可能になるのはある意味それも驚異的なことではあるが、それはそれとして、あのひねり出されてくる答えの文章に矛盾がないのには本当に驚かされる。我々人間が読んできちんと意味が読み取れるという事が逆に不思議なぐらいである。

しかし、この自動的に生成される文章は、あくまでこれまで書かれた膨大なストックを学習した中からしか生まれない組み合わせなので、それ以上の新しい何かを生み出すものではないということだ。私がAIに関心を持ったのは第二次AIブームの頃らしいが、その当時でも新しい法則や人類が思いもつかないような作品を生み出してこそ「人工知能」と呼べるといわれていたので、いずれにしてもコンピューターが計算機であつかうものがアルゴリズム=数式である以上入力以上のものを出力することはないということだ。

 

人間が書くもの(描くもの)には何があるのか?

NHKのプロフェッショナルに歌人俵万智さんが出ていた回で、歌をひねりだすのは寝起きのベッドの中でのことが多いと言っていたのが印象的だったが、人間の脳が睡眠という謎の時間を経過した直後の状態は、創造にとって重要なコンディションが整えられているのだろう。私自身もそれはなんとなく実感されることであるし、朝に心に染みる歌を聞くと、昼や夜よりも素直に感情が動く気がする。単純に脳がリフレッシュしているだけといえばそれまでだが、恐らくこれはChatGPTにはない挙動だろう。

さらに、脳はその感情を核にして、脳の中にある言葉のデータベースから一つ一つ言葉を選んで連ねていく時には間違っても確率で選んでいるわけではない。その核となる感情と選びだした言葉を繋ぐ線は、最初はたくさんの言葉に向かって放射状に伸びているかもしれないが、最終的には一つの言葉と真っ直ぐ一本の線で繋がることになるはずだ。その言葉連なり続けて、夜の天空に浮かぶ星ぼしが星座を形作る(人がその配列に意味を付けている)様に俳句や短歌、詩やエッセイ、果ては小説という長い長い連なりにまで成長させるのが文芸に従事する人ということになるだろう(私もその端くれでありたいと願っている)が、その書かれたものの中心には何かしらの核があるということだ。おそらくChatGPTが捻り出す文章にはこの核がないのではないかと思う。

 

生存という焦り

人間だって機械=アルゴリズムだ。脳はロジックを持った回路だと思う。でなければ論理的な文章を作り出すことはできないはずだ。コンピューター、機械との唯一の違いはやはり生殖機能ということになる。その点に関して「ムシヌユン」(この漫画自体すごく面白いので別にブログで取り上げたいと思うのだが、色々と考えが広がってまとまらないので書けずにいる)という漫画の中で大変示唆に富んだ説がでてくるのだが、(注意:それを語るとネタバレになってしまうので、知りたくないという人はここは飛ばしてください)遺伝子というコードが生殖という過程で接合し組み換えされて次の世代に新しいコードで書かれた個体を生み出していく。この過程こそが演算装置であり、遺伝子を融合して変化を次の個体にもたらす事が進化のエンジンとなる。そして進化して環境へ適応できる次世代の生命を生み出すことが生物繁栄の根源であるという。我々個体レベルでは生存に対する焦り、異性への執着というような形でしか意識できないが、その核(まさに細胞レベルの核にある遺伝子)が我々の肉体にそのような表現型(タンパク質)として一対一で繋がって演算された結果なのだろう。

ChatGPTの遺伝子コードをいくら融合してもその元の情報は、我々人類の過去の産物であり、その劣化コピーでしかない。そういう意味では絶対にこの延長線上にシンギュラリティは来ないだろう。だから安心して仕事には使っていいと思う。それで仕事を時短で終わらせて文芸活動をする時間に当てたいと思う。

 

 

悟りの境地にいるのは当たり前

先のシンポジウムの中で、ChatGPTは悟りの境地にいて、対話していると自分が恥ずかしくなるみたいなことも言われていたが、それってキカイダーでいうところの良心回路なのだろうか?いや、そうではないだろう。機械はどこまで行っても機械。機械としてそういう発言しかできないだけであって、ここでもやはり核として道徳とか思想があってそう振る舞っている訳では無いの明白だ。当たり前だが、先程の生存に対する焦りのようなもの(煩悩)があるからこそ、その対極に悟りというものが想定されるし、それを目指したいと思うはずだが、そもそもそれがないのであれば悟りも良心回路もただのルールにすぎない。しかもそれも我々の過去の知見の劣化コピーでしかないはずだ。

 

知性とはなにか(なんて答えられないが)

これまで「核」と言ってきたが、その正体が遺伝子というコードを書き換えるための演算装置としての生存本能だと言ってしまえば簡単だが、それが我々に知性をもたらす理由は、じゃあどこにあるのかというとやはり全然わからない。それが分かればChatGPTにも本物の知性を与えることができるのかもしれない。