常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

出欠の葉書は二度郵便受けに届く  ~「苦役列車」を読んだ~

 

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実家へ

昨年の秋から中国出張が続いていたおかげで、年末の帰省もできなかった。その前もコロナを理由にかなりの期間実家には帰っていなかった。そこで今回の出張で溜まった代休を利用して実家に帰る事にした。東京から名古屋は新幹線のぞみ号に乗れば1時間40分ぐらいで着いてしまう。ただ、その短い時間の中にも色々とドラマがあるのが新幹線の不思議な所だ。行きの新幹線は昼頃名古屋に着く列車を選んだ。14号車の3列Aあたりに座ったと思う。出発してからしばらく立った頃、車掌さんが回ってきた。近頃はネットで予約して席を買うので、車掌さんはいちいち「切符を拝見」はしない。ところが私の列を見たとき「A席にお座りのお客様」と声をかけてきたのである。もちろん切符は持っているのでビビることはないのだが、声をかけられないと思って油断していたところに来たので少々動揺した。車掌さんはちょっと困った顔をして「お客様の……」と言いながら私の前の背もたれを指している。え?前の席の人からクレーム?とか思ったが全然違って、その背もたれについている洋服やレジ袋をかけるためについていると思われる可倒式のフックが半分ぐらいのところから折れてなくなっており、その穴が見えていたのである。わざわざそのことを伝えに車掌さんは私の所まで来たということなのだ。危ないので触らないでください……

わかりました。うーん、このフックを折るような何が起きたのだろう?別に使う用はなかったので問題はなかったが、隣の背もたれに付いている自分のではないフックを試しに引っ張ってみたら、バネでパタッと戻るのかと思ったら、ゆっくり戻るのでまた驚いた。恐らくだが、子供がこれをおもちゃにして、もしバネでパタンと戻る仕掛けだったら、それこそ前の席の人がイライラするだろう。それをさせないようにわざわざそんなダンパーを組み込んでいるのだと推察する。品質というかサービスというか、そのためにかけるコストだとは思うが……

 

古く馴染んだ町を歩く

名古屋について、ちょうど昼時だったのでまずは腹ごしらえと思い、やはり東海地方にきたからには「寿がきや」でラーメンを食べようと駅の西側にある地下街「エスカ」へと向かった。地下に潜って南の方へ行くとちょっと高級な寿がきやがある。これもコロナ前の記憶なので本当に今もあるのか半信半疑だったが、以前と変わらず営業していた。全然関係ないが、その後エスカの北側の方へいってみたらとんかつで有名ない「矢場とん」二行列ができていた。東京にも支店があるので珍しくないのだが、地元の名古屋でも未だに行列というのには少し驚いた。昼飯を食べる以外に特にやることもないので、中央線(正確には中央西線と言うらしいが、地元では昔から中央線と呼んでいた)に乗って地元の駅に向かう。車両も新しくなっていて、ドアの上に液晶ディスプレイが設置されていた。

ふと思い立っていつも降りる前の一つ前の駅で降りてみた。理由はブックオフによるためである。場所がおぼろげだったので、なんとなく一つ前の駅の方が近いのではと思ったのだがこれが大きな間違いで、強い日差しの下を一時間以上歩く羽目になった。

ブックオフに寄りたかった理由の一つは西村賢太の本を買うためであった。Twitterに紹介されていたエッセイの一文に興味を覚えて、それを読もうとおもったのである。しかし、店にあったのは芥川賞作の苦役列車であった。これもいつかは読もうと思っていたので本棚から手に取って何気なくぽパラパラとめくってみると葉書挟まっているのを見つけた。その内容を見て、黙ってそのままレジに持って行った。

 

葉書の内容

レジで商品を手渡した従業員のお姉さんが、挟まっている葉書に気がつくのではないかとハラハラしながら支払いを終えた。レシートを受け取ったときは気が付かなかったが、実は定価460円の文庫本が400円だったというのはあとから気がついた。出歯亀趣味で正直自分でも気持ち悪いが、それぐらいその葉書をじっくり読んでみたかったのである。

それはいわゆる結婚式・披露宴への出席の可否を回答するものだった。表面には上に郵便番号、右側に住所、そして中央に名字の異なる男女の名前が連名で印刷されており「行き」と書かれている(もちろんペンで二重線を引き「様」に直してある)。表面の住所は熊本県であり、裏面の住所は東京都渋谷区であった。葉書にはちゃんと63円切手が貼ってあった。しかしこれも招待側が貼っておくものだろうから当然だろう。

その二人の名前を仮にAさん(男)Bさん(女)としておく。裏面には招待された人の名前と住所、電話番号まで書かれている。直筆で女性名が書かれているのだが、その名字がBさんと同じである。つまりこの回答葉書を出そうと思って、しかし西村賢太の「苦役列車」に挟んだまま売ってしまった人は、近々結婚するカップルの新婦側の招待客であると同時に、親戚あるいは家族である可能性が高いということだ。葉書挟まっていた新潮文庫版「苦役列車」は令和4年2月25日第七刷版で、私が購入したのは令和5年6月18日なので出版されてから既に一年以上が経過している。恐らく熊本での結婚式はとうの昔に終わっているだろう。

肝心の「苦役列車」は真ん中に新潮文庫の特徴である栞の紐がおそらく一度も引き出されてない状態で挟まっていた。ブックオフでの値付けが高いことからも、ほぼ新古本として売られていたのだと思う。ページにもほとんど読んだ形跡がない。ということから推測すると、この葉書を出そうと思っていた人は買ったばかりのこの文庫本に挟み、そのまま読まずに売ってしまったと考えるのが普通だと思う。読まなかったからこそ葉書を挟んだことを忘れたのだろう。本を買った人が住んでいる場所が東京だとして、私がこの本を買ったブックオフは愛知県にある。本に貼ってあったブックオフの値札にはいつ処理(在庫になった日?)されたかが書いてあった。それは(すぐ剥がして捨ててしまったので)確か2023年の4月頃と書いてあったと思う。これが、この本が売られた時間と一致するのであれば、つい最近売られたことになる。ここまで色々推理してきたが、結局結婚式がいつだったのか?(この葉書はまだ間に合うのか?)を考えてみたが手持ちの情報ではそこまで読み切ることはできなかった。結局のところ、しばらく迷ったが、きちんと切手がはってあるので、そのままポストに投函することにした。きっとその数日後には無事に熊本に届いたことだと思う。受け取った人たち、出すはずだった人がどう思ったかは雲の向こう側だ。

 

 

苦役列車」の感想

肝心の西村賢太の「苦役列車」についてだが、前半にも書いたように芥川賞を取った当時からいつか読まねばみたいなことをずっと思っていたが、今回読んでみてタイトルはともかく「青春もの」というのが正直な感想である。実際に作者とは同じぐらいの年齢なので、東京と愛知県という環境の違いはあるが、時代的なものが同じ(はず)なので、学校での生活(当時の中学高校はつっぱりブームというか不良が幅を利かせており大変荒れていた)や男男間、男女間の距離などが実感としてわかる。実際に2012年には映画化もされているということを今回ネットで色々調べて分かったが、作者は「青春もの」という評価に大変不服だったと書いてあった。うーん、色々とめんどくさい人のようだがつい先日お亡くなりなっていたことも知った。

この話は私小説ということなので、主人公の名前である「北町寛多」はそのまま著者西村賢太のことなのだろう。彼がどの様に十代の最後を生きたかが文字通り赤裸々に書かれている。その実感が読んでいる方にも手に取るようにわかる……という人にだけ響く物語だと思う。私はどちらかというと響く方だが、そういう人間にとってこの本に出てくる日下部君のような人生を生きている人の内面は実は謎である。いや、この年まで生きていると実はそんなに大きな違いじゃないという気もする。しかしその僅かな違いを頑なに保持して、そこを拠り所に文章を書くとこのような物語になるというのが私の感想だ。そう考えると、この本に葉書を挟んだ(そしてそのまま出さずに売ってしまった)人の意図が少しわかったような気もするというのは考えすぎだろうか。