常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

老婆の怒りは庵を焼き払う~ 「隠蔽捜査3 疑心」を読んだ

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ちびちび読書再開

新しい家に来て引っ越しの荷ほどきも終わり、なんとか毎晩落ち着いて寝床に入ることが出来るようになった。眠りに入る前の「ちびちび読書」もやっと再開すること出来るようになった。引っ越したらぜひ読もうと思って取っておいたのが、今回読んだ今野敏の「隠蔽捜査」シリーズである。

最初のズバリ「隠蔽捜査」に関しては以前ブログで感想を書いた。2巻は既に読んだが、感想はブログに書いていない。だからといって面白くなかった訳では無い。むしろその逆で、1巻で色々あった結果として降格人事をくらい、大森署の所長になった竜崎が、立てこもり犯を相手にまたまた予想外の活躍を見せる痛快な話だった。そして今回読んだ3巻目である。

 

 

tokiwa-heizo.hatenablog.com

 

 

 

あらすじ(もちろんネタバレです)

アメリカ大統領来日が迫ったある日、大森署の所長である竜崎に第二方面警備本部本部長に任命するという通達が来る。第二方面というエリアには羽田空港も含まれるため、大統領が到着する羽田空港の警備もあるため大変である。警察の内部事情を知らないとわからないが、これはかなり異例なことであるらしい。やがてアメリカからシークレットサービスの先遣隊がやってきて、日本人が関与する大統領暗殺計画が進行中だという情報がもたらされる。さらにシークレットサービスの一人が防犯カメラの映像から羽田空港に怪しい人物が写っているので空港を閉鎖しろと迫る。

大統領暗殺計画に関与する日本人テロ組織に関しては、全然手がかりがつかめないまま来日の日だけが刻々と近づいてくる。しかし、あろうことか竜崎は、本部長拝命と同時に臨時で補佐する秘書官として配属されてきた女性キャリア畠山美奈子に恋心を抱いてしまう。

一方で首都高速で起きた交通事故で、事故を起こしたトラックからドライバーが行方不明になるという事件が起きる。その行方を単独で追っていた捜査官がその正体に迫るなかで、最終的に羽田空港の防犯カメラの映像に写っていた男と同一人物であることが判明する。その筋から犯人及びその犯罪組織の暗殺計画を未然に防ぐことに成功する。めでたしめでたし。……この活躍の裏で竜崎は畠山への恋心をどのように決着したのか? 実はそちらがこの話の最も面白い点だ。

 

婆子焼庵

竜崎はテロ計画の手がかりも、羽田空港の謎の人物の素性も全然わからず途方に暮れていながら、一方で畠山美奈子への激しい恋心に焼かれ丸焦げである。1巻でも2巻でも仕事で心労になるという姿は見せなかった竜崎が今度ばかりは憔悴し、夕食時に一缶だけと決めているビールもニ本飲んでしまう、夜もよく眠れないというような体たらくである。

その相談を幼なじみで同期の伊丹にした所「先人の知恵に学んでみてはどうか?」という助言を受け本屋で禅宗の本を三冊買うのである。その中に公案として「婆子焼庵」というものがあった。それを考えることで、なにかヒントになるという直感を得た竜崎は、その公案を真剣に考える。そしてその答えを見出すことで、竜崎はその窮地を脱するのである。

婆子焼庵とはどのような話かというと、こんな話である。(記憶から書いています。正確な内容が知りたい方は例によって……こちらを参照ください)

0927夜 『狂雲集』 一休宗純 − 松岡正剛の千夜千冊

ある所に老婆と若い娘が住んでいた。老婆は20年前から一人の僧の面倒を見ていた。三度の食事を与え、あまつさえ小さな庵を建てて住まわせてやった。ある日食事を運ばせた娘にその僧に抱きついて誘惑するように指令を出す。娘は言われたとおりに実行するが、その僧は、私はそのようなことをされても岩山に立つ枯れ木に雪がふるようなもので何も感じません、と言った。そのことを老婆のもとに戻って伝えると、老婆は烈火のごとく怒って「私はこのような俗物を20年間も養ってきたのか!」と嘆き、その僧を追い出して、庵に火を放ち焼いてしまったという。さて、老婆はなぜこんなにも怒ったのか? というのが公案のストーリーと問である。

禅の公案というのは、ありきたりな答えが出ない、言ってみればアポリアである。まあ、この話自体、そもそも老婆が僧を20年も養ってきたということは、僧の年齢は少なくとも30歳前後だろう。また、若い娘というのであれば二十歳前後と考えられる。つまり、僧を養い始めた頃は赤ん坊だったはずだ。そしてずっとその三人で暮らしてきたのであれば、僧にとっても家族同然であるというのが自然だ。そんな娘がしなだれかかってきても、何も感じませんな、と言うのは普通といえば普通なんじゃないか?……とか私なら考えてしまう。

竜崎は違う。きちんとある意味お手本のような答えを見出して、恋心の業火に焼かれるだけの地獄から脱するのである。それがどんな結論だったかはここには書かない。

 

ノット・スーパー・ヒーロー

4つの問とアポリアによる考察は、この作品についてはやる気がしない。いや、娯楽作品なんだからアポリアはないのではないかという人もいるかもしれないが、以前に引き合いに出した「深夜プラス1」のように、この「婆子焼庵」と竜崎が見出したその答えは、十分考察するに値するアポリアだと思う。人は誰しもこんな風に恋の悩み、男女関係のもつれ、愛欲の罠を解決することは出来ないと思う。そういう意味で竜崎真也はヒーローだ。しかし、だからといって、その解決に至る道筋は、決して人間離れしたものではない、共感の持てるものである。

補足だが、この次の巻は「隠蔽捜査3.5」という不思議な巻数である。まるでハリーポッターホグワーツ行きのプラットフォームみたいだが、実際にある意味時空を同じくしながら別のストーリーが語られるというパラレルワールド(?)のストーリーになっているようだ。続きを読むのが楽しみである。

 

 

 

(蛇足)ヒロイン像について

更に蛇足だが、今回出てきた女性キャリアの「畠山美奈子」は、北海道出身でアイヌの血が入っているという設定だ。しかし物語中にどのような容姿なのかは一切書かれていない。物語の冒頭にアイドルが一日署長をやるというエピソードがあって、その時に来たアイドルはAKBとか乃木坂とかにいる小柄で可愛らしい感じではなく、大変背が高かったとだけ描写されている。そう言われて、この本が出版された頃(2009年)でそのような大柄なアイドル(と言うか女性タレント)というと……誰になるのだろうか? 特定のモデルはないのかもしれないが、とにかく、このようなエピソードと人物背景のモンタージュから勝手に読者が自分の畠山美奈子像を作ることになると思う。しかし、アイヌ語が劇中に引用されていたおかげで、最近完結した「ゴールデンカムイ」を思い出してしまい、野田サトルの絵柄でイメージが浮かんでしまった。まあ、ゴールデンカムイのなかには普通に長身の美人と言うのは出て来ないが、きっと大陸系のロシア人の血が入ったような美人・・・というような想像をしながら読んだ。