常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

日々の暮らしにアートを感じること〜「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」を読んだ

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今年もあとわずか

先日取り上げたNetflixの韓国発ドラマ「D.★ P. ー脱走兵捜査官ー」がニューヨークタイムスの外国ドラマベスト10に入ったそうである。それを受けてのことだと思うが、シーズン2の制作が決定したと発表があった。このテーマで更に掘り下げるのであればよりセンセーショナルな内容にならざるを得ないと思うので、きっとシーズン2も見応えのあるドラマになると思う。

 

tokiwa-heizo.hatenablog.com

 


そのつながりでもう一つ述べておくと、日本でもお笑い番組などでネタにされている、同じくNetflixの韓国発ドラマである「イカゲーム」を観終わった。Netflixで一番観られたドラマシリーズになっただけのことはある、こちらも大変見応えのある内容であった。詳しい感想は別の機会に譲るが、一つだけ述べておくと、これまでの一連のデスゲームものと異なる点として「日常と地続きのデスゲーム」という設定が秀逸であるとどこかの批評に書いてあったが、私もそこがこのドラマのもっとも優れた点だったと思う。
両方のドラマの主人公は、それぞれ「軍内部のイジメ」や「デスゲーム参加」などの極めてストレスフルな状況下で次々と選択を迫られる。人生において二大メジャーストレッサーは「環境の変化」と「重大な決断」だそうだが、まさにその連続だ。そのような立場の人にとって重要な能力が今回読んだ本「ネガティブ・ケイパビリティー 答えの出ない事態に耐える力」の内容である。

ネガティブ・ケイパビリティ

 

 


タイトルにもなっているこの本のテーマである「ネガティブ・ケイパビリティー」とは簡単に言うと「自分にとって負(ネガティブ)なことを考え続ける能力(ケイパビリティー)」のことである。この本は最近のブログのネタ元になっている「松岡正剛の千夜千冊」に紹介されていたのがきっかけで手に取ったのだが、私にとって重要なのはその能力は作家として死活的に重要な能力だと紹介されていたからである。
どういうことかというと、物語の登場人物は基本的に様々な問題を抱えている。その問題と向き合い、時に翻弄され、時に勝利したりする。しかしその一連の全てを支えているのは作者の精神である。とんでもなく辛い場面や困難な状況に対して作者は主人公と一体になってその問題に向き合い続ける。
シェイクスピアはその能力が優れていたため、沢山の傑作を書くことが出来たとか、紫式部が「源氏物語」をかけたのもその能力が高かったからということが丁寧に論述されている。それよりも私が個人的に腹落ちしたのはアメリカの作家にアルコール依存症が大変多いと言うデータだった。なるほど、人間ストレスを様々な方法で解消しようとするが、精神科医のアルフレッド・アドラーが言っているように「全ての問題は人間関係にある」ということが示しているように、他人にストレスを解消してもらうことは出来ない。結局の所アルコールの力で強制的に思考を鈍らせることしか、その種のストレスから逃れる方法ないのだろう。
もともと自分の頭の中で考え出した登場人物でありストーリーなのだから、それらを頭から追い出すわけにはいかない。PCであれば電源を切ってしまい、何かについての思考をそれ以上処理しないことも出来るかも知れないが、小説家の頭脳はそもそもそれを考えなければ小説は書けず、小説が書けなければ収入が入ってこずという悪循環に陥ってしまう。
アルコールに逃げることなく、絶望のどん底に落ちた登場人物と同化してその局面を支え続けることが出来る能力こそが、読者に強く訴える名作を書くために必須な能力なのだ。

 

アン・ジュノやソン・ギフンと走れるか?

「D.★ P. ー脱走兵捜査官ー」や「イカゲーム」を観ていると、もう観ている方が辛くなってみるのを止めたくなるシーンが連続する。単に観ているだけの我々は、あまりにも辛かったら目をつぶって観ないか、早送りしてしまえばよい。しかし、このドラマの制作現場でその役を演じた役者、撮影を指揮した監督はその全てを体験しなければならない。しかし、既にその時にはすくなくとも脚本は完成していて(制作途中で書き換えられることはあるかも知れないが)役者も監督もその先を知った上で演技、監督することが出来る、だが、そのシナリオを書いた脚本家は一人でこのストーリーと向き合ったはずである。
この本の作者も小説家なので、同じようなエピソードを池波正太郎のインタビュー記事から引用して書いていたが、ストーリーを創作している最中は、漠然とゴールが見えているだけで、そこまでどうやってたどり着くかは書きながら作り出していくんだと思う。つまり、書いている最中は立場としては登場人物と同じように先輩兵士に暴力を受けたり、他のプレイヤーから夜中に襲撃されないか心配したりしているのだと思う。その状態に耐えられる能力=ネガティブ・ケイパビリティーが本当に高い人があの話を作っているのだろう。

 

どうやってそれを鍛えるか?

ここまで来ると当然のように、作家を志す人間にとって必要なそのネガティブ・ケイパビリティーと言う能力をどうやって高めるか?と言うことが知りたくなった。もちろん、それに対してこうやれば高まりますよ!と言うようなことが書いてあるわけがない。
ただ、そのヒントというかそもそも逆の発想だと思うのだが、この本の中で紹介されているのは対立する概念としてポジティブ・ケイパビリティーという言い方がなされており、それはいわば「明確な答えに耐える能力=わかる能力」とでもいえるだろうか。普通は何か問題があったら必死にその解決方法を考える。そして解決方法が出たらそれに向かって邁進する。何しろ解決方法がわかっているのだから後はそれを実行するだけである。そういうPDCAで回していけるような問題とその解決に関して高い能力を発揮する人は社会や組織で成功する人だろう。
しかしながら、人生においてぶつかる問題はそんなに簡単に解決方法や答えが出るものばかりではない。そんなときに参考になるのが芸術なのだそうである。絵画や音楽を鑑賞することは「わかる」ことではなく感じる事が全てだ。その芸術への接し方(もちろん文学も芸術なので当たり前だが)がネガティブ・ケイパビリティーを鍛える手助けになるということである。「わかる」に対して「わからない」ことに向き合い続ける。日々の生活でアートを感じたら、それを持ち続けることがこの能力を鍛えることにつながるのではないかと思った。