常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

あとから生まれたものの不幸について

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1976年生まれの憂鬱?

今現在四〇代の人は時節のめぐり合わせが悪かったらしく、大変な辛酸をなめてこの現代を生きているらしい。そういう話をまさに四〇代の友人から聞いた。その人は研究職なのだが、このネットの記事を読んでどう思うかと聞かれたので、今回はこの記事を出発点に思うところを書こうと思う。

 

biomedcircus.com

 

まずこのブログの中の「教授」が言っていることを要約すると、

現在四〇代(正確には四六歳プラスマイナス三歳といっているので1973年から1979年生まれの人)でアカデミアにいる人は、本人の努力如何に関わらず、「世代間格差」でひどい目にあっている。さらに本当の地獄はこれからで、この世代間格差構造は老人になっても維持されて、老後の保証が今より薄くなる可能性が高い。

といったところだろうか。この「教授」なる人物が言っていることがどのぐらいまで正確なのかは正直分からない。私はこの中に出てくる「途中で企業へ行った」口なので、企業側がアカデミアに残っているよりは全然マシだと言われたら、そうなのかなと思う。たしかにこの相談者のように博士号を取れるような頭の良い人間であれば、自分の生きがいや生きる道ぐらい自分で切り開けというのもあながち間違っていないと思う。

しかし、もっと根本的な問題があると考えている。それはすごく単純な話で、歴史上にその例を探せば枚挙にいとまがないと思うが、要するに未開地は最初にそこにたどり着いたものがその富を独り占めするということである。人類の文明が地上に花開いて以来、様々な活動の場を切り開いてきた。誰かが切り開いた土地に後から来た人間は、最初にそこを切り開いた人が取りこぼした残りものしか得ることはできない、というのが普通だろう。物理的な制限を受ける活動ではこれが普通だと思う。

それに対して、科学や芸術は物理的な制限もあるが、本質的に形而上のものであり、その活動は工夫次第で無限の未開地を持っていると思う。ただし、科学の領域はまさに科学というパラダイムの中で行われる活動なので、人間の知性がその領域拡大のエンジンである。科学的手法で未開の地をどんどん開拓するには、知性のレベルがどんどん上っていかないと難しい。RPGゲームのドラクエで行けるところが増えるためにはレベルアップが必要…… というような喩えが正しいかどうかわからないが、一定のルール(パラダイム)の中で、自由度を増やすにはレベル上げが必要というのは間違ってないと思う。

ただし、である。科学的な知性のレベルアップが必要ということは、要するに頭が良くなるということなのである。人類が誕生してから今日まで、脳のハードウエアはモデルチェンジをしておらず、自ずとその性能には限界がある。ということは時系列で先にその活動をしている人が埋めてしまった領域を更に書き換えるのは、それを成し遂げた人たちの知性レベルを超える必要がある。おそらくこれまで領域を拡張してきたのは、科学的な活動の成果として技術革新が起きて、計算という部分で大幅な補助能力となるもの、すなわち電脳が出現したからだと思う。人間の知能(脳だけの演算能力)というのは百年前の人たちとそんなに大きく変わっていないが、その補助能力を利用することで、科学の領域を拡大することができたということだ。

色々小難しく書いているが、結局それらの活動が人間という物理的存在に依拠するものである以上、今の東京のようにもうこれ以上家を建てる土地がないから、昔一軒家だった土地が三分割、四分割されて一つ一つの家が持つことのできる土地は必然的に小さくなっていく……という状況が起きるのは必然だと思う。この大局的な話と冒頭の一九七六年前後三年間に生まれた人が陥った不幸な状況は若干異なるかも知れないが、その背景にあるのはこの構造だと思う。だからどうしたらいいのか?という問には答えることができないが、この話を書いていて思い出したのは、アメリカの話である。アメリカはいわゆる「アメリカンドリーム」という言葉がかつてあったように、移民としてやってきて商売や芸能で一旗揚げるということを表しているのだが、なぜこれが可能だったか?ということを誰かがどこかで書いているのを読んだのだが、アメリカは既得権益、つまり先にそれを成し遂げた人の権利は守るが、同様に新しく分野を作り出してそこで儲ける事ができるようになった人の権利もまた守るからだ、というようなことが書いてあった。日本は既得権益を守るために、新規にその分野(に類する領域)に進出してきた人を締め出してしまうから、そういうドリームはできないとも書いてあった。フロンティアというものが、富を支えてきたアメリカではその考え方を肯定することはアメリカ人のアイデンティティにも関わる問題なのだろう。日本はもともと狭い国土の中で領地を取り合ってきたので、どこまでも広がる世界というのが想像できないということかもしれない。

残念ながら、今や地球全体が既に未開の地を持たない状況だ。そうなるとロシアがウクライナに侵攻したように、既存の土地を奪い合う椅子取りゲームになる。コンピューターを超える、人間の能力を飛躍的に上昇させる技術を開発しない限り、新たなフロンティアは見つからないだろう。(オチはない)