常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

東京人の関西弁コンプレックス?~  やみ・あがりシアター「Show me Shoot me」を観た

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久々の観劇

2022年9月8日、久しぶりに劇場で演劇を観た。ちょうど一ヶ月前に三鷹に引っ越してきたが、三鷹芸術文化センターが歩いていける距離にあるため、これからは興味の湧いた公演があったらできるだけ見ようと考えていた。早速その機会がやってきた。今回観たのは劇団やみ・あがりシアターの「Show me Shoot me」である。

http://yamiagaritheater.jp/next.html

場所は先程も書いた通り三鷹芸術文化センター、その「星のホール」である。以前(……え?2017年か……そんな前だったのか)ここで観たのは城山羊の会の「相談者たち」という芝居だった。まだコロナのコの字もない頃で、椅子は両隣がくっついており、割と狭い星のホールの観客席も満席だった。今回の公演は、感染症対策のため、椅子と椅子の間隔も一つ分ぐらい空いており、全員が席についていてもあまり観客が入ってないな感が残っていた。私が今回買ったチケットは夜公演で19時30分開演だったが、20分ぐらい前には劇場内に入って席についていた。館内アナウンスで「ゆっくりボイス」を利用した主催者の作者兼演出家と主演女優の観劇前の注意のような内容が5分おきぐらいに流れていた。実はこの「ゆっくりボイス」でのアナウンスは劇中で使用されるために前もって観客の耳を慣らしておこうということだったのだろう。

 

あらすじ(ネタばれはしません)

三鷹の社宅に住む夫婦は、世間的には陰キャ同士だが、家の中での会話は漫才コンビのように夫がツッコミ、妻がボケとして面白いキャラを演じている。そこへ隣の部屋に関西人の夫婦が引っ越してくる。普通に喋ることが漫才並みに面白いことに衝撃を受ける二人。自分たちのアイデンティティ・クライシスをどのように乗り切るのか……? と、このぐらいしかストーリーについては書けない。これ以上書くとこれから見る人に取って害になると思うのでやめておく。

タイトルの「Show me, Shoot me」ってそのまま直訳すると「私に見せて、私を撃ってor撮って」みたいになって、なんかピンとこないなーと思ってネットで調べると、Shootはスラングで「ちょっと言ってみる」みたいな意味で使われるとのことだった。その意味で行くと「(面白いことを)見せてみて、言ってみて」というセリフだと考えるのが正しいのではないかと思う。劇中でもそういう局面は何度も訪れる。

上演時間は2時間で休憩は無し。場面転換も極力舞台上から見るものが無くならない様に役者自らが黒子となって、小道具を出し入れしつつ、衣装を変えていくので退屈しない良い演出だったと思う。しかし、実際に舞台上で演じている役者さんは、走ったり運んだりで体力消耗が激しいのでマチネーとソワレーのある日は疲労困憊だと思う。

また、そういう場面転換のさいにボーカロイド初音ミクの歌うオリジナルソング「しょうみーしゅーみー」が流れて、初音ミク好きとしても楽しかった。(物販グッズを買うと音源がもらえたらしい……)

このストーリーはおそらく「COVID-19パンデミック」の起きていない世界線の話だ。これは、いま脚本書いたり小説書いたりしている人は、本当にどちらの世界線を選ぶか悩むところだと思う。時代劇だったらその問題は回避できるかもしれないが、現代劇をやる際にはかなり難しい決断になると思う。震災前と震災後でも物語の「前提」みたいなものが変わってしまったと言われる。それを言えば「核兵器」とか「戦争」とか、時代を分断するような大事件はこれまでも起きているし、そういうことに左右されない古典みたいなものもあるが、いずれにしても現代劇をやる以上は観客席と舞台が同じ世界線にないと、基本的な共感替えにくいのではないかと思う。しかし、そのハンデをあえて引き受けてでも語りたい物がある場合もあると思うので、やはりそれは作者の決断だろう。

 

全ての関西人が面白い訳じゃない

私は愛知県出身である。今回のやみ・あがりシアターの主演女優の方もチラシに出身地が愛知県と書かれていたので、方言に関する感覚が筆者と近いのではないかと思うが(結構な年齢差もあるので違う部分もあるかもしれない) 愛知県というのは関西圏ではない。西日本でもないと思う。だからといって東日本でもない気がする。まさに中部地方という呼び方をするが、そのような中間地帯にあると思う。木曽三川がその境目だと思うのでそこから、天竜川ぐらいまでが、関東でもない中間部と呼ぶような場所だと思う。つまり関東でも関西でもないので、どちらも他者の視点で見られるのが利点だと考えている。

以前読んだネットの記事では、東京に出てきた関西人が職場でボケてもツッコむ人がいないのでたいへん寂しいというようなことを嘆いていたが、まさに関西弁での会話は日常的にボケとツッコミが発生する。それは認識違いやミスなどをバランス調整する機能があると思う。その点標準語では、相手の発言に間違いや思い込みみたいなものを察知しても、スルーするか、真面目に訂正するかになってしまう。ところが関西弁では、過剰にそれを解釈して考え方、情報のずれた部分を自然に認識させたり、逆にそれをきっかけに話題を弾ませたりすることが出来るのではないだろうか。

だたし、これはかなり知的に高度な能力を必要とする。お笑い芸人が役者になったり作家になったり、その他異分野でもその後活躍するのは、この能力の基礎がしっかりしているからだと思う。当たり前だが、全ての関西人が面白いことを言うわけではない。やはり知能が高くてコミュニケーション能力も高い人というのはそんなに沢山いるわけではないのだが、そのような思考法に常に会話の中で触れているうちにトレーニングされていくことはあると思う。大学時代の同級生にも関西から来た友人が数人いたが、彼らは大学に入るぐらいなので、もともと知能が高い。その上で関西弁による「ボケとツッコミ」会話のトレーニングを受けて育っているので、本当に喋っていて面白かった。

 

4つの視点とアポリア

4つの視点+アポリアでこのお話をみてみる。

①    メカニズム

幸せに暮らしていた二人のところへライバルがやってきてその平和を脅かす……正直に他話が思い浮かばない。東京の三鷹にとって関西人は異邦人で、それによってアイデンティティの危機に陥る二人は、近所の住人や会社の同僚たちにその解決の糸口を求めていままでしてこなかったコミュニケーションを試みる。しかし、周りの人々も自己中心的に生きていて、なおかつその欲望が満たされない状況を生きていることを知る。その中で関西人だけがお互いの気持のすれ違いなどはあるものの、関西を離れて関東に来てしまったこと以外には格別の不満もなく日々を生きていると描かれている……あれ? これってある意味関西人は人間ではなく本当に宇宙人的な存在として描かれている? ということはつまり本質的には関西人嫌悪のお話なんだろうか?

 

②    発達

前述の通り、今風のスピード感溢れる舞台進行で、むしろ空白や沈黙をできるだけ入れないようにして、主役の二人の間のみ、沈黙や気まずい空気感が際立つように設計されているのだろう。

 

③    機能

今回はパス。

 

④    進化(それはどのような進化の過程をへたのか?)

演劇の進化を論じられるほどの見識はないのでこちらもパス。

 

⑤ アポリア

主人公たちはラストで次なる試練へ向かうわけなのだが……ネタバレになるので詳しく書けないが、向かった先があちらということは、関東人(つまり自分たち)のアイデンティティはその先も満たされることはないという意味なんだろうか。

 

おわりに

「Show me Shoot me」は全体として群像劇で、それぞれのキャラクターにもドラマが有り、そこに共通するのは「いかにして生きるか?」という普遍的な問だった。

個人的にも、久々に生で役者さんたちが演じる姿を見ることが出来て大変楽しかった。今回の演劇台本も最初はPCか原稿用紙の上でコツコツと書かれたものだろう。それがそれぞれの役者さんたちによって演じられて発声されることで、舞台の上にドラマが出現する。私が書いたシナリオもいつか役者さんが演じてくれるといいなと思った。