常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

後ろをむき出した

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〇「十三機兵防衛圏」をやっている
「DAYS GONE」のあとは「DEATH STRANDING」をやるはずだったのだが、あの重たい荷物を持って遠くまで運ぶと言うゲーム内容がどうしても受け付けない。徳川家康は「人生は重い荷物を引きながら長い坂を登るがごとし」と言ったそうだが、ゲームの中までそんな辛い思いをさせられるのもどうかと思う。まあ、ディーコン・セントジョンも、ゾンビウイルスで崩壊した世界を必死で生きているので辛いと言う点では似てるのだが、やはりそこはアメリカのゲームらしく、ゆるいし、(いろんな意味で)おかしい。それに対してサムは現役(?)大統領のバックアップを受けながらも、基本的に二本の足で荷物を背負って運ぶことが基本で、途中盗賊が襲ってきても素手で戦う。タールの海のようなところから出てくる悪霊に対しても、自分の糞尿で作った爆弾で戦うという非常にシュールな状況だ。と言うわけで、早々に飽きてしまったので外のゲームを探していると、またいつもの基本読書の冬木さんがこのゲームを紹介していた。

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

 

十三機兵防衛圏 - PS4

十三機兵防衛圏 - PS4

  • 発売日: 2019/11/28
  • メディア: Video Game
 

 

 

 

 

【PS4】DEATH STRANDING

【PS4】DEATH STRANDING

  • 発売日: 2019/11/08
  • メディア: Video Game
 

 

SEGAサターンしろ!
このゲームを作っているヴァニラウエアはもともとSEGAサターンのゲームであった「プリンセスクラウン」や「オーディンスフィア」などを作っていたメーカーで、その独特の2次元グラフィックが面白い。そのビジュアルでSFアドベンチャーを作ったゲームのようだ。ようだ、というのはAmazonのレビューを読んでもどういうゲームかはっきりしない。SFアドベンチャータワーディフェンスと書いてあるが、タワーディフェンスゲームとはどんなゲームなのか?簡単に言うと守るべきタワーがあって、それを一定時間守ったり、または攻めてくる敵を全滅させればOKと言うゲームのようだ。それを聞いて思い出したゲームがある。SharpのX1と言うパソコンで昔遊んだ放射能で分裂する怪獣から街を守るHEXマップのストラテジーゲーム(名前が思い出せない)があったが、それに近いもののようだ。これだ!と思いちょっと値段は高いがAmazonで注文した。

 

PRINCESS CROWN プリンセス クラウン - PSP

PRINCESS CROWN プリンセス クラウン - PSP

  • 発売日: 2005/09/22
  • メディア: Video Game
 

 

 

オーディンスフィア レイヴスラシル - PS4

オーディンスフィア レイヴスラシル - PS4

  • 発売日: 2016/01/14
  • メディア: Video Game
 

 

 

ドラゴンズクラウン・プロ - PS4

ドラゴンズクラウン・プロ - PS4

  • 発売日: 2018/02/08
  • メディア: Video Game
 

 

サウダージ
実際にプレーして見て思ったのは、ストラテジーよりもノスタルジーだった。1985年の世界が出てくるのだが、その辺をよく知る人でないとテレビ番組の『水曜スペシャル』でのUFOや雪男など、当時の映画(初代『ゴジラ』『スターウオーズ』『ターミネーター』など)というような時代のこのバックグラウンドは描けないだろう。この辺はPS2「サイレン」「サイレン2」などが持つ雰囲気とも通じるものがある。
この「サイレン」と言うゲームも、私を引きつけた理由はある種のノスタルジーと新しさの融合だった。NHKの少年少女空想ドラマシリーズのような雰囲気のストーリーに「2ちゃんねる」のようなネットロア、80年代のオカルトブーム、SFなどのネタをちりばめており、自分の中にあるオカルト的な興味を刺激されるところがツボだった。この「十三機兵防衛圏」はその感覚に近い。これがサウダージというものだろうか。

 

SIREN

SIREN

  • 発売日: 2003/11/06
  • メディア: Video Game
 

 

 

SIREN2

SIREN2

  • 発売日: 2006/02/09
  • メディア: Video Game
 

 

〇Concept of love
また、シナリオの勉強として何冊目かもう既にわからないが最近購入した本で「物語作家のための推敲入門」という本を読んだ。(正確にはまだ読み終わっていない。実はこの本はその前に2冊のシリーズがありその三冊目だったので、先にそれを読むかどうかを思案中)そのなかで「コンセプト」という概念が出てきて、例えば物語において「コンセプト」というのは、その物語全体にエネルギーを与えるものであると書いてあった。しかし、その文脈上での「コンセプト」の意味が今ひとつピンとこないなーと思いながらコンセプト、コンセプトとつぶやいていたらある曲を思い出してしまった。XBOXで発売された「JSRF(Jet Set Radio Future)」というゲームのメインテーマ「Concept of love」である。早速iTunes Storeで探してみると、普通に売っていたのでダウンロードして今通勤時間に私の両耳だけで絶賛パワープレイ中である。町中を歩いているときに塀の上をグライディングしていく幻が見えるぐらいに聞いている。これも興味を持ったことが、なぜか後ろ向きに展開していった例だ。

 

ジェットセットラジオフューチャー

ジェットセットラジオフューチャー

  • 発売日: 2002/02/22
  • メディア: Video Game
 

 

 

 

〇もともとは「知性化」というコンセプトが気になったからですが
そう考えてみてふとおも当たったことがあった。最近興味が過去にあったこと、過去になんとなく通り過ぎてきたものしか向かないのである。例えば、なにか本を読もうと思って、ふとデイビッド・ブリンの『サンダイバー』を思い出した。太陽の上に銀色の球体(サンシップという宇宙船)描かれた表紙がとてもいい雰囲気を醸し出している。図書館で借りて読んでみたが、この作者のキーワード・コンセプトである「知性化」という部分が、結局は地球の歴史でキリスト教圏の白人が未開の地に行って文明をもたらしたという話の類型な気がして途中で読むのをやめた。人類を知性化した太古の種族が太陽の中に住んでいる……と言うのも、やっぱり神のイメージでキリスト教的だなーと思ってしまったからである。

 

 

Apple Desktop Bus=ADB
また、腰痛を押して実家に帰ったときに古いキーボードを引っ張り出してきた。Apple KeyboardとApple 拡張Keyboard2である。どちらもインターフェースがADBなのだが、これもネットで探していたら、ADBをUSBに変換できるアダプターを同人ハードとして販売している人がいるのを発見して「これだ!」と思い早速購入した。既にMacを使うときはHHKBのBluetooth版を使用しているのだが、改めて今Apple Keyboardを使用してみると、自分はメカニカルスイッチのキーボードが好きだったんだとわかった。静電容量方式のHHKBでは味わえない底打ち感と音「すたーん!すこーん!」というキーの打ち味が大変楽しい。本当にこれらのキーボードを復活させて良かった。やはりこれこそがHHKBを開発したときに協力した某教授が言ったという言葉「アメリカ開拓時代のカウボーイは、乗っていた馬が死んだらその場に置いていくが、鞍は自分で担いで持っていく。鞍は一生ものだからである。PCを使うものにとってキーボードはカウボーイにとっての鞍と同じである。だからPCが時代遅れになってその役目を終えても、キーボードは使い続けるのだ」サイバーワールドを駆けるデジタルカウボーイにとってキーボードは一生ものなのだ。また、人間がその身体を用いて使うインターフェースはアナログな道具であり、それらは古びてはゆかないと思った。

キーボードアダプターを売られている方のサイトはこちらです。

ixsvr.dyndns.org

〇どうしてそうなった?
これ以外にもRaspberry PiでPC-9800、X 68000環境を動かすエミュレーターなど、過去に関連した興味のトピックには枚挙に暇がない。どうしてこうなったのだろうか。思うに、50歳を過ぎ、人生の折り返し地点をまわって走り出したことで、マラソンコースのように人生自体を逆戻りしていくような、脳が逆回りを始めている感じがする。もはや人生の先の方が短くなり、これまで過ごしてきたことが人生の大半になったことからではないだろうか。全然考察でも何でもない気がするが、とりあえずしばらくは赴くままに進んでみようと思う。興味は後ろ向きでも、何かをすることは前に進むことだと思うからだ。

 

「スタンフォード式 人生デザイン講座」を読んだ

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○実用書です
最近はノンフィクションや実用書をあまり読んでいなかったが、なぜかこの本は気になって手に取った。冒頭に紹介されている「人生に行き詰まった三人」のエピソードを読んで、不覚にも涙をこぼしそうになったからである。ちょうど出張に行くのに本を持ってこなかったことに気がついて、東京駅の書店で探したのである。いや、実は前日に久我山駅啓文堂で立ち読みした時に、前述の部分を読んでぐっときたものの、いったんは書架にもどした。翌日、中央線に揺られて東京駅に向かう途中で、アレは是非とも読まなければと思い直した。

 

 

 

 

〇行き詰まり思考の打破
この本に書いてあった、読み終わって一番役に立ちそうだと思ったことを、ごく簡単に説明する。問題の解決には「エンジニアリング」と「クリエイティブ」という方向性があり、その二つは似ているようで異なる。エンジニアリングは、答えが一つに決まっているときに、その答えに向かってあらゆる手を尽くして突き詰めていくやり方である。ゴールとしての最適解が一つあり、それを出すために全ての作業がある。それに対してクリエイティブは、解は無数にあり、どれかが正解と言うことはないという問題に対する取り組み方で、無数の解を創造して、そのなかから一番良さそうなものを選ぶやり方である。人生というものへの取り組みはもちろん後者の方が必要になる。人生にただ一つの正解はない。どのように生きてもいいし、自分が幸福で満足できる人生をまっとうできるかどうかが要点だ。

〇エンジアリングとクリエイティブ
そのためのライフ「デザイン」というやり方の実際の方法は、本を参照していただくとして、私としてはこの「エンジアリングとクリエイティブ」という概念で思い当たったことを書きたいと思う。今働いている会社には文字通り「クリエイティブ」という部門がある。そこで商品の構想を練り、あるジャンルの製品を考える際に正に無数にあるアプローチの中からもっとも良いものを絞り込む。それをデザインする。

〇クリエイティブ=無限解、エンジニアリング=有限解
そうやってデザインされたものを、製品として実現するために技術部門がエンジニアリングを行って最適解を突き詰めていくと言うやり方で商品開発が行われている。
しかし、エンジニアリングに下りて来た段階で、ほぼクリエイティブにもう一度戻して選択肢を選びなおしている時間は無いので、後はひたすら突貫工事になる。しかし、本来のクリエイティブ的な問題解決は、いつどんな段階でも選択肢を作り出し、選び直していく自由があるべきではないかと思う。
もちろん、エンジニアリングの方でも、クリエイティブが選んで決めて出してきた選択肢に対して最大限の実現努力は惜しむべきでは無いと思う。しかし、決められた条件の中で最適解がどうしても出せない場合は、選択肢から選び直してもらうことが出来る柔軟さが有ってもいいのではないか。

〇クリエイティブとエンジニアリングのいい関係
つまり、お互いのプロセスがサイクルとなって、上昇するスパイラルになれればもっといいものが出来ていくのだろう。それが本来はモデルチェンジと言われるものなのではなないだろうか。自動車は2年一回、家電は一年に一回、決まったことのようにモデルチェンジするというのは、実は本末転倒で、クリエイティブとエンジニアリングがそれぞれを限界まで突き詰めた結果、次のフェーズに進むという結果から生まれたものだったのではないだろうか?

〇もう一回ライフデザインにもどる
そう考えると、自分の人生もモデルチェンジの時期が来るのは当然という気もする。そのためには、それぞれのプロセスを限界まで突き詰めていく必要があると言うことだ。そして来たるべきレベルアップに備えなければならないと思った。

引っ越ししました(腰痛の逆襲)

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○引っ越しは人生で最大級のストレスイベントである
ブログの更新が滞っている。その理由は今年1月下旬に急遽引っ越しを敢行したことにある。引っ越しを行った直後から恐ろしい腰痛に苛まされることになり、机に向かうこともままならない日々が続いた。すでに2月中旬であるが、ようやくなんとか椅子に座って机に向かうことができるようになった。
 
○本や映画の紹介だけがブログではない
基本的には自分自身のシナリオ、小説の勉強になる様な本や映画を見たときに、記録となるように残しておく事をメインにブログを更新してきたが、元来それだけがブログではないということを思い出した。今回の腰痛はこれまで経験したことのないものだったので、それを記録しておきたいと思う。正直、年々ひどくなる腰痛(ぎっくり腰)だったが、ここしばらくはなんとかやり過ごして来ていたので、多少油断していた部分もある。
 
○事件の経緯
1月24日
引っ越しが完了し、その直後まずは鍼に行こうと思い、乃木坂のいつもお世話になっている先生の所へ行った。引っ越しがすべて終わって気持ちが多少ハイになっていたこともあり、乃木坂に行ってから乃木神社にもお参りして、さらに吉田松陰の神社が境内にあることを知りそちらにもお参りした。ちなみに引っ越しは元々すんでいた久我山駅南側の徒歩一五分の距離のアパートから、駅の北側徒歩一〇分のアパートへと距離としては2kmも離れていない場所への引っ越しで、生活にはほとんどインパクトはないと思っていたが、これが意外と大きな変化があったのでそれは後述する。
 
1月25日から週明けまで
ほとんど家のベッドで寝ていた。しかし、古い方のアパートに行かねばならない用事がいくつかあり、自転車に乗って行ったり来たりを繰り返していた。このときの痛みは背骨と腰骨のつなぎ目に痛みが集中しており、咳をしてもそこに響くという状態だった。これまでのぎっくり腰だと、左右どちらかの骨盤の上あたりが痛いのだが、動かなければ傷み出すこともなかった。まして、咳をしても響くということはなかったのだが、この時点で痛みの発生のしかたがこれまでと異なると確信した。
 
1月27日から31日まで
なんとか会社に出かけていた。会社で座っている椅子がウイルクハーンという高級な椅子(ということは後から知った)で、その椅子が今回の腰痛の遠因ではないかと疑っていたが、ネットでその椅子のモデルを調べるとなんと、腰痛を予防するための機能が内蔵さている事が判明した。
 
 
この機能を利用して、座りながらストレッチを行った事で事態が好転するきっかけになったと思う。その間に群馬県赤城に日帰り出張などでレンタカーを運転しなければいけないことなどもあったが、なんとかこなす。自動車のシートは腰が丸くなるので、しばらく座っているとなんともいえないいやな痛みが発生する。これもぎっくり腰だったときは、痛い部分から痛みのパルスが発生する感じだった。それとは違い、じっと座っていることが耐えがたくなってくるのである。
 
2月1日
次回5月の文学フリマに出店するためのキックオフ会議があり、表参道に向かった。その日もなんとかだましだましという感じでこなした。会議室の椅子に座っているのがかなりつらい状況だったが、少しずつよくなっていることもあり、会議を終えてその日は帰宅した。ただし、夜の杖道のお稽古は休んだ。
 
 
2月2日から8日まで
3日に恵方巻きを食べたと思う。すでに二週間前ぐらいのことなのにあまり記憶が定かではないが、基本歩いて駅まで行って会社に行って、定時まで仕事をして帰ってくるぐらいはできる状態が続いていたので、なんとか過ごしていた。ただ、腰全体のだるさは抜けず、特にひねったときの堅さと痛さが際立った。
 
2月9日から11日まで
2020年の正月を人生初めて中国で過ごすことになり、常態正月に実家に帰省することができなかったので、この3日間で帰省した。新幹線のシートもちょっと油断して腰を前に滑らせてしまうと、しばらくしてものすごくいやな痛みが襲ってくるため、基本的にシートをリクライニングさせず、もたれないようにして座っていたのでものすごく疲れた。また、今回主に費用節約の観点からひかり号を利用してみたのだが、東京駅で乗り込む前からホームに外人が多いなーと思っていたが、乗り込んでみると見事にほとんどのシートが外国人で埋まっていた。私は3人掛けのA席に座ったが、BとCにはアジア人の顔をしているが英語で会話するカップルが座っていて、ほとんどコミニュケーションできずに2時間を過ごした。それ以外にもスペイン語らしき言葉を話すグループがいたり、中国語をしゃべる老婦人のグループがいたりと国際色豊かであった。もちろんコロナウイルスの影響はすでに十分知られている時期だったので、車中ではずーっとマスクをしていた。でも、触ってもだめなので今考えると空恐ろしい気もする。ちなみに9日に東京を離れるときは3万人だった全世界の感染者数が、11日に東京へ戻ってきたら4万人になっていた。
 
2月12日から2月15日
12日の朝、なんとなく気持ち悪い感じで朝飯を食べられなかった。腰痛のだるさに加えて、なぜか消化器系の不調を感じだした。今考えるとこの二つの間に関連性はないと思うのだが、そのときは腰痛のせいでそっちの方までおかしくなってきたのかと思っていたのが大きな間違いだった。前日の夜11日に鉄板焼きをしたのだが、そのときに牡蠣をを焼いて食べた。この牡蠣が傷んでいたのではないかと怪しんでいる。12日の午後3時には気持ち悪くてたまらなくなり、会社をフレックスで離れて帰宅した。帰宅して伏せっていたが、トイレに行くたびに尻から水がじゃあじゃあ出る。ノロウイルスなのか、その他の食中毒なのかはわからないが、とにかくそれが夜まで続いた。
その後の2日間はなんとか定時まで仕事して帰宅。15日は夜は久々に杖道のお稽古にも行った。しかし、帰り道「とんでん」で晩ご飯を食べることにしたが、いつものようにそばをセットにつける様な食欲はなくはじめて「はこだて」というセットを食べた。とんでんの店内もなんとなくいつもより人が少ない感じがしたが、コロナウイルスの影響だろうか?
 
 
2月16日
そして今日である。相変わらず腰の痛みと不安は残っている。しかし、なんとか机に向かってこのブログを書いている。
 
○腰痛対策
10年ぐらい前に妻が腰痛になり、私も半年に一回ぐらいのぎっくり腰を繰り返していたころに伊藤和磨先生の『マロッズ』のお世話になった。この時は確かに大事なことを教わったと思っていたが、自分の腰痛がたまに襲ってくるぎっくり腰だったため、しばらくは続けても継続的に生活の中に取り入れていくということはできていなかった。しかし、その当時から実は妻の腰痛は今の私のような深刻な状態だったと言うことを今回初めて知った。自分で体験しないと実感することができないのはまさに病や怪我だが、こんな痛みにとりつかれていたら何もする気力がなくなり下手すると鬱になってもおかしくないと今は思っている。
今回のことを機に本を再度読み、正しい座り方や腰痛予防の体操などを続けていきたいと思う。
 

 

腰痛はアタマで治す (集英社新書)

腰痛はアタマで治す (集英社新書)

 

 

 

 

 

腰痛を治すからだの使い方

腰痛を治すからだの使い方

 

 

「スターウォーズ Episode 9 スカイウオーカーの夜明け」を観た

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○令和二年の幕開け
皆さま、あけましておめでとうございます。本年も当ブログをよろしくお願いします。

○最終回だよ、全員集合!
2019年、令和元年の師走、22日の日曜日にTOHOシネマズ日比谷の4番スクリーン(IMAX、3D)でスターウオーズ、ナンバーシリーズの9作目「スカイウォーカーの夜明け」を観てきた。ご存知のようにスターウオーズは原作者であるジョージ・ルーカスが監督したEpisode 4 ”New Hope” から始まってEpisode 5 ”Empire strikes Back” Episode 6 ”Return of the JEDI”で一応の完結を観た後、ファンからの強い要望でEpisode1 ”Phantom of Menasu" Episode 2 ” ” Episode 3 ” ” の三部作を作った後、今度はファンの強い反発に心が折れたジョージ・ルーカスは7から9の三部作は作らないと宣言。それをディズニーがルーカスフィルム毎買い取って今回のEpisode 7 ”Force Awaiking” Episode 8 ”The last JEDI” が作られた。そして今回そのすべての最終作となるEpisode9 ”Rise of the Skywalker”だ。

ジョージ・ルーカスの手を離れて
Episode1から3に対してファンが強く反発した理由は「フォースの源は”ミディクロリアン”にある」という設定だった。この用語が劇中に初めて出てきたときには私もかなりの違和感を覚えた。修行とか努力はその才能を開花させる為には必要だが、結局はそういう素質(ミディクロリアン)を持ったものだけがフォースを持っていて、普通の人間にはそんな力はないという設定は、ある意味フォースという神秘的な力を「生まれ=遺伝的なもの」に由来するものとして、選ばれたものの特権にしてしまった。物語の中に出てくるある種の超能力に対してなんらかの設定を用意するということ自体は、アニメやSFの世界ではよくある事だ。
ところで前回神話の力という本を読もうと思って出張に持っていったのだが、読めなかったという話をしたが、改めてその内容を読んでみると、なんとルーカスはこの本の著者が語った内容に強く影響を受けているらしい。その結果、この本の対談はルーカスフィルムのあるパークでおこなわれることになったという。

 

 

スターウォーズは現代の神話
そもそもスターウォーズは4から6の後から作られた1から3を観ると明確だが、神話的な話である。「神話的な話」と言うのは何かというのは「神話の力」を読んで欲しいと思うのだが、私の解釈を簡単に言うと「世界の見方に関する話」ということだ。さらに、その本によると、現代は既に神話を失った世界である。神話を失うとは、世界の見方に関する物差しがない事を意味する。スターウォーズの様な映画は、神話の持つ力を現代に蘇らせんとする試みなのだ。
この世界は、以前「ゴーストストーリー」で触れた生の世界ではなく、人類がそのときその時に集合的に作り上げた<世界>である。つまりその<世界>に影響を及ぼすためにはアートの世界から語るしかない。映画も立派なアートだ。

 

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○レイの素性(ここからネタバレになります)
ルーカス的には英雄は、生まれながらに素質を持ち、その力が発揮された時に奇跡が起こり、その他大勢を救うという位置付けのものだ。4から6のルークは正にこの役目を果たして、悪の枢軸であるダース・シディアスを倒して銀河に平和をもたらす。
ルーカスの関わらない7から9で、新たに主人公となったレイは、1のアナキンの様に砂漠で最下層の人間として生きていた。その素性は謎で、幼い頃に両親に捨てられてその星に一人残された事になっていた。しかしアナキンは、父がいない事が示唆されており、つまりキリストと同じく処女受胎で生まれた事を匂わせている時点でもうメサイヤの素質十分だ。
それに対してレイは7の時は誰かの子ではなく、孤児としての存在だった。それは、レイと並行して動き出すフィンが子供の時に拐われて兵士にさせられている姿と同じに見えた。しかし今回の9での結末により、その後の二人の着地地点は大きく分かれた。
今作でフィンは同じく、洗脳が解けてファーストオーダーから逃れて自由に暮らしている人間が自分以外にもいた事を知る。それに対してレイの方は、その出自が、強力なフォースを持ちながらそのダークサイドに堕ちた親玉、パルパティーンの孫娘だということが明らかになった。しかも、そのパルパティーン自身が、クローン技術で蘇ってかつての帝国を蘇らせるべく裏で全てを操っていたのである。

 

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○神々の戦いと民衆の戦い
クローン技術で蘇らせたのは他ならぬ大衆の中にある邪悪さということになる。帝国が支配する世界、軍事力で権力を守り維持していくことの方から利益を得る人たちがそれを呼び戻したと言うことになる。
ジェダイ同士の争いは、神々の闘いで、その結果として生まれた世界の戦いに巻き込まれた人間たちの戦いがあるというのがスターウォーズの世界観のようである。
そう考えると、やはりフォースとは金、それをたくさん持っている人間、権力者同士の争いで世界は左右されているという現代の世界情勢を7から9の世界観は鏡像としていると見るのが一番しっくり来る。ラストで、レイがスカイウォーカーと名乗る事は、権力者に正しくあって欲しいと言う大衆からの願望であり、それがあまりカタルシスを呼ばないことは、現実との剥離の大きさからなのかもしれない。

 

 

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○スカイウォーカーの系譜
ベン・ソロ=カイロ・レンの方は、また複雑だ。叔父がルーク、祖父がベイダー、そして父がハン・ソロである。彼は、7で登場した時からヘンテコなマスクをかぶっており、ベイダーのマスクの残骸を大切に保管している。つまり、勝手にベイダーの意思を継ぐものとして振る舞っている。そうなったきっかけは、ルークのもとでジェダイの修業をしていた時に、ルークに殺されそうになって逆にルークの他の弟子を皆殺しにして出奔したのである。
善と悪、神と悪魔の戦いがベースにあるため、力を持つものは善悪どちらかに分かれて戦うものというのがこの世界のルールのようだ。それにより、自分はベイダーの孫だし、悪の側なのだという考えに取り憑かれたのがカイロ・レンなのだろう。そしてかつてベイダーがルークを悪の道に誘ったようにレイにも、一緒に世界を支配しようと誘う。しかし、レイの力は徐々にカイロ・レンの力を上回り、ついにはレンをライトセーバーで刺し殺す。しかし、その直後、フォースによってレンを助けるのである。もはや、次元の違う力を目の当たりにしたレンは、自分が間違っていた事を悟る。そこからは、ベンソロとしてレイのサポートに周り、最後は自らのフォースを全て与えて役目を終える。

 

 

○物語の終わり、終わりは始まり
ラストシーンでレイが名前を聞かれて、更にファミリーネームを聞かれると言うシーンがある。名前を聞かれて名乗る、と言うことで真っ先に思い出すのは「ロボコップ」のラストシーンである。オムニ社の備品として人間の時の記憶を消されたはずのロボコップが、オムニ社の社長に「名前は?」と聞かれて「マーフィーだ」と名乗る。あの瞬間機械の身体と人間の心をもった存在として生きていくという事を受け入れたのだと思う。
4の始まりの地、ルークの育ての親の家に来て、ルークとレイアのライトセーバーを地面に埋めるレイは、何を考えてここに来たのだろうか。その答えとして、その際に地元の老婆に名前を聞かれたときにどう答えるか?があったと考えると「レイ・スカイウォーカー」と答えたことがロボコップのラストで「マーフィー」と答えたこと比べて、ストンと腹落ちしたとは言いがたい。しかし、時間が経って今考えてみると「マーフィー」のファーストネーム(ギブンネーム)だけでなく「スカイウォーカー」というファミリーネームを名乗ったことに深い意味があることに気がついた。
まあ、サブタイトルが「スカイウォーカーの夜明け(Rise of the Skywalker)」なのだから当たり前かもしれない。レイが「スカイウォーカー」を名乗ることは日本的に言えばお家再興の決意表明なのだろう。スカイウォーカーの系譜がすべて滅びた後でスカイウォーカーを名乗ることの意味はそれしかあるまい。また、宇宙の平和を願うものは、よいJEDIとして「スカイウォーカー」を名乗れば良いと言うメッセージかもしれない。
8のラストで名も無き少年が箒をふっと手に引き寄せる姿があった。それは8でルークが言った「私が最後のジェダイではない」と言うことがと呼応していたと思うが、そのような少年もいつか「スカイウォーカー」を名乗るかもしれないと夢想を膨らませてみた。

 

 

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を観た

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〇「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を観た
12月の最初の週はベトナムハノイ)出張になった。先週の中国、深圳航空と違って、ベトナム航空は日本で言えばJALベトナムフラッグキャリアーだ。機材は最新型のB-787”Dream liner”だし、機内食も結構美味しい。その際ワインが提供されるのだがフランス統治時代にワイン文化が根付いているらしいので、結構ちゃんとしたワインが飲めると思う。機内のエンターテインメントシステムも充実しているので、最新の映画が観られる。残念なのは字幕まではベトナム語がデフォルトでそれ以外はほぼ提供されていない。なので日本語音声による吹き替えで観ることになる。その様な環境でこの映画を観た。普通は吹き替えでは観ないので違和感しかないのだが、ウエストワールドをAmazonプライムで吹き替えで見た時にも感じたが、役者の演技とセリフが同時に理解できるのは吹き替えの強みだと思う。

 

ボーイング787まるごと解説 (サイエンス・アイ新書)

ボーイング787まるごと解説 (サイエンス・アイ新書)

 

 

タランティーノの『映画についての映画』
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は「映画についての映画」であるとあるサイトで紹介されていた。(どのサイトで紹介されていたのか見つけられないのだが・・・)これまでもタランティーノは基本的に「映画についての映画」を撮っていると書かれていたと思う。『映画についての映画」とはどういうことなのか?要するに「映画とは何かを語っている映画」と言うことだと思う。そう考えると今回の映画の賛否の分かれた結末も理解できると思う。
ブラピとレオ様が演じているキャラクターは二人とも架空の人物であるが、問題のシャロン・テートブルース・リーも出てくる。その中で実際の誰かというモデルもあるようだが、架空の人物が活躍すること自体がファンタジーで「映画」だ。映画というのはファンタジーを作るのが仕事だ。その裏舞台を見せてしまうと言うドキュメンタリー的な映画ではなく、それ自体をファンタジーにしてしまうのが今回の映画だと思う。

 

 

※ここからネタバレになります。

〇現実と異なるラスト
そもそも、私の年齢だとこの映画の一番中心となるネタ「シャロン・テート殺人事件」について衝撃を受けたり、関心を持ったりしたことがない。だから、アメリカ人がこの事件についてどういう思いを持っているのか機会があれば聞いてみたいと思っている。ただ、この映画のラストのようにシャロン・テートが殺されなかったら良かったとタランティーノ監督は思ったんだろう。そこで、自分が創造したキャラクター「クリス・ブース」と「リック・ダルトン」にその犯人たちをコテンパンにやっつけさせる。そして二人はその後シャロン・テートの家に招かれていく。その後タイトルが出る。「ーワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドー」と。

 

世紀末倶楽部 vol.1 特集:チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件
 

 

 

〇ファンタジーの登場人物
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・・・」と言うのはおとぎ話の冒頭に使われる常套句だ。日本語なら「昔々あるところに・・・」というところだろう。劇の途中でブラピ扮する「クリス・ブース」がブルース・リーとガチで戦うシーンがある。ブルース・リーはクリスに軽々と投げ飛ばされてしまう。私は途中でそのシーンを見たとき「?」と思った。別にタランティーノ監督がブルース・リーをディスりたいと思ってるわけではないだろう。キル・ビルユマ・サーマンに黄色いジャンプスーツを着させている訳だし、なにより同時代に数々のスターがいた中からブルース・リーを選んで登場させている訳だから思い入れがない訳がない。ではあの展開はなぜなのか?それは「クリス・ブース」のファンタジー性を上げるためだったんだろう。ブルース・リーにも勝つ男なら、ヒッピー達にも勝てる(しかもLSDでラリった状態でも)と観客に思わせるためだ。まあ、そんな小難しいことを考えなくてもラスト近くで「クリス・ブース」と「リック・ダルトン」がヒッピー達をぶちのめして丸焼きにする様を見てゲラゲラ笑える。

 

  

ブラッド・ピットレオナルド・ディカプリオ
このブログでは書かなかったが先月「アド・アストラ」を観た。ブラッド・ピットの演技が素晴らしいといわれていたが、こっちの映画でのブラピ扮する常に冷静な宇宙飛行士は映画冒頭の緊急事態に際しても心拍数がほとんど平常と変わらないという化け物のような人間なのでなんとなくピンとこなかった。しかし、この映画でのブラピは落ち目になった俳優のスタントマン役という、そのまま別の映画の主人公にしてもいいようなキャラクターだったので、映画の中でしっかりとした存在感を持っていた。その反対にディカプリオは、ある意味パロディ的なキャラクターだった。恐らくモデルとなったクリント・イーストウッドとかチャールズ・ブロンソンの全盛期を過ぎた時はこんな感じだったのかと思わせるエピソードで構成されており、それを楽しそうに演じているところが好感が持てた。

 

 

 

〇今年最後のブログ更新
恐らくこれが今年最後のブログ更新になるでしょう。新年一発目はもちろん、待ちに待ったスターウォーズ・Episode9になると思います。皆さんよいお年をお迎えください。

 

スター・ウォーズ/最後のジェダイ  (吹替版)

スター・ウォーズ/最後のジェダイ (吹替版)

  • 発売日: 2018/04/25
  • メディア: Prime Video
 
スター・ウォーズ/フォースの覚醒 (字幕版)

スター・ウォーズ/フォースの覚醒 (字幕版)

  • 発売日: 2016/04/27
  • メディア: Prime Video
 

 

「夏の裁断」を読んだ

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島本理生の「夏の裁断」を読んだ
11月の最後の週に中国出張になったので、先日Honzで見つけた「神話の力」を読もうと思って準備していたのだが、あっさり持ってくるのを忘れた。無意識的には読みたく無いと思っているのかもしれないと考えると色々興味深いが、それに関する考察は、実際に「神話の力」を読んでからすることにする。

 

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

〇空港の書店
今回出張に行くに当たって、成田に着いてからほかにも一切本を持ってきていない事に気がついたので、空港内にある本屋の改造社に行って、何か適当な本は無いかなと物色した。空港内の本屋は、来店する客層が限定されているので、ラインナップも特定の傾向があると思う。お客にはこれからまとまった時間があり、それは読書するという事にとって最も重要な条件をクリアしているという事だ。またまたスティーブン・キングの言葉を借りて恐縮だが、この本屋に並んでいる本にお客が求めることは「二時間飽きずに読み続けさせてくれるかどうか」だろう。そういう意味で、もしかしたら街の本屋のように(最近は街角の小さい本屋はどんどん無くなっているが)新刊本を漫然と入れているだけではなく、書評などで裏付けのある本を仕入れているのではないかと思った。今回購入した本も大変面白く、四時間を超えるフライトの中で、所々休んでストーリーの状況を咀嚼しながら楽しんで読むことが出来た。

 

夏の裁断 (文春文庫)

夏の裁断 (文春文庫)

 

 

〇本の自炊
改造社ではそういうつもりで本棚の背表紙を眺めていたが、ふと少し前に直木賞を受賞された島本理生氏の本が目にとまった。それが今回の『夏の裁断』である。裏表紙にある内容紹介を読むと「自炊」と書いてあって、しかもその意味は本来の「ご飯を自分で作ること」ではなく「紙の本を電子化すること」の方だったのである。私も、紙で残っているものを電子化するために富士通ScanSnapとPLUSの裁断機をもう10年ぐらい前に購入して「自炊」をする。私の場合は主に写真とか昔の書類を電子化して体積を無くして行こうというのが目的だったので、本の自炊はあまりやらない。あまり見ないけど資料として手元に置いておきたいと言うような本だけ自炊しているが、本という物体自体にも思い入れがあるので、この本の主人公も初めてほんの自炊をするときに、その生々しい行為について嫌悪感を表明していたが、まさしくそれは本好きには共通することだと思う。また、文庫本というパッケージは、小型軽量で電子書籍のようにデバイスも電源も必要としない大変優れたものであるので、これを更に裁断してスキャンしてもそれ程利便性が上がらないと思っている。

 

 

 

プラス 裁断機 自炊 A4 コンパクト PK-213 26-366

プラス 裁断機 自炊 A4 コンパクト PK-213 26-366

 

 

〇あらすじ
主人公は作家の菅野千紘で、年齢は30歳前後だったと思う。祖父が学者で鎌倉に家があり、その家を処分するために祖父がため込んだ蔵書を「自炊」して保存しておくため一夏をその家で過ごすと言うのが基本のストーリーだ。そこに数人の男性が出入りすると言う展開で全体としてみればラブストーリーだ。主人公が一人で飲み屋に行って酒を飲んだりするときにもつ煮込みとビールを好むなど、著者自身のプロフィールと重なる部分があると言うことを後で知った。物語の冒頭、ある出版社の営業である柴田という男との付き合いでトラブルを起こしたところから始まる。千紘の母はスナックを経営しており、そこにかつて来ていた客から性的虐待を受けた過去があり、男性との付き合いに障害を抱えている事が後々明らかになる。自分の本の装丁をしてくれたイラストレーターの男性や、鎌倉の焼き鳥屋で偶然で会うサラリーマン男性、ラジオ番組に呼ばれたときにであったモデルの若い男などと次々関係を持つ。この本は雑誌に掲載された「夏の裁断」を第一章として、そのあと「秋の通り雨」「冬の沈黙」「春の結論」とその後の展開が加筆されて一冊の本になっている。逆に「夏の裁断」だけだとこの話が何処に着地するのか(しないのか)が全く見えなかったと思う。残りの三章は最初の一章から比べるとそれぞれ短いが、それらの物語を得て主人公は一応の決着と未来を得る。

 

〇感想
第一章のなかで自炊する場面で、本のページの断片的な文章からその本を向かし読んだときにどんな感想を持ったとかを描写するところがあるが、もしかしたら作者のたくらみとしては、そういう風に自分の作家としての基礎担っている部分を紐解きながら、内照していくことだったのかも知れないと思った。しかし、その辺の自炊に関わる話は後半は影を潜めていく。先ほど触れた本を破壊することによる自傷にも似た感覚のような部分と男との付き合いにおける主人公の抱えるデリケートさとのつながりもあるような気はするがそこは正直よくわからない。しかし、そうやってドリフトしていく展開自体は大変面白かった。しかし、私がこの本を読んで一番困ったのはその冒頭からトラブルを起こす「柴田」というキャラクターの捉えどころのなさである。どうもこの「柴田」という男は女性にもてるらしいのだが、正直どの部分が魅力なのかが私にはわからなかった。私は男なので当たり前かも知れないが、改めて女性の考えることは不可解であると思ったし、それがまた新鮮で面白かった。つぎは映画化もされた「ナラタージュ」を読んでみようと思っている。

 

ナラタージュ

ナラタージュ

 

 

第29回文学フリマ東京に出店します

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表紙と裏表紙です

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〇二回目の出店です
昨年の秋、開催の数日前に確かネットかなにかで文学のフリーマーケットがあるというニュースを聞いたので、当日の昼ぐらいに浜松町からモノレールに乗って流通センター駅に降り立った。はじめて降りた駅だったが、集まっている人たちの様子になぜか親近感を感じた。これまでコミケには数回行ったことがあったが、(基本的には)文字だけの本の即売会というものを初めて見て、おお!こんな世界があったのか!と感銘を受けたので、その次の第27回文学フリマ東京には出店する側として初めて参加してみた。
その時出品した本は、以前からKindleで売っている拙著「家電OEMの会社で働くあなたのための参考書」をリアル本にしたものである。以前ブログで出店すると言うお知らせはしたが、結果については全く触れていなかったので、少し書いて置くが30部刷って25部売って帰ってきた。11時に一般入場が開始されて、5時に終了だったが、4時ぐらいに25部売り切ったので撤収してきた。本当は5時に販売終了した後、クロージングとして掃除や机の片付けなどがあったと言うことを今年の案内を見て知った。前回は8時に行って机やラベルの設置などをボランティアとして手伝ったので、まあ許されるかなと思っている。

 

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家電OEMの会社で働くあなたのための参考書
 

 

〇2019年11月24日 流通センター ク−11です
そして今月24日に第29回文学フリマ東京が開催される。今回は私単独ではなく、表参道にあるシナリオセンターで一緒に学んでいた人たちと一緒に「OMS脚本団」という名前でアンソロジー本を作った。内容は短編シナリオ集で、シナリオセンターで課題としてやる「20枚シナリオ」というものをベースに、各人がおなじ「再会」というお題で書いたものを集めた本である。私以外に13人が同じお題で違う話を書いているので、読み比べて楽しんでいただけると幸いである。

 

tokiwa-heizo.hatenablog.com

 


ただし、当日は別件(杖道の大会)があって誠に残念ながら今回は参加できない。前回初めて出店したときに、自分が書いて作った本を手売りするというのは大変楽しかったので、今回も是非とも参加したかったが、一方杖道も自分のライフワークなのでおろそかに出来ない。苦渋の選択ではあったが、今回は仲間たちにお任せすることにした。次回「創作シナリオ集2」の時には必ず参加したいと思っている。

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