常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

「A GHOST STORY」を観た

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〇自転車に乗った女性とぶつかりそうになる
先日、会社の帰り道に夜道を歩いていると、生け垣の向こう側から自転車に乗った女性が飛び出してきた。しかもその女性はこちらに向かって曲がってきた。そしてその直後私がそこにいることに気がつき驚愕の表情を浮かべたものの、ブレーキを握りしめるだけで進路を変えるつもりがないことは明白だった。ここで私は不思議なことに、まず垣根の向こうから曲がってくる前に、自転車が来ていることを察知していた。いや、それは別に超能力ではなく、自転車のライトが見えたのである。その後に垣根の陰から自転車が出て来てからである。
私はその場ですぐさま立ち止まり、自転車に乗った人を見た。若い女性であった。そこそこの美人である。まあ、最近の若い女性は化粧も上手いし服装もおしゃれなのでぱっと見は皆美人に見える。その目が大きく見開かれてヒッチコックの映画のワンシーンのような表情になった。私は、自転車が進路を変え得ない事を確認した上で、一歩その場を離れた。直後自転車は私の背後を通り抜けていた。私は何事もなかったように駅の方へ向かって歩き始めた。

 

↓ちなみに私の自転車についているライトはこれ

 

 

〇稽古の成果?
駅に向かって歩きながら、さっきアレが出来たのはきっと杖道の稽古の成果なのだろうなと考えていた。なぜかというと、杖道の形稽古は基本的に刀を持った人間が斬りかかってきたときに、どうやって対処するかというものだからだ。今回は刀ではないが、自転車に乗った女性がこちらに向かってくるという事に対して、しっかりどう動こうとしているかを見極めた上で、ぶつかる寸前に避けることが出来た。それは杖道の形の中で相手が斬りかかってくるその太刀筋を見極めた上で、反撃の動作に入らないといけないのだが、まさにそのプロセスを無意識に行っていた気がする。
大分前の話になるが、杖道の先輩が「そのうち夢の中でも動けるようになります」といっていたのだが、どういうことかというと、誰でも怖い夢を見たり何かに襲われる夢を見ることがあると思うが、そういう夢を見ても反撃できるようになるという事だった。それを聞いたときはまさかと思っていた。大体夢というのはそういう風に追い詰められた場合、もうダメだ!と思った瞬間に目が覚めるものである。
しかし、今回のぶつかりそうになったときは、確かに「もうダメだ!」という思考停止はなかった気がする。次にするべき事がわかっていれば、人間思考停止には陥らないものなのかも知れない。そうであれば夢の中でも、適切な行動を想像することが出来るだろう。夢の中というのは考えれば勝ちなので、動けるようになるというのはそういうことだと思う。

 

杖道打太刀入門―古流へのいざないとしての

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神道夢想流杖心会

 

〇「A GHOST STORY」を観た
吉祥寺に新しい映画館が出来た。「UPLINK吉祥寺」という名前である。何処にアップリンクするのかわからないが、渋谷にも同じ系列の映画館があるようだ。おそらくPARCOにあるのだろう。吉祥寺もPARCOの地下二階に出来たのだが、以前はそこにブックセンターがあった。パルコからブックセンターがなくなる日が来るとは思いも寄らなかったが、その後釜が映画館というのも今時大丈夫なのだろうかと心配になる。
その前にもなんか小さな映画館がコピスのそばに出来ていたが、掛かっている映画が本当にマイナーなので行くことは無かった。ところが先日「リアルサウンド」というサイトで宮台真司が「A GHOST STORY」という映画について前・中・後編にわけて解説しておりそれを読んでちょっと観てみたくなり、どこかでやってるかなと検索するとなんと「UPLINK吉祥寺」でやっていることがわかったので、とりあえず新しい映画館の偵察も兼ねて観に行くことにした。

 

joji.uplink.co.jp

宮台真司の解説
宮台真司はこの「A GHOST STORY」を解説するのにまず「アンチクライスト」を解説している。その内容はリンクで読んで貰った方がいいので省略するが、とにかくそれをまず読んで、なるほどと思ったのはとにかく<社会>と<世界>があってアートというのは常に<世界>が<社会>に侵食していることを知らせる役割が有るのだと言う部分だった。この人と宮崎哲弥との対談本だったと思うが、宗教というのは個人に起きた理不尽な出来事に納得させるための装置である、という解説があり、深く感心した記憶があるが、今回のアートに関する定義もかなり鋭く明確にイメージ出来るようになった。中編の中で出てくるのは日本未公開のタイの映画なのでやはり解説のサイトを読んで貰った方がいいと思う。
後編でやっと「A GHOST STORY」が出てくるのだが、一言で言うと<社会>からの幽体離脱なんだそうである。先ほどのアートの話ででてきた括弧付きの<世界>と<社会>の概念を理解した上で、その<社会>から幽体離脱した視点=<世界>の方に行くのかと思ったのだが、実際は映画のラストで幽体離脱した視点はあることをきっかけに消滅してしまう。その先何処に行ったのかは全く手がかりがないので知るよしもないが何とも中途半端な感じがした。

realsound.jp

realsound.jp

realsound.jp

〇あらすじ〈ここからネタバレになります〉
一応あらすじを書いてみる。売れないミュージシャンの男とその妻?がテキサスの古い借家で暮らしている。夜寝ていると変な音がするので引っ越したいと女は思っているが、男はひっこしたくないらしい。その後すぐに男は交通事故で死んでしまう。病院の死体安置室で女は男が死んでいるのを見て家に帰るが、その後シーツをかぶったまま男が動き出し、途中病院の廊下で天国へのドアが開いたのも無視して家に帰ってきてしまう。女は悲しみにくれているが、それをシーツをかぶった男(幽霊なんだけど)は見ていることしか出来ない。やがて女に新しい男が出来て、その借家を出て行くがそれを見ているだけだ。女は出がけに何かメモを書いて、それを柱の割れ目に差し込む。その後ヒスパニック系の母子家庭(母と子二人)が越してくるが、シーツ男がポルターガイスト現象を起こして追い出してしまう。更にその後今度は若者が集団で住んでいるがそこである一人の若者が、人間死んだら無になるし宇宙も無にもどると言う内容の話をしているが、シーツ男は黙ってそれを聞いている。やがてまたその若者たちもいなくなり、シーツ男は柱の割れ目からメモを取り出そうとするが、取り出せそうになった瞬間にブルドーザーがその借家を解体する。メモもろとも家ごとなくなり、それでもシーツ男はそこにとどまっていると、やがてそこが都会になりビルが建ち、オフィスが出来てその屋上に行くとブレードランナー・・・まではいかないが現代的なビル街が出来上がっている。絶望?してビルから飛び降りるシーツ男。その結果なぜか開拓時代まで時間を遡ってしまう。そこである家族が家を建てるといっているのを見るが、その家族はインディアンに虐殺されてしまう。死んだ女の子の死体が腐敗して骨になり何もなくなって、またそこにかつての借家が建つ。生前のシーツ男と女が越してくる。また交通事故で死に男はシーツ男になるのを更に見ているシーツ男。(なんだろう、これ・・・)二周目にして柱をほじくっているとなぜかメモがとれる。メモを見るシーツ男は消滅する。

〇「橋本治内田樹」を読んだ。
この映画を見る前日に「橋本治内田樹」という本を読んだ。その本の最後の方に「アメリカは貧しい」という話があって「リング」なんかをハリウッドがリメイクしているけど、地縛霊まで輸入しているんだと。アメリカ人にとって一番怖いのは死体で、だからゾンビ映画ばかりなんだと言うようなことが書いてあった。今回のゴーストもヨーロッパやアジアの国の人から見たら「なんだこれ?」となるような描き方だった。恐らくそれは狙いだと思うのだが、逆にそれが今のアメリカの実感できるゴーストなのかも知れない。私の好きな「裏世界ピクニック」に出てくるような怪異の持つ深みというのはやはり理解されないのだろう。そういう意味でも「ステーション・フェブラリー」でアメリカ軍実験部隊が異世界の怪異とガチ対決する様は、その圧倒的な非対称によって更に面白くなっていたと思う。

 

橋本治と内田樹 (ちくま文庫)

橋本治と内田樹 (ちくま文庫)

 

 

↓二巻はちょうどきさらぎ駅の話です。 

裏世界ピクニック(2) (ガンガンコミックス)

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〇観終わって・・・
メモを見て消滅したあとエンドクレジットが延々流れる間、劇場は微妙な空気だった。明るくなって立ち上がった瞬間腰に違和感を感じた。現在絶賛腰痛中である。毎日この腰の痛みがシーツ男のように消滅してくれるのを待つばかりだ。アパートの柱に隙間にメモは挟まって無いと思うが。