常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

スター・ウォーズ episode 8 「The Last JEDI」を観た

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。と言うか今年はもう少しPVが増えるといいなあ。

 

 

#年末恒例
2017年の個人的No.1映画は「ブレードランナー2049」で決まりなのは確定したと思うのだが、なんかエピソード7から年末恒例になりつつあるスターウォーズを見てしまったのでそれについて書きたいと思う。

去年は「ローグ・ワン」でした。

 

 


今年は「メッセージ」から始まって「エイリアン:コヴェナント」や「ブレードランナー2049」など個人的にはSF映画の当たり年だった。そんな中で今年のトリを飾る映画は映画史上でももっとも長いシリーズをほこるこのスターウォーズ の最新作Episode8「The Last JEDI」だ。
最初にEpisode4が公開されたときは小学生だったが、今や半世紀を生きた立派なおっさんの私にとっていろいろと意義深いものだったので、本年のブログの最初としてもふさわしいと思う。

 

 

#今回のストーリーの位置づけ
今回の作品は麻雀的にいうと「2(りゃん)「5(うー)8(ぱー)」の筋にあたる。それぞれの順子(しゅんつ)の真ん中である。別に意味もなく麻雀を引き合いに出しているわけではなく、この真ん中というのは前後につながるので大事な数字である。最初の3部作である456がうまくいったのも「帝国の逆襲」で4のすべて丸く収まった感をぐるっとひっくり返して6の「ジェダイの帰還」につなげたからだろう。

その6でまとまった感がある物語をもう一度膨らませて広げなおしたのが7だった。という事は本来つなぎの役目の3部作中の真ん中としては8であるが、三部作の最終章である7・8・9と4・5・6をEpisode7はつなぐ役目も持っていたことになる。7のラストのルークが振り返るところで終わると言う「引き」は完全につなぎのドラマとしてのラストだった。その次の8は7で新たに主人公になったレイやカイロ・レン、フィン、ポーたちの始まった物語を引き継いで膨らませると同時に456の主人公であったレイア、ハンソロ、ルークの物語の後始末を終わらせる話でもあった。

このことが、それぞれの筋を追いたい観客には今回の映画がスッキリしない部分でもあるが、そこを分けて考えるとそれぞれに味わい深いストーリーであり、そしてお互いが密接に関連して進行するため、よく出来た筋書きだったと思う。

 

※ここからネタバレになります。 

 

#カイロ・レンについて

キャラクターの中でも4・5・6と7・8・9をつなぐ位置にいるのがカイロ・レン(ベン・ソロ)だ。レイアとハン・ソロの子供であり、一度はルークについてジェダイの修行をしているが、なぜか悪の道にはいった男だ。なんか自分にとっては祖父のダース・ベイダーにやたら入れ込んで、何が問題なのかよくわからないがハンソロを自分の手で殺した。

よくよく思い出してみるとベイダー(アナキン)は実父を殺してはない。すでに砂漠で暮らしていた時は母と子のみだった。ストーリー上で実父を殺したのはルークである。殺したというと微妙だが、いずれにしても引導を引いたのはルークだ。そういう意味でカイロレンはルークをまねたのだろうか?
7でのハン・ソロに続いて実母であるレイアの乗る反乱軍の旗艦のブリッジを攻撃しようとして、思いとどまるのである。しかし結果として部下が攻撃してしまい、レイアは一度は宇宙空間に放り出される。しかし、初めてフォースを発揮し破壊されたブリッジの窓から戻ってくるのである。ここは今回の8の名シーンとなるだろう。

 

 

#ルーク・スカイウォーカーについて
Episode6「ジェダイの帰還」(この副題も公開時は「ジェダイの復讐」だったと思う)で父であるダースベイダーを倒し、銀河に平和をもたらしたヒーローとしてのルークは7では全く影もなく銀河のどこかに行方不明である。その間にいったい何があったのか?をこんかいの8では明らかにしていた。ベン・ソロ(カイロ・レン)「とそのほか数人の若者を連れてジェダイの修行をさせ、ジェダイナイツを復活させようとしていたのだった。しかし、その潜在能力の大きさに恐れを抱きベンを一瞬殺そうとしたことでベンと決定的に決裂してしまったようだ。この底知れぬ力に恐れを抱きというのは、エピソード1のアナキンに対してクワイ・ガン・ジンが感じたことと同じだ。常にジェダイは同じ轍を踏む。同じパターンを繰り返してしまうことをいい方に考えるしかないが、今回は最後にカイロ・レンと対決して消える。1のガン・ジンや4のオビワンや5のヨーダのように服だけ残して風の中に消える。こうなったら幽体としてアドバイスする存在になるので、恐らく9でも出てくるだろう。

 

 

# レイについて
レイもルークに教えを請うことになるが、ルークはカイロの失敗があるので、最初は断る。しかし、レイはカイロとテレパシーで話す事で少しずつダークサイドにも触れていき、それがまたルークを怯えさせるが、最終的には一定の成長を遂げて仲間の救援に旅立つ。これは5のルークと同じだ。レイが旅立った後でルークはジェダイの教えの書物を燃やそうとして逡巡するが、それを見かねたヨーダが雷を落として燃やしてしまう。しかし書物はなぜかレイがファルコンに積み込んでいるのだ。

 

 

# スノークについて
一番わからないのがこの7から出てきたファーストオーダーの首領であるスノークである。456の皇帝よりもかなり醜悪な容姿で、フォースの暗黒面の力も操るため、コリャー倒すのに骨折るだろうなーと思わせたが、あっさりカイロ・レンに殺される。死んだと見せかけて…と思ったが、まったくその気配もなく切断された骸を晒すだけだった。その後のロイヤルガードとの戦いの方が大変そうだった。倒した後のカイロとの会話が、スノークの立ち位置を表していると思ったが、いわゆる既得権益老害の象徴なのかも知れない。まあ、9でパワーアップして帰ってくるとは思えない。

# フィン、ポーについて
その既得権益老害をカジノ惑星で見せたり、反乱軍としてのジリ貧な状況を描くためのキャラクターになっていたが、フィンはキャプテン・ファズマとの対決、ポーは兵士としての葛藤が描かれていた。

 

 

# ライアン・ジョンソン監督について
今回の監督のライアン・ジョンソンという人の作品は他に何があるのか知らないが、なんとなく長いドラマを撮る人なんじゃないかと思う。エピソード8じゃなくシーズン8ぐらいに長いストーリーの中で見たかった。その意味では、またまたブレードランナー2049の話だが、ドィル・ビルヌーブ監督は3時間の話を撮らせてもやはり映画だったと思う。その差はどこからくるのかというと、余白的なものの多さとしか言えないが、も一つは登場人物の多さから来るドラマ中に複数の視点が存在するかどうかだろう。小説で言えばスターウォーズは三人称で書かれており、メッセージや2049は一人称で書かれた小説のようだと言うことかも知れない。
今回の作品はアメリカでは批評家受けが悪かったようである。そのへんは前述したスノークの位置づけによるものだろう。あの扱いがディズニーに買収されたことによる、物語の単純化から来るものではないと思うが、それをきちんと描いているわけでもないので評価しにくいのも確かだ。

#今後について
次はまたJ・J・エイブラムスが監督をするらしいので「謎の箱」を一杯ちりばめて驚愕のストーリーを展開し、素晴らしい大団円になると思う。ラストでカジノ惑星の馬小屋で馬の世話をしている子供が箒をを手に取るとき、箒の柄が壁から手に飛び込んできた。手の指にはジェダイの書物を収めていた木をデザインしたと思われる反乱軍のマークのついた指輪が光っていた。ルークの言葉「私は最後のジェダイではないし、フォースはジェダイだけものもではない」が9のテーマだと思う。再来年を首を長くして待ちたい。