常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」を読んだ

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フェミニスト批評入門
この本の副題は「不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門」である。昔からフェミニストとかフェミニズムと言う言葉が今ひとつ頭に馴染まないと感じている。かといってさらにその言葉の意味を辞書で詳しく調べても、そこに書いてある概念がやっぱりすんなりと頭に入ってこないのはなぜなのか?その謎が少しでも解けないかと思いこの本を読んでみた。読んでみてわかったのだが「フェミニスト批評」というのはフェミニストを批評するのではなく、フェミニストの視点から批評するということだった。

 

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

 

 


この本の著者の専門は英文学、なかでもシェークスピアで、その作品をフェミニストの視点から批評することである。その傍ら、年間に映画と演劇をそれぞれ百本ずつ見る上に本を年間260冊も読むそうである。大学で研究して学生に講義しながら、それらの批評をブログにアップしている。ご本人も書かれているがいくら何でも多すぎる、なぜこんなことが続けられるのかと。その理由は「楽しいから」と書いてあるのだがなぜ楽しく批評し続けられるのかというとフェミニスト批評をするからだそうである。批評とはどうやってするのかについてはまえがきに詳しく書いてあるのでそこを読んでいただくのが早いが、これが私にとって本当に為になった。私もこのブログで本や映画、ドラマなどを紹介するような文章を書いてきたが、自分が書いたものが「批評」であるとはとても言えない。しかし、ここに書かれている内容を会得して少しでも「批評」出来るようになりたいと思った。

 

※この本の内容は以下のサイトで読めるものも多いです。

https://wezz-y.com/archives/authors/kitamurasae

※実ははてなでブログもやってたんですね。

https://saebou.hatenablog.com/

 

フェミニスト批評とは
前述のように批評のやり方はこの本の冒頭に書いてあるのだが、その方法のひとつとしてフェミニスト批評というのがある。で、肝心のそのフェミニスト批評だが、まずフェミニストとはなにかというと「今の世界はデフォルトで女性差別が組み込まれているということを主張する人」と言うのがこの本を読んだ段階での私の理解である。つまりフェミニスト批評というのは作品の中に女性差別が入り込んでいるかどうかを見つけ出すことだと理解した。

 

〇「ベイビー・ドライバー」をフェミニスト批評する
去年話題になったときに結局観なかった「ベイビー・ドライバー」という映画をつい最近有線放送の録画で観ることができた。とりあえず観た感想としては面白かった。今までのブログだったらどの辺が面白かったとか、書く所だが、正直それだと独立したブログとして書くほどのこともないと思った。しかし、フェミニスト批評だと、いろいろと面白いだけでない点があると思った。

 

あらすじは公式サイトで

 https://bd-dvd.sonypictures.jp/babydriver/

 

〇登場人物の中の女性キャラクター
・デボラ
ヒロインであるデボラはちょっと笑顔が(いい意味で)アホっぽいブロンド美人で、ダイナーのウエイトレスだ。このキャラクターはかなりステレオタイプな感じで、主人公が王子様として迎えに来るというプリンセス的な立ち位置にいると思う。恐らくフェミニスト的にはオールドファッションでつまらない、男性支配の視点からのヒロイン像ということになるだろう。それの笑顔がアホっぽくて可愛く見えると言う私自身のなかに女性差別があるということになるのだろうか。関係ないが、この女優の名前「リリー・ジェームズ」というのだが、ハリー・ポッターの両親「リリー・ポッター」と「ジェームズ・ポッター」を足して二で割った?様な名前だと思った。

・ダーリング
バディと組んでいるダーリングはラテン系の顔立ちで、劇中で仕事以外の時間はバディとずーっといちゃついている。しかし、いざ仕事(銀行強盗とか銃の密売人と交渉するとか)になると自ら銃をぶっ放して活躍する。女性差別からはほど遠く、解放された女性と言える……のだろうか。そうならざるを得なかった背景にはきっと普通の社会で抑圧されて来たからこそ、アウトローの世界に解放を求めているとすれば、やはり女性差別の被害者と言うことになるだろう。劇中で、ダーリングをいやらしい目で見た男をバディが殺したという会話が出てくるが、それも、男に頼っていると言う意味では、自分の力で自由に生きているわけではないということだろう。そもそもアウトローの世界こそ男性中心(暴力中心)なのだから当たり前という気もする。

・主人公の母親
既に故人となっているので主人公の中でしか出てこないが、どうも歌手だったようだ。主人公が子供の頃に、自動車の助手席で運転席の父親?と口論している最中に交通事故を起こして亡くなったようだ。主人公のカセットテープの中に「MOM」という一本がありその中に母親の歌声が入っているのである。死んでいて声だけが残っていると言うのが象徴的だが、どうも主人公にとっての理想的な女性のようで、そういう意味では主人公はマザコンなのかもしれない。マザコンフェミニストがどうつながるのかは今ひとつわからないが、恐らく女性に母親的な役割を求めることも、一定の役割を押しつけるという意味でフェミニスト的には差別なのかも知れない。

〇自動車の運転=男性優位の象徴?
RCサクセションの「雨上がりの夜空に」という歌があるが、この歌の歌詞で暗示されているのは車の運転=セックスである。この映画の主人公ベイビーは運転が上手い=セックスが上手いと言うことを暗示しているのだろうか?片岡義男の短編小説で、女性が運転するでかいアメ車のオープンカーが、上手く駐車場から出せずに困っている所に、ソフトクリームを食べながら男性が通りかかる。そして、女性の代わりに巧みなドライビングで車を運転し、リバースのまま駐車場出口まで車を運転してやるという話があったが、この小説もそういう観点で見ると、まさに「そういう話」なのかもしれない。
そういえば、この映画のラスト近くで、主人公はデボラの運転で逃げるのだが、国境(州境?)付近の橋で非常線がはられていて、追い詰められたとき、主人公は車から降りてなおかつその時車の鍵を端から投げ捨てる。つまりデボラから車を運転することを取り上げるのである。車を運転するというのは男の仕事だという事を意味しているのだろうか。ベイビーが刑務所に5年服役して出てきたときは、デボラが迎えに来ているのだが、もちろん運転席はベイビーに明け渡している。セックスを主催するのは男性であると言うことを暗示してるのだろう。

 

〇個人的に気になった点
ケヴィン・スペイシー扮するドクが、逃げようとするベイビーとデボラのために自らを犠牲にして追っ手と撃ち合って死ぬ(?)辺りがどうにも違和感があった。これまでケヴィン・スペイシーのやってきた役(ラスベガスをぶっ潰せの教授役など)がイメージとしてあるため、どうしてもそういう行動を取るキャラクターに見えないためである。恐らくこの違和感はフェミニストとは何の関係もない、と思う。

 

 

「演劇部5分前」を読んだ

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◯高校演劇の話です
表題のタイトルの漫画があるのだが、いったいどのぐらいの人が知っているのだろう?もしかしたら大変有名なのかも知れないので失礼な話をしているかも知れないが、内容を読んだ限りでは、そこまでメジャー感のある内容ではなかった。私はたまたま妹から送られてきたので読んでみたのだが、最初の数ページはかなり読む人を選びそうである。ただ、そこを我慢して読み進めていくと意外と(失礼!)それぞれのキャラクターが立っており、なぜ、三年生で部活?演劇部でないとダメなのか?ということが徐々にわかってくる。しかし、この導入部分はもう少しわかりやすくしてもよかったのではないかと思う。

 

演劇部5分前 コミック 1-3巻 セット (ビームコミックス)

演劇部5分前 コミック 1-3巻 セット (ビームコミックス)

 

 



◯「64」をAmazonプライムで見た
「64(ロクヨン)」は、横山秀夫の最高傑作という呼び声の高い作品で、自分としては「クライマーズ・ハイ」が本当に面白かったので、本・映画・TV版ドラマと全て見てかなり楽しませてもらった。きっとこの作品も面白いに違いないと思ってはいたものの、本も映画も上下巻、前後編と長大な作品であるためずーっと二の足を踏んできた。しかし、この度の台風19号の襲来により、家で待機している時間がまとまって取れた(というか、テレビ、映画を見るぐらいしかやることがない)のでついにこの映画を見ることにした。
表題の漫画の話の前になぜこの話をしているかというと、今回読んだ漫画の感想の枕としてなのだが、この映画、既にご覧になった方はご存知だと思うが、出演している役者が大変豪華である。主人公の佐藤浩一、被害者役の永瀬正敏、犯人役の緒方直人などいろいろな役者がその役柄で物凄い存在感を発揮している。佐藤浩一の妻役の夏川結衣などは、見ている方が怖くなるような表情の冴えを見せていた。まさに演技力のフルコースが味わえる感じだった。この、映画やドラマ、演劇などの作品の中での「役者の仕事とは何か?」というのがこの漫画のテーマだなと思ったからである。
結論から書いてしまうと、役者の仕事とは、二時間なら二時間の映画ドラマ演劇の間中観客の興味を惹き、作品の世界に引きずり込んでおくことである。その事をこの漫画の中で明確に指摘するシーンがあるが、なるほどと思った。

 

64-ロクヨン-前編

64-ロクヨン-前編

 

 

 

64-ロクヨン-後編

64-ロクヨン-後編

 

 


◯あらすじてきなもの
高校三年生になって後輩もいない(卒業してしまうと廃部)のに演劇部の活動に情熱を燃やすはみ出し者たちの物語である。在学中に廃部になりそうになり、その弾みで中部大会に行ってみせると言ってしまったことから、なんとか舞台演劇をやり遂げようとする……と言うのがあらすじだ。その中で重要な登場人物は、演劇部のなかで役者としての本質的な力を持つ〇〇〇〇と、プロの役者志望で高校を出たら本格的に女優になろうとしている△△△△である。何で〇〇や△△と書いてあるかと言うと、全三巻を読み終わった後でも名前が頭に入らなかったのである。これもやっぱりキャラクターという記号を読者に印象づける部分が弱いのかなーと思う。しょうがないのでWikipediaで調べたがページがなかった。更に仕方がないので漫画を読み直して〇の方が原田温子△の方が矢野涼香であると言うことがわかった。実際にはそれ以外の登場人物が複数おり、それぞれがそれぞれの事情を抱えている青春群像劇である。
最終的に演劇をある意味成功させる。それをもってこの物語は収束するわけだが、なんとなくすっきりしない結末である。漫画の連載は人気がなければ打ち切りというのもあるが、このお話は主人公が高校生でなくなる時点で終わりを迎えるのは必然なので途中でぶつ切れになったわけではないだろう。

 

〇あらためて役者の仕事とは
高校生くらいの頃に、そういう世界に興味を持ち始めた友人に誘われて、七ツ寺共同スタジオなんかに演劇を観に行っていたが、かなり頑張って集中していないと観続けていられないものから、何もかも忘れて喰い入る様に見つめてしまう舞台があったが、その差は恐らくそういうところにあったのだろう。また、確か森尾由美だったと思うが、たまたま券をもらったのか、何かの弾みでアイドル主演のミュージカルを見た時は、話はヘナヘナだったと思うが、やはりアイドルは華があるので見てしまう。観客を一定時間舞台や画面に釘付けにする事がまず第一に役者の仕事なのだなという事をこの漫画は教えてくれた。

 

「Harry Potter and the Philosopher’s Stone」を読んだ

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ついに、17章までなんとか読み切った。本当に同時に買ったオーディオブックのスティーブン・フライの朗読あっての読書だった。この人の七色の声というか、臨場感のある 朗読は、そのあとで見た映画よりもむしろ面白い。
私は常々、本や映画やゲームの面白さは、いかに「参加」出来るかにかかっていると思うのだが、これには少し説明が必要だろう。「参加」というのは、自分の頭を使うということである。本、映画、ゲームの中でおそらく映画は一番参加しにくい。全ての情報が目と耳から入ってくるのでそれらを合成して情報として受け取るだけだからだ。その合成はほとんど無意識に脳内で行われており2時間ぐらい経つと頭の中にストーリーが出来上がっている。それらを同時に楽しむわけだが、楽しんでいる時間も2時間だ。
その後の人生の中で思い出してまた楽しむことが出来るかも知れないが、その様な深い情報を持った映画はなかなかないだろう。また、深い(層の厚い)情報には、それを受け取るこちら側にも深い知識を要求される。それらを兼ね備えていなければ、いくら監督が映画のワンカット、シーンに深い情報を埋め込んでいてもそこに到達することができない。(町山智浩さんの解説本をよむとそういう深い楽しみを引き出してくれているので、本当に凄いと思う。)

ハリーポッターのストーリーは広く知られていると思うので、あらすじ等は書かない。ネタバレになると思うが、読んでみてどこがすごいと思ったかを書きたいと思う。

 

 

⒈右肩上がりのストーリー展開
以前読んだベストセラーコードにも書いてあったが、ハリーポッターは典型的な右肩上がりのストーリー構造になっている。それはむしろ小説の方が顕著で、映画だけを観た人はあまり印象がないかもしれない。小説では初めハリーが引き取られるダーズリー家がいかにひどい人間の集まりかを描写する。しかも、ダーズリー一家は魔法や超常現象などを全く信じないという偏狭な人たちなのである。そこへ預けられて育てられるハリーは本当に大変だろうと読むものが心配せずにはいられないのである。

 

tokiwa-heizo.hatenablog.com

 

⒉明快なキャラクター設定
先述のダーズリー家の人々もそうだし、ホグワーツの先生、生徒達ももともと文字しかない小説の上でキャラクターの設定が明確に描写されており、読む上でもはっきりと誰が誰かわかる。これは映像化する時かなり楽だったと思う。以前読んだ「映画の脚本を書くためにあなたがしなければならないこと」にも書かれていたが、キャラクターとは行動なのである。その人物の行動がキャラクター(性格)を表しているということであるが、まさしくハリーやハーマイオニー、ロンの行動と言動からキャラクターが見える。これは著者が子供向けに書こうと思ったから、ある程度カリカチュアライズされているにしても、お手本にするべきだと思った。

 

tokiwa-heizo.hatenablog.com

 

⒊伏線の張り方
読者を引き込むためには、サスペンスの要素は欠かせない。そのためには伏線(読み進めていくと明らかになる事をチラ見せすること)が重要になってくるが、もちろん既に皆さんご承知のとおり、全7作からなるシリーズになている。そのシリーズへの伏線と、今回の「賢者の石」の中で回収する伏線が散りばめられており、一冊を読み終わったあとで満足感と続きへの期待感がバランスよく形成される。この辺は、著者がどの辺まで計算、計画して書いていたのかは判らないが、おそらく大まかなシリーズ構想は最初にあったと思う。(まだ、シリーズ全部読んだわけではないのでその点は推測です)

 

Harry Potter the Complete Audio Collection

Harry Potter the Complete Audio Collection

 

 

 

ホグワーツ(魔法使いのための学校)と魔法省
これが、この物語で一番凄い発明だと思うが、魔法使いの学校だけでなく、その先の魔法省というものがあり、魔法省の仕事というのは一般人から魔法の存在を隠すことを仕事としているという設定である。魔法使いのお話でありながら、現代劇なのだ。剣と魔法のファンタジー世界ではなく、今私たちが生きているこの世界と同次元に存在(隠されているが)すると言い切っっている所が凄いのである。1番目のダーズリー家にハリーが預けられることも、魔法使いと普通の人間が共存しているその仕組みを身近に見せるために是非とも必要な設定だったのだろう。

 

最後に映画版の主人公とその周辺の人物のキャスティングと私の脳内映像との差について少し触れるが、主人公であるハリーは、もっとシャープなイメージだった。映画版のダニエル・ラドクリフは品が良すぎるというか、育ちが良すぎる感じがしてしまう。ロンに関してはよくわからないが、もう少し包容力のあるタイプのような気がするので、これもちょっと違うような気がする。ハーマイオニーエマ・ワトソンが美人すぎたと思う。もう少しガリ勉タイプで頭でっかちなイメージだ。まあこの辺はきっと散々論じられていると思うので何を今更感が一杯だが、逆に、映画のイメージがあっても文章を読むことで、明確なキャラクターが別に浮かび上がってくるあたりが、J・K・ローリングがうまく描写しているということだと思う。

 

ハリー・ポッターと秘密の部屋: Harry Potter and the Chamber of Secrets

ハリー・ポッターと秘密の部屋: Harry Potter and the Chamber of Secrets

 

 ↑もちろん次はこれを読みます。

「Harry Potter and the Philosopher’s Stone」を読んでいる

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いま、あえてなぜハリーポッターなのか?その答えはこれである。

harrypotterwizardsunite.com

Pokémon Goと同じナイアンテックが作っているので、基本的に同じような作りのゲームだ。実際に宿屋とか温室とか砦がある場所に行かないと、ゲームが進まないので運動不足には打って付けである。毎日のデイリーゴールが決まっているので、規定のタスクをこなしていくだけでレベルが上がっていく。現在LV16まで来た。しかし、実は私はまともにハリーポッターシリーズの映画を観たことがない。テレビでやっていたものを断片的に観た記憶と、カミさんがシリーズ最初から読んでいて、映画もリアルタイムで観続けたので、カミさんから聞いたあらすじを組み合わせてなんとなくストーリーが頭に出来上がっているが、このゲームをやると、いちいち細かいアイテムやら登場人物やら怪物やらが出てくるので、やはりここは原作を読むべきだろうと思ったのが発端だ。

しかしである。流石に今更日本語で読むのも芸がない。子供向けの本という事もありいっそのこと英語で読んで見てはどうだろうと思った次第である。そこでとりあえず原書(?)を買いに吉祥寺のジュンク堂へ行ってみた。ちょうどそこに朗読のCDが付いて半額ぐらいになっていたセットがあったので、どうせならオーディオブックとしても聞ければ、通勤の短い時間でも聞く事で、読書(?)を進められると思い買うことにした。これが正解だった。

harrypotter.bloomsbury.com

harrypotter.bloomsbury.com

↑この二つがセットで税込5000円ぐらいで売っていた。

実際に読み始めてみると、そもそもがイギリス英語という事もあるが、知らない単語がバンバン出てくる。さらに登場人物の一人であるハグリットという人物は、かなり鈍った英語を喋るという設定であり、単語やスペルが違うため、読むと解らないのだ。しかし、実はそういう単語もちゃんと地道に辞書を引くと載っているのである。やはり辞書は外国語学習には欠かせない。そこでiPhoneのアプリで辞書を買うことにした。私がマックで愛用しているワープロソフトの販売元である物書堂はアプリの辞書も販売していてとりあえず「クラウン英和和英辞典第6版」を買うことにした。これでiPhoneと原書があれば、朗読を聴きながら単語を引いて読むことができる環境が整った。

さらにその後ブックオフで解説本を見つけてしまった。

 

「ハリー・ポッター」Vol.1が英語で楽しく読める本

「ハリー・ポッター」Vol.1が英語で楽しく読める本

  • 作者: クリストファーベルトン,Christopher Belton,渡辺順子
  • 出版社/メーカー: コスモピア
  • 発売日: 2003/12/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 13人 クリック: 158回
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この本には先ほどのハグリットなる人物の訛りについても詳細な解説が出ており、大変役に立った。なおかつ、ストーリーの大事なこと関しては極力ネタバレしないように書かれており、便乗商品とは言え表紙に書いている通りの謳い文句で良い本だと思う。

ちなみに原書を最初から電子書籍で買えば、本当にiPhoneひとつあれば済んでしまう環境が出来たのだが、やはり本は紙である事にこだわる。電気も要らないし、気軽に書き込む事もできる紙の本は、読んだという事実を目に見える形にしてくれる。

実は著者が直接電子書籍とオーディオブック売っているサイトもあるということがわかったが、次回からはオーディオブックだけはここから買おうと思う。(次の巻に手を出せるのはいつの日かはわからないが……)

 

gbp.shop.pottermore.com

 

お盆前から読み始めて現在やっと10章まできた。全体で17章なので半分は過ぎた。全部読み終えたら映画も字幕なしで見てどのぐらい理解できるか(筋は既に知っているからおそらく困らないとは思うが)試してみたいと思う。その上でこの世界的ベストセラーのストーリーの感想を書く予定である。既にここまで読んできてこの本の素晴らしい部分がかなりわかった気がした。しかしまずは最終ページにたどり着くまで楽しませてもらおうと思っている。

三都物語(台北、北京、ソウルを3泊4日で回ってきた)


会社の仕事で、台北、北京、ソウルを回ってくることになった。一つの都市に一泊ずつ、移動日を一日足して3泊4日の弾丸トラベラーである。もう少し余裕を持って回れたらと思わないでも無いが、言葉の問題もあるし、現地で遊ぶ資金の問題もあるので、結果的にこの超タイトなスケジュールで回る方が良かったのかもしれない。以下ほとんど個人的な備忘録のようなものを書いてみる。

1日目 成田→台北
成田発のチャイナエアライン台北の桃園空港へ。約3時間のフライトだった。出発時に「書類の不備」があり、一旦滑走路に出たものの、もう一度搭乗ゲートまで戻るというアクシデントがあり、1時間半遅れで出発するという波乱の幕開けだった。

台湾は石垣島の隣なので、位置的には日本の外れといってもいいだろう。しかし、やはり国境を越えるといろいろ違って面白い。空港を出てタクシー乗り場で感じた空気はまさに南国のものだった。台湾ドルは成田で換金しておいたので、そのままタクシーに乗って、訪問先の会社が予約してくれたホテルに泊まった。

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私の泊まった部屋は、浴室がジャクジーなっており、これ幸いと利用することにしたのだが、大きい浴槽なのに水(お湯)の出が悪く、いつまでたっても全然浴槽に湯がたまらない。仕方がないので半分くらい溜めたところで入り始めたのだが、水位が低いまま、ついマッサージボタンを押してしまったのだ。四つあるノズルから勢いよく噴き出す水で一瞬前が見えなくなった。慌ててボタンを押して止めようとしたが、止まらない。こりゃーフロント電話するしかないかーと思っていたら、急に止まった。どうもタイマー制御だったようだ。小腹が空いていたのでコンビニでも探そうと思っていたが、その一件でぐったり疲れたので早々に寝てしまった。

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宿泊したホテルは古華花園飯店(Hotel Kuva Chatoue)

https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g13808652-d308630-Reviews-Hotel_Kuva_Chateau-Zhongli_Taoyuan.html?m=19905

 

2日目 台北→北京
一晩寝て朝になり、朝ごはんを食べに一階へ降りると、大変広いところにビュッフェ形式でたくさんの食べ物が提供されており、どれも大変美味しかった。前回のブログにも書いたように、先月約三週間中国の寧波のホテルに泊まって毎日朝食を食べ続けたが、それより美味しかった。分厚い角煮を挟んで食べるモノが台湾名物と書いてあり、それも食べたが美味しかった。

仕事自体は午前中には順調に終わって、昼になりちょっと車で移動して連れて行ってくれた牛肉麺のお店のソレがまた感動的に美味しかった。今まで大陸で食べていた牛肉麺もそれなりに美味しいと思っていたが、完全に別物だった。麺はソーキそばを思わせる太い縮れ麺で、スープはフォーの牛肉ダシっぽい感じで、上にゴロゴロと乗っている牛すじ煮込みが絶品であった。香菜は入れないが、酸っぱい漬物のような薬味を入れるのもまた別の趣向を加えてくれる。

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窓から見える景色からしか判断できないが、台北の(郊外の)街並みはどこかホッとする感じで、中国的でありながらもどこか日本的というか、地続き感があった。台北の感想をまとめると「美味しかった」になる。その後、会社の人の車で桃園空港まで送ってもらい、中国海南航空で北京へ。

北京到着は23時を過ぎており、現地の会社の人が迎えに来てくれて大変助かった。北京は首都高速道路が6重にあると聞いて驚いた。そのままホテルに送ってくれたのだが、ホテル側の手違いで広い広いスイートルームに泊まる羽目になった。本当に寝るだけで大変残念だったが、地上17階の眺めは朝になってみてすばらしかった。だだとなりの大きなオフィスビルから丸見えということもわかった。寝室が三つ、浴室が二つもあり、どれを利用するか迷っていて夜中の2時になってしまった。

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宿泊したホテル Holiday Inn Express Beijing

https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g294212-d5970238-Reviews-Holiday_Inn_Express_Beijing_Yizhuang-Beijing.html?m=19905

 

3日目 北京→ソウル
翌朝、一階へ降りて朝ごはん食べた。ここのは寧波と同じような感じであった。現地の人が迎えに来てくれたので歩いて会社に行った。東京なら都心にしかないようなビルか普通に並んでいる中の一つにオフィスがあった。
仕事を終えて、昼はは弁当を食べた。普通に美味かった。
また現地の人に北京首都空港に送ってもらったのだが、高速に乗る前の道でも片側4車線道路であり、高速もそうであったが、何しろ車が多く、渋滞しているのでその広さと車の多さに驚いた。寧波は田舎だったが、流石に北京は中国の首都だなとおもった。
北京の感想をまとめると「やたらとでかい」である。

北京首都空港から仁川国際空港までアシアナ航空で移動した。空港からホテルのあるヨンサン(龍山)というところまで自力でいかなければならなかったのだが、ネットで調べてみたがよくわからない。仕方ないのでインフォメーションで聞こうと思って行ってみるとなんと「日本語OK」の文字が!聞いてみるとすごく丁寧に高速バスの乗り方を教えて下さり感謝感激であった。わざわざメモ用紙にハングルで書いてくれて、高速バスのチケット売り場の窓口でそれを見せたら一発でチケットが買えた。窓口の人も乗り場を教えてくれて、スムーズにバスに乗ることができた。リムジンバスなので乗る前にトランクを預けるのだが、バスの荷物室にトランクを載せるのはオジサンだったので、バスから降りる場所を口頭で伝えなければならない。ホテルがある場所は「ドラゴンシティ」という単語があったので日本語で「ドラゴンシティー」と言うと、一瞬変な顔をされたがなんとか伝わったようだ。

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ホテルにチェックインするときも、日本人だとわかると、フロントの女性が流暢な日本語を喋った。やはり韓国は距離的に日本に近いのだなぁと思った。ニュースでは政府間のやりとりで日本製品不買運動が起こっていると報じていたが、杞憂に終わってホッとした。

宿泊したホテルはibis design hotel

https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g294197-d12698628-Reviews-Ibis_Styles_Ambassador_Seoul_Yongsan-Seoul.html?m=19905

 

4日目 ソウル→成田
翌朝24階の部屋から下を見ると、ホテルの裏側に広大な空き地が広がっており、もともと何があったのか色々考えたがわからなかった。ただ、ネットの地図によると、線路の引込み線がたくさん描かれているので、もしかしたら車両基地だったのかもしれない。その向こうにはハンガンが見えるし、元は貿易の積み出し口だったのが再開発で変わったのかもしれない。

仕事が終わってお昼を食べてから空港へ送りますと言うことになり、近くでラーメン食べましょうと言うことになった。カレーセットで7000ウオンだったから、日本円で700円ぐらいだが、麺はインスタントだった。これは韓国に昔留学していた人に聞いたら結構普通で、昔は1000ウオンぐらいでインスタントラーメンだけを食べさせる店があったらしい。おそらく辛ラーメンだと思うが溶き卵が入っており、セットのカレーも全く違和感のない日本でよく食べるカレーである。

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その店の反対側は小さな電気店が集まったビル(中国で言えば電子城?)でビルの壁面には日本のゲームの看板があり、秋葉原などでよく見かける光景だなと思った。

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その後仁川空港まで送っていただき、アシアナ航空で成田に帰ってきた。韓国とは時差もないので、表示どおりの時間に日本に着いた。韓国の感想を一言でまとめると「違和感なさすぎ」である。

以上が台湾、中国、韓国の首都三都市を回った感想である。正直移動に次ぐ移動でゆっくり観察している暇はなかったが、逆に圧縮された印象を持つことができた旅であった。

私、いいお店を知っています(寧波から帰ってきました)

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寧波(ニンボー)からようやく日本に帰ってきたが、こちらもすっかり梅雨になっており毎日蒸し暑くて閉口している。寧波も6月下旬は雨がよく振っていたが、それでも帰国する直前の6月下旬の日曜日、北侖(ベイルン)で有名なお寺「阿育王寺」(アショカ王寺)に行ってきた。このお寺は、古くは遣唐使が滞在したり、日本に来て仏教を広めた鑑真和尚がやはり日本に行く前に立ち寄ったりしているという由緒正しい古刹である。ホテルから10kmぐらいのところだったので、アプリで呼べるタクシーDiDiを使って行ってみた。寺までの道は都市開発された広い道路が途切れた途端に、何やら懐かしい田舎の風景が車窓に広がり畑や道ばたの建物などどこか日本の地方にも似たものを感じさせた。
 
 
アプリでマッチしたタクシーの運ちゃんは、かなりぶっきらぼうで「アイワン?アイワン?」というので、それが「阿育王」の中国読みであることを理解するのにしばらくかかってしまった。なぜ「アショカ」が「アイワン」になるのか?漢字を当てる時はもう少し音も似せていたと思うが、どこで変わってしまったのか?寺院の建物は19世紀に再建されたものがほとんどらしいが、それなりに古さを感じさせるものがおおく、西と東にそれぞれ塔が立っているが、日本の五重塔とは形も異なり、八角形で八重塔という感じだった。(写真参照ください)
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お寺の中では実際にお坊さんが暮らしており、その僧衣が映画「少林寺」でジェット・リーが着ていたものと同じようなのでまたしても既視感を感じたが、それを着ている人たちは何か修行していると言うよりはタダ貧乏暮らしをしている人のように見えてしまった。お寺を後にして、実は近くに鉄道の駅があることがわかったのでそこまで歩いてから、寧波の中心地「天一広場」に向かった。なんとここにはアップルストアもあった。
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ニンボーに滞在中で一番困ったのはやはり毎日の食事だった。確かに安い店はそこら中にあり、決して敷居は高くない。天一広場でも麺類の店のようなものがあったので、とりあえず昼ご飯を食べるために入ったが、「白菜と細切り肉のの載った麺」というものを注文したはずだが、出てきたものは写真とは似ても似つかないものだった。べつに中国の飲食店をディスっているわけではないが、こういうのは日常茶飯事で、外の店でも写真にある通りの材料が使っていなかったり、全然別のものに見える事もあった。同じ店で同じメニュー(牛肉炒飯だったと思う)を頼んでも、作るコックさんによって仕上がりが全然違うと言うこともあった。(もちろん美味しさもちがうが)
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で、こんなとき「私、いいお店を知っています」という人がいると大変助かると言う話なのだが、実はこのセリフを聞いたのは全く別の状況でのことである。詳しくは省くが、私がかつて知り合った妙齢の女性と今度どこかで飲みましょうという話をしていた時、相手の女性から発せられたセリフなのである。
 
「私、いいお店を知っています」
「へー、なんていう店?」
「あんまり知られてないかも知れないけど、割といい店だと思うんです」
「そうなんだー、で、なんていう店?」
「えーと、名前はですねー・・・・・・天狗です」
「天狗?へー、何か・・・・・・聞いたことあるような・・・・・・」
 
これが割とリーズナブルなコスパで有名な旬菜酒場・天狗のことだったのである。いや、悪い店じゃないとは思うんですけどね。
ちなみに、武蔵境の駅近くにある天狗は会社から昼休みに飯を喰いに行くのにちょくちょく利用させてもらってます。
 

寧波(ニンボー)に来ている

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ニンボー、ニンボー、名前は知ってるけどー、どんな場所かは知らない〜。犬と二人羽織しているCMの方が今のクマのやつよりはいいかなー。仕事で中国の寧波(ニンボー)というところに来ている。正確にはさらに海沿いに近い北倫(ベイルン)という場所だ。ホテル近くを歩いていても全く日本食や日本居酒屋などの日本人相手の商売を見ない。私が以前仕事で訪れていた深センの福永周辺も日本人は見なかったが、日本人向けの店はたくさんあったし、そういう店に入れば日本人が沢山いた。そもそも深センの時は会社の同僚とぶらついたり、飯を食べたりしていたので、今いる場所のように、地元住民のための町で一人で飯を食べるということはハナから考えていなかった。
中国の方がベトナムよりは馴染みがあるし、漢字が読めるというのは本当に助かる。少なくとも何が入っていて何の料理なのかはわかる程度に読めるからだ。

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昨晩はそれでもさらに町から離れた田舎の繁華街へ晩飯を食いに出かけた。因みにそこまでの足だが今は便利な世の中になっていて、「DiDi」というアプリを使うと、そこに登録している運転手が「どこからどこまで行きたい」という内容を見て早い者勝ちで仕事を請け負って、来てくれる。支払いはアプリに登録してあるクレジットカードから引き落とされるので、細かいお金を払う必要がない。正直日本の方が遅れているとは思っていたが、実際にそういうサービスを利用するとかなりの危機感を感じる。日本大丈夫か?

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食べたのは屋台で、カゴや皿に乗った食材を選んで屋台のオヤジにその場で調理してもらって、路上に置かれた粗末な椅子と机でたべた。確かに衛生状態は正直なところ良くはない。しかし、すべての机と皿の上には薄いビニールシートが引かれており、ビールを飲むためのカップも最小限の厚みのペコペコカップである。(この辺を字で書いてみるとウイリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」で描写される千葉シティーのイメージがする)食器その他を洗って再利用するという発想はない。その分製造されたまんまの清潔さはあるだろう。

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1日完全オフの日があったので、地下鉄に乗って街の中心部へ行ってみた。なんでも、寧波には世界一古い個人蔵書、天一閣というのがあるとウィキペディアに書いてあったので、本好き、図書館好きとしては是非とも見てみたいと思ったからだ。
最寄りの駅西門口で降りて、街頭の案内板を頼りに歩いて行くと、古い様式の中国の建物がみえてきたが、なんだか新しい。どうやら天一閣を中心に観光の目玉として再開発を行なっているようだ。その近くに月湖という湖を中心とした公園があって上野の不忍池のようだ。ゴミも落ちていないし、臭くも汚くもない。何だか私の知っている中国とは違う気がするが、ここも中国だ。

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宿泊しているホテルも大変快適で、夜になるとカップに入ったスープ?を持ってきてくれる。最初のうちは何だか気味が悪くて恐る恐る飲んでいたが、最近は寝る前にそれが届けられるのが楽しみになってきた。朝ごはんもビュッフェスタイルで、朝から宿泊客が皿に大盛りにして食べている。私は肉まんとゆで卵と粥、サラダなどを食べてコーヒーを二杯のむ。普通に美味い。日本のホテルに団体で止まっている中国人客が朝ごはんにかぶりついているのをみるとかなりの距離を感じるが、やはりこちらは本場で全く違和感がない。

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まだまだ、仕事が終わらないのでしばらく帰国できそうもないが、変わりゆく中国をこの機会にじっくり観察したい。