常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

キングダムからの帰還~ 中国から帰ってきました

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明けました

改めて、あけましておめでとうございます。2023年もよろしくお願いします。去年に引き続き今年も一ヶ月に三本ブログをアップすることを目標にする。別に誰に頼まれているわけでもない文章を、月に三本書いてアップするというのが意外に難しい。最近読んだ「ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論」という本に、書くために必要なのはやはり「締切」であろうということが書いてあったが、月三本の締め切りだと、例えば一週間に一本だと週末が締め切りということになるが、月に三本だと一〇日、二十日、月末みたいな感じで置けばいいのだろうか?

 

 



Back to end of 2022

昨年末に戻る。十二月二九日中国広東省順徳市。ホテルの二一階廿一号室。熱もないし気分も悪くないが、なんとなく喉が詰まるような感覚が消えない。心理的なものが原因なんだろう。明日のフライトもJALの午後便(十六時)なので、朝早く起きる必要もない。十年前に中国出張していた頃は、帰国便は香港から午前便(九時から一〇時の間に飛ぶ便)に乗るのが普通だったので、二時間前に香港国際空港に着いているためには、早朝五~六時頃深センの工場を出なければならなかった。それに比べると午後便は楽だが、日本に着く時間が遅くなる。これが後々問題になるのだが……。とにかく明日は二ヶ月以上暮らした部屋から出なければならないので、来るときに持ってきたトランクに部屋中に散らばっているものを詰め込む作業を始める。といっても、バスルームにある洗面用具一式と、クローゼットに放り込んだ洗濯物をかき集めても、来たときよりは容積が減っているはずだ。なんせ、来たときは食料(インスタントラーメンやお菓子がほとんど)が三割ぐらいのスペースを占めていたが、それらはすべて口から入ってトイレの配管から虚空に消えている。持ってきた雑誌や本もほとんど読まないでずっとトランクの底に沈んだままだった。今度来るときはもっと厳選しないといけないな……と思って巨大な開いた本のようなトランクに向かってちょっとかがんだ瞬間だった。腰にビリっと電気が走ったような感覚が。……ああ、油断していた。

考えてみれば、ホテルにあったジムで走ったのも二ヶ月いて三回ぐらいだし、毎日の通勤は工場が車を回してくれるので、歩くのは工場内の事務所から食堂、あるいは現場までぐらいだ。工場内でも少し離れた建屋にある現場に行くときはゴルフ場にあるようなカートで運んでくれるので、本当に歩いていなかった。つまり完全な運動不足で筋肉がガチガチに縮こまっていた事をすっかり失念していたのである。ホテルの部屋にいたときは「ファイアーエムブレム風花雪月」の二週目をやる事に忙しく、ストレッチ、筋トレなどのセルフケアも怠っていたのである。直後に仰向けに寝転んで膝を立て、膝頭を右床に着けてからまで左床、反対に左床に着けてから右床に着けるという以前鍼灸師に教わった腰痛、ぎっくり腰のリハビリ体操をやってみたが、なんか電気が走ったと感じた箇所にはあまり痛みを感じなかった。とにかくパッキングをなんとか終えなければ。出張あるあるかもしれないが、トランクが上から体重をかけないと閉まらない。なんとかパッキングを終えて再びSwitch Liteで現実逃避をして過ごす。

十二月三〇日午前七時、いつも通り食堂に行き朝ごはん、おかゆと焼きそばとゆで卵、炒めた野菜などを食べ、コーヒーを一杯飲む。やはり上半身と下半身の間に亀裂が入っているような感覚がある。何かのはずみでその部分からポッキリ折れてしまいそうに感じる。一二時にチェックアウトで空港まで我々を運んでくれる車も来ることになっている。出張費用の精算のためホテルの宿泊代の領収書が必要なのでフロントでそのことを伝えるとポカーンとしている。うーん、コロナでキャッシュレス、ペーパーレスが進んでいるので、おそらくそういう証明書類を要求する人が減っているのだろう。片言の中国語で説明してなんとか発行してもらう。たしかに、ひと月毎宿泊代をカードで払ってきたが、最後に60日超のそれらをまとめて領収書として出してもらうのは前もって伝えておいたほうが良さそうだ。この手続のために三〇分以上費やしてしまった。

車に乗り込んで広州白雲空港へ向かう。自分たちがいた佛山のベイジャオという場所は意外と空港から遠かったということこの道程で知った。その間ずっと車窓から広州の街並みを見ていたが、なんか住みやすそうなところだなと思った。六〇日以上前に到着した空港が見えてきた。果たしてあの終末パニック映画のセットのような状況はどうなっているのだろうか?Departure側の入り口は三年前と同じで入り口に爆発物検知のためのゲートがあり、なんかセンサーかチェッカーのようなものでカバンをちょいちょいと触ったあと、五メートル四方の柵の中で一定時間待つ。問題なければそのまま空港内に入ることができる。チェックインカウンターを探すため、空港内を見渡す。うーん、普通だ。ゼロコロナから「フルコロナ(中国人全員が感染して集団免疫を獲得する)」への転換などと最近は言われているが、この頃はまだ見てもしょうがないスマホQRコードを確認するための人が入り口に立っていたが、空港への入り口ではそんな人もいなかった。JALのチェックインカウンターでは必要な手続きをアナウンスしていたので、来たときを思い出してCHINA CUSTOMのアプリの登録(情報更新)をしておく。帰国便を一回変更しているので、来たときに登録してあった情報を更新する必要があった。これをやってないと、出国審査のあとにあるコロナ専用のチェックゲート(?)を超えるときに止められてしまう。フライトの二時間以上前には空港についていたが、保安検査、出国審査を超えてゲートに向かう前の待合室にたどり着いた頃には搭乗まで三〇分ぐらいになっていた。待合スペースの近くにある免税品店、ブランド店は軒並みシャッターが降りていて、店舗の中身もすっからかんであった。ただ閉めただけでなく、ディスプレイや商品も全部引き上げてあるようだった。そこからまたバスに乗せられ、実際の飛行機の下に行くのかと思ったら、ビルの下側を延々と走り続けだした。実は空港の反対側にある到着ゲートの下に我々を運んでいたのである。恐らく、本来であれば到着→出発をフロアを分けることで切り替えていたが、以前に書いたように到着ロビー側は荒れ放題担っており、まだ流石にあそこから復旧していないので、そこを通す事ができなかったのではないかというのが私の想像だ。三階ぐらいの高さから飛行機に直接伸びているボーディングブリッジの下にある螺旋階段を登って、ようやく飛行機のハッチの前にたどり着いた。フライト自体は座席が一つおきに使用されていること以外は普通で、驚くべきことに飲み物サービスと機内食も普通に出た。四時間ぐらいのフライトはやはり腰の爆弾がいつ本格化するのかと心配していたためか、全然眠れずに成田まで着いてしまった。

十二月三〇日午後八時半に成田に到着。ここからである。この日から入国時にコロナ水際対策として、中国からの直行便だけ抗原検査を行い、陽性かつ症状ありであれば原則七日間、症状なしなら五日間の隔離が開始されたため、飛行機から降りて入国審査を受ける前に検査所を通り抜ける必要があった。まず検査を受ける前に長い行列ができていた。我々が乗ったのは五〇番以降のかなり後ろ側の席だったので、自分たちより先に降りた人たちがそのまま長い列を作っていた。検査所にたどり着くまでに一時間弱はかかった気がする。抗原検査なのにそんなに時間がかかるのだろうかと思っていたら、ここでの検査は中国のアルファスティックで鼻や喉をこすって液に着ける方式ではなく、自ら唾液を一cc集めてそれを提出しなければならないのである。これは人によってはなかなか難しいだろうことは想像に難くない。私は幸い唾液が出やすい体質なので、すぐできたがそれでも一、二分はかかっただろう。それを何百人も行っているのでそりゃ~時間かかるよ、と思った。そしてその唾液を提出してからがまた長かった。簡易キットだと数分で出る結果がなんでこんなにかかるのだろうかと思ったが、ワクチンの注射後の経過観察の待合のように椅子がズラッと並んだ待合所が臨時に作られており、そこに座ってひたすら待つこと二時間。ようやくパスポートにはられた番号が呼ばれた頃には成田発のスカイライナー最終の時間も過ぎていた。荷物返却スペースには恐らくついさっき着いたと思われるアメリカからの直行便の荷物が吐き出されており、我々の荷物は既にコンベアーから降ろされて一箇所に集められていた。荷物を回収し、税関申告はアプリで済ませてあったので一瞬で終わってようやくゲートにたどり着いた時点で午後十一時半であった。そこから東京の西側まで帰るのになにか方法があるかと見回して、東京駅行きの最終バスがあと三分で出る事がわかり、急いで空港ビルの外にあるバス乗り場へ向かった。なんとか乗ることができたので東京駅日本橋口に午前一時頃到着、そこでタクシーが三台止まっていたが、それらもすべて先客に取られた。ここで待つしかないかと思って立っていると、三台目のタクシーの運転手さんが助手席側の窓を開けて「ここで待ってても来ないから八重洲口へ行ったほうが良い」という値千金の助言を残して走り去ったので、我々は急いでトランクを引きずりながら八重洲口に向かった。そこにはタクシーが何台も止まっておりすぐ乗ることができた。運転手さんが「上のっていいですか?」というのでモチのロンだと答えると、なにかのスイッチが入ったのか高速道路を湾岸ミッドナイトのように爆走して我々を各自の家まで運んでくれた。

 

ビザ停止

現在のところ中国政府のお達しで日本からの渡航はビザの発行が停止されているため、今のところ次回の出張の目処は立っていない。ただし、現在の仕事の進み具合からしてまた現地にいかないとどうにもならないことはわかっているので、再び中国出張に関する最新情報をお届けできるのではないかと思っている。再見。