常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

年貢の納め時が来た?~ 本場中国でコロナ感染爆発に遭遇した

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ちょうど三年前になるが、今と同じように出張で中国に滞在していた。これも同じく広東省の中を移動しつつ何軒かの工場を回っていた。いろいろな事情が重なって、年内に帰国出来ず、二〇二〇年一月二日の便で帰国した。そしてその年コロナ感染が始まった。実際には私が中国に滞在中にすでにアウトブレイクは起きていたと言われている。そもそもCovid-19の19は二〇「一九」年を意味している。帰国した私はしばらくしつこい咳に悩まされていた。そしてコロナ感染の拡大を知って、あの咳ももしかしたらコロナ由来だったのかも?などと気楽に考えていた。要するに既に中国にいる間に感染しており、免疫ができているから日本で感染が拡大しても伝染らないと高をくくっていた。その間もちろん日本でワクチン接種を三回受けている。日本にいる間は感染することはなかった。しかし、である。

十二月二十三日金曜日、一緒に日本から出張している同僚が39.8℃の熱を出した。幸いにも私は発熱はなかったが、なにか目の奥がひきつるような痛みを感じていた。Covid-19を発症したことを自覚した瞬間であった。PCR検査や抗体検査で確認したわけではない。しかし、周りの人間が次々と陽性になり、自宅待機あるいは自宅療養を始めている中で、自分だけが感染しないという理由は一つもなかったのである。

十二月二十四日土曜日、だるい。相変わらず左目の奥がひきつるような感覚がある。熱はないが、なにか熱が出る直前のような浮遊感を感じる。ホテルの部屋を清掃に来るおばちゃんのために午後部屋を空けるため、二時間ぐらいホテルの周辺をうろつく。少し歩いては道端に座って休むを繰り返す。熱がないのが不幸中の幸いだが、自分の身体に対する違和感や倦怠感がじわじわと意思を蝕んでくるのがわかる。閉鎖された公園の端にあるPCR検査場を見て呆然とする。確かに三週間前はここに行列を作っていたのに。二時間並んで検査を受けてスマホの健康コードを緑色、二四時間以内陰性にしていないとイオンにも入れなかったのに今は制限なしだ。ただし、出歩いている人は確実に減った。きっとみんな自主的に引きこもっているのだろう。広場を歩いていてすれ違う人たちも変な咳をしていることに気づく。みんな感染しているんだ…… 公園の横の道路を不思議な車が走っている。ミキサー車のようだが、後ろに斜め上を向いたジェットエンジンのようなものがついており、そこから煙を噴射しながら走っている。何の煙だろうか?街路樹を消毒でもしているのか?まさか、コロナウイルスを消毒するために?

十二月二十五日日曜日。ホテルの前の工事現場のパイルバンカーの音で目が覚める。そういえばあの工事現場は、地域の病院の敷地内だな…… 古い建物を壊して新しく何かを立てるつもりの様だが、病院を拡張するのだろうか? 朝ごはんはホテルの食堂でおかゆやらその他いろいろなものが食べられるのは前回のブログで書いたが、いつも通りおかゆと少しの野菜炒め、炒麺、ゆでたまごなどを食べる。発症してからも食欲は落ちていない。本当に感染、発症はしているものの、ごく軽微な影響で済んでいるようだ。目の奥のひきつる痛みも治まってきている。昼まで部屋でうとうとしながら過ごし、午後はルームクリーニングのためにまた散歩に出た。二一階の窓からは、大きな歩道橋が見えるのだが、不思議と全然人が渡っていない。なぜそうなのかを確かめに行ってみることにした。川幅は二〇メートルぐらいで、その両側に三~四車線の道路がある。その全てをまたいでホテルのある新市街から主に三階建ての住宅がひしめく旧市街に向けてかかっている歩道橋だ。確かにこちら側の道路はまだ歩道も含め建設中なので人通りが少なく、利用する意味が無いのかもしれない。しかし、その橋の袂まで行ってみて理由がわかった。まず、端に上る部分の歩道が完全に未着手のまま放置されており、草茫々の中を渡っていかないと新市街側から橋に上がれないのだった。私の前に一人目付きの鋭い男が草の中をかき分けて橋の袂にたどり着き橋を渡っていくのを見て、使ってはいけないわけではないのだということを確認した上で、私も彼のあとを追った。橋の上はほぼほぼ完成しているが、完成する前に放置された感が漂っており、橋の欄干の外側に設置されたプランターには空き瓶や吸い殻が投げ捨てられている。橋の中央部で下を流れる川を見下ろすと、コーヒー牛乳のような色をした水面と、橋から少し離れたところに釣り竿を持った男が見えた。その男はこちらを不思議そうに眺めているように見えた。実際には遠くて顔の表情までは見えなかったのだが。橋を渡って反対側の降り口に差し掛かった時、この橋がなぜこんなにも利用者が少ないのかが判明した。なんと反対側は工事中の塀に囲まれており行き止まりになっているのである。しかし、降りられないわけではないので、隙間を探して地上に降りた。周りにある建物がなにか変だ。まるで遊園地の入り口の券売所か、公園の中にある売店のような建物が橋の袂のすぐ横にある。そういえば歩道橋の上からは、旧市街側にプールのウオータースライダーのようなチューブがあるのが見えたことを思い出した。ここは……もしかしてプールのある公園だったのだろうか? あたりを見渡すとコンクリートで作られているが、丸太小屋風の意匠で作られたトイレが有る。なるほど、あの新しい道路が出来ているあたりまでプール公園だったようだ。その敷地だったと思われる場所の一部には、新しい地下鉄の駅の入り口ができている。新市街の開発計画によって、このプール公園は廃止されたようだ。先程の券売所のような建物の中を除くとゴミ溜め担っている中に、布団のようなものが敷かれている。三つ敷かれているなかで、一つには……人が寝ている! 慌ててその場を離れる事にした。廃墟好きな私にとってはとても興味深い場所ではあったので、そこに住み着いている人の気持ちもわからなくはないが、それにしてもどういう理由でそんな所で寝ているのだろうと思った。ちょっと興味が湧いたので、そのまま少し旧市街中を歩いてみた。と言っても、三~四階建ての建物がひしめくように建っているので、どの路地が公道なのか、いや、そもそも私道でも人は普通に行き来しているのか、全くどこが境界なのかわからないので迂闊に踏み込めないのでまずは広い道路を歩いてみた。道路沿いには店があるが、どの店も営業しているのかどうか怪しい感じだった。先程のプール公園があったときは、人通りがある程度あったので商売になったが、それが破壊されてしまい、商売も破壊されたという感じだった。かつて飲食店だったと思われる軒先のテーブルで小学生ぐらいの子供が宿題か何かと思われる書き物を一生懸命に行っているのが見えた。さらに歩いていると、ちょっと大きめの路地の向こうの方から人が二人歩いてくるのが見えた。この路地ならきっと入っても大丈夫そうだと思い、また方向としてもさっき来た方に戻る事ができそうだったので、入っていくことにした。こちらに来る二人連れは、親子のようだ。何か景気の悪そうな話をしているように見えた。更に先へ進むと、幅五メートルぐらいの川があって、橋がかかっていた。橋の下は同じくコーヒー牛乳のような色の水が音もなく流れており、その橋の袂に祠があった……

 

ここから2023年

皆様あけましておめでとうございます。本年も当ブログをよろしくお願いします。さて、前段のパラグラフを書いた後で、帰国のドタバタが始まり書くのを中断してしまった。この後私は路地を歩いて、またホテルまで帰る訳だが、なぜコロナ感染に対する恐怖の話から路地探索の話を書き始めたか? 簡単に言うと体調が回復してきて、普段の好奇心が顔をのぞかせてきたからである。そのドタバタは次回のブログに書くとして、まずは実際に感染したのかどうかについて書かなければならないだろう。抗原検査キットで試験した結果は陰性であった。自分自身「えー、ほんとにいー?(半笑い)」という気分である。会社から配られた抗原検査キットでTの部分に全くライン浮き出てこなかった。これで帰国できると安堵したのもつかの間、この後の帰国時の様子を次回のブログで書いて、今回の中国滞在記を締めくくりたいと思う。

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