日本語タイトルが?
まず、最初からクレームのような内容で申し訳ないが、元々英語で書かれている本書を翻訳者の方が日本語に翻訳、その際に日本での出版時にタイトルを変更している。これが読み始めてすぐに、すごく違和感を感じさせる。作者のアグネス・アーノルド=フォースターさんは、丁寧にノスタルジアという用語が生まれた背景から、その歴史まで実例をしつこいぐらいに入れながら、説明している。その内容を読むと、確かに著者のバックグラウンドである歴史学者的な仕事をしていると思う。
本の原題は「NOSTALGIA ーA History of a Dangerous Emotionー(ノスタルジア、危険な感情の歴史)」である。どこにも世界とか滅ぼすということは書いていない。ただ危険という単語から、そのような連想を膨らませて付けたタイトルだと思う。今回は本屋さんで注文して、届いたという連絡が来たので取りに行って、お金を払って実物を手に取った時、まずこの表紙デザインのおどろおどろしい感じにもかなり違和感を持った。これまでは、本を読んでネガティブな感想しか持てなかったものは基本的にブログに感想は書かないで、「ブックオフ」と書かれたダンボール箱に静かに入れることにしていた。
しかし今回は、その最初の違和感こそ最後まで拭えなかったものの、本の内容は先程も書いたように、丁寧に歴史から紐解いて、元々は精神の病気として認識されていた症状をノスタルジアと名付けたところから、一般的な感情になり、それが商業的に利用されたり、政治的に利用されたりしているといういわば当たり前のことを丁寧に書いている本であった。
リベンジ消費
ネットで見かけた言説だが、ある古物商の店主に聞いた話として「人間50歳をすぎると、これまで我慢してきたことや、過去に見送ったものに対して、いわば復讐をするように買い集める行動を取る。それが、結果的に経済を回している」というようなものを読んだ。私も、何年か前のブログで私自身「後ろ向きに前進」しだしたと書いた記憶がある。この、後ろ向きになる理由として、人生も折り返し地点を過ぎて(何歳が折り返し地点かは最終的に何年生きるかわからなければ決めようがないと思うかもしれないが、やはり50歳は節目だとおもうので、私の考えでは半世紀を生きた時点で折返しと考えている)これから先よりもこれまでの時間のほうが長くなってきた時に、そちら記憶のほうが脳の中で大事になっていくというのは自然だと思う。そして、その中で思い残していることがあればそれを再度掘り返してみるの当然という気がする。大抵の人は 若い時には金も時間もない中で、泣く泣く諦めたことの一つや二つあるものだ。ある日突然それが今なら可能だと思った瞬間から、ネットで猛然とポチるか、お財布握りしめてお店にゴーとなるが、その際にすでに発売からかなりの時間が経っており、普通のお店にはもう売っていない。そこでハードオフである。
ラブハドフという曲
昨年ぐらいから筆者もハードオフに通うのが楽しみになってしまった。きっかけは以前のレトロゲーム沼にハマったという記事のときに書いた通りだが、いわゆる数世代前のゲーム機やそのソフトを探すために、近所の自転車でいける範囲の店舗はほぼ回った。そうやってかなりの頻度で店舗の通路を徘徊しているうちに気がついたことが二つある。一つは私と同じような年齢の男が、同じように店内をフラフラしていること。もう一つは店内で流れている曲「ラブハドフ」である。一つ目は結局私だけが後ろ向きになって、かつての良かったものを探しているわけではなく、同じような年代の人間、その中でも特定のタイプであるとは思うが、そういう人種にとってのこの場所の意味は同じなんだということである。つまり、これは私だけの個人的なブームではなく、同じような年代の人間がかかる病気のようなものなんだという認識であった。実はそれについてもう少し掘り下げて見たいと思ったことから、今回取り上げた本を読んでみようと思ったのである。
もう一つの店内で流れている曲「ラブハドフ」についてだが、これはまさに私がジャンクコーナーでレトロゲームの青箱を膝に乗せて一個ずつチェックしていたときに、ふと耳に入ってきた歌詞がそのことについて歌っている(ラップしている)のだと気がついた。あれれ、これはまさにハードオフのことを歌っている曲なんだとわかったので、グーグルさんに「ハードオフ 曲 ラップ」みたいな検索をかけたところ、記事がヒットした。キック・ザ・カンクルーのMCUさんがハードオフが好きで応援歌を作ったところ、それがハードオフの公式応援ソングとして採用され、店舗でも流されるようになったということなのだ。
八王子大和田店
そのラブハドフという歌には別バージョンがありYoutubeで公開されている。八王子少年というラッパーとコラボしていて、歌詞が八王子大和田店に特化した内容になっている。先日、その八王子大和田店に友人たちと行く機会があった。その知人いわく「最強のハードオフ(なんだそりゃ)」との前知識のみで、現地に向かったのだが、その言葉通りオフとつく店(ハードオフ、ブックオフ、ホビーオフ、リカーオフ、オフハウス、モードオフ)がすべて揃っている。売場面積もすべて合わせるとここより広いところを探すのは難しいのではないかと思う規模である。そしてハードオフに並んでいる商品も丁寧に整備されている印象で、素晴らしい店舗だった。先述のラップの歌詞にあるように「壊れてても直せる、やり直せる」と全ての商品が歌っているようだった。
商品棚に並んでいるアイテムは一度世の中に出て、持ち主が売って今そこにあるわけだが、すべてのものがノスタルジアを感じさせる訳では無い。。ただ、最近はそのことを考えるだけでちょっとエモいという感情が湧いてくる。これが行き着くところまで行くと「まぼろし博覧会」になるのではないかとふと思った。まぼろし博覧会では、同じように古いマックなども展示してあるコーナーがあったが、それは展示物だけで購入することは出来ない。しかし、ここ大和田店では全てのものが商品なのである。欲しいと思ったらレジに持っていけばいい。美術館で絵や美術品を鑑賞する時、どのような目で作品を見ると楽しめるか、ということを解説していた番組をかつてテレビで観た。そこで言っていたのはズバリ「この中から一点買うとしたらどれを選ぶか?」を考えながら観るだった。その意味で八王子大和田は「まぼろし博覧会」ではなく実際に「買える博覧会」なのだ。ノスタルジアに駆動された者たちの聖地である。
ノスタルジアの先は
今、ハードオフがかつてより勢いがある気がする。この「ラブハドフ」みたいな援軍もあるかもしれないが、やはりこの本にあるようにノスタルジアが駆動している部分もあるだろう。しかし、私個人としては昔はハードオフは売りに行く店で、買いに行く店ではなかった。売るものはもちろんもう私としては用がなくなったものである。そのようなものが売り場に並んでいるのだから、買うものなどないというスタンスであった。しかし、すでに新しく作られることがなくなったものが、欲しくなったら?ハードオフにしかないのである。いや、メルカリとかヤフオクとかで探せばいいと言われるかもしれないが、先程も言ったように店頭で並んでいる品物をショッピングできるということはすごいことなのだ。
もう一点は、やはり品揃えと値付けがはっきりしてきたからではないだろうか。かつては結構いい加減に値段付けされていて、掘り出し物のような感覚でゲットだぜ!と買うものもあったが、最近はそれこそメルカリやヤフオク等と価格が揃っている。どちらがどちらに合わせているのかはわからないが、相互に需要の高まりなどを見極めて、参考にしているのではないだろうか。
最後にこの本の感想に無理やり結びつけて考えると、もちろんノスタルジアが世界を滅ぼしたりはしないが、ハードオフを儲けさせているのは確かだろう。しかし、私の周りにもPSPが発売されたときにはまだ生まれていなかった(!)世代の人が「PSPがかっこいい」と言っていたり、Z世代にはコンパクトデジカメで撮影された画像が「エモい」と言われていたり、ノスタルジアがマーケットの重要な要素になっているのは確かだろう。そのようなムーブメントに呼応して、PSP2が開発されてるとか(噂)、コンデジのニューモデルが出てきたりとか、新たな製品へと繋がっている。これって要するに「温故知新」という当たり前に気がついただけなんじゃないかと思った。世界を滅ぼすどころか、そこからまた新しいものが生まれてくるのだから、全然心配いらない。



