常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

リアルな”裏世界ピクニック”~ 「まぼろし博覧会」に行った

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デ・ジャ・ビュのあらし

そこに到着した瞬間から「どこかで見たことがあるような」という既視感にとらわれっぱなしだった。いや、もちろんテレビの映像で観ているのだから既視感があって当然だ。そして今になっても記憶が混乱しているのか、NHKの番組で見たのが最初ではないような気がしてならない。もっと前からこの場所を知っていたンじゃないかという変な考えが頭から離れないのである。これもあのセーラー服を着た怪人の魔力なのだろうか?この場所のどこかにあれがいると思うと、胃のあたりがぐっと重くなるような戦慄を感じる。いや、しかしあれってなんだ?
 

きっかけは~NHK

ドキュメント72時間」という番組がある。ある場所に72時間にわたって取材をして、その時間内に起きた事を編集して番組にするというものだ。これまでも、阿佐ヶ谷の金魚釣り堀とか、秋田のうどん自動販売機など記憶に残る面白い題材がたくさんあった。以前ブログにも書いたシン・ヱヴァンゲリヲンの「聖地」に行ったときに、たまたま連れて行ってもらったドライブイン「長沢ガーデン」に同じ販売機が置かれていて、ああ、これがあの番組でやっていた奴かと思ったものだった。
2022年も開けて7日に放送された番組で取り上げられていたのが今回訪問した「まぼろし博覧会」だ。
 
 
番組は全部見た。そして見終わって、ここはいつか行かねばならない、と強く思った。やはり強く思うことは実現するのである。なんとその月のうちに行く事が出来たのだった。ある事情で下田まで車で行くことになり、そのついでに寄ることが出来たのである。
途中の観光施設でパンフレットを入手できたので、100円引きで入場することができたが、本来の入場料は1200円だ。それが高いと思うか安いと思うかは、その人次第だと思う。すべて見終わった後の感想としては……微妙だ。その理由はおいおい書くことにする。
これもあとから気がついたのだが、館内を見る順番は特別定まってはいない。自由に見て良いわけだが、逆に言えば陳列されている展示物には脈絡がないので、見て回る順番を考えて館内を周る必要がないということだ。ただ、昭和に関する展示は、時間軸にそって戦前・戦中あたりから始まるので、一定の方向に向かって見ていくほうが正しいだろう。
ここができて10周年を迎えたというようなポスターが入口付近に貼ってあったので、この展示も10年以上が経過していると思われるが、かなりの展示物において劣化が進んでいる。そして劣化するままに任せているようだ。この辺はある意味廃墟っぽいので、タイトルにも書いたとおり「裏世界」感がただよう。
マネキン人形を使ったリアルなジオラマ(?)年代ごとの一般家屋(部屋)、小学校、ヌード劇場、銭湯とか、パチンコ屋、パーラーや古書店学生運動バリケードというものが並んでいる。やはり私個人的には、この等身大人形(マネキンを改造したもの?)の存在感がすごく響いたのだが、それも10年経って傷んだのか、そもそも最初からそうだったのかはわからないが、姿勢が明らかにおかしい状態だったりするので其辺はもう少しきちんと展示したほうがいいのか、いや、あえてこの少し壊れかけたような状態がいいのかは見る人の好みかもしれない。
 

博覧会ではなく博物館?

博覧会はある意味時代の最先端かその先の未来を先取りしたものを展示する催しであり、ここにあるものは全て一度どこかで展示されたものを移設した(と思われる)ものなので、博覧会展示物の博物館なんだと思う。先程の昭和の展示も、もしかしたらどこかで行われた物が来ているのだろうか?
そういう意味では時々妙に色っぽい人形が混ざっているような気がしたが、実際に庭園のような場所に大部分が展示してあったいわゆる「秘宝館」から移設された人形たちが結構たくさんあった。 私は中部地方の出身なので子供の頃は多分三重テレビのCMで「イセ(ジ?)のこくさい~ひほう~かん~」というものを目にしていた。
なんとなく「風の便り」というか、ネットニュースだと思うが閉館したというのは知っていたが、そこにあった人形たちがここに集められていたというのは今回はじめて知った。そして、秘宝館が営業していたときに行っておけばよかったと激しく後悔した。
先程の昭和の小道コーナーの中の、おそらく1950年代の付近のショーケースにマリリン・モンローの立像が二体、鏡合わせのように向き合って展示されている。多分これは「秘宝館」から来たものだろう。CMにも映っていたような記憶がある。二体ともあの有名なポーズ ー下から吹き上がる風のせいでめくれ上がるスカートを両手で抑え、わずかに羞恥に頬を染めているような、それでいて歓喜の瞬間のような笑顔ー その向かって左側の像の腕に、うっすらとカビらしき斑点が散らばっているのを見たときに鳥肌がたった。
 

秘宝館の「宝」

モンロー人形以外にも、秘宝館からきたと思われる人形たちは不思議な美しさをもっている。人形も等身大になると全くただ人形(ひとがた)をしていると言うだけではなく、何か別な物に思えてくる。昭和の最後の方の展示にいわゆるクレーンゲームの景品のフィギュアが数多く展示されているショーケースがあるが、あれが本当にちゃちな代物に見えてくる。昭和の時代の職人技というのか不思議なすごみを感じる。先日読んだ宇能鴻一郎の小説に出てきた「西洋祈りの女」出目てるのようだ。
これらの人形を作った人たちはどういう人だったのだろうか?我々が子供の頃は映画館のポスター、看板は手書きだった。今は巨大なビルボードも、印刷する事ができるため、その手の職人さん達は全て廃業してしまったのだろう。先日伊東へ行った折にも、商店街に映画ストリートというものがあり、昔の名作映画の手書きの看板が飾られていた。青梅駅の近くも同様に昔の映画の看板が駅の構内から、付近の街並みにも飾られていたように思う。手書きなので、描いている人の好みや癖が出てしまうのか、女優の顔が若干違ってしまっているようなものもあった。あの女優さんだということはわかるのだが、なんか違う、なんか別の好みが入っていると思う事があったが、
この秘宝館のマリリン・モンローは立体物であるからかもしれないが、不思議な存在感があった。多分、実際よりも若干大きく造られている気がした。東大寺の仁王像のようにそれを見る人の視点と距離を考えてこのスケールにしたのかも知れない。ここでの展示はガラス一枚隔てて極間近で見ることが出来るので、その表面に浮いたカビまで見ることが出来た。
昭和の映画女優をペンキで看板に描いていたのと同じ情熱が、これら秘宝館の人形には宿っているような気がする。

 

 

自分も展示物の一部

それにしても展示物の脈絡の無さはむしろ狙ってもできないレベルのカオスである。秘宝館由来の人形(秘宝館おじさん)から芸大の神輿(牛頭と馬頭)まであるし、南米の遺跡のレプリカ、岩下の新生姜ミュージアムから来たオブジェ、実物大の大仏だったものを聖徳太子に作り変えたもの、個人の作品(エロ・グロ系)だってある。私が行ったときは七夕の短冊のようなものがびっしり飾り付けられており、便所の落書きのような言葉が書いてあるのが妙に馴染んでいた。私が行ったのは1月だったのでむしろ館内も寒々としていたが、もとが亜熱帯植物園の建物で、温室構造を持っていると思われるので、夏はむしろ温度がかなり上がるのだろう。展示物の間には太い蛇腹パイプのついたスポットクーラーが所々に置いてある。
展示物の中で違和感があったのは、NHKの番組でも紹介されていたが、あるおばあさんが自宅にコレクションしていた人形をすべてまとめて寄付したという「メルヘンの館(?)」というところにおいてあるのは、本当にどこにでも売っているような、たわい物ない人形や小物たちである。時間も収集を終えて寄付されてからそんなに時間が立っておらず、本当に誰か知らない老人の部屋へ迷い込んだような気分になる小部屋である。
 

まぼろしの意味

廃墟は本当にその場所で朽ちていくものだが、ここにあるのは、ほかから移設されて再度展示されなおかつ朽ちていく最中の物たちだ。それらの展示物は品のいいもの、清潔なもの、要するに普通の博物館にあるずっと変わらない状態で展示されているものではけして出せない何かを見るものに訴えてくる。高尚ではないが、精神の深いところに訴えかけてくる何かがある。何が訴えてくるのか? それはきっと展示されているものがすべて過去に一度は別の役割を持って世に出されて、その役目を一旦終えてからここで「ものとしての余生」をおくっている状態だからなんじゃないかと思う。その展示物の現役時代が自分の記憶と響き合う部分があり、それが展示物の向こうにまぼろしを見せるのだと思う。そのまぼろしこそが「裏世界」なのかもしれない。さらにそこで朽ち始めているところに変化と時間(距離)を感じてくる。今後二度目、三度目に行くとそれが鮮明になってくる気がする。それにしても一番驚いたのは、自分自身がこの年齢になって、1950年代のセックスシンボル(これも死語か)、まさにカビの生えた存在であるマリリン・モンローについて語っているという事実だ。タイトルにも書いたように私の好きな「裏世界ピクニック」と交えてセーラちゃんは閏 間 冴 月なのか?とか、空魚の目で見たら本当の姿が見えるのかもしれないとか書こうと思っていたのだが、私の中にいたマリリン・モンローへの想いみたいなものが、思いがけず発見されてたいへん戸惑っている。今度件の「七年目の浮気」でも見てみようと考えている。