常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

放蕩の果に見るものは~ 「放蕩記」を読んだ

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放蕩とは

山梨県の名物料理の名前でもあるが語源としてはぜんぜん異なるようだ。辞書によると放蕩とは「酒色にふけって品行がおさまらないこと。酒や女におぼれること」とある。まさにこの本の内容で主人公で作家の海堂が全編を通して行うことだ。全然関係ないが私が放蕩と言われて思い出すのはこれまでの半生での自らの行状のことではなく、古文で習った「放蕩息子の帰還」というお話だ。ある商家に仕事を全然覚えないで遊んでばかりいたニ代目が、福岡の知り合いの店に奉公に出される。鉄砲玉のように江戸から福岡に行ったっきりなんの便りもよこさないので両親が呆れているところへ福岡の店から樽が届く。あのアホ息子も少しは家のことを思い出して、なにか名物でも送ってよこしたかと思って両親がその樽を開けると、なんと息子の死体が塩漬けになって送られてきたので仰天する。一緒についていた書状によると、福岡でも放蕩三昧、挙句の果て酒を飲みすぎて死んでしまったという。遺体を送り返すため、道中で腐ってしまわないように塩漬けにしたので悪しからずご了承下さいという内容だった……という話である。これを読んで私が思ったのは、放蕩というのはある意味命がけで遊ぶことだということだ。中途半端に遊ぶことを放蕩とは呼ばない。文字通り快楽のために死んでもいいと思って遊ぶことだと思った。

 

 

 

自伝的小説? 

この佐藤正午著の「放蕩記」の内容だが、デビュー作(「永遠の1/2」とは書いていない)で文学賞をとって、本が売れに売れて印税がどんどん入ってきて、作者はそのお金を夜の街で酒と女で遊ぶことにつぎ込むという内容の小説で、主人公は海堂正夫というの名前の作家であり、佐藤正午ではない。とはいえ、この展開は作者本人に訪れたものだと思われるで、自身のエピソードを踏まえて書かれた作品だろう。作家を主人公にしている点で、鳩の撃退法やダンスホールなどと同じ系列に並ぶ作品だと思われる。

先程の放蕩の定義に近い形で夜の街で遊びに遊んだ主人公はついに印税が途絶えるときを迎える。この辺は本当に作者も一銭も残らないところまで遊び倒す事ができたのかどうかわからないが、もしかしたら本当にそうしたのかもしれないと思わせるぐらい迫力がある。その最後の方の遊びが描かれた章「千古不易の人情とや」はその内容はともかく行くところまで行く、その極北の描写に圧倒される。自らをポルノ小説家と卑下するのは鳩撃の津田伸一も同じだが、その描くところはただのポルノ小説とは違うエロスよりドキュメンタリーのカメラワークに感じる。

 

エンダマモルとは

夜の街の伝説的な男という立ち位置で「エンダマモル」という名前の男が出てくる。耳で聞いただけなのだろうか、どういう漢字を書くのかもわからない名前のようである。その男は、行く店先々で大変金払いが良い、豪快に遊んで店には利益をもたらす、夜の店(スナックとかキャバレーとか)の救世主的な人物として描かれている。主人公の海堂正夫とは結局どこの店でも会うことはない(そもそも主人公が行っている店にはエンダマモルが来ていない)が、ストーリーの途中で、ある店で喧嘩に巻き込まれ刺されて死んだという知らせが噂として入ってくる。ところが、物語の最後の方でエンダマモルが帰ってきたというニュースが夜の街を駆け巡るのである。これって物語について必要な情報であれば説明をきちんとする佐藤正午(そしてTMI=Too much informationはしない)としては、不思議なことに説明がまったくない。エンダマモルというのは超自然的キャラクター? マジックリアリズム村上春樹で言えば「羊男」(それだとそもそも幽霊なのだが)なのかとも思うが、そもそも最初から噂ベースの話で実在する人間の話かどうかも明確に書いていないので、それが殺されたり復活してもそれは読む人におまかせしますということなのだろう。

ただ私が感じたのは、この「放蕩の王」みたいな人物は海堂正夫(主人公)の憧れを示しているのではないだろうか?ということである。まるでブルーハーツの「日曜日よりの使者」の歌詞にあるように実際にはいないがこんな人がいたらいいな、というキャラクターに思える。それってヒーロー(英雄)ということだろうか?それともトリックスターなのだろうか?

 

 

 

放蕩してみたいが

この本を読んで強く思ったことは、それこそ前回の「Y」のように若い頃に戻って放蕩してみたい、ということだ。やはり若くないとだめだろう。放蕩する快楽を味わうには貪欲な若い肉体があってこそだと思う。なかなか説明が難しいが、冒頭で引用した放蕩息子の話のように、遊び倒した挙げ句死んでしまうようなところまで突っ走るためにも若い肉体が必要だ。

誰から聞いたか忘れてしまったが、男は「飲む・打つ・買う」を同時にやると死ぬそうである。色んな意味で真実らしく聞こえる言葉だ。私としても少なくとも3つは同時にやったことはない。せいぜい2つまでである。どの2つなのかはご想像にお任せするが、久々に「打つ」をやってみようと考えている。昔は「打つ」といえば麻雀か競馬、パチンコぐらいだったが、どれも負けるばかりで嫌になってやめてしまった。そもそもギャンブルには向いてないと自分でも思っているので、実際に金をかけるのは最小限にして事前の読みや推理の方を楽しみたいと思う。佐藤正午つながりなので分かる人にはわかると思うがそのギャンブルは「競輪」である。すでに「Side B」も読んでしまったが、内容がすでに10年以上前の話になっているのでさらに「KEIRIN 車輪の上のサムライ・ワールド」も読んでいる。次回はそのへんも踏まえたうえで「Side B」について感想を書きたいと思う。