常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

「COVID-19」という歴史の転換点

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〇ステイアットホーム
コロナウイルスが全世界を席巻している。なにかSFのような事態が実際に起きている。自分が高校生ぐらいの時には、ウイルスのせいで学校が休みになるなんて、本当にSF小説か漫画の中にしかなかった。それが実際に起きている。漫画と言えば「AKIRA」が現在を先取りした展開として話題になっているが、とにかくウイルスの蔓延を防ぐ方法は「家にいて下さい」しかないというのが何とも情けないと思うのは私だけだろうか。
それでも、21世紀らしくいろいろなIT技術を駆使して、家にいながら仕事が出来たり、買い物が出来たりするのは私の子供の頃とは違うとは思うのだが。(AKIRAの中にもスマホは出てこない)

 

gisanddata.maps.arcgis.com

 

 

 

 

不幸の手紙
昔「不幸の手紙」というものがあった。今もあってもおかしくないが、見かけない。かつて私のところに一回だけ来たことがある。小学生の頃だ。その頃は学級名簿というものがあり、クラスメイトの住所や電話番号が載っていた。私のところに来た不幸の手紙は確か鉛筆書きで、男の子と言うよりは女の子の字だったと記憶している。どこかに保管しておいたと思うのだが紛失してしまったようだ。
その手紙が来た当時も今も同じ感慨を持ってその事を思い出すのだが、この「不幸の手紙」というものを駆動する論理には感嘆せざるを得ない。自分のところに来た不幸(その手紙が来た時点で不幸だ)がそれ以上増大しないように、他人に不幸を押しつけるという負の連鎖である。どこまで行ってもマイナスだが、唯一得をする人がいるとすれば、私は郵便局だろうと思っていたが、郵便局にしたって無意味なトラフィックが増えるだけなので被害者とも言える。しかしながら、この不幸の手紙というものは郵便というシステムがなければ存在しない。

 

 

 

 

〇ウイルスを運ぶもの
そして、ウイルスは人間と共にしか存在しえない。どこかの人がテレビのインタビューで答えていたが、「ウイルスは人と一緒に移動する」のである。(まあ、動物全般と言ってもいいが、我々に関係のあるウイルスの話に限定しよう。)人と人とが接触することでウイルスは伝搬していく。そのため国の「緊急事態宣言」をによるウイルス感染防止対策は「人と人との接触を8割減らす」ことである。
その内訳は夜の街10割、外出(買い物や娯楽)8割、仕事4割だそうである。この「夜の街10割」というのは何を意味しているのだろうか。夜の街というのは歓楽街のことである。歓びや楽しみを売るところだ。それを求める欲望によって成り立っている。先ほどの不幸の手紙とは逆で、たとえその間に金銭のやりとりがあっても、幸福を与える、受け取る事を基盤に駆動されているのである。これはとても厄介だ。

 

stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp

 

ドーン・オブ・ザ・デッド
まだまだ今回のCOVID-19の全貌というのは見えていないと思う。ウイルスの伝搬状況から解析した株分けにしても今のところ3種類ぐらいが広がっているといわれているが、RNAが複製する際に組み替えがどんどん起こっていくので、一体いくつのバリエーションがあるかは詳細な解析を行わないとわからないと思う。変異が進むことでより危険な(致死性の高い)ウイルスに変化していかないことを祈るだけだ。
ウイルスによって人が死ぬというドラマはこれまでも何度も映画やゲームの題材として使われている。中でも一番衝撃的なのはやはりジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」シリーズだろう。私も中学生の時、友人の家でたまたまテレビでやっていたのを見たときの衝撃は忘れがたい。命からがら逃げ延びてきた仲間が死んだ瞬間からゾンビになって見境なく仲間を襲い出すという状況の恐ろしさは、これが映画であって本当に良かったと思ったものだった。そのシーンはこの映画のトリビュート作品といってもいいカプコンの名作「バイオハザード」(PS1版)にもしっかり引き継がれている。かつて同僚だった「もの」にトリガーを引かなければならない(そうしなければゲームオーバーだ)のは、例えゲーム的にはボタンを押すだけでも、心に刺さるものだった。

 

 

 

 

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〇ガラス越しの別れ
NHKのニュースの中で、クルーズ船で感染し夫を失った人のインタビューがあったが、そのなかで発症した夫が病院に収容され、ICUで治療を受けるようになった後は、お見舞いに行ってもガラス越しにしか見ることが出来なかったと語っていた。そして末期には、医療スタッフが夫のベットをガラスの近くまで運んでくれて、夫の手をガラスに当ててくれたそうである。妻であるその人はガラス越しに当てた手で夫の体温を感じることが出来たのだろうか。
COVID-19では死者が襲いかかってくることはない。しかし、生者のほうから死者、死にゆく人を拒絶しなければならい事は同じなのである。そう考えてみて一連のゾンビ映画、ゲームで何度も味わった感覚の正体がわかった気がした。

 

 

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