GW中に「人はなぜ物語を求めるのか」という本を読んだ。
これまでシナリオの勉強のために結構な数を読んできたが、いわゆるナラトロジー(という言葉も今回初めて知りました)あるいは物語学のような学問分野を知りたい人にはとてもいい入門書だと思った。
それだけでなく、今の自分に生きづらさを感じているような人にも、人間は本質的に物語を求めるということがその一因になっていると解き明かしてくれる。
本の中で「二度生まれ」という概念が出てくるが、要するにアインシュタインの言葉「常識とは18歳までに集めた偏見のコレクションにすぎない」という言葉と同じで、生きづらさの正体は、それまでに集めた「偏見」によって形作られた自分自身の人生のストーリーに囚われている状態というのがこの本の主張のである。
二度生まれの説話とはこんな話だそうだ。
あなたが真っ暗闇の中、崖を滑り落ちているとする。その途中で偶然手に当たった枝を掴んで何とか落下を止めることができた。しかし周りは真っ暗で、枝を掴んでいるだけで、それ以上何処かに取り付く島があるわけではない。
そのうちに手も痺れてきて、枝を握っているのはもう限界になる。
手を離したくはないが、もうダメだ。あなたの手は枝に掴まっている力はない。あなたは落ちる。しかし、僅か15cm下に地面があり、あなたは大の字になって地面に寝転がる。大地とは神の恩寵であり、あなたが思い切って手を離せば、神は受け止めてくれる・・・と。
自分が思い込んでいるストーリーにしがみついていないで、思い切って手を離せば違う自分になれるという意味にも解釈できる。自分は、これと良く似た話を以前読んだ記憶がある。それはリチャード・バックの「イリュージョン」だ。
- 作者: リチャード・バック,Richard Bach,村上龍
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1981/03
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巻頭にある救世主の例え話で、水の中で暮らしている生き物が岸や水草にしがみついて暮らしている世界がある。その中の一人が、退屈でたまらないからという理由で手を離す。流れに身を任せたその生き物は、一度ひどく岩に叩きつけられるが、それでも岩にしがみつくのを嫌がったので、それ以上はどこにもぶつかる事はなかった。下流へと流されていく途中で、下にはしがみついて生きているその他の生き物たちが、その一人を見上げて、すごい、飛んでるぞ、あいつは救世主だと囁く。しかし、どんどん流されていくためにあっという間に伝説になってしまう。伝説の救世主の誕生だ。しかし、当の流れて行った生き物はこう思う。みんなも手を離せばいいのに、と。
私自身もこのストーリーのように、しがみつくのをやめて手を離したつもりだ。確かに一度毎日2時間の通勤というひどい目にもあった。しかし、それでもしがみつくのを嫌がったので、今の暮らしがあるのだと思う。これからも転がり続けていきたい。南回帰線越えれば過去は皆蜃気楼だ。