これは以前居た会社で同僚から聞いた話である。その同僚も誰かから聞いたと言っていたのだが、原典が何であるのかはよくわからない。
タイトルにある「一万円札理論」のことである。その理論はこうだ。
Q、あなたは今、ここで自分が持っている一万円札を破ることができますか?
私もその同僚からこう問いかけられて、破れなかった。
Q、なぜですか?
破る理由がないし、破ってしまったら銀行でお札を取り替えてもらわなければならないし、破ることで得することがないから。
Q、出来るけど、やらないと言うことですね?
そうです。いや、やろうと思えば出来ますが、やりたくありません・・・?
結論
「やれば出来るといいながらやらないということは、実際は出来ないことと同じである」
いかがだろうか。なんか狐につままれたような、ペテンに掛けられたような気がしないだろうか。実際の話自分の知り合いを捕まえて、全く理由も説明せずに「今あなたが持ってる一万円札を破ってくれ」といって「よし、わかった!びりっ!」とやる人はまずいないと思う。もしやった人が居たらその人はもしかしたら人類を救う英雄になる素質があるのかもしれない。
自分が今持っている一万円札を破っても、自分には全く何の得もないし、後で銀行に行って交換してもらったり、もしかしたら紙幣を損壊することは犯罪※になるからとか頭の中で考えた結果破らないんだと、きちんと理由付けをしたとしても、本来紙である紙幣を破れないと言う理由にはならないというのがこの理論の核である。
結論だけを読んでみると、別に不思議なことは言ってないし、全くその通りだと思う。いろんな場面でこういうことはあるだろう。勉強するすると言ってしなかったり、健康のためにジョギングすると言いながら全然走らなかったりおそらく枚挙にいとまがないだろう。
しかし、である。何かこの一万円理論の理路がすっきりしない感が残るのはなぜなのだろうか?