常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

お墓は近所にあった 〜「山椒大夫・高瀬舟」を読んだ

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○まずは墓を見る
なぜ今森鴎外を読んだのか?それは太宰治三島由紀夫が尊敬する作家として森鴎外を上げていたからである。わけても太宰治は、森鴎外の墓のそばに自分の墓を建てたいと、墓のある寺に懇願し、檀家は猛反対したらしいが当時の住職の計らいによって墓を建てることを許されたというエピソードをWikipediaで読んだ。そのお寺が実は三鷹市にあって、自分の通勤路を少し寄り道すると行ける場所にあると言うことまでわかった。そこで先ずその両名の墓を見に行くことにした。
普通は墓参りに行くと言うところだが、何分にも会社の帰りに寄り道するだけなので線香なども持っていくわけでも無いので「見る」だけにしておく。

http://www.mitakanavi.com/spot/historical/zenrinji.html

何処にあるかとか、細かい内容は上のリンクを見ていただいた方が良いと思う。私が墓を観に行った日は七月の上旬だった。禅林寺の山門から中に入ると、太宰治森鴎外の墓と言う標識が出ている。それに従って墓地の方へ入ろうとすると、墓地の入り口には「墓地に入れるのは日没まで。日没後は施錠します」と書かれていた。西の方を見たがまだ日は出ていると思われたので急いで墓地へ向かう。全く人の気配が無い。こんな時間の墓地だから当たり前か。それぞれの墓の場所も丁寧に入り口看板があったので、その記憶を頼りにずんずん進む。一つの通路の両側、一つか二つずれた位置真正面は避けたのだろうか?に太宰と鴎外の墓はあった。どちらもお菓子のようなものが供えてあった。私はそれだけ確認すると、墓地に閉じ込められても困るので足早に寺を後にした。森鴎外の墓は遺言(これもお寺の境内にある石碑に刻まれていた)によってただ「森林太郎墓」とのみ刻むように言い残されていたそうだが、墓碑にはその通りに書かれている。

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○全部で十二編の短編が収められている
墓を見たのでなんだかにわかに親近感を持って今回の著作も読むことが出来た。タイトルにある「高瀬舟」は読んだことがあったし、自分としても好きな作品である。なぜ好きなのかはよくわからない。しかし、一つ好きな作品があると言うことは、他の作品も気に入る可能性が高いだろう。そこで今回購入した本には全部で十二編の短編が収められていた。正直に言って「高瀬舟」以外は読んだことが無かった。一応タイトルを上げると


普請中
カズイイチカ
妄想
百物語
興津弥五右衛門(おきつやごえもん)の遺書
護持院原(ごじいんがはら)の敵討
山椒大夫
二人の友
最後の一句
高瀬舟

の十二編である。一つ一つの話は今の小説からするとかなり短い部類に入ると思う。ショートショートに近い分量だ。この本の素晴らしいのは、本編の後に注釈のページがあり、その分量が素晴らしく多いのである。明治の人が書いた文章は、例え旧仮名遣いを直したとしても、現在はほとんど誰も使わないし、知らない単語が多数使用されている。それをいちいち全部拾って注釈を付けてあるので、辞書を引かなくてもそのページと代わる代わるに読み進めていけば、ほぼ意味をとることが出来る。そのおかげでとりあえず全ての話を読み切ることは出来た。次はそれぞれの話について感想をごく簡単に書いてみたいと思う。

 

・杯
これ、最初に読んだときはそれこそ文フリで買ってきた同人誌に載っていてもおかしくないような話に思えた。読み終わっても何のことなのかさっぱりわからないのである。しょうがないのでネットで解説を読んでやっと理解した。漫画「アキラ」で美耶子様が「人はそれぞれ自分の器を持って生まれてくる」という話に近い話で、それをポジティブに捉えたらこうなるという話だと思った。

 

・普請中
この話が多分この本の中で一番よくわからない。それこそ文フリで買ってきた同人誌か、どこかの女子高の文芸部雑誌に載っていてもわからないような話に思える。しかし、この普請中、つまりリフォーム中のレストランに外国人の女性と待ち合わせて食事をする官僚というのはこの後どうなるのかわからないが、大河ドラマの一場面のようでもあり面白かった。

 

カズイスチカ
タイトルが何のことかわからない。注釈にも説明が無かったと思う。ストーリーにわからないところは無いが、だからといってこの作品も何が言いたいために書いたのかはよくわからない。

 

・妄想
これは……面白かった。これからも何回も読み返すような気がする。この話に出てくる夷隅川が太平洋に注いでいる河口は、私にとっても思い出深い千葉県夷隅郡大原の地である。今はいすみ市になったと思う。仕事の関係で二年間住んでいた。まさかここに森鴎外も別荘を持っていたとは知らなかった。

 

・百物語
これも個人的には大変面白い読後感だった。タイトルの百物語というのは、ろうそくを百本立てて、怪談話を行い、一話語り終える毎に一本ずつ消していく。百本全部消えたとき本物の幽霊が現れるというものだが、なんと!この話では一つの怪談も語られれずに終わる。怪談話が始まる前に主人公はその家を後にしてしまうのだ!では何がこの話の焦点なのか?この怪談話を主催したお金持ち(成金)がそろそろその蓄えを全部使い切るのではないかと言う時期に差し掛かっており、その全ての贅沢に飽きたかのような虚無的な態度に主人公は注目するのである。確かにストーリー的には何が言いたいのかよくわからないが、なぜか面白い。これが文学というものだろうか。

 

・興津弥五右衛門(おきつやごえもん)の遺書
ごめんなさい、この話だけは読めませんでした。完全に文語調というか候文で書かれており、さすがに読み切る根性が無かった。

 

・護持院原(ごじいんがはら)の敵討
これも個人的に非常に壺だったのは、敵討ちの主役である長男が、物語の中盤「ぷい」といなくなってしまうところである。本当にその後全く出てこない。物語の舞台から消える登場人物、しかもほぼセンターの配役の人間が、である。でも、その空白がこの敵討ちに何とも言えない味を与えている気がする。

 

山椒大夫
この話でも、山椒大夫の長男は、下人にあまりにもむごい仕打ちをするのを見てまた「ぷい」といなくなってしまう。この人物は物語の筋にはほとんど関係が無いが、やはり消える登場人物という意味で一つ前の話のように空白が不思議な感じをお話全体に響かせている気がする。

 

・二人の友
ほぼ実録二人の友達の話なんじゃないでしょうか。でも小倉での日々の情景が浮かび上がる何とも言えない味のある話でした。

 

最後の一句
タイトルがオチなので、それがどんな台詞かはここには書きません。まあ、もう既にネタバレがどうこうという次元では無いと思うけど。ただ、私はあまり好きなタイプのはなしでは無かった。

 

高瀬舟
今回読み直してみて、ちょっと喜助という人の印象が変わった。やっぱり弟を失ったのにあまりにも晴れ晴れしすぎているような感じがしたのだが……昔読んだときはそうは思わなかったんだけど、自分の中の何が変わってしまったのだろうか?

 

○いくつもの時代を超えて
明治の人が書いた話が、ちゃんと理解できるようになるほど私も年をとったと言うことなのかも知れない。お墓を見たからではないが、森林太郎という人が少し身近に感じることが出来た。私の書いた文章も時代を超えて読まれるようにこれからも努力していきたい。