常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

「キャプテン・マーベル」を観た

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三月うさぎ
・・・・・・もちろんこれも意味はありませんよ。三月に観た映画の二本目は「キャプテン・マーベル」だ。その日は夜に秋葉原で大学時代の後輩と飲み会があったので、それまでの時間調整に日比谷のTOHOシネマズで観た。日比谷の映画館には昔来たことがあったと思うが、今回久しぶりに来たらだいぶ変わっていたので驚いた。映画館が入っているビルは富裕層御用達のようなショッピングビルであり、映画館のある四階までエスカレーターで行かなくてはならなかった。しかも一階登るごとに吹き抜けの周りを半周させられるのである。そうやって店舗を観てもらおうという意図だと思うがおかげで四階に上がったのに映画館が何処にあるのかわからなかった。

※ちなみ三月ウサギとは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%88%E3%82%A6%E3%82%B5%E3%82%AE

〇女性のスーパーヒーロー
4月12日に東京大学の入学式があって、上野千鶴子さんが祝辞をのべられたようだが、そこで「努力すれば報われるとは限らない世界にでていくことになる」という旨の内容だったようである。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cb01f5ee4b0ffefe3ae261c

正にこの内容が、今回の「キャプテン・マーベル」にも出てくる。少女時代から空軍のテストパイロットになるまで、「女は」という言葉が頭についた言葉の数々を受け続けてきた主人公が、それでも諦めずに生きていく話だ。その果てにスーパーパワーを身につけてマーベル作品の中でも最強の存在になるようである。(まだアベンジャーズ・エンドゲーム観てないので)
この辺の謎が明かされていく過程は、かなり胸熱なものがあり、ヒーローが活躍する映画というよりは一人の女性の自己実現の話として楽しめた。

 

 

 

キャプテン・マーベル (オリジナル・サウンドトラック)

キャプテン・マーベル (オリジナル・サウンドトラック)

 

 

 

〇リトル・グリーン・マン
トイストーリーにリトル・グリーン・マンというものが出てくる。クレーンゲームのハズレ(?)的な扱いで、沢山同じ姿をした者がいるのだが、今回のキャプテンマーベルにも同じような外見(かなりリアルバージョンにしたような)宇宙人が出てくる。スクラル人というらしいのだが、どんなものにも化けられる能力を持って、最初はグリー人の脅威と思われていたのだが、途中でドンデン返しがあり、実は逆だったと言うことがわかる。恐らくこの辺も「女性差別」という、一見今の世の中では問題ないこととして通ってしまっていることを、あえてひっくり返してみせるという構造と対にしているのだと思う。

 

 

 

 

 

 

〇再び上野千鶴子のことば
祝辞の中で「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」と言っていた。差別が横行する社会にでてから、やはり力を得て、その力を自らのためだけに使うのではなく、弱いもののために使って欲しいというところまで見事にこの映画と呼応していたと思う。

「運び屋」を観た

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3月のライオン
・・・・・・いや、特に意味はないです。三月の後半に立て続けに映画を劇場で三本観た。まずその一本目がこの「運び屋」だ。渋谷のヒューマントラストシネマで観た。映画館があるビルの三階?にかなりオタクに寄った本屋があったので、今後また利用する機会もあるかも知れない。

 

ココチビルの本屋さん

http://www.cocoti.net/shopindex/detail/detail.php?id=39

 

〇人は永遠には走れない
というキャッチコピーがテーザーのラストには着いていたが、なんか違和感を感じた。最近相次いで内田裕也萩原健一がお亡くなりになったが、確かにそういうニュースを聞くと「人は、永遠には走れない」と思う。しかし、この映画の中でもクリント・イーストウッドはまだまだ走っている。

 

「運び屋」公式サイト

http://wwws.warnerbros.co.jp/hakobiyamovie/

 

〇これも実話ベース
グリーン・ブックに続いてこれも実話ベースの映画だった。フィクションの話だったら麻薬の運び屋が主役の映画を作るのは難しいだろう。しかし、この映画のように普通はチンピラがやる運び屋をよぼよぼのおじいさんがやったらどうなるか?というシチュエーションから出発すると考えると、既存のイメージを壊して面白い話を作れるという見本のようなものかも知れない。

 

「グリーン・ブック」公式サイト

https://gaga.ne.jp/greenbook/

 

〇心に残ったシーン
やっぱりなぜか食事をしているシーンが印象に残る。運び屋をやっているときに監視役と一緒にロードサイドのポークリブサンドを食べるシーンで、監視役に「なんでここで止まったんだ?」と聞かれて「ここが一番美味しいポークリブサンドを食わせるからだ」と答えて、その後監視役がそのサンドを食べる。その後の表情で「美味しい」と語っているのが良かった。

 

ポークリブサンドのレシピ

https://jesspryles.com/recipe/texas-bonesless-pork-rib-sandwich/

 

 

〇次は「キャプテン・マーベル
アベンジャーズシリーズも途中までしか見ていないし、そもそもキャプテン・マーベルというキャラクターも初めて知ったけれど、なんか気になったので観ることにした。というわけで続きは次回!

 

キャプテン・マーベル」公式サイト

https://marvel.disney.co.jp/movie/captain-marvel.html

「金閣寺」を読んだ

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〇Paperback writer
ビートルズの曲に「Paperback writer」というものがあると言うことをつい最近知った。いや、曲そのものは何度も聴いていたのだが、それがこういうタイトルだという事を最近知ったということだ。

 

 

Wikipedia「Paperback writer」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC

 

シナリオライターとか小説家とかになりたいと思ってる自分としてはもっと早く知っててもいいのではないかと思った。そういう意味で、今回読んだ「金閣寺」もなぜ今まで読んでなかったのか?と自分に聞きたくなる様な素晴らしい読書体験だった。

 

 

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

 

〇今流行の「Based on real story」
三島由紀夫の「全青春の決算」として書いたと裏表紙の紹介文に書かれている。ビートルズの曲もそうだが、やはり名作とかスーパースターの作品というのは素晴らしい。当たり前のことしか言えないが本当にそう思った。あらすじとかネタバレとかは特に書かない。解説や評論はそれこそ今までたくさん書かれているだろう。それぐらいいろいろと突っ込みどころというか、考えさせられるところも多かった。私が独自に感じたのは森見登美彦の「太陽の塔」を思い出したと言うことだ。舞台が京都だからかもしれないが、主人公の独白という形式も似ている(本当にそうだったかは確かではない)気がする。確かあの小説でも太陽の塔を擬人化というか怪物というかそういう書き方をしていたと思うが、金閣寺も同じように主人公に襲いかかるのだ(いや、少し違うか)きっと「太陽の塔」は「金閣寺」に影響されて書かれたのではないかと言う想定の下に検索してみたら、確かに森見登美彦さんは「金閣寺」を既に若い頃に読んでおり、その感想文を学校で褒められているようだ。やはり作家になる人は違うなと思った。私も確か学校の課題図書で読むことが義務づけられていた気がするが、学校で無理矢理買わされて以来ずーっと実家の本棚にしまわれていたのだった。先日ブックオフ(問題といいながらも利用しているのである)でも一〇〇円コーナーにあるのを見たが、実家にあった奴とは表紙のデザインが既に変わっていた。

 

太陽の塔(新潮文庫)

太陽の塔(新潮文庫)

 

 http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi65.html

 

〇説明が上手い文
そもそも、三島を読んでみようと思った理由は、やはりしばらく前に読んだ「橋本治内田樹」の中で三島由紀夫も説明が上手い文を書くと書かれていたからだった。たしかに今回の「金閣寺」でも場面、情景が明確に想起されるし、歴史的な事実、例えば金閣寺がどのような理由で誰が建てたなどもわかりやすい文で書かれてる。大変勉強になった。

〇文学を読めるようになったのは
恐らく、シナリオを勉強したからだと思う。物語の構造など読む上でメタとなる情報を読み取れるようになったからだろう。この調子で次は川端康成の「山の音」に挑戦する予定である。

 

山の音 (新潮文庫)

山の音 (新潮文庫)

 

 

 

「B〇〇K 〇FF」の問題

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〇古本屋街
まだ20代のころ、日曜日などは本屋巡りをした。何か探している本がある場合もあるし、何も目当てのない時もあった。大抵目当ては漫画であったが、徐々に小難しい本を読むようになった頃でもあり、その頃はネットもなかったので、読んだ本に紹介されていた本を読んで、またその本に紹介されている本を読むというような芋づる式読書をしていた。実家は名古屋の近郊都市だったので、JR東海鶴舞駅から出発して名古屋地下鉄上前津駅まで歩くと、大体十軒ぐらいの古本屋をまわってから、大須の電気街へ到着し、今度は中古ゲームやパーツを見て回って一日が終わったものだった。

〇リアルマッピング
毎月のように本屋や電気街を巡っていても、店にあるモノがどんどん入れ替わっていくということはないので、通っていれば、何処の棚に何が載っていたかを自然と覚える。パソコンのパーツショップなんかは万引き対策なのだろうと思うが、半年に一回ぐらい棚卸しを兼ねて配置換えを行うので、何処にあったかがすぐわからなくなるが、古本屋の棚というのは下手すると10年経っても同じ本がそこにあったりする。そうすると、それぞれの古本屋の本棚の何処にどんな本があるかの地図が頭の中で出来上がってくるので、何かの切っ掛けで読みたい本が出来たときに、あの本屋のあの辺にあったかもと思って行く・・・ということが出来た。

◯東京に出てきてから
東京には神田というところに同じような本屋街があることを誰かからおしえてもらった。最初は確か東京の方に進学した友人の案内で訪れたと思うが、その時古本屋街は実は神田ではなく、実際には神保町の方にあるということを知った。神保町駅から秋葉原までは歩いて行くことができる。それを知ってからは、名古屋で古本屋街から電気街まで歩いていたように、東京では神保町界隈から秋葉原まで歩く事が多くなった。その後はアキバの方へ直行する方が多くなり、古本屋を毎週のように巡回し、棚の上の本の配置まで覚えてしまう様なことはなかった。何より、近所にどんどん増える「ブックオフ」で古本屋は事が足りると思っていた。しかし、それは大きな間違いだったことに最近気がついた。本を探しにブックオフのいろいろな店舗に行っても、本がないのである。

〇ワゴン販売
ブックオフのビジネスモデルはまず売値から決まっている。定価の半額だ。今は少し違う気もするが、昔ブックオフの経営を立て直した時の記事を読んだ記憶によるとそうだったと思う。これなら本の中身がわからないバイトでも値付けの処理が可能だ。そしてどんな本かに関わらず、ある年数以前の本は基本買い取らない。出版されてからの年数で本の価値を見切るのである。まるで、放射性同位体半減期のように、ある年数を経た本は価値ゼロなのである。マーケットで売り買いされる商品のうち、このやり方が適切なものは他にも沢山あると思う。スーパーで売られている生鮮食料品、野菜や果物なんかが典型だろう。売り場の片隅に置かれているワゴンの上に載っている商品だ。

〇古本墓場
もうおわかりだと思うが、ブックオフは古本屋ではないのだ。売り出された新刊本の鮮度がまだあるうちに何度も売ってその差額で儲けるビジネスなのである。昔私は自分の本棚が一杯になって仕方なくブックオフに売ったりしていた。また読みたくなったら買い戻せばいいと言うぐらいの気持ちだった。昔の質屋はそんな感じだったのかも知れない。しかし、ブックオフはまさにこの質屋と同じで、時間が経てば「流れる」のである。半減期を過ぎると価値がなくなり、古紙再生にまわされるのだろう。

〇出版社も困るはず
新刊本をだす出版社も、ブックオフが準新刊本を回転させていては儲からないとおもう。やはりそれに対抗するにはデジタル化しかないと思う。しかしそれもKindleアンリミテッドのようなサブスクリプションもでるに吸い取られている。読み放題かもしれないが、まさにブックオフのように自分の本棚には残っていかないのだ。雑誌のように、そのときは一過性の話題鹿野って内容に思えても、その時代のスナップのような記事は時間が経てば逆に意味を持つものだってある。まあ、一旦デジタルになったものはアーカイブのどこかに残り続けるとは思うので、100年後でも今月出た雑誌を今と全く変わらないクオリティーで読むことが出来るようになるとは思う。

〇図書館もアーカイブできてない
先日お亡くなりになった橋本治の本に興味を持ったので、公共の図書館で借りてみたのだが、文庫本だったということもあるが、やはり時間がたったものは痛みが激しい。表紙に「水濡れあり」なんてシール貼ってあるが、確かにページが全体的にぶよぶよだった。タダで借りることが出来るから利用者も本を大事にしないということもあるかも知れないが、やはり形あるモノはいずれ消えてなくなる。図書館でデジタル本が借りられるようになると一番いいと思うが、それでは出版社や作家は収入がなくなってしまう。やはりデジタルで販売するしかないだろう。そのためには「電子書籍リーダー」が前にも書いたように読み上げなど柔軟な方法での読書に対応して欲しいと切に願う。

「グリーン・ブック」を観た

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〇バディものでロードムービー
この映画のポスターに黒人と白人が車に乗っている写真が使われているが、もうこのビジュアルだけであの名作「48時間」を思わせる。面白くないはずがない。これを観に行かなければと思った。

 

 

 

〇府中・・・・・・それは最後のフロンティア?
三鷹に住んでいながら府中の方へは足を伸ばしたことがなかった私にとって府中は未開拓(フロンティア)だったので、あえて古いネタですみません。
「グリーン・ブック」がTOHOシネマズ府中でやっている事をネットで確認してから、雨降る中を車で出かけた。映画館は府中駅近くの「くるる」というショッピングビルの5階にあり、地下には大きな駐車場もあるとのことだった。日曜日で雨だけどなんとか停められる、お願い停めさせて下さいという期待の元、ビルの地下の駐車場スペースに入っていくと、普通の地下駐車場のように自分で空いている区画まで行って停めるのではなく、1から4までのシャッターが並んでおり、それぞれのレーンごとに機械式のパーキングがあるようだ。なんだか大きなゴミ処理場を思わせる。
中は立体駐車場になっており、車を出し入れするのに時間がかかるのだが、収容量は普通に地下を駐車場にしたものより高密度に車を収納することができるのだろう。われわれは「くるる」への客ということで1番のレーンに車を預けて、エレベーターで5階に向かった。

http://kururu.co.jp/

 

 

〇TOHOシネマズ府中
東京近郊のTOHOシネマズには結構な数の場所に行ってると思う。松戸に住んでいた頃は千葉ニュータウンのイオンにある・・・アレはイオンシネマか。流山おおたかの森、渋谷、新宿、品川はTOHOだったと思う。イオンもTOHOもシネコンは何処も赤と黒のイメージだが、府中も同じだった。たまに吉祥寺オデオンなどに行くと、昔の映画館を思い出す。この前の新宿シネマートも結構古い雰囲気だった。
チケットを買ってからまだ時間が合ったので同じビルの中にあるお好み焼き屋で腹ごしらえをした。映画のチケットを持っていると8%割引になった。消費税分がタダになったというところだが、これも消費税が10%になったら割引率は上がるのだろうか?たぶんあがらないだろう。

 

◯あらすじ
1964年ニューヨーク。ナイトクラブで用心棒をしているトニーは、自分がやったあることが原因でナイトクラブが改装工事のために2ヶ月間休業することになり、収入の道が断たれた。無収入のままクリスマスもやってくるのを待つわけにもゆかず、ある人物から仕事の紹介を受けるが、その仕事は黒人のピアニスト、ドクの運転手となり南部に8週間のコンサートツアーに行くというものだった。
一旦は断るが、今度はドクの方から是非とお願いされる。それを渋々引き受けるトニー。ドクはコンサートツアーの会場では、音楽家としてチヤホヤされているが、宿を取るときは「グリーン・ブック」に載っている有色人種でも止まれる宿にしか泊まることが出来ない。それでもどんどん「ディープ・サウス」と呼ばれるアメリカの南部へのツアーを続けていくドク。そしてついに最終日のコンサート会場で、演奏を聴きに来た客と同じレストランで食事を取ることが出来ないドクにトニーは、演奏をキャンセルしてニューヨークに帰る事を提案する。夜通し運転してニューヨークに帰り着く二人。トニーの家では家族、親戚が集まってクリスマスパーティーをしている。そこへなんとか間に合うトニー。ドクも一旦は自分の家に帰るが、トニーの家に来て一緒にクリスマスを祝う二人。

 

劇中に出てくる「グリーン・ブック」については下記を参照

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E4%BA%BA%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF

 

〇世界を変えるには
ドクの演奏仲間にトニーが「なぜ危険を冒して南部に来てコンサートをするのか?」と訪ねるシーンがある。その時は答えないが、最後のコンサート会場でその答えを言うのだ。「世界を変えるには、才能だけでは足りない。勇気がひつようだ」と。そもそも世界を変えようなどと大それた事を考えたこともないのだが、このセリフには有無を言わせない説得力があった。ああ、そうだよな、と思わせるものがあった。
我々日本人は、普段あまり人種の壁なんか意識しないから、そもそも世界を変えるってどういうことかをイメージしにくい。そこで前回の「A GOHST STORY」が役に立った。(無駄な映画はないねー)この場合の世界は<社会>のことだろう。<世界>のほうは、素の宇宙であり変えることは出来ない。変えられるのは<社会>なのである。

 

〇バディもの
私が特に好きなシーンは、車の中でフライドチキンを食べるシーンである。車がケンタッキーに差し掛かり、名物フライドチキンを食べようと、カーネル・サンダースの店に立ち寄ってパーティバーレルのようなものを買い込むトニー。それを後ろの席から珍しいものを見るように眺めているドク。トニーに勧められても「皿とフォークがないから」と食べることを拒むドクに無理矢理渡してしまうトニー。恐る恐る口を付けるがそのおいしさに気がついて食べてしまうドク。骨が残って、ドクがこれをどうすればいいのか?と聞くので、トニーはこうするんだと、窓から豪快に投げ捨てる。目を丸くするドク。この後の展開がよかった。トニーはついでに空になったコーラのカップを窓から捨てる。急に車は止まりバックしだす。ドアを開けてカップを拾うトニー。骨は捨ててもいがゴミはダメという辺りが、自然に分解される生ゴミはいいが、プラスチックのストローや蓋のついた紙コップはダメという極めて現代的な価値判断である。タダ、それは現代の映画なのでしょうがないだろう。バディものの面白さはそういう非対称の人間関係が作り出すギャップが楽しめることだ。

 

 

〇白人=救世主?
ネットでこの映画のことを調べてみると、批判する文脈の一つに「白人が有色人種の危機を救う救世主になる」映画という括りがある事を知った。そういう映画の系譜があるそうだ。あえて例は挙げないが、検索すればいろいろと見つかるだろう。その辺の批判を回避するためというわけではないが、一応この映画は事実に基づくストーリーということだ。思い返してみると前回観た「A GOHST STORY」も白人視点の映画だった気がするし、そういう風に見えると言う部分はあると思う。でもそれだけで批判するというのも寂しい気がする。この映画は面白かった。何かに役立つとか、勉強になったと言うことは特にないが、観ている時間を楽しませてくれた良い映画であった。

 

グラン・トリノ [Blu-ray]

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「A GHOST STORY」を観た

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〇自転車に乗った女性とぶつかりそうになる
先日、会社の帰り道に夜道を歩いていると、生け垣の向こう側から自転車に乗った女性が飛び出してきた。しかもその女性はこちらに向かって曲がってきた。そしてその直後私がそこにいることに気がつき驚愕の表情を浮かべたものの、ブレーキを握りしめるだけで進路を変えるつもりがないことは明白だった。ここで私は不思議なことに、まず垣根の向こうから曲がってくる前に、自転車が来ていることを察知していた。いや、それは別に超能力ではなく、自転車のライトが見えたのである。その後に垣根の陰から自転車が出て来てからである。
私はその場ですぐさま立ち止まり、自転車に乗った人を見た。若い女性であった。そこそこの美人である。まあ、最近の若い女性は化粧も上手いし服装もおしゃれなのでぱっと見は皆美人に見える。その目が大きく見開かれてヒッチコックの映画のワンシーンのような表情になった。私は、自転車が進路を変え得ない事を確認した上で、一歩その場を離れた。直後自転車は私の背後を通り抜けていた。私は何事もなかったように駅の方へ向かって歩き始めた。

 

↓ちなみに私の自転車についているライトはこれ

 

 

〇稽古の成果?
駅に向かって歩きながら、さっきアレが出来たのはきっと杖道の稽古の成果なのだろうなと考えていた。なぜかというと、杖道の形稽古は基本的に刀を持った人間が斬りかかってきたときに、どうやって対処するかというものだからだ。今回は刀ではないが、自転車に乗った女性がこちらに向かってくるという事に対して、しっかりどう動こうとしているかを見極めた上で、ぶつかる寸前に避けることが出来た。それは杖道の形の中で相手が斬りかかってくるその太刀筋を見極めた上で、反撃の動作に入らないといけないのだが、まさにそのプロセスを無意識に行っていた気がする。
大分前の話になるが、杖道の先輩が「そのうち夢の中でも動けるようになります」といっていたのだが、どういうことかというと、誰でも怖い夢を見たり何かに襲われる夢を見ることがあると思うが、そういう夢を見ても反撃できるようになるという事だった。それを聞いたときはまさかと思っていた。大体夢というのはそういう風に追い詰められた場合、もうダメだ!と思った瞬間に目が覚めるものである。
しかし、今回のぶつかりそうになったときは、確かに「もうダメだ!」という思考停止はなかった気がする。次にするべき事がわかっていれば、人間思考停止には陥らないものなのかも知れない。そうであれば夢の中でも、適切な行動を想像することが出来るだろう。夢の中というのは考えれば勝ちなので、動けるようになるというのはそういうことだと思う。

 

杖道打太刀入門―古流へのいざないとしての

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 ↓随時見学受け付けています。

神道夢想流杖心会

 

〇「A GHOST STORY」を観た
吉祥寺に新しい映画館が出来た。「UPLINK吉祥寺」という名前である。何処にアップリンクするのかわからないが、渋谷にも同じ系列の映画館があるようだ。おそらくPARCOにあるのだろう。吉祥寺もPARCOの地下二階に出来たのだが、以前はそこにブックセンターがあった。パルコからブックセンターがなくなる日が来るとは思いも寄らなかったが、その後釜が映画館というのも今時大丈夫なのだろうかと心配になる。
その前にもなんか小さな映画館がコピスのそばに出来ていたが、掛かっている映画が本当にマイナーなので行くことは無かった。ところが先日「リアルサウンド」というサイトで宮台真司が「A GHOST STORY」という映画について前・中・後編にわけて解説しておりそれを読んでちょっと観てみたくなり、どこかでやってるかなと検索するとなんと「UPLINK吉祥寺」でやっていることがわかったので、とりあえず新しい映画館の偵察も兼ねて観に行くことにした。

 

joji.uplink.co.jp

宮台真司の解説
宮台真司はこの「A GHOST STORY」を解説するのにまず「アンチクライスト」を解説している。その内容はリンクで読んで貰った方がいいので省略するが、とにかくそれをまず読んで、なるほどと思ったのはとにかく<社会>と<世界>があってアートというのは常に<世界>が<社会>に侵食していることを知らせる役割が有るのだと言う部分だった。この人と宮崎哲弥との対談本だったと思うが、宗教というのは個人に起きた理不尽な出来事に納得させるための装置である、という解説があり、深く感心した記憶があるが、今回のアートに関する定義もかなり鋭く明確にイメージ出来るようになった。中編の中で出てくるのは日本未公開のタイの映画なのでやはり解説のサイトを読んで貰った方がいいと思う。
後編でやっと「A GHOST STORY」が出てくるのだが、一言で言うと<社会>からの幽体離脱なんだそうである。先ほどのアートの話ででてきた括弧付きの<世界>と<社会>の概念を理解した上で、その<社会>から幽体離脱した視点=<世界>の方に行くのかと思ったのだが、実際は映画のラストで幽体離脱した視点はあることをきっかけに消滅してしまう。その先何処に行ったのかは全く手がかりがないので知るよしもないが何とも中途半端な感じがした。

realsound.jp

realsound.jp

realsound.jp

〇あらすじ〈ここからネタバレになります〉
一応あらすじを書いてみる。売れないミュージシャンの男とその妻?がテキサスの古い借家で暮らしている。夜寝ていると変な音がするので引っ越したいと女は思っているが、男はひっこしたくないらしい。その後すぐに男は交通事故で死んでしまう。病院の死体安置室で女は男が死んでいるのを見て家に帰るが、その後シーツをかぶったまま男が動き出し、途中病院の廊下で天国へのドアが開いたのも無視して家に帰ってきてしまう。女は悲しみにくれているが、それをシーツをかぶった男(幽霊なんだけど)は見ていることしか出来ない。やがて女に新しい男が出来て、その借家を出て行くがそれを見ているだけだ。女は出がけに何かメモを書いて、それを柱の割れ目に差し込む。その後ヒスパニック系の母子家庭(母と子二人)が越してくるが、シーツ男がポルターガイスト現象を起こして追い出してしまう。更にその後今度は若者が集団で住んでいるがそこである一人の若者が、人間死んだら無になるし宇宙も無にもどると言う内容の話をしているが、シーツ男は黙ってそれを聞いている。やがてまたその若者たちもいなくなり、シーツ男は柱の割れ目からメモを取り出そうとするが、取り出せそうになった瞬間にブルドーザーがその借家を解体する。メモもろとも家ごとなくなり、それでもシーツ男はそこにとどまっていると、やがてそこが都会になりビルが建ち、オフィスが出来てその屋上に行くとブレードランナー・・・まではいかないが現代的なビル街が出来上がっている。絶望?してビルから飛び降りるシーツ男。その結果なぜか開拓時代まで時間を遡ってしまう。そこである家族が家を建てるといっているのを見るが、その家族はインディアンに虐殺されてしまう。死んだ女の子の死体が腐敗して骨になり何もなくなって、またそこにかつての借家が建つ。生前のシーツ男と女が越してくる。また交通事故で死に男はシーツ男になるのを更に見ているシーツ男。(なんだろう、これ・・・)二周目にして柱をほじくっているとなぜかメモがとれる。メモを見るシーツ男は消滅する。

〇「橋本治内田樹」を読んだ。
この映画を見る前日に「橋本治内田樹」という本を読んだ。その本の最後の方に「アメリカは貧しい」という話があって「リング」なんかをハリウッドがリメイクしているけど、地縛霊まで輸入しているんだと。アメリカ人にとって一番怖いのは死体で、だからゾンビ映画ばかりなんだと言うようなことが書いてあった。今回のゴーストもヨーロッパやアジアの国の人から見たら「なんだこれ?」となるような描き方だった。恐らくそれは狙いだと思うのだが、逆にそれが今のアメリカの実感できるゴーストなのかも知れない。私の好きな「裏世界ピクニック」に出てくるような怪異の持つ深みというのはやはり理解されないのだろう。そういう意味でも「ステーション・フェブラリー」でアメリカ軍実験部隊が異世界の怪異とガチ対決する様は、その圧倒的な非対称によって更に面白くなっていたと思う。

 

橋本治と内田樹 (ちくま文庫)

橋本治と内田樹 (ちくま文庫)

 

 

↓二巻はちょうどきさらぎ駅の話です。 

裏世界ピクニック(2) (ガンガンコミックス)

裏世界ピクニック(2) (ガンガンコミックス)

 

 

〇観終わって・・・
メモを見て消滅したあとエンドクレジットが延々流れる間、劇場は微妙な空気だった。明るくなって立ち上がった瞬間腰に違和感を感じた。現在絶賛腰痛中である。毎日この腰の痛みがシーツ男のように消滅してくれるのを待つばかりだ。アパートの柱に隙間にメモは挟まって無いと思うが。

PCのCPUクーラーが壊れたので交換した

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〇自宅に机を購入
2018年から2019年になって一つ大きな変化があった。まず昨年末にテレビを処分したのである。2008年に購入したシャープのアクオスで37インチだった。購入した当時給料一ヶ月分ぐらいした記憶がある。その頃は拙著「家電OEMの会社で働くあなたのための参考書」にも書いてある通り、中国出張が頻繁にあり出張中にはあまりお金を使わないのだが、その反動で帰国してからでかい買い物をしてしまうということがあり、その中の一つだったと思う。
テレビという物は次に買うときは前の物より大きい物を買うというのがなんとなく頭の中で決まりになっており、これを処分するなら次は40インチ以上の物を・・・・・・とか、4Kで・・・・・・とか考えているうちにずーっと我が家に居座っていたのだが、今回あえて一度ダウンサイジングしてみた。というかテレビ放送はPC用のモニターにPS4をつないでTorneで観ることにした。年末に巨大な長方形の物体を、それでも車のバックシートには乗ったが、カミさんと二人でやっとのことで三鷹ハードオフに持っていったときは涙も出なかった。買い取り金額は300円であった。
ハードオフの査定をしてくれたおじさんは「まあ、10年経ってますしね・・・・・・」となかなか買取金額を言おうとしなかったが、最終的には上記の金額を提示してきた。私はその金額にはまったく後悔はなかった。むしろなぜかすがすがしい気持ちになったのである。
なぜすがすがしい気持ちになったのか?それはこのテレビがアパートの居間を圧迫していたことがなくなってみてわかったからである。正確に言うと、そのテレビが載っていた昔IKEAで買ったテレビ台(テレビの重さでゆがんでいた)とセットで居間の利用の仕方を制限していたのだと言うことがわかった。

 

 

 (やっぱり次買うなら4Kですね)

 

 

 

〇書斎が欲しい
事の発端は私が「書斎が欲しい」と言い続けたためにカミさんがなんとか部屋の隅に書斎的空間を捻出してくれようとしたからである。そのためにまず、寝室の衣装ケースを減らそうとして服を捨て、ベッドをずらし、更にそこへ別の棚を移動し・・・・・・とやっているうちにそもそもこのテレビがでかい顔して場所を占領しているのでは?ということになった。私としては家で映画を観るときに少しでも大きい画面の方がよいと思っているので残すべきだと思っていたが、一方で自分専用の机(それが書斎の第一歩だ)を持つためにはこのスペースを利用するしかないということも明白だった。そこで冒頭の決断をしたわけである。
その結果、テレビ以外にもいろいろと処分したおかげで、当初は幅60cmぐらいの小さな書き物机ぐらいが関の山と思っていた空き領域が十分普通の机を置けるぐらいの広さまで拡大したのである。

〇机選び
そこで今度はどのような机を入手するかを検討した。机とは言ってみれば一枚の板と四本の棒からできている至極簡単な構造の道具だ。ホームセンターで欲しい大きさの板とそれを支える棒を手に入れれば、自分でも作れるのではないかと思いネットで検索してみた。すると確かに単純ではあるが、ただの板はほおって置くと反るので、反り止めのための板や鉄板などを裏側に貼り付けたりと一筋縄ではいかない物だと言うことがわかった。やはり単純な物ほど奥が深いというのが世間の常識のようだ。
そこで普通に購入することを考えたが、そこでも選択肢は無数にありネットで検索すると値段もサイズもいろいろありすぎて決め手になるものがない。そこではたと思い至ったのがいつも会社で使っている事務机である。あれなら使い慣れているし、構造も強度も問題ないはずだ。そこで中古のオフィス家具を売っているサイトを調べて手頃なサイズのものをチョイスした。

 

オフィスチェア・中古オフィス家具はスチールストア

 

〇机って案外大きい
いざ注文したら、お店から電話があり、最短で明日の午前中には届けられるという連絡が来た。しかし、明日は平日でカミさんも家にいない。うーん、どうしたもんか・・・・・・と30分ぐらい考えたが、いっそのこと会社に届けて貰って、その後自分の車で取りに来れば夜には持って帰れるのではないかと考えた。お店に連絡しその旨伝えると
「本当に載りますか?車なんですか?」
と聞かれたので不安になり、自分の車(普通車のハッチバック)荷室の間口をネットで調べると、とても載らないということがわかった。慌ててお店に電話をかける。
「すみません、やっぱり明日の午前中でお願いします」
「運転手一人で行くんで、トラックから受け取りになりますよ」
要するに、設置場所まで運んで欲しければオプションの人足を着けるガそれは有料という話だった。
「わかりました。届けて貰えれば後は自力でなんとかします」

〇好青年?
翌日家で待機していると、家の前に車が止まる音がしたのでドアを開けてみると軽トラックが一台止まっていた。いそいそと出て行くと、山男風の好青年が荷ほどきをしている。私が受け取ろうと待ち構えていると
「ドアの中までは運びますよ」
という頼もしいお言葉。よろしくお願いします。実はうちのアパートは二階なので階段を机を担いで登らなければならないのだ。しかし、その好青年は机を縦に持って階段を慎重に登り、私がドアを押さえている間に見事玄関の中に運び込んでくれたのである。

〇机のおかげでやりたいことがはかどる
その日の夜に帰宅した後、部屋の中の机のために空けたスペースに運び込んでPCやらモニターやらをセットアップした。今もその机でこの原稿を書いているのだが、ほんとうに事務机(中古)は値段の割にキレイでよい買い物をしたと思っている。何よりもこういう文章書きの仕事がはかどる。今までは共用の机だったのでそこで作業した後は明け渡すためにすべて片付けないといけなかったのが、作業途中で中断して離れても、また戻ってきてすぐ再開出来るのである。
そのようにして机の前で過ごす時間がどんどん増えてきた矢先、PCから異音がし出したのだ。

〇ここでタイトルにつながります
「カラカラカラカラ・・・・・・」
どうもファンの辺りから音がするようだ。自作PCをあけてみてみると、どうも水冷クーラーのポンプから音がしているようである。この自作PCも7年前に秋葉原でパーツを買ってきて組み立てたものだから、この水冷のCPUクーラーも7年経っているわけである。水冷クーラーって寿命どのぐらいなのだろうか?と思ってまたネットで調べてみると、やはり5年ぐらいで寿命が来る物のようだ。私が使っていたのはメンテナンスフリーのお手軽水冷ゆにっとだからリザーバータンクのようなものがない。なので内部の冷却水がちょっとずつなくなっていき、ある量よりもしたまわった段階でポンプは空回りするようになるのだろう。ここでやっとタイトルに話がつながるのだが、その週末秋葉原へ行って新しい水冷のCPUクーラーユニットを買ってきた。前回はAntecのKhler H2O 920という物だったので、同じ物ならマザーボードの裏側から固定する金具が流用できるかもと思ったのだが、後継機種らしき物が見つからなかったので今回はCoolerMasterのMasterLiquid ML120Lにした。

 

Cooler Master MasterLiquid ML120L RGB 水冷CPUクーラー [Intel/AMD両対応] FN1137 MLW-D12M-A20PC-R1
 

 

ラジエーターのクーラントが干上がった原因は
ここに来て急激に水が減った原因はやはり「NieR:Automata」を一週間ぶっ続けてやり続けて、毎晩2Bのケツを眺めていた事が原因なのではないかと思っている。今月の21日には「Game of the YoRHa Edition」も発売されるようだが、残念ながらゲーム内容は同じなので買うのは見送る。2が出ることもないと思うが、もし出たら買うだろう。