常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

「ハン・ソロ」を観た

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ハノイクラフトビール
今回の出張はほぼ二週間と割と長かった。仕事の合間に「The Standing Bar」という店で美味しいクラフトビールを飲むことが出来た。トリップアドバイザーにも紹介されているが、沢山の種類のクラフトビール飲めるようなお店がハノイにもあることが驚きだった。3杯ぐらい飲んだが、どれも個性的で美味しかった。これまではベトナムでビールと言えばサイゴンスペシャル一択だったが、こういうお店も悪くないと思った。無事に仕事を終えて1月26日にノイバイ国際空港ベトナム航空VN310便(0:40)で帰国した。いつもなら飛行機に乗るまで眠るのを我慢して、乗った途端に爆睡なのだが、今回はなぜか眠れなかった。飛行機に乗る直前にマッサージに行くことが出来たため、疲れがとれて気分がすっきりしていたためかもしれない。仕方がないので座席の前のポケットからヘッドホンを取り出して何か映画でもとメニューを見ていると、上映されている時に見たいと思っていたのだが見忘れたスターウォーズのスピンオフ「ハン・ソロ」があったので、これはチャンスと思いみはじめた。

www.tripadvisor.jp

 

〇あらすじ
※ネタバレになります。あと、かなり個人的なあらすじになってるかもしれません。

ハンとキーラはギャングの支配する最下層の住人で、ハンはギャングの手下として働いていた。ある日ハンは敵対するギャング団に取引のために出かけるが、その最中にいざこざがおこり、相手を殺して逃げてきてしまう。そこでハンは取引するはずだったエネルギー資源のカプセルを、自分のボスには相手に取られたと言ってネコババして、それを使って最下層の惑星から脱出することにしたが、その事を見抜かれてしまいまたしても争いになりそのどさくさにキーラと共に逃げて宇宙港へ向かう。宇宙港の審査官にエネルギーカプセルを賄賂として渡し、ゲートの向こうへ抜けようとした瞬間に追っ手が追いついてキーラだけが元のギャングに掴まってしまう。
そのまま帝国軍にはいるハン。過酷な戦場でチューバッカと出会い、またベケット大尉とその仲間にも出会う。しつこく粘ってなんとかベケットの一味になるハンとチューバッカだが、エネルギー資源のカプセルを輸送する列車を襲う仕事の最中に敵対するギャング団エンフィスネストの襲撃にあい、ベケットの元々の仲間の二人は死んでエネルギー資源のカプセル強奪は失敗する。
残されたベケットとハン、チューバッカの三人はその失敗の穴埋めをさせて貰うために、ベケットのボスであるギャング、ドライデンの所へ行く。そこでハンはキーラと再開する。キーラはドライデンに救われてから、ドライデンに忠誠を誓っていたのだった。名誉挽回のため、ある惑星の鉱山にある未精製のエネルギー資源を強奪し、それをさらに辺境の精製所でエネルギー資源のカプセルにしてドライデンに引き渡すという仕事を引き受けたハン一行にキーラも監視役として同行することになる。
辛くもエネルギー資源の強奪に成功し、精製所のある惑星でカプセルにするハンとベケット。しかしそこにはまたしてもエンフィスネストが現れる。しかしエンフィスネストは実はギャング団ではなく、帝国軍と戦う反乱軍を組織しようとしている少女がリーダーの先頭集団だった。反乱軍のためのエネルギー資源だという事を知らされたハンは、それらをドライデンから奪うことを計画する。しかし、ベケットはその件からは降りると言って姿を消す。キーラと共にドライデンの所に行きエネルギー資源のカプセルを渡すハン。しかしドライデンは偽物だという。驚くハン。実はカプセルの偽物をドライデンに渡すという作戦だったのだがそれをベケットに教えていたため、裏切ったベケットがドライデンにそのことを知らせていたのだった。しかし、ハンは更にその裏をかいて本物のカプセルを持ってきていたのだった。精製所のエンフィスネストを襲撃するドライデンの部下はエネルギー資源のカプセルが空っぽであることを知るがエンフィスネストの逆襲にあって全滅する。後がなくなったドライデンはハンを殺そうとするがキーラに逆に殺される。ハンがキーラに一緒に行こうというと、キーラは後から行くから先に行ってという。その場を去るハン。後に残ったキーラはダース・モールと通信をしていて、そのまま宇宙船を出発させるのであった・・・

 

 

 

〇上映時の評判
飛行機の中で見終わった感想としては、大変面白かった。劇場で見ていても恐らく満足しただろう。しかし、なぜ劇場に行かなかったかと考えてみて思い出したことがいくつかある。まず、あまり興行成績が良くなかったという情報があったことだ。その理由は定かでないが、Wikipediaにも書かれているとおり、途中で監督の交代などがあったために、撮ったシーンが使えなかったり、ストーリーが変わったりして予算がなくなってCGのクオリティーに明らかにシーンごとの差があると言うような話もあった。その点は実は飛行機の座席の小さなスクリーンではCGのアラなど見えようもないので、むしろそのおかげで純粋にストーリーを楽しめたのかも知れない。

 

ja.wikipedia.org

ベケットというキャラクター
ハンが若いときに仕事を教えて貰い、生きる上で影響を受けたキャラクターとしてこの映画にはベケットウディ・ハレルソン・・・スリー・ビルボードで署長をやってた人だ!)という人物が出てくる。この人の信条は「誰も信用するな」だ。そして引退したらピアノみたいな楽器を習うという夢をもっている。しかしながらハンの人生に影響を与えるほどの何かを感じさせる人物ではない。むしろ、列車強奪の時に死んでしまうベケットの元々の仲間たちのセリフの方が深い印象を残す。そもそもハリソン・フォードの演じているハン・ソロは文字通りソロで誰からも影響を受けない独自性が特徴のキャラクターだと思う。ただ、この映画の中で見ている限りベケットは大変魅力的なのだ。それはやはり演じている役者の魅力から来るのかも知れない。この辺のちぐはぐ感が映画としての評判を落としてしまっているのだろうか。

 

 

 

〇エンフィスネスト
インディアンのような飾りのついた仮面を着けて空中を飛ぶバイクにまたがり襲撃してくるエンフィスネストが実は反乱軍の始まりだったという事であり、その黎明期に手助けをしたのがハンだったという事になっている。この辺ももしかしたら監督交代などの結果で付け足された話かも知れない。仮面を取ったエンフィスネストのボスはあどけない少女で・・・というのもディズニー的な嗜好を感じる。ただ、これもストーリーとしての意外性はあったのでそれなりに成功していると思う。

 

〇スピンオフ
ローグ・ワンの時もそうだったが、どうしても過去の話はその先がわかっているために、ラストはあまり明るい気分になれないのも残念なり夕かも知れない。若いランドー・カルリシアン(俳優は四代目市川猿之助?)のパートナーであるアンドロイドのL3も面白いキャラクター(なにかいるものある?ー権利!)だったし、その頭脳が実はミレニアムファルコンのナビゲーションシステムになっているために、銀河一速い船になったといういきさつや、ファルコンの先端の二つに割れたところには実はシャトルがついていたとか、いろいろハン・ソロというキャラクターに必要な情報は沢山あって飽きさせないと思う。

冒頭に触れたクラフトビールも苦いもの、酸っぱいもの、甘いものなどいろいろな味わいがあってそれぞれに美味しい。スターウォーズの世界もいろいろな見方や楽しみ方があってもいいと思う。もしこの後にハン・ソロ2を作るなら、ある程度実力を付けたハン・ソロとチューバッカが大活躍する話を観たいと思った。

 

 

「キャリー」を読んだ

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〇キングのデビュー長編
ティーブンキング著「キャリー」をベトナム出張に行く飛行機の中で読んだ。キング自身がその著書「書くことについて」の中で、人が本を選ぶ理由は、文学的な価値ではなく、飛行機の中で飽きずに読めるかどうかだというようなことを書いていたが、まさにこの「キャリー」は読み出したらあっという間に読み終わり作者の言に誤りのない事を確認した。同じく「書くことについて」のなかでキングの妻タビサは「この話にはなにかがある」と語ったと書かれていたが、その「何か」とは何だったのかを考えてみたい。

 

キャリー (新潮文庫)

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〇あらすじ
女子高生のキャリー・ホワイトは母親の教育が極端な解釈に基づくキリスト教のために学校の同級生からつまはじきにされている。ある日体育の授業の後で突然初潮を迎えたキャリーは、シャワー室で周りのみんなから罵声を浴びせられる。その屈辱がキャリーに幼い頃に封印してた超能力(念動力=サイコキネシス)を蘇らせてしまう。
一方シャワー室で同じく罵声を浴びせたスー・スネルはその事に罪悪感を覚える。その罪滅ぼしのため自分のボーイフレンドであるトミー・ロスにキャリーをプロムに誘うよう依頼する。トミーはそれを承諾しキャリーを誘ってプロムにでる。
以前からキャリーをいじめていたクリス・ハーゲンセンは先頭に立って罵声を浴びせていたがその事を全く悪いと思っていなかったため、体育教師のミス・デジャルダンの居残り罰を受けることを拒否し、その結果としてプロムに出られなくなってしまう。
そこでクリスは札付きのボーイフレンドと共謀してプロムでキングとクイーンにトミーとキャリーが選ばれるように工作した上で、舞台の上でキャリーの頭上から豚の血を被せることを計画する。
そしてプロムの日、思惑どおりキングとクイーンに選ばれたトミーとキャリーが壇上に上がる。まさに戴冠しようとしたその時頭上から血の雨が降る。その瞬間に全ては自分を陥れるためだったと感じたキャリーはついに己の能力を極限まで解放し、その町にいる人間全員を殺すと決意する。高圧電線を切断して通りにいる人々を感電させ炎上させるキャリー。やがてその炎がガスの本管にも移って大爆発を起こし町全体が火の海になる。それでもキャリーの怒りは収まらず、自宅に帰ると母親を殺す。さらに母親が恐れていた「酒場の駐車場にいる悪魔」をみずから「炎と剣を持った天使」になって殺すため街外れの酒場へ向かう。そこにいたクリスとそのボーイフレンドを自動車もろとも殺したところでキャリーの心臓が限界を迎える。そこへ駆けつけるスーは息を引き取るキャリーをなすすべもなく見守るだけだった・・・

 

 

キャリー (字幕版)

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〇イジメ問題をあつかった古典
この話に出てくるキャリーは、イジメに遭っている。イジメというのは単なる差別とか区別とは違うのだとこの物語の描写を読んでいて改めて認識させられた。今でこそスクールカーストなどの言葉が知られるようになり「桐島、部活辞めるってよ」は現代日本の高校におけるスクールカーストのあり方をしっかり描いている映画(らしい)がカーストなんてヒンズー教の言葉を借りてこなくても、クラスの中には自然とヒエラルキーが出来上がっていたと思う。イジメというのはそのヒエラルキーを固定しようとする運動なのだということだ。一度その地位になった人間は、そのクラスが終わるまでずーっとその地位でいることを強いられる。それを逆転するにはよほどの革命的な事をしなければならない。この物語のキャリーは超能力(念動力)を発動することによって革命(逆襲)することに成功したともいえるだろう。

 

 

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〇タビサのみた「何か」
私がこの物語を読み終わって、最も初期の草稿を読んでキングの妻タビサがそこに読み取った「何か」とは何だったかと考えて、一番先に思いついたのは主人公キャリーがキングが愛して止まないB級ホラー映画のモンスターたち、フランケンシュタインやドラキュラ、狼男(怪物くんじゃないよ)半魚人(シェイプオブウオーター)などと同じような悲しい生い立ち、生誕の秘密を背負ったキャラクターとして描かれている点だ。新しいものでは「エルム街の悪夢」にでてくるフレディや「13日の金曜日」のジェイソンなど(そんなに新しくないか)、基本的にモンスターには、モンスターになった理由がある。凶悪なパワーをふるうが、それはそれまでに人々から受けた虐待の裏返しという場合が多い。まさにその形をとっていると感じた。
しかし、タビサが感じたのはもう少し違うものかも知れない。それは、主人公キャリーがもつ悩みや悲しみは多かれ少なかれ、すべての子供が大人になる前に感じる事という「普遍性」だったのではないだろうか。

 

 

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〇少女の物語=百合?
この物語はキャリー、スー、クリスという三人の少女が描かれる。それぞれに思春期から大人になる「壊れかけのラジオ」の時期に感じる焦り、諦め、希望というものが生き生きと描かれていると思った。そしてそれはやはり昨年のSFマガジン2月号でも特集された「百合」の世界なのではないだろうか。サイキックが主人公という意味ではホラーと言うよりSFといってもいいのかもしれない。「百合」とSFは相性がいいと先述のSFマガジンでも書かれていた。それについて今年は考えていきたいと思っている。

 

SFマガジン 2019年 02 月号

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壊れかけのRadio

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「恐怖の報酬(完全版)」を観た

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2018年も押し詰まった12月16日の日曜日、新宿シネマートで「恐怖の報酬(完全版)を観た。デジタルリマスターされているとはいえ、1976年の映画なので、古臭い感じがするかと危惧していたが、決して古びた映画ではなかった。ただし、一つのシーンだけは若干違和感があったのでそれは後述する。全体としては、そのバッドエンドな結末も含めて見応えのある面白い映画だった事は確かである。

sorcerer2018.com

◯あらすじ
もともと、「恐怖の報酬」という映画があって、そのリメイクなので、基本的なストーリーはオリジナル版によっている。
すでにタイトルが最大のネタバレという気もするが、ここからネタバレになります。
殺し屋、テロリスト、投資家、アイリッシュマフィアの4人の男がそれぞれの悪事の末に国外逃亡する。逃亡した先は南米の架空の独裁国家だ。そこで最下層の暮らしを続ける四人に転機が訪れる。ジャングル奥地で開発していた油田で事故が起きて火災が発生する。それを消すにはダイナマイトの爆風で消すしかないということになる。そこで石油会社の人間は町からジャングルの奥地にダイナマイトを運ぶトラックのドライバーを募る。それに飛びつく四人。しかしダイナマイトは保管状態が悪くニトログリセリンが涌出しており容器の底に液体の状態で溜まっているため、少しの震動でも爆発してしまう。石油基地までの道中、嵐の吊り橋や反政府ゲリラ、倒木などの障害をなんとかくぐり抜けて最後まで生き残った主人公は、残りニマイルを徒歩で踏破する。生還して唯一報酬を受け取ることのできた主人公。飛行機を酒場で待っているところで自分を狙う刺客がちょうど店の前に降り立つところで終わる。

 

〇最後近くの心象シーンとラスト
ラスト近く、一人だけ生き残った主人公はほとんど夢遊病者のようにトラックを運転し続けて奇妙な岩だらけの場所にたどり着く。一緒にトラック乗っていて途中でゲリラとの戦いで死んだ殺し屋の笑い声が虚ろに響く(この辺から主人公の心象風景が重なってくる)何処へ行く?何処へも行けないという自問自答のようなつぶやきも混じってくる。
こういう演出は最近の映画では見なくなった。昔の日本映画ではよくあった。多重露出やカラーフィルターなどを利用して奇妙な映像に作り替えて主人公の心象を表すという手法だ。これはもうちょっと今の映画としては辛い。
しかし、そのあと主人公は後目的地まで二マイルを残して止まったトラックを捨てて、なんと両手でダイナマイトの箱をもって夜道を歩いてくるのである。目の前には轟々と炎を吹き上げる油田がある。そこへ向かっておぼつかない足取りで進んでくる主人公。油田の作業員達が主人公に気がつき駆け寄ってくる。ダイナマイトの箱を奪い取る作業員達。その後、酒場で飛行機を待つシーンになるのだが、そこで主人公は最後に時間はあるかと聞いて、酒場で掃除をしている現地の女に踊ってくれと言うのだ。ここが私には引っかかった。
なぜ主人公はこの女に踊ることを求めたのだろうか?もしかするとそれをせずに酒場を離れていれば、追っ手の殺し屋からも逃れる事が出来たのかもしれない。だとするとますますこの行為は、このタイトル「恐怖の報酬」と密接に関連してくると思われる。

◯原題「SORCERER」
冒頭にも書いたが、「恐怖の報酬」というタイトルの映画は、白黒時代に同名の映画があり、そのリメイク(あるいはオマージュ)として制作された。しかし、フリードキン監督はリメイクするに当たってそのタイトルを「SORCERER(ソーサラー)」としている。ソーサラーとは、かつて「ウイザードリィ」などのロールプレイングゲームをやった人にはおなじみの魔法使い系の職業だが、どちらかというと悪い魔法使いという印象がある。
しかし、ソーサラーには別の意味があり、この映画での意味もそちらだと思われる。「運命を司るもの」である。映画の冒頭タイトルバックにはマヤ、アステカ文明のような仮面の石像が映る。これが主人公を含む四人が二台に分かれて乗るトラックのうち一台の正面から見た姿、フェンダー部分がむき出しの歯のように見えるデザインによく似ているのである。そして、そのトラックは、アラブのテロリストと投資家が乗って行き、最後は山道を快調に走っているときに前輪がパンクして路肩に突っ込みあえなく二台のニトログリセリンが爆発して文字通りの木っ端微塵になってしまう。
この死に方が四人それぞれのやってきたやり方に符合していると解説している人もいたが、投資家は協力者を自殺に追い込んでいるが、自らは自殺したわけではないし、殺し屋もゲリラに撃ち殺されたが、何かそこに符合があるとは思えない。むしろあっけなく死んでいく3人に対して主人公だけが、恐怖の報酬を得ることで死ぬ(実際に死んだかどうかは画面には映らない)ことから、運命を操られるものとして描かれていると思う。では、ソーサラーは誰なのか?最後に主人公が高飛びする際にその手はずを整えた男の顔が映る。彼がソーサラーなのか?いや、違うだろう。

〇運命を司るものとは
この映画のストーリーを作っているのは脚本家、監督だろう。この場合「運命を司るもの」はウイリアム・フリードキン監督である。そんな答えは反則?それはもちろんごもっともなのだが私が一つ気になったこの映画の解説に私の好きなゲーム作家(?)小島秀夫監督の記事があった。初公開時この映画は短縮版として公開され、オリジナルの「恐怖の報酬」と同じ結末に変えられたのだそうだ。それはフリードキン監督が登場人物たちの運命を司ったストーリー自体を無効にしていたのである。
別の記事で知ったのだが、この1976年というのは「スターウオーズ Episode4 New Hope」が公開された年だったそうである。その大ヒットのおかげでこの「SORCERER」をそのまま公開してもそのバッドエンド的なラストに誰も喜ばないと映画配給会社は判断し30分も短縮した上で、主人公は恐怖に対する報酬を受け取れたという結末に作り替えたのだそうだ。
ハリウッドで作られる映画も、スターウォーズを境に大仕掛けな娯楽作品が主流になっていき、先ほどの記事で小島監督が危惧していたような監督の作家性よりも収益が最終的には優先され作品の筋までゆがめられるようになった。その趨勢に乗った組のルーカスでさえ、自身の創り上げたスターウォーズEpisode1〜3のストーリーが、ファンが観たいと望まれて作ったはずなのに酷評され、最終的にはスターウォーズというフォーマットをディズニーが買い取って、ファンが望む形のストーリーを作り続けることになった。しかし、今年公開の「ハン・ソロ」ではやはり投資家からの横やりが入り途中で監督交代という混乱があったようだ。ハリウッドでの映画作りは大金が動くビジネスであり、失敗は許されないのだろう。
今回完全版として復活し、監督が司る運命どおりに生きた(死んだ?)主人公によって完結した「作品」としての映画を我々が観られたのはフリードキン監督の三十年を超える執念があったからだ。本物の「SORCERER」はその運命の糸を引く手を絶対に離さないのだ。

bunshun.jp

「NieR:Automata」をクリアした

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久々にまとめてゲームをする時間がとれたので、Steamでオータムセールのため半額になっていた「NieR:Automata」をDL購入してプレイした。イージー設定で、いわゆる「クリア」の3周プレイ終了するのにまるまる一週間ぐらいかかった。以下感想になるが、あくまでストーリーとか世界観に関してのものになるので、ネタバレ必須だと思います。

 

ニーア オートマタ - PS4

ニーア オートマタ - PS4

 

 

 

〇あらすじ
宇宙から飛来したエイリアンがもたらした機械生命体によって人類は地球を追われ月に退避している遠い未来。人類は自分たちが作り出したアンドロイドによる地球奪還のための反攻作戦を行っていたが、機械生命体の圧倒的な戦力により、衛星上の基地からの侵攻作戦は数百年膠着状態にある。
そんな状況の中、プレイヤーが操作する主人公は、単独で現在の地球上がどうなっているかを調査するための戦闘に向かうことになる。地球上では機械生命体が独自の進化を遂げており、人類の歴史から学ぼうとしていた。
小さな不戦コミュニティーを作るもの。王国をつくるもの、宗教に基づくカルト集団をつくるものなど、さまざまな状況が明らかになると同時に、実はその機械生命体を作り出したエイリアンも数百年前に滅んでおり、機械生命体は独自に進化を遂げていることが判明する。
一部の機械生命体から、外見がアンドロイドにそっくりな個体が生み出される。そのアンドロイドを剣で切り裂くと、そこから更に同じ形態の人間にそっくりな機械生命体が生み出される。
数々の戦闘の末その二体の人間型機械生命体を倒すが、今度は巨大な塔が地下からあらわれて、機械生命体の概念人格が独自に調査していた情報が保管されており、そこにはヨルハ部隊が作られた理由は。そして最終的にはその塔は、月にある人類保管サーバーを破壊する砲台であると言うことがわかる。最終的にそれを破壊したのか?どうなったのか?その辺はよくわからないまま終わる。
(※独断と偏見に基づく筋書きのため、多分に間違っている可能性が高いです。ご自身でプレイされた実感を優先して下さい。)

ニーア オートマタ - Wikipedia

 

〇世界観と世界
基本的にプレイヤーが操作するキャラクターはヨルハ部隊の2Bという女性型アンドロイドである。しかし、外見や振る舞いは限りなく人間に近い。その上で戦闘能力や、ネットワーク機能などが付加されておりゲームシステムとの融合した存在となっている。
いろいろなサイトで紹介や感想を書かれている方が絶賛されているが、全体のデザインが素晴らしく、統一された世界観がゲームの世界に没入することに喜びを与えてくれる。
既に人類が地球上から姿を消して数百年?立っている世界なので、人類がかつて繁栄していた形跡は全て廃墟になっている。廃墟好きにはたまらない世界だと思う。
レジスタンスという存在が地球上にいるのだが、彼らもアンドロイドだろう。人間そっくりだが、セリフを決まったことしか言わないというゲームのNPCであることとアンドロイド(つまり機械)であることは大変親和性が高い。それ以外はフィールドには敵である機械生命体と野生生物しかいないので大変静かなのである。さらにボーカルをフィーチャーしたBGMがフィールドごとに流れているのだが、それも大変心地よく、ヘッドホンを付けてボリュームを大きめにしていても全然不愉快にならない。

 

NieR:Automata Original Soundtrack

NieR:Automata Original Soundtrack

 

 

〇ヨルハ部隊と2B
プレイヤーキャラとしての2Bのデザインがそもそもこのゲームをやってみようと思わせる理由だったのだが、そのデザインセンスの良さには本当に恐れ入った。同じく9S、2Aや衛星上の基地の司令官、オペレーターなどの服装のデザインも素晴らしく、いつまで見ていても飽きない。こんどドルフィーで出るようだが、最初からそうなるためにデザインされているような気さえする。コスプレでもこの2Bになっている方の写真を沢山見かけるが、そういうレイヤーさんを沢山この世に生み出してくれたこのゲームに感謝である。

 

 

〇個人的なツボ
最後に私の個人的なツボだった部分について書いておく。まず、主人公2Bの声優さん(石川由依)の声である。このへんはその道の人からはきっと「何を今更」なので多くは語らないが、ぐっとくるとしか言い様がない。人の喋り方が与えてくれる官能というものは、本当に説明出来ない快楽の一つだろう。恐らく声優本人が目の前で喋ってるのを聞いてもそうは思わないと思う。このキャラクターの外見で、この声、この喋りというのがぐっとくるのだと思う。まあ、この世界は深みにはまると大変そうなのでこのぐらいにしておく。
もう一つはやはりキャラクターのデザインだ。コスチュームのデザインも含むのだが、人類が消え去って遙かな時間がたった世界で、このような趣味の良い外見の機械とアンドロイドが果てしない闘争を繰り広げているという想像は、頭の奥の方がツーンとするような感動をおぼえる。
最後に一つ。タイトルの「ニーア」ってなんなんでしょう?ニールス・ボーアの略ではないですよね。

 

スティーブン・キングの「書くことについて」を読んだ

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この手の本はすでに何冊目だろうか?このブログに書いていない本も含めて数十冊は読んでいる気がする。
もともとこの本は「月刊シナリオ教室」8月号のミソ帳倶楽部ダイジェストに紹介されていたので、手にとってみたのだが、久々に当たりだった。というか自分のスタイルに合っていると思った。

 

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

 


記録していない本も含めて、小説の書き方や物語の作り方という本は、二桁は確実に読んでいる。二桁といっても三桁に手が届きそうな数ではないが、それでも、既に内容もタイトルも覚えていないようなものも合わせれば結構な数になると思う。しかしそれらを思い返してみてもこの人の言うことが一番しっくりきた。この人なんて恐れ多いが、実際に読んでみると前半部分の自叙伝的な部分、スティーブン・キングが作家になるまでの道のりで、幼少の頃からどのような人生を生きてきたかの部分を読むと、本当に親しみを感じるというのがわかっていただけると思う。初めて書いた本を母が褒めてくれたところや、兄とミニコミ誌を作っていたエピソードなど読んでいて胸が熱くなる事しきりだった。

〇書くことについて
高校の時にリスボンの週刊新聞の記者ジョン・グールドに言われたこと「何かを書くときは自分にストーリーを語って聞かせればいい。手直しをするときは余計言葉を全て削ることだ」更に含蓄のある言葉を口にしたと書かれている。曰く「ドアを閉めて書け。ドアを開けて書き直せ」だ。
これをキングが言い換えた言葉が「原稿を書き、完成させたら、後はそれを読んだり批判したりする者のものになる」ということだそうだ。
更に次の章(かなり短い)で「書くこととはーーーずばり、テレバシーである」と書いている。この内容もかなり私には合点がいった。
というのも昔、SFのような小説を書いていたとき(完結しなかったが)その当時の映画で「ブレインストーム」というのがあった。その映画の中で、脳から全ての情報をある機械で記録することで、それを他人が再生すると、自分がしているのと全く変わらない「体験」が出来るというものが出てきたのだ。実はこれが出来るのは文字を読む事だと思う。ここでキングが言っているのは、時や空間を超えて(時には言語の壁も超えて)外の人間に思っていることを伝えることが出来る道具が書物なのである。それを大変簡潔な書き方で示している。

 

ブレインストーム [DVD]

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〇金のために書いているか?
スティーブン・キングはこの質問に対してはっきりNoと書いている。当たり前のような気がするが、彼は金のために書いたことは一文字もないそうだ。純粋に喜びのために書くと。創作というのは絶対にそうだと思う。絵を描く人間も、楽曲を作る人間も、これがいくらで売れるからそれを創るということをしたら終わりだと思う。しかし、これはそれを商売にしようとすることとはっきりと矛盾する。
あらゆる仕事がそうであったらいいとは思うが、残念ながらそうでない仕事の方が多いだろう。すなわち、これをやったら幾ら貰えるのかがはっきりわかっている事をやるということだ。しかし、クリエイティブな仕事をするためには、その対照表(労働=対価)が先に見えたら終わりだろう。

 

〇地中に埋もれた化石のようなもの
スティーブン・キングは雑誌ニューヨーカーの取材で「ストーリーは地中に埋もれた化石のようなもの」と答えたそうである。それを掘り出すのには繊細な作業が必要であると。それに対してプロットで話を作ることは、その地中に埋もれた化石を削岩機で掘り出すようなものだと書いている。これも、なんとなくわかる気がする。いや、しかし本当になんとなくだ。シナリオセンターではキャラクター造形を第一にするべきと教えられる。しかし、キャラクターを創ることは、その人間が形成された環境を創ることになり、それはストーリーと密接に関係していると思う。卵が先か、鶏が先かという問題になってしまいそうだが、化石を掘り出すというメタファーから考えると、やはりそれは切っても切れないものであると思われる。恐竜の化石を掘り出すとき、その地層は恐竜が生きていた時代の環境も一緒に封印して埋設しているはずだ。従って化石を掘り出していることは、その背後の環境も一緒に掘り出すことになるだろう。

 

 

〇作家がしなければならないこと
作家になるのに絶対にしなければならないことが二つあるとキングは言う。それは「たくさん読み、たくさん書くことだ。私の知る限りその代わりになるものはないし、近道もない」と。そして更にこう書いている。
「信じられない話だが、本をほとんど、場合によっては全く読まずに小説を書き、それを好きになってもらえると思っているものが、この世には少なからずいる……(中略)……ここではっきり言っておこう。読む時間がないのに、どうして書く時間があるのか。単純明快である」大変耳が痛い。しかしその後で大変素晴らしい励ましを書いてくれている。
「心ゆくまで読んだり書いたりすることに、後ろめたさを感じている方がいるとすれば、私が今ここで許可を与えるので、どうかご心配なく」ありがとう!キング先生!これからはこころゆくまで読んだり書いたりします。

「ひなた弁当」を読んだ

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妻が買ってきた「ひなた弁当」(山本甲士著)と言う本を読んだ。夕方読み始め、晩ご飯を挟んでしばらく読んで読み終わったので、四、五時間で読み終わることが出来ると思う。妻からさらっと読めるし、あなたは読むべきと言われたので読み始めたのだが、本当のその通りで非常に面白く、また示唆に富む内容だった。

 

ひなた弁当 (小学館文庫)

ひなた弁当 (小学館文庫)

 

 

 

〇あらすじ
住宅販売会社をリストラされた50がらみの男性が、再就職しようとするも上手くいかず、自殺まで考えるのだが、ふと拾ったどんぐりが食べられることを発見し、その後野草や川魚を食べることで、やがてはそれらの料理を使った弁当屋を始め再起する話である。
作者があとがきに書いているが、30年ほど前にニューヨークのセントラルパークで野草を採集し、それだけを食べて生きている人が紹介されていたことが、この話を書くきっかけになっているそうである。

〇人類と職業と食料
作中でも触れられているが、男は釣りから狩猟の喜びを得るというのは私も全く同感である。前にNHKスペシャルで人類の男の脳と女の脳の違いは、男は狩猟向きに、女は野草採取向きにそれぞれチューニングされて進化した結果このような違いが生まれたという説を見た気がする。いずれにしても、人類は生き延びるために食べなければならず、そのために狩猟や採集によって食料の調達を長い間続けてきたはずだ。ドングリを食べていた期間は八千年、米を食べるようになって二千年であり、ドングリを食べていた期間の方が断然長いという指摘にも驚かされたが、通勤電車に詰め込まれて、会社で上司の顔色をうかがい、客に頭を下げ、家族のご機嫌を取るという事をした結果銀行口座にお金が振り込まれる……という生き方をしている我々現代人はなんともおかしな生き方をしているものだと思う。

www6.nhk.or.jp

〇個人的に面白かった点
作中で釣りの楽しさを知った元ニートの少年が、人生の目標(釣り堀経営)を見いだし水産大学に進もうとするくだりがある。実は私も水産関係の勉強をした人間だが、私自身はそういう魚や釣り、漁業、海などを学ぶ事の先にそのような目標を全く持っていなかったため、逆に在学中水産を勉強することの意味というものをいろいろ考えた本末転倒な人間である。
そのときに、長野県の某所でしばらく暮らすことがあったが、現地の人はこの話に出てくるような淡水魚(フナ、コイ、オイカワなど)を食べるのである。恐らく日本全国の県のなかで海がない県がいくつかあるが、そこでも同じように食べていたのだろう。琵琶湖や霞ヶ浦などの湖でも淡水魚は大規模に漁獲されているが、恐らく近年は流通、消費量が激減していると思われる。私も長野県にいたとき、淡水魚の料理をいろいろ食べたが、やはり魚は海の方がうまいと信じていた。そして、それよりもやはり牛豚鳥の肉の方がうまいと思っていた。生意気にも学生だったときに養殖業者のひとに「牛豚鳥の肉は食べたくなるけど、魚の肉は食べたくならない」などと言ったこともある。
しかし、今50代になって必ずしもそうではないと思う。この本に出てくるような料理、フナの甘露煮やオイカワの南蛮漬けは、ファミリーレストランやファーストフードのわかりやすい味付けに慣れた舌にはわからない繊細な味があるのだ。タンポポやノビル、ドングリにしてもそうだと思う。
それらを弁当のおかずにして売ったとき、支持されるかどうかは難しいかも知れない。けれども、この小説を読み終わったら「ひなた弁当」を食べてみたいと思わない人は少ないのではないかと思う。

〇まとめ
前半のリストラから再就職ができず、ドングリに出会うまでのくだりは、同じような経験をした人間には、身も凍るというか、フィクションとは思えない感じがすると思う。私も自分の意思で転職し、派遣業界の(肉体的、精神的な)厳しさを垣間見てきたので、読んでいて他人事ではなかった。しかし、ただで食べられる食材に出会った後の主人公の行動は読んでいてふむふむなるほど、ほーっと感心しているうちにあれよあれよとストーリーが進んでいき一気に読める楽しい本である。
この本に書かれているようなことを実践するにはやはり人工的になりすぎた東京は難しいと思うが、逆に地方は人が減って自然も回復し食料をただで手に入れやすくなっているのではないだろうか。
初出は中公文庫で東日本大震災の前の夏に出ていたようなので、恐らくあまり話題にならなかったのかも知れない。今回は小学館文庫から出ており、私が手に取った本も既に五刷なので沢山読まれているとは思うが、震災後更に東京一極集中が進み、地方の過疎化進む今後はますます読まれる必要のある本だと思う。

自動読み上げ機能の未来

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iPhoneの読み上げ機能で本を読むことを始めた。他のはてなブログの方が書いておられて、興味を持ったことがきっかけだ。実際にやってみると、なかなか読書が捗る。ただし色々問題点もある。

 

〇良い点
私の通勤時間は短い上に歩き、電車、乗り換え、電車、歩きと、めまぐるしい。おまけに最近は老眼が進んで本を読むためには眼鏡をかけなければならない。スマホのリーダーなら、字をかなり大きくして腰ぐらいの高さに離せばなんとか読めるが、その距離を確保するのが困難な姿勢もある。そういう状況では今までは音楽を聴くぐらいしかできなかったが、この読み上げ機能を使えば、それぞれの異なるフェーズでずーっと本を聴くことが出来る。

 

〇悪い点
やはり、機械ならではの読み間違いが結構頻発する。Kindleを読ませても、カクヨムを読ませても「行く」を「いく」と読む場合と「こうく」(だったかちょっと定かでないが)とにかく同じ本の中でも読み方が変わる。その辺はアルゴリズムがあって、文脈や前後関係から判断しているのだと思うが、いちいち脳内変換しないといけないのはストレスがたまる。本を読むというのはもともと脳内で文字という圧縮された情報を展開し読み替える作業が連続するので、そこにさらにエラーコレクトを同時に走らせるということは、処理に負荷をかけることになる。そういうのがいやならやはりAudibleなどのサービスで、あらかじめ人間が朗読したものを聞く方がいいだろう。脳内補完が楽しいぐらい余裕のある内容であればこれも構わないと思う。

 

先日紹介した「コーヒーショップライフテクノロジーズ」も後半iOSの読み上げ機能で読んでみた。特にリブートのアダルトな部分を機械音声で読み上げて貰うのは、なんか、微妙に新しい体験な気がした。また、今読んでいる本は「ロートケプシェン、こっちにおいで」で、Kindleで無料で配布されていたので以前にダウンロードしておいたものだったが、読み上げ機能で読み始めたら意外と面白く、前作も買って読んでみようとおもってしまい、見事にAmazonさんの戦略にはまった気がする。

 

 

この読み上げ機能は、じつはAmazon Echoでも使えるらしいのだが、そうやって一度電子書籍で買えばAudibleで買い直さなくて良くなるようにして欲しいと思った。Amazonはこういうカニバリ的なサービスをやるからすごいなとおもうのだが、どうせやるなら、この読み上げ機能もっとどんどん進化して、たとえばミステリーなら渋いおじさんの声でよむとか、登場人物のセリフはそれぞれ違う声で当ててくれるようになると面白いと思う。また、アダルトな内容であればそういうニュアンスを持った声で読んでくれるとかあれば、そういう小説の需要ももっと高まると思う。

 

電車の中でスマホを持っている人は大抵動画を見ている。私としてはどうせ動画を見るならせめてテレビぐらい大きな画面で見たいと思ってしまうのでタブレットでもなんかもったいない気がしてしまう。しかし、朗読、本の読み上げであれば、いちいち老眼鏡を出さなくても本を読むと言うか聞くことが出来る。三谷幸喜の「ラヂオの時間」で言っていたが、ラジオドラマの可能性は人間の想像力がある限り無限である。まさにこの本の読み上げ機能がもっと進化して、朗読やラジオドラマぐらいに進化したらまだまだ本を書くことにも無限の可能性があると思うのだが…

 

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