常盤平蔵のつぶやき

ものづくりからもの書きへの転身を目指す文章修行のブログです。

「散歩する侵略者」を観た

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土曜日、自転車で転んだ。

 

角を曲がろうとしたら、曲がった先にピザの宅配ボックスのようなものを荷台に備えた3輪バイクが佇んでおり、ちょいと前ブレーキをかけたらあっけなく前輪が滑った。

そこから先は後からの想像だが、まず、左手を地面についた。

(左手の掌底のあたりがしばらくジンジンと痛かった。)
その後さらに腕から肘が地面について

( 腕時計のガラスが割れていた。)
最後に頬骨がアスファルトと触れ合った。

(地面に頬ずりしたのは久しぶり、というか初めてかも)

そんなに強くではなかったが顔が地面に着くまで首や胴体が支えきれなかった。
痛みというものはかなり気分を悪化させ、イライラさせるものだということを久しぶりに実感した。家に帰ってから2時間ほど左手の掌底を冷やしていてようやく、じんじんが治った。

 

その翌日の日曜日、表題の映画を観に行った。

場所は立川のシネマ2である。最近ここで「君の名は。」とか「シン・ゴジラ」とか立て続けに観に来ているが、なかなかいい映画館だと思う。

 

君の名は。

君の名は。

 

 

シン・ゴジラ Blu-ray2枚組

シン・ゴジラ Blu-ray2枚組

 

 

 

建物がモダンな感じで一見美術館のような感じである。シネコン風の作りだが、画一化したショッピングモールなんかにあるTOHOシネ○ズなんかとはちょっと違って殺伐としているのがなんかいい感じだ。

 

なぜこの映画を見に行くことにしたのか?実は全く直前まで公開されることを知らなかった。

金曜日の鶴瓶の番組で長澤まさみがゲストで出ていて、番組で宣伝していたのだが、タイトルからしてまさに私好みの内容の映画だったのでこれは是非観なければと思い、その直後に予約しておいた。

 

散歩する侵略者 (角川文庫)

散歩する侵略者 (角川文庫)

 

 

前置きがずいぶん長くなったが、この映画を観た感想を書く。恐らくネタバレになるので観ていない人は、観てから読んだ方がいいかもしれない。上にリンクを張ったように小説もあります。

 

あらすじは、地球を侵略に来た宇宙人がなぜか攻撃力もあるのに、まずは人類のことを理解しようと3人の斥候を送り込んでくる。そいつらは人間から概念を奪うので、奪われた人間はその概念が消失しわからなくなってしまう。しかし、その「概念」から解放されることで幸せになったり、不幸になったりもする。


最終的に宇宙人は侵略を始めるが、ある概念を奪って、それを知ったことで侵略を中止するというオチだ。ある概念というのがまさに「○は地球を救う」のアレなのだが、それ自体は全然間違っていないと思う。

 

もともとこの映画の原作は小説だが、そのさらに元は演劇なのだ。そう考えてみると劇中で扱われる「概念」は、演劇を観ている観客に考えさせる仕掛けとして選ばれていることがわかる。そこがちょっとこの映画を説教臭くしていると思う。

www.ikiume.jp

でも、それを差し引いても、私はこの映画を観て長年のモヤモヤが少し晴れた気がした。そのモヤモヤとはズバリ「狙われた街」だ。


ウルトラセブン第8話「狙われた街」は実相寺昭雄監督が撮った同シリーズの中でも傑作と言われているものだ。その中で地球を侵略しに来たメトロン星人はモロボシダンに向かって「我々が手を下さなくても地球人はお互いに殺しあって滅亡するだろう」と捨て台詞を吐いてからウルトラセブンに倒されるのだ。
(余談だが、メトロン星人って魚を上から見た姿に似ていると思う。だからどうということはないが。)

 

 

観る前にこのタイトルを聞いただけで、この話の、言わばアンサーになりうる映画だと感じたのだ。果たして、どうだったか。

松田龍平演じる宇宙人は、なぜか散歩ばかりして地球人への理解を深めて(?)いる。同じ勢いで犬に話しかけ、噛まれてひどい目にあったりもする。

その妻の役の長澤まさみは、宇宙人に乗っ取られる前に夫が浮気していたことに怒っているため、基本姿勢が常に攻撃的だ。

この二人の掛け合いが、ちゃぶ台を挟んで話し合っていたモロボシダンとメトロン星人の雰囲気を引き継いでいると感じた。そして、ウルトラセブンにはなれない長澤まさみだからこそ、男と女としてあのラストの展開へともっていくことが出来たわけで、数十年を経て一つの答えをもらえた気がしてちょっとうれしかった。(あくまで個人の感想です)

 

またまた余談だがこの長澤まさみの演技が素晴らしかった。金曜日の鶴瓶の番組でも鶴瓶が絶賛していたが、演技に安定感がある。安心して見ていられる。やっぱり若い宇宙人役の2人なんかは、決して下手ではないし、難しい役どころを堂々とやっているのは確かだ。だが、長澤まさみの安定感というのはまさに映画を背負う屋台骨として物語の中心に居ることだ。女優として脂が乗ってるということはこういうことなんだなーと思った。

 (全然関係ない写真集ですが・・・)

Summertime Blue―長澤まさみ写真集

Summertime Blue―長澤まさみ写真集

 

 そういえば、この長澤まさみは「君の名は。」にも先輩の役で出てたのを思い出した。あの時の役と比べても、今回の役柄そのものが彼女の演技に合っているのかもしれない。「あー、やんなっちゃう」と言うセリフにはしびれた。

それを言ったら長谷川博己は「シン・ゴジラ」で堂々の主役をはっていたが、今回はちょっとヤクザなジャーナリスト役だった。監督からは「 カート・ラッセル」風で、と言う注文だったらしいが。

 

ニューヨーク1997 [Blu-ray]

ニューヨーク1997 [Blu-ray]

 

 この長谷川博己のコメントで、ラストの方の演技で「痛みという概念」がないのであのような動きになった、というものがあった。やっと冒頭の話に繋がるのだが、痛みって概念として知らないと、痛くないもの・・・では無いと思った。

宇宙人の方は実体を持たない「精神寄生体」のような存在なので、生物としての基本的な原則が通じない・・・と言うことは無いはずだ。生物は生存本能、それは痛みや恐怖を有益な情報として関知できるからこそ、生命たり得ると思う。それは我々と違う組成の存在であっても同じはずだ。

地面に掌底を食らわして、逆に頬骨を殴られたわけだが、そこから来た鮮烈な痛みは、概念では無く実感だ。それが無い生命体は進化出来ない。と私は思う。