常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

青春の光と影の街

今週のお題「好きな街」

 

何とも泥臭いタイトルになっているが、やはり若い頃に住んだ街を今思うと本当に懐かしく何とも言えない感慨が心に満ちてくる。その街とは長崎である。

 

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上の写真は野母崎から見た軍艦島である。市内からこの浜までは丁度いいドライブコースなので土日は渋滞する。夏はさらに海水浴客で混雑を極める。たぶん今も変わらないだろう。当時私はオフロードバイクに乗っており、デイパックにコンパクトロッドを突っ込んで道路沿いの小さな漁港をまわってルアー釣りを楽しんでいた。5,6センチの小さめのジグを使って、湾内を探るとギンガメアジという手のひらぐらいの大きさの回遊魚が沢山釣れた。持って帰って塩焼きにして食べることも出来た。マアジと違って淡泊な味だが自分で釣った魚の味は格別だ。晩ご飯のおかずも一品浮く。

 

軍艦島にも思い出がある。私がいた頃も基本的に立ち入り禁止だった。今は世界遺産にしょうといろいろ整備されているみたいだが、その頃は必要最低限の整備を続けている感じだった。島に渡るのはほとんどは釣り目的で瀬渡し船に乗っていく。私は友人の誘いで一緒に探検に行った。その後NHKのロケのバイトでもいった。この時は島で一晩を明かした。この島の魅力は一言では言い表せないが今の姿から否が応でも過去の姿を想像してしまう凝縮された街並みに有ると思う。ここでこういう風に暮らしてたんだろうな・・・というのがありありと目に浮かぶのだ。

 

また、浜の町という長崎市内のアーケード街があって、そこもよく歩いた。アーケードから細い路地を入っていくと、また何とも言えない風情があって本当に楽しかった。長崎の中心部は路面電車が走っている。もちろん今も走っているだろう。私がいた頃はどこまで乗っても100円だった。道路の真ん中に線路があるので、交差点を渡るときは線路とその周りに敷き詰めてある石畳みを突っ切らなければならないこともある。バイクでそこをとおるのは結構怖い。私みたいなオフロードバイクはそんなに問題ないが、一度原付が線路で滑ったあげくウイリーして吹っ飛ぶのを見たことがある。そういえば長崎ではよく事故を見た。

 

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 この記事にも書いたが、この愛野展望台を抜けてさらに島原半島に向かうと、雲仙が見えてくる。上まで登ると地獄巡りや温泉には入れてちょっとした旅行気分だ。あの普賢岳火砕流は市内の喫茶店でランチを食べているときに、テレビで生中継していたのを思い出す。その後実際に土石流が流れた場所を見に行ったが、自然が起こす災害というものの規模の大きさを思い知った。

 

私にとって長崎は第二の、もしくは心の古里である。今も住んでいる人からすれば、既に昔の話ばかりだろう。数年前に訪れたときも町中の風景は激変していた。ショックで街をさまよいながらぼーぜんとした記憶がある。私の青春の光と影はどんどん消え去っていた。やはり「古里は遠きにありて思うもの」なのだ。

 

個人的「トイレの壁」

 

東京で暮らしていて最近特に感じるのは、駅や公共のトイレがきれいだと言うことだ。「割れ窓理論」によって、一つでも落書きを許せば続々と後から追随する人間が出てくるから、清掃する人たちがこまめに消しているのだろう。

 

昔九州・長崎は島原のフェリーの待合室にある男子トイレに入ったとき、小用の便器の目の前に「一歩前へ」と書いた張り紙があって、その横にマジックで「○○汽船は殿様商売しよんね」と書いてあって、何も命令口調で書いてあるからといってそこまで反感持たなくていいのではないかと思ったが、そういう落書きもほとんど見かけない。

 

かつての公衆トイレの壁と言えば「謎(だけど公知)な記号」とか「ボランティア精神あふれる女性の電話番号」なるものが書かれていたり大変賑やかだったと思う。そういうものはどこへ行ったのだろうか?別に世の中からなくなって困るどころかうれしいものの一つだと思うが、一方で人間の感情まで消えたわけではあるまい。

 

そこでふと思い当たったのがタイトルにある個人的な「トイレの壁」だ。みんなが電車の中でスイスイと指で触ってるあの板こそがそれなのではないだろうか。昔2ちゃんねるなんかの書き込みはその名の通り「便所の落書き」と言われていた。匿名なので不満やストレスのはけ口としての書き込みも多かった。今は私が2ちゃんねるをほとんど見なくなってしまったのでどうなっているかわからないが、恐らく今も変わらないだろう。

 

そのおかげで、現実の「トイレの壁」に書く必要がなくなったのでないか。ローカルなトイレの壁に書いても読む人はたかがしれているが、公的な「@トイレの壁」であれば一度に数万単位の目に触れる。その方がうっぷんの発散には効果的だろう。

 

自分としては、このブログがそういうものにならないようにしようと、努力はしているがたまにはそういうものも書いてみようかと思う今日この頃である。

 

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出されたものを食べること

今週のお題「給食」

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              (※写真はイメージです)

 

メニューや食器の種類などの考察はしない。その方向から考察すると自然に年代がバレるの。ばれて困ることもないけど、その他の世代の人達が何を食べてたか知ってもあまり意味はないと思う。むしろここでは学校で給食を食べるということがどの様な経験であったかを考えてみたい。

 

古来から寝起きを共にして暮らすことを「同じ釜の飯を喰う」というが、給食は昼飯だけとはいえそのような経験に属すると思う。小学校一年生から中学三年まで9年間の土日祝祭日と夏休み、冬休み、春休みを除く日数分の昼飯を一緒に食べていたわけである。

 

先生が見守る中給食当番は配膳を行う。小学校の時はパンとおかず大と小、牛乳とお茶が基本だった。給食時間になると机を「班」の時のように移動させるのもあった。6人一組で向かい合わせて島を作るのだ。そこにさらに先生が日替わりで机を持ってきて一緒に食べると言うこともあった。週に一回はご飯の日があったので箸で食べることもあった。

 

そういうときは箸の持ち方が問題になって、本当にひどい持ち方で食べている奴もいた。かくいう私も先生にチェックされたら、やはり持ち方が若干おかしいと言われた。そうやって世間と自分の箸の持ち方の違いのようなことがわかるのも一緒に食べるメリットだろう。それ以外にも好き嫌いなんかも、家では許されていても、実際みんな食べているのを見て思い直す奴もいるかもしれない。我々の時代は嫌いだからといって残すと怒られた。

 

給食の後は掃除の時間だったが、ブドウパンが嫌いでそれをずーっと食べられずに、掃除の時間中も給食をにらんでいた奴がいた。食べる食べない以前にほこりが舞って今考えるとひどく不衛生なことを平気でやっていたなと思う。

 

給食というのはパブリックな食事でありながら、出されたものを食べるという形態なので、どちらかというと家庭の食事に近いのではないか。だからかどうかはわからないが、今の職場の食堂ではいろいろメニューが選べるのだが、その中で一番安くて、普通の食堂とかだったら選ばないメニュー(B定食440円)を選び続けている。(冒頭の写真はある日のB定食)

 

よくよく思い出すと、その前の大学生協の食堂でも同じようにそっちはAランチ320円ばかり食べていた様な気がする。大学生協の場合は夜もだった。まあ、夜は飽きると大学の周りにある定食屋や中華屋に行っていた。しかし昼はまさに決まったものを食べていた気がする。

 

むしろ昼は好きなものを選んで食べてもいいと言われると困ってしまう。ここに来る前の職場では毎日仕出し弁当350円を食べていた。これも完全に給食思想である。メニューは固定。一応選択肢はあるのだがその中の1種類のランク固定で10年ぐらい毎日届いたものを食べていた。もしこの仕出し弁当を頼まなかったら、目の前にあるコンビニで何かを買ってきて食べるしかない。昼食を食べるのにあれこれ考えるのが面倒くさいからとその時は思っていたが、実はこの発想は小中時代の給食にあるのではないかと、ここまで書いて思った。

 

いいとか悪いとかは特に思わない。給食とはそういう経験だったのだ。

人間の「魅力」とは何かを改めて考えてみた

 

tokiwa-heizo.hatenablog.com

 

前回シナリオ教室の課題で「魅力ある叔父さん」について描くためいろいろ考えたが、改めて「人間の魅力」とは何か?というのは難しい問題だと気がついた。

 

例えば「女性の魅力」でも美人であるとかスタイルが抜群だとかは性的、本能的な吸引力のようなもので、言葉でそれを表現したり、自分が創造したキャラクターにシナリオ上で付加することは不可能だろう。そのような情報は視覚や嗅覚、聴覚などからもたらされるもので、そのような魅力を持った女性を配役してもらわないと無理なのではないか。

 

前回例に出したジェームス・ボンドも原作とはちょっと離れたアレンジによってショーン・コネリーを始めとする様々な男優が実体化させたことでキャラクターが固定化して、それがさらに魅力となっている。

 

シナリオというのはその前の段階で、映像を作るための設計図である。いわば骨格だから、この時点ではそういう生身の俳優が持つ容姿や声という「肉」の部分はない。その段階で魅力あるキャラクターを書くことが出来たらそれは素晴らしいことだろう。

 

今回アカデミーを五回目にして受賞することが出来たレオナルド・ディカプリオも今回の作品の脚本を読んでその役をやりたいと思ったとインタビューで言っていた。

講義の中ではシナリオを書くときは、配役を想定してその俳優へのラブレターだと思って書きましょうと言われた。やはり骨の部分にこういう肉がつくと言うのをあらかじめ考えておく必要はあるのかもしれない。

 

また、一方で本当に骨だけで魅力的と思わせる工夫も絶対必要だろう。そのために私が参考になると思いついたものがある。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出てくる人々である。正直見た目は俳優ではないからそんなに引きつけるものはない。しかし、やっていることやその信念などが人を感動させるし、魅力を生み出していると思う。

 

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魅力のある叔父さんとは?

先週末もシナリオセンターの基礎講座に行ってきた。
いつものように講義の最後に宿題がでた。
 
・第四回の課題「魅力のある叔父さん」(本文6枚)
 
わたし個人としての魅力ある叔父さんはズバリ「ジェームズ・ボンド」である。
初めて見た007映画は小学校の時で「ムーン・レイカー」である。
なので、私のボンド像は「ロジャー・ムーア」だ。年がばれるな。
私のイメージするジェームズ・ボンドは、肉体派と言うよりは知性派でピンチを知恵や秘密兵器で悠々と切り抜けて任務を成功させ最後は美女としっぽり・・・と言うものだった。

現在のボンド役であるダニエル・クレイグは当初青い目のボンドということでその部分が問題になったが、それだけではなく肉体派であると言う点がこれまでの歴代ボンドとは大きく異なっている。

逆にスカイフォールではアル中寸前であるようなイアン・フレミングの原作におけるボンドの設定が引き継がれているそうだ。射撃の成績がかなり悪いという描写があったが。

 

 ところで、先月四回にわたって100分de名著「アドラー心理学」がやっていた。

このNHKのテキストを買って読んでみて興味を持ったので少し前にベストセラーになっていた「嫌われる勇気」を買って読んでみた。
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 この本の最後の方で「人生は刹那の連続である」「いま・ここを生きる」というような内容がでてくる。

この部分を読んでいてふと、物語を作るときに大切なのはストーリーかキャラクターかという議論があるのだが、その答えもここにあるような気がした。

ドラマや映画に出てくる人物も物語の中ではあっても「今、ここ」を生きていることが必要だ。
自分に正直に瞬間瞬間を生きてきたからこそ、嘘偽りがなく前向きであるような人に見えるのではないか。すなわちそれがキャラクターとしての魅力になるはずだ。
(そうなるとやっぱり「平賀・キートン・太一」が私の理想のキャラクターになるなのだが)

 瞬間瞬間を自分に正直に、他者への貢献を目指して生きていたら、この人はどうしてこんなに大変なことをしているのに楽しそうなのか?と周りの人が思うような人になるはずである。

反対に悪役や悪の陣営側の人物は必ず「縦の関係」で構成されており、決定論的に行動する。
たいていの場合ボスの命令で動いているからもちろん結果ありきだ。
 
やはりストーリーの中で登場人物が生き生きと動き出すために、そのキャラクター(アドラー的に言えば「ライフスタイル」)を全方位に作り込んでおく必要があるだろう。
その人物をいろいろな状況に置けば自然と物語が動き出すはずだ。
 
 そういう魅力ある登場人物を創造してみたいものだ。

晴れた日にはオーストラリアが見える

今週のお題「方言」

 

私は元々愛知県出身なので名古屋弁に近い言葉をしゃべっていた。

名古屋弁に関してはタモリが「エビフライ」を「えびふりゃー」というとTVで言ったためにそれが一人歩きしている感があるが、それよりも特殊なのはイントネーションだと思う。しかし、名古屋弁に関してはあまりに身近すぎて客観的に語るのは難しいので今回はパスする。

そのかわり九州弁についての思い出を書くことにする。

 

大学時代に九州は長崎にいたので九州弁あるいは長崎弁についての方が客観的に語りやすいと思う。と言っても何か文化人類学的な考察をする訳ではない。

大学に入りたての頃にあったエピソードを紹介する。

私は大学に入り、サークルとしてバイクのツーリング倶楽部に入った。

ツーリングと言っても別に毎回泊まりがけで行くわけではなく、ただ単に走りに行くと言うことの方が多かった。バイクに乗って走っていれば楽しいと言う人間が集まった倶楽部なので当然だが、本当にある程度の距離を走って帰るだけというものだ。

例えば、長崎市内から出発して大村湾を一周するとか、島原半島を一周するという感じだ。

その島原半島に行く途中に「愛野展望台」と言う場所がある。そこに初めていって休憩して缶コーヒーなんかを飲みながら展望台から海を眺めていたときの会話である。

 

D先輩「晴れとったら、ここからかすかにオーストラリアも見えるとけどね〜」

私「え!そうなんですか?どっちの方ですか?」

D先輩「・・・・・」

H先輩「そんなわけなかやかね」

私「・・・・」

 

当たり前だが地球は丸いし、オーストラリアまでの距離を考えるまでもなく日本の海岸から見えるはずがない。(下のリンクに書いてあるが標高100m!しかないのだ)

しかし方言で言われたことと、大学に入り立ててで心が真っ白(!)だったのでつい本当かなと思ってしまったのである。

この2人の先輩は今は学校で先生をやっている。きっと楽しい授業をしていることだろう。今でも楽しい思い出の一つだ。

www.nagasaki-tabinet.com

小説家入門みたいな本3冊を読んだ

このブログの目的は「もの書きになるための文章修行」なので、すくなくとも書き続けることが大事だとは思う。しかしなかなか書く時間がない。

ところが文章を書くときに一番言い訳にしてはいけないのが「時間がない」であるようだ。これは村上春樹の「職業としての小説家」に書いてあった。

 

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

 

 本文中では自身の言葉ではなく、レイモンド・カーヴァーの文章を引用してあった。しかし村上春樹本人も全く同意見であると書いている。

これは、納得のいく文章を書く時にと言うことなのだが、短時間でブログを書いてもなかなか自身納得がいくという所まで書き切るのは難しいと思う。

 

その次に読んだのは高橋源一郎の「一億人のための小説家入門」だ。

 

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

 

 この本では、小説の書き方の前に、小説を書くとはどういうことかということを書くと最初の方に書いてあった。

文学とは「あなたの中にある、あなたにしか書けないものを書くこと」ということだった。そのために参考となるかなり奇天烈とも呼べる文章のサンプルが載っていた。普通だったらまず目にしない様な文章で、大変参考になった。自分の中からそのサンプルにあるような部分を引っ張り出すのはなかなか難しいだろう。

それは先述の村上春樹の小説論の中で「心の深いところに降りていって、自分の声を聞く」と言うことと通じるものがあるなと思った。

 

最後にアマゾンのKindleで半額だったので購入して読んでみたのが、森博嗣の「小説家という職業」だ。(村上春樹のタイトルと丁度逆だ)

 

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)

 

 その前の二冊とも共通していることは、とにかく書けということだ。そしてタイトルも似ているからかもしれないが、小説家として長く続けていくことの難しさを書いている。また、この森博嗣という人は大変明確に小説を書くことはビジネスだと言い切っている。自身の書き始めた動機が、趣味のために自由になるお金を得ることだったからだが、そのためには一作ではなく、その先の二冊目三冊まで見通して書くと言うことが大事だと書いてあった。

 

これら三冊で得たことを十分生かして下記に応募しようと考えている。締め切りは2月29日。結果が出るのは6月頃だ。

shortshortawards.com