常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

シナリオ教室に行ってきました(第三回)

先週土曜日(2月20日)もシナリオ教室に行ってきました。
講義の内容はここには書けませんが、大変ためになる内容でした。
ついに自己紹介もあって、どんな人がシナリオを習いに来ているのかわかったのはなかなか興味深かったです。みんな若いです。いいな〜将来性があって。
まあ、嘆いていても始まりませんのでわたしも淡々と勉強を続けます。
 
今週出た宿題は
 
「イライラしている人」(本文4枚)
・本文中ずーっとイライラを続けること。怒りを爆発させたりして解消してはいけない。
 
とりあえずぱっと思いつく「イライラしている人」の案を書いてみます。
 
・トイレに行きたい人
いろいろなシチュエーションがありますが、いずれにせよトイレネタはあまり美しくないので、かなりの必然性がないと使いにくいですね。
 
・おなかが減っている人
これもどんな状況でおなかが減っているかによってもイライラが変わってきそうです。
戦場で塹壕の中で敵襲に備えて待機しているなんかの状況だと、おなかが減っていることもイライラの原因ですが、敵襲がいつ来るかもイライラの原因になりそうです。
 
・張り込みしている刑事
これも張り込み中は神経を張り詰めていると思われるので、もちろんちょっとした変化にイライラを募らせるということがあるでしょう。ベテランと新人の組み合わせにして、新人がイライラして先走ろうとするのをベテランが押さえる・・・という感じだと長引かせることが出来るかもしれません。
 
・渋滞してる道路で車を運転している人
渋滞中はイライラしますよね。しかしこれも車内を楽しく過ごす工夫があれば運転手以外はそんなにイライラはしないかもしれません。家族連れなんかで子供が、トイレだとか酔ったとか言い出すと親はイライラするでしょうね。
 
・花粉症の人
これは本当にイライラします。わたしの経験からですが、初めて花粉症になったときは、目玉を取り出して洗いたいとか、鼻を取り替えて欲しいとか本当に思いました。あんまりひどいとイライラを通り越して絶望的な気分になったりするので注意が必要です。
 
いっそのことこれらすべてを複合して「トイレに行きたいのを我慢している人とおなかが減ってる人が乗っている車を運転している花粉症の張り込み中の刑事」というのもアリかもしれません。あまり乗り合わせたくない状況ですが・・・
 
張り込みというか刑事物、バディものでわたしの好きな作品に「48時間」というのが有りますが、全編エディ・マーフィーが大活躍なので、あえてこのシーンというのはピックアップしません。エディ・マーフィーは同じく刑事物の「ビバリーヒルズ・コップ」で「排気管にバナナはダメだ!」というセリフがあるのですが、個人的に相当ツボにはまりました。吹き替えだと面白さが伝わりませんので是非とも本の音声で聞いて下さい。あのシーンは何度観ても笑えます。映画としては断然48時間の方が面白いので、そちらを貼っておきます。 そういえば共演のニック・ノルティは相当イライラしてたな。
48時間 [DVD]

48時間 [DVD]

 

 

部屋といえば・・・

今週のお題「わたしの部屋」

 

お題だけは欠かさず書くというマイルールでブログを書いていますが、今回もまた割と書きにくいテーマです。

なぜなら、今は「わたしの部屋」と呼べる部屋はないからです。もし自分が力士だったら「わたしの部屋」はどこがいいかとか考えるのも面白いかもしれませんが、相撲にもあまり詳しくないので、かなり困っています。

 

相撲つながりで無理矢理書きますが、前働いていた会社の近くに佐渡ヶ嶽部屋があったので、ブルガリア出身の力士の方とか見かけたりしましたが、時々近くのコンビニに行くと力士の人とすれ違うことがありました。

テレビで観ているだけだとわかりませんが、力士の人とすれ違うと割といい匂いがします。良い、悪いというのは感覚なので万人がそう思うかどうかはわかりません。あれは何の匂いなのでしょうか?白粉?鬢付け油?とにかく圧倒的なボリュームで不思議な匂いがします。

あと稽古が終わって、どこかに遊びに行くのかもしれませんがあの巨体で普通にママチャリみたいなのに乗っているので、自転車も頑丈だけどお相撲さんは筋肉で出来ているのは本当なんだなーと思います。自転車が可哀想に見えますが。

 

無理矢理相撲ネタを書くのも限界があるので、最後に今後自分がほしい「わたしの部屋」を書いてみたいと思います。

部屋自体はそんなに広くなくてもいいのですが、机だけは広めがいいです。27インチのモニターを置いても圧迫感がないぐらいの大きさがいいですね。あとは天窓があって空が見えるといいなーと思います。寝転んで星空が見えるような大きさの天窓です。そうすると必然的に最上階とか屋根裏部屋みたいなところになると思いますが、夏は地獄ですからねー。エアコンもあったほうがいいな。

 

そうそう最近読んだ漫画で部屋(と言うか物件)をテーマにした漫画があったのですが、この漫画に出てくる双子の姉妹がちょっと力士体型だったということで無理矢理つなげておきます。

 

 この漫画の中で、東京のいろいろな街が紹介されていますが、本当に地方出身者からみると、どこまで行っても同じような内容と規模の街が続いてる感じがします。それぞれ土地ごとに個性があるというのはある程度住んでみないとわからないでしょう。それを選べる楽しみはあると思います。

 

そういう意味では昔住んだアパートの部屋とかを書けば良かったのかなー。でもやっぱり賃貸の部屋はどこまで行っても借り物ですから、いつかは本当に「わたしの部屋」が欲しいなと思います。

今週のシナリオ教室の宿題

この土曜日にもちゃんとシナリオ教室に行ってきた。
そこで来週までの宿題が出た。
その内容は以下のものである。
 
迷っている人を台詞やナレーションをあまり使わないで表現する。
パントマイム法を使う。
ペラ(200字詰め原稿用紙)3枚
 
私が考えた案は以下のものだ。
 
・車を買おうとしている夫婦
  セダンかスポーツカーにするかを悩む夫側の心理。妻はセダンがいいと思っている。
 
・映画館でアクションものか恋愛ものかでもめているカップル
  戦争アクションものを観たい彼氏と、恋愛ものが観たい彼女の葛藤。
 
・バレンタインで同時に二人の女の子からチョコレートをもらってどちらを受け取るか悩む小学生
  子供向けの漫画なんかではよくあるシチュエーション・・・かな?
 
・天気予報を聞きながら傘を持っていくかどうかを考えているOL
  実際に天気予報の説明が複雑で夕方には止む可能性もあるとか、逆に降り出す可能性があるとか判断に迷うことはあると思う。
 
・自販機の前でブラックにするかミルク入りの甘いコーヒーにするかを迷うサラリーマン
  ダイエット中、もしくはこれから痩せようと思っている(私か!)が自販機の前で砂糖ありにするかなしにするかを悩むことってないですか?
 
どのみち3枚なので、オチまでつける必要はないという条件付きではあるものの、回想もナレーションもなしで映像だけで、動作だけで人が「迷っている」ということを説明するのは考えてみるとなかなか難しい。
 
この動作だけでと言う部分が「パントマイム法」と言うことなのだが、動作ばっかりと言うことは「ト書き」ばっかりということになりそうだ。迷うというのは普通一人の頭の中で起きていることなので、台詞として心情を吐き出すことは独り言になるので、映像的にしゃべらせようとすると説明的な台詞になってしまい面白くない。
 
ナレーションを使えないとなると全く動きのない絵になってしまうだろう。天気予報と傘とか自販機の前とかは難易度が高そうだ。
 
会話をしながら迷っているシチュエーションだとやはり自動車購入か映画館の前の二つがやりやすいかもしれない。
 
ストーリー上においてAかBか選択するという場面は、その後の展開を決めるという意味で今後も必ず出てくるだろうし、力を入れて書かなければならない部分だと思う。
 
まさにこの「AかBかを選ぶ」ことで話の展開が変わることをストーリーにしたドラマがあった。
バカリズム脚本の「素敵な選TAXI」である。

 

小説 素敵な選TAXI (ポプラ文庫)

小説 素敵な選TAXI (ポプラ文庫)

 

 

ただ、このドラマの場合はやってしまってからどういう結末になるかを経験した上で、改めて選択した場面まで戻ってやり直すことが出来る世界だったので、選択する場面ではそんなに迷っている描写はなかったように思う。
 
今、どの案で宿題を書き上げようか、本当に迷っている。どの案でもそんなに大差ないとは思うのだが・・・
 

最強の食事・・・?

昨日の続きで、まだ全体の3分の1ぐらいしか読んでいないのだが、本文中に「完全無欠(Bulletproof)のレシピ」とか「完全無欠のコーヒー」という文が頻出するのがどうにも違和感を感じる。まあ、本を売るためにはそのぐらいの売り文句でないと買った人も納得しないからというのもあると思うが。

 

しかし、少なくともここまで読んできて、全く聞いたことのない説を持ち出しているという部分はあまりないというのが正直な感想だ。基本的にこれまで言われていることをベースに、自分なりのリサーチ結果を加えてよりよいものに仕上げたという感じ。この辺が「ハック」という感覚なのだろうか。

 

私自身も昨日紹介した丸元淑生の本に出会ってから、全粒粉でチャパティを焼いてみたり、大豆サラダを作って食べてみたりしてきたが、正直今ひとつ納得いかなかった部分もあった。

 

システム自炊法―シングル・ライフの健康は、こう守る (中公文庫)

システム自炊法―シングル・ライフの健康は、こう守る (中公文庫)

 

 それは主に味の部分である。体が必要としているものは恐らく快感原則によってその時々で「美味しく感じる」というシグナルによって自分が正しいものを今食べていると判断できるのではないかと思うのだが、丸元流だと、ある範囲内に限られてしまうので、その食事を楽しめる所までは正直修行に近い。

 

確かに無水で蒸したブロッコリーはうまく出来たときは食べると本当に美味しいのだが、そればっかり食べ続けるというのも無理があると思う。その点で、この「最強の食事」はもう少し幅を広げてくれることを期待していたが、その点はあまりなさそうだ。むしろ丸元になかった視点として、カビ毒による害を除去しなければならないという視点はさらに食事をとるときに神経質にならなければならないので結構げっそりする。

バクテリアの毒を無毒化する方法を誰か発明してくれないだろうか。それによって無毒化された材料で作られた食べ物こそが「最強の食事」のような気がするのだが。

バイオハック(?)による減量を試みます

ここのところ数年来、ずーっと年間の目標にしていることに

体重を70Kg以下にする

という項目があるのだが、残念ながら毎年目標を達成できない。それどころか、ついに76kg台になってしまった。さすがにこれではいけないと思い方法を考えることにしたのだが、そこで以前出ていた本で気になったがそのままスルーしたものを買って読んでみた。

 

シリコンバレー式 自分を変える最強の食事

シリコンバレー式 自分を変える最強の食事

 

 読み始めてすぐに衝撃的な一文に出くわした。

1950年代、アンセル・キーズという科学者がかなり説得力を持つ研究を持って「飽和脂肪酸は心臓病の原因になる」と主張して栄養学会を揺るがした。・・・(中略)この理論には科学的裏付けなど全くなかった。

 な、なんだって〜!!本当なのかキバヤシと聞きたくなるほどのショックだった。

基本的にこの辺を根拠として丸元淑生が書いていた「豊かさの栄養学」などの著作を参考に食事の栄養を考えてきた私としては、これまでの蓄積が根底から崩れることになる。

丸元淑生 - Wikipedia

 

図解 豊かさの栄養学 (新潮文庫)

図解 豊かさの栄養学 (新潮文庫)

 

 だから丸元先生もガンでお亡くなりなったのだろうか・・・と余計な心配をしてしまうが、とにかく科学は日進月歩であり、まして小保方さんのような人が昔いたとしても全然不思議ではない。常に検証とアップデートが必要だ。

 

まずは本を通して読んでみて、本当に信頼に足る方法かどうかも検証したいと思います。

Day in, Day out

先日星にお帰りになったデビッド・ボウイ歌っていた歌のタイトルではなくて、内田美奈子の漫画のタイトルである。

 

DAY IN, DAY OUT (サンコミックス―Strawberry series)

DAY IN, DAY OUT (サンコミックス―Strawberry series)

 

 この漫画を書いていた頃の内田美奈子のタッチは本当にいい。少女漫画とは一線を画しているが、大友克洋以後のドライな線でもなく、そのくせ画面は白い。

 

この漫画の中で「世界のランチを食べ尽くす」という言葉の出てくる話があったのだが、なぜか会社の食堂で昼のB定食を食べているときにふと、そのことを思い出した。

今日のB定食は「サワラのマヨネーズコーン焼き」という、ここの食堂でしかお目にかかったことのないメニューだが、意外に美味しい。

 

実際この職場に来てからこっち「来る日も来る日も」B定食を食べ続けている。もう既にこの食堂のB定食のメニューだけなら食べ尽くしたといえると思う。

一万円札理論

これは以前居た会社で同僚から聞いた話である。その同僚も誰かから聞いたと言っていたのだが、原典が何であるのかはよくわからない。

 

タイトルにある「一万円札理論」のことである。その理論はこうだ。

 

Q、あなたは今、ここで自分が持っている一万円札を破ることができますか?

私もその同僚からこう問いかけられて、破れなかった。

Q、なぜですか?

破る理由がないし、破ってしまったら銀行でお札を取り替えてもらわなければならないし、破ることで得することがないから。

Q、出来るけど、やらないと言うことですね?

そうです。いや、やろうと思えば出来ますが、やりたくありません・・・?

 

結論

やれば出来るといいながらやらないということは、実際は出来ないことと同じである

 

いかがだろうか。なんか狐につままれたような、ペテンに掛けられたような気がしないだろうか。実際の話自分の知り合いを捕まえて、全く理由も説明せずに「今あなたが持ってる一万円札を破ってくれ」といって「よし、わかった!びりっ!」とやる人はまずいないと思う。もしやった人が居たらその人はもしかしたら人類を救う英雄になる素質があるのかもしれない。

 

自分が今持っている一万円札を破っても、自分には全く何の得もないし、後で銀行に行って交換してもらったり、もしかしたら紙幣を損壊することは犯罪※になるからとか頭の中で考えた結果破らないんだと、きちんと理由付けをしたとしても、本来紙である紙幣を破れないと言う理由にはならないというのがこの理論の核である。

貨幣損傷等取締法 - Wikipedia

 

結論だけを読んでみると、別に不思議なことは言ってないし、全くその通りだと思う。いろんな場面でこういうことはあるだろう。勉強するすると言ってしなかったり、健康のためにジョギングすると言いながら全然走らなかったりおそらく枚挙にいとまがないだろう。

 

しかし、である。何かこの一万円理論の理路がすっきりしない感が残るのはなぜなのだろうか?