常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

出されたものを食べること

今週のお題「給食」

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              (※写真はイメージです)

 

メニューや食器の種類などの考察はしない。その方向から考察すると自然に年代がバレるの。ばれて困ることもないけど、その他の世代の人達が何を食べてたか知ってもあまり意味はないと思う。むしろここでは学校で給食を食べるということがどの様な経験であったかを考えてみたい。

 

古来から寝起きを共にして暮らすことを「同じ釜の飯を喰う」というが、給食は昼飯だけとはいえそのような経験に属すると思う。小学校一年生から中学三年まで9年間の土日祝祭日と夏休み、冬休み、春休みを除く日数分の昼飯を一緒に食べていたわけである。

 

先生が見守る中給食当番は配膳を行う。小学校の時はパンとおかず大と小、牛乳とお茶が基本だった。給食時間になると机を「班」の時のように移動させるのもあった。6人一組で向かい合わせて島を作るのだ。そこにさらに先生が日替わりで机を持ってきて一緒に食べると言うこともあった。週に一回はご飯の日があったので箸で食べることもあった。

 

そういうときは箸の持ち方が問題になって、本当にひどい持ち方で食べている奴もいた。かくいう私も先生にチェックされたら、やはり持ち方が若干おかしいと言われた。そうやって世間と自分の箸の持ち方の違いのようなことがわかるのも一緒に食べるメリットだろう。それ以外にも好き嫌いなんかも、家では許されていても、実際みんな食べているのを見て思い直す奴もいるかもしれない。我々の時代は嫌いだからといって残すと怒られた。

 

給食の後は掃除の時間だったが、ブドウパンが嫌いでそれをずーっと食べられずに、掃除の時間中も給食をにらんでいた奴がいた。食べる食べない以前にほこりが舞って今考えるとひどく不衛生なことを平気でやっていたなと思う。

 

給食というのはパブリックな食事でありながら、出されたものを食べるという形態なので、どちらかというと家庭の食事に近いのではないか。だからかどうかはわからないが、今の職場の食堂ではいろいろメニューが選べるのだが、その中で一番安くて、普通の食堂とかだったら選ばないメニュー(B定食440円)を選び続けている。(冒頭の写真はある日のB定食)

 

よくよく思い出すと、その前の大学生協の食堂でも同じようにそっちはAランチ320円ばかり食べていた様な気がする。大学生協の場合は夜もだった。まあ、夜は飽きると大学の周りにある定食屋や中華屋に行っていた。しかし昼はまさに決まったものを食べていた気がする。

 

むしろ昼は好きなものを選んで食べてもいいと言われると困ってしまう。ここに来る前の職場では毎日仕出し弁当350円を食べていた。これも完全に給食思想である。メニューは固定。一応選択肢はあるのだがその中の1種類のランク固定で10年ぐらい毎日届いたものを食べていた。もしこの仕出し弁当を頼まなかったら、目の前にあるコンビニで何かを買ってきて食べるしかない。昼食を食べるのにあれこれ考えるのが面倒くさいからとその時は思っていたが、実はこの発想は小中時代の給食にあるのではないかと、ここまで書いて思った。

 

いいとか悪いとかは特に思わない。給食とはそういう経験だったのだ。

人間の「魅力」とは何かを改めて考えてみた

 

tokiwa-heizo.hatenablog.com

 

前回シナリオ教室の課題で「魅力ある叔父さん」について描くためいろいろ考えたが、改めて「人間の魅力」とは何か?というのは難しい問題だと気がついた。

 

例えば「女性の魅力」でも美人であるとかスタイルが抜群だとかは性的、本能的な吸引力のようなもので、言葉でそれを表現したり、自分が創造したキャラクターにシナリオ上で付加することは不可能だろう。そのような情報は視覚や嗅覚、聴覚などからもたらされるもので、そのような魅力を持った女性を配役してもらわないと無理なのではないか。

 

前回例に出したジェームス・ボンドも原作とはちょっと離れたアレンジによってショーン・コネリーを始めとする様々な男優が実体化させたことでキャラクターが固定化して、それがさらに魅力となっている。

 

シナリオというのはその前の段階で、映像を作るための設計図である。いわば骨格だから、この時点ではそういう生身の俳優が持つ容姿や声という「肉」の部分はない。その段階で魅力あるキャラクターを書くことが出来たらそれは素晴らしいことだろう。

 

今回アカデミーを五回目にして受賞することが出来たレオナルド・ディカプリオも今回の作品の脚本を読んでその役をやりたいと思ったとインタビューで言っていた。

講義の中ではシナリオを書くときは、配役を想定してその俳優へのラブレターだと思って書きましょうと言われた。やはり骨の部分にこういう肉がつくと言うのをあらかじめ考えておく必要はあるのかもしれない。

 

また、一方で本当に骨だけで魅力的と思わせる工夫も絶対必要だろう。そのために私が参考になると思いついたものがある。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出てくる人々である。正直見た目は俳優ではないからそんなに引きつけるものはない。しかし、やっていることやその信念などが人を感動させるし、魅力を生み出していると思う。

 

「プロフェッショナル 仕事の流儀」決定版 人生と仕事を変えた57の言葉 (NHK出版新書 362)

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魅力のある叔父さんとは?

先週末もシナリオセンターの基礎講座に行ってきた。
いつものように講義の最後に宿題がでた。
 
・第四回の課題「魅力のある叔父さん」(本文6枚)
 
わたし個人としての魅力ある叔父さんはズバリ「ジェームズ・ボンド」である。
初めて見た007映画は小学校の時で「ムーン・レイカー」である。
なので、私のボンド像は「ロジャー・ムーア」だ。年がばれるな。
私のイメージするジェームズ・ボンドは、肉体派と言うよりは知性派でピンチを知恵や秘密兵器で悠々と切り抜けて任務を成功させ最後は美女としっぽり・・・と言うものだった。

現在のボンド役であるダニエル・クレイグは当初青い目のボンドということでその部分が問題になったが、それだけではなく肉体派であると言う点がこれまでの歴代ボンドとは大きく異なっている。

逆にスカイフォールではアル中寸前であるようなイアン・フレミングの原作におけるボンドの設定が引き継がれているそうだ。射撃の成績がかなり悪いという描写があったが。

 

 ところで、先月四回にわたって100分de名著「アドラー心理学」がやっていた。

このNHKのテキストを買って読んでみて興味を持ったので少し前にベストセラーになっていた「嫌われる勇気」を買って読んでみた。
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 この本の最後の方で「人生は刹那の連続である」「いま・ここを生きる」というような内容がでてくる。

この部分を読んでいてふと、物語を作るときに大切なのはストーリーかキャラクターかという議論があるのだが、その答えもここにあるような気がした。

ドラマや映画に出てくる人物も物語の中ではあっても「今、ここ」を生きていることが必要だ。
自分に正直に瞬間瞬間を生きてきたからこそ、嘘偽りがなく前向きであるような人に見えるのではないか。すなわちそれがキャラクターとしての魅力になるはずだ。
(そうなるとやっぱり「平賀・キートン・太一」が私の理想のキャラクターになるなのだが)

 瞬間瞬間を自分に正直に、他者への貢献を目指して生きていたら、この人はどうしてこんなに大変なことをしているのに楽しそうなのか?と周りの人が思うような人になるはずである。

反対に悪役や悪の陣営側の人物は必ず「縦の関係」で構成されており、決定論的に行動する。
たいていの場合ボスの命令で動いているからもちろん結果ありきだ。
 
やはりストーリーの中で登場人物が生き生きと動き出すために、そのキャラクター(アドラー的に言えば「ライフスタイル」)を全方位に作り込んでおく必要があるだろう。
その人物をいろいろな状況に置けば自然と物語が動き出すはずだ。
 
 そういう魅力ある登場人物を創造してみたいものだ。

晴れた日にはオーストラリアが見える

今週のお題「方言」

 

私は元々愛知県出身なので名古屋弁に近い言葉をしゃべっていた。

名古屋弁に関してはタモリが「エビフライ」を「えびふりゃー」というとTVで言ったためにそれが一人歩きしている感があるが、それよりも特殊なのはイントネーションだと思う。しかし、名古屋弁に関してはあまりに身近すぎて客観的に語るのは難しいので今回はパスする。

そのかわり九州弁についての思い出を書くことにする。

 

大学時代に九州は長崎にいたので九州弁あるいは長崎弁についての方が客観的に語りやすいと思う。と言っても何か文化人類学的な考察をする訳ではない。

大学に入りたての頃にあったエピソードを紹介する。

私は大学に入り、サークルとしてバイクのツーリング倶楽部に入った。

ツーリングと言っても別に毎回泊まりがけで行くわけではなく、ただ単に走りに行くと言うことの方が多かった。バイクに乗って走っていれば楽しいと言う人間が集まった倶楽部なので当然だが、本当にある程度の距離を走って帰るだけというものだ。

例えば、長崎市内から出発して大村湾を一周するとか、島原半島を一周するという感じだ。

その島原半島に行く途中に「愛野展望台」と言う場所がある。そこに初めていって休憩して缶コーヒーなんかを飲みながら展望台から海を眺めていたときの会話である。

 

D先輩「晴れとったら、ここからかすかにオーストラリアも見えるとけどね〜」

私「え!そうなんですか?どっちの方ですか?」

D先輩「・・・・・」

H先輩「そんなわけなかやかね」

私「・・・・」

 

当たり前だが地球は丸いし、オーストラリアまでの距離を考えるまでもなく日本の海岸から見えるはずがない。(下のリンクに書いてあるが標高100m!しかないのだ)

しかし方言で言われたことと、大学に入り立ててで心が真っ白(!)だったのでつい本当かなと思ってしまったのである。

この2人の先輩は今は学校で先生をやっている。きっと楽しい授業をしていることだろう。今でも楽しい思い出の一つだ。

www.nagasaki-tabinet.com

小説家入門みたいな本3冊を読んだ

このブログの目的は「もの書きになるための文章修行」なので、すくなくとも書き続けることが大事だとは思う。しかしなかなか書く時間がない。

ところが文章を書くときに一番言い訳にしてはいけないのが「時間がない」であるようだ。これは村上春樹の「職業としての小説家」に書いてあった。

 

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

 

 本文中では自身の言葉ではなく、レイモンド・カーヴァーの文章を引用してあった。しかし村上春樹本人も全く同意見であると書いている。

これは、納得のいく文章を書く時にと言うことなのだが、短時間でブログを書いてもなかなか自身納得がいくという所まで書き切るのは難しいと思う。

 

その次に読んだのは高橋源一郎の「一億人のための小説家入門」だ。

 

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

 

 この本では、小説の書き方の前に、小説を書くとはどういうことかということを書くと最初の方に書いてあった。

文学とは「あなたの中にある、あなたにしか書けないものを書くこと」ということだった。そのために参考となるかなり奇天烈とも呼べる文章のサンプルが載っていた。普通だったらまず目にしない様な文章で、大変参考になった。自分の中からそのサンプルにあるような部分を引っ張り出すのはなかなか難しいだろう。

それは先述の村上春樹の小説論の中で「心の深いところに降りていって、自分の声を聞く」と言うことと通じるものがあるなと思った。

 

最後にアマゾンのKindleで半額だったので購入して読んでみたのが、森博嗣の「小説家という職業」だ。(村上春樹のタイトルと丁度逆だ)

 

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)

 

 その前の二冊とも共通していることは、とにかく書けということだ。そしてタイトルも似ているからかもしれないが、小説家として長く続けていくことの難しさを書いている。また、この森博嗣という人は大変明確に小説を書くことはビジネスだと言い切っている。自身の書き始めた動機が、趣味のために自由になるお金を得ることだったからだが、そのためには一作ではなく、その先の二冊目三冊まで見通して書くと言うことが大事だと書いてあった。

 

これら三冊で得たことを十分生かして下記に応募しようと考えている。締め切りは2月29日。結果が出るのは6月頃だ。

shortshortawards.com

 

 

シナリオ教室に行ってきました(第三回)

先週土曜日(2月20日)もシナリオ教室に行ってきました。
講義の内容はここには書けませんが、大変ためになる内容でした。
ついに自己紹介もあって、どんな人がシナリオを習いに来ているのかわかったのはなかなか興味深かったです。みんな若いです。いいな〜将来性があって。
まあ、嘆いていても始まりませんのでわたしも淡々と勉強を続けます。
 
今週出た宿題は
 
「イライラしている人」(本文4枚)
・本文中ずーっとイライラを続けること。怒りを爆発させたりして解消してはいけない。
 
とりあえずぱっと思いつく「イライラしている人」の案を書いてみます。
 
・トイレに行きたい人
いろいろなシチュエーションがありますが、いずれにせよトイレネタはあまり美しくないので、かなりの必然性がないと使いにくいですね。
 
・おなかが減っている人
これもどんな状況でおなかが減っているかによってもイライラが変わってきそうです。
戦場で塹壕の中で敵襲に備えて待機しているなんかの状況だと、おなかが減っていることもイライラの原因ですが、敵襲がいつ来るかもイライラの原因になりそうです。
 
・張り込みしている刑事
これも張り込み中は神経を張り詰めていると思われるので、もちろんちょっとした変化にイライラを募らせるということがあるでしょう。ベテランと新人の組み合わせにして、新人がイライラして先走ろうとするのをベテランが押さえる・・・という感じだと長引かせることが出来るかもしれません。
 
・渋滞してる道路で車を運転している人
渋滞中はイライラしますよね。しかしこれも車内を楽しく過ごす工夫があれば運転手以外はそんなにイライラはしないかもしれません。家族連れなんかで子供が、トイレだとか酔ったとか言い出すと親はイライラするでしょうね。
 
・花粉症の人
これは本当にイライラします。わたしの経験からですが、初めて花粉症になったときは、目玉を取り出して洗いたいとか、鼻を取り替えて欲しいとか本当に思いました。あんまりひどいとイライラを通り越して絶望的な気分になったりするので注意が必要です。
 
いっそのことこれらすべてを複合して「トイレに行きたいのを我慢している人とおなかが減ってる人が乗っている車を運転している花粉症の張り込み中の刑事」というのもアリかもしれません。あまり乗り合わせたくない状況ですが・・・
 
張り込みというか刑事物、バディものでわたしの好きな作品に「48時間」というのが有りますが、全編エディ・マーフィーが大活躍なので、あえてこのシーンというのはピックアップしません。エディ・マーフィーは同じく刑事物の「ビバリーヒルズ・コップ」で「排気管にバナナはダメだ!」というセリフがあるのですが、個人的に相当ツボにはまりました。吹き替えだと面白さが伝わりませんので是非とも本の音声で聞いて下さい。あのシーンは何度観ても笑えます。映画としては断然48時間の方が面白いので、そちらを貼っておきます。 そういえば共演のニック・ノルティは相当イライラしてたな。
48時間 [DVD]

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部屋といえば・・・

今週のお題「わたしの部屋」

 

お題だけは欠かさず書くというマイルールでブログを書いていますが、今回もまた割と書きにくいテーマです。

なぜなら、今は「わたしの部屋」と呼べる部屋はないからです。もし自分が力士だったら「わたしの部屋」はどこがいいかとか考えるのも面白いかもしれませんが、相撲にもあまり詳しくないので、かなり困っています。

 

相撲つながりで無理矢理書きますが、前働いていた会社の近くに佐渡ヶ嶽部屋があったので、ブルガリア出身の力士の方とか見かけたりしましたが、時々近くのコンビニに行くと力士の人とすれ違うことがありました。

テレビで観ているだけだとわかりませんが、力士の人とすれ違うと割といい匂いがします。良い、悪いというのは感覚なので万人がそう思うかどうかはわかりません。あれは何の匂いなのでしょうか?白粉?鬢付け油?とにかく圧倒的なボリュームで不思議な匂いがします。

あと稽古が終わって、どこかに遊びに行くのかもしれませんがあの巨体で普通にママチャリみたいなのに乗っているので、自転車も頑丈だけどお相撲さんは筋肉で出来ているのは本当なんだなーと思います。自転車が可哀想に見えますが。

 

無理矢理相撲ネタを書くのも限界があるので、最後に今後自分がほしい「わたしの部屋」を書いてみたいと思います。

部屋自体はそんなに広くなくてもいいのですが、机だけは広めがいいです。27インチのモニターを置いても圧迫感がないぐらいの大きさがいいですね。あとは天窓があって空が見えるといいなーと思います。寝転んで星空が見えるような大きさの天窓です。そうすると必然的に最上階とか屋根裏部屋みたいなところになると思いますが、夏は地獄ですからねー。エアコンもあったほうがいいな。

 

そうそう最近読んだ漫画で部屋(と言うか物件)をテーマにした漫画があったのですが、この漫画に出てくる双子の姉妹がちょっと力士体型だったということで無理矢理つなげておきます。

 

 この漫画の中で、東京のいろいろな街が紹介されていますが、本当に地方出身者からみると、どこまで行っても同じような内容と規模の街が続いてる感じがします。それぞれ土地ごとに個性があるというのはある程度住んでみないとわからないでしょう。それを選べる楽しみはあると思います。

 

そういう意味では昔住んだアパートの部屋とかを書けば良かったのかなー。でもやっぱり賃貸の部屋はどこまで行っても借り物ですから、いつかは本当に「わたしの部屋」が欲しいなと思います。