最強の食事・・・?
昨日の続きで、まだ全体の3分の1ぐらいしか読んでいないのだが、本文中に「完全無欠(Bulletproof)のレシピ」とか「完全無欠のコーヒー」という文が頻出するのがどうにも違和感を感じる。まあ、本を売るためにはそのぐらいの売り文句でないと買った人も納得しないからというのもあると思うが。
しかし、少なくともここまで読んできて、全く聞いたことのない説を持ち出しているという部分はあまりないというのが正直な感想だ。基本的にこれまで言われていることをベースに、自分なりのリサーチ結果を加えてよりよいものに仕上げたという感じ。この辺が「ハック」という感覚なのだろうか。
私自身も昨日紹介した丸元淑生の本に出会ってから、全粒粉でチャパティを焼いてみたり、大豆サラダを作って食べてみたりしてきたが、正直今ひとつ納得いかなかった部分もあった。
システム自炊法―シングル・ライフの健康は、こう守る (中公文庫)
- 作者: 丸元淑生
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1990/05
- メディア: 文庫
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それは主に味の部分である。体が必要としているものは恐らく快感原則によってその時々で「美味しく感じる」というシグナルによって自分が正しいものを今食べていると判断できるのではないかと思うのだが、丸元流だと、ある範囲内に限られてしまうので、その食事を楽しめる所までは正直修行に近い。
確かに無水で蒸したブロッコリーはうまく出来たときは食べると本当に美味しいのだが、そればっかり食べ続けるというのも無理があると思う。その点で、この「最強の食事」はもう少し幅を広げてくれることを期待していたが、その点はあまりなさそうだ。むしろ丸元になかった視点として、カビ毒による害を除去しなければならないという視点はさらに食事をとるときに神経質にならなければならないので結構げっそりする。
バクテリアの毒を無毒化する方法を誰か発明してくれないだろうか。それによって無毒化された材料で作られた食べ物こそが「最強の食事」のような気がするのだが。
バイオハック(?)による減量を試みます
ここのところ数年来、ずーっと年間の目標にしていることに
体重を70Kg以下にする
という項目があるのだが、残念ながら毎年目標を達成できない。それどころか、ついに76kg台になってしまった。さすがにこれではいけないと思い方法を考えることにしたのだが、そこで以前出ていた本で気になったがそのままスルーしたものを買って読んでみた。
読み始めてすぐに衝撃的な一文に出くわした。
1950年代、アンセル・キーズという科学者がかなり説得力を持つ研究を持って「飽和脂肪酸は心臓病の原因になる」と主張して栄養学会を揺るがした。・・・(中略)この理論には科学的裏付けなど全くなかった。
な、なんだって〜!!本当なのかキバヤシと聞きたくなるほどのショックだった。
基本的にこの辺を根拠として丸元淑生が書いていた「豊かさの栄養学」などの著作を参考に食事の栄養を考えてきた私としては、これまでの蓄積が根底から崩れることになる。
だから丸元先生もガンでお亡くなりなったのだろうか・・・と余計な心配をしてしまうが、とにかく科学は日進月歩であり、まして小保方さんのような人が昔いたとしても全然不思議ではない。常に検証とアップデートが必要だ。
まずは本を通して読んでみて、本当に信頼に足る方法かどうかも検証したいと思います。
Day in, Day out
先日星にお帰りになったデビッド・ボウイ歌っていた歌のタイトルではなくて、内田美奈子の漫画のタイトルである。
DAY IN, DAY OUT (サンコミックス―Strawberry series)
- 作者: 内田美奈子
- 出版社/メーカー: 朝日ソノラマ
- 発売日: 1983/12/22
- メディア: コミック
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この漫画を書いていた頃の内田美奈子のタッチは本当にいい。少女漫画とは一線を画しているが、大友克洋以後のドライな線でもなく、そのくせ画面は白い。
この漫画の中で「世界のランチを食べ尽くす」という言葉の出てくる話があったのだが、なぜか会社の食堂で昼のB定食を食べているときにふと、そのことを思い出した。
今日のB定食は「サワラのマヨネーズコーン焼き」という、ここの食堂でしかお目にかかったことのないメニューだが、意外に美味しい。
実際この職場に来てからこっち「来る日も来る日も」B定食を食べ続けている。もう既にこの食堂のB定食のメニューだけなら食べ尽くしたといえると思う。
一万円札理論
これは以前居た会社で同僚から聞いた話である。その同僚も誰かから聞いたと言っていたのだが、原典が何であるのかはよくわからない。
タイトルにある「一万円札理論」のことである。その理論はこうだ。
Q、あなたは今、ここで自分が持っている一万円札を破ることができますか?
私もその同僚からこう問いかけられて、破れなかった。
Q、なぜですか?
破る理由がないし、破ってしまったら銀行でお札を取り替えてもらわなければならないし、破ることで得することがないから。
Q、出来るけど、やらないと言うことですね?
そうです。いや、やろうと思えば出来ますが、やりたくありません・・・?
結論
「やれば出来るといいながらやらないということは、実際は出来ないことと同じである」
いかがだろうか。なんか狐につままれたような、ペテンに掛けられたような気がしないだろうか。実際の話自分の知り合いを捕まえて、全く理由も説明せずに「今あなたが持ってる一万円札を破ってくれ」といって「よし、わかった!びりっ!」とやる人はまずいないと思う。もしやった人が居たらその人はもしかしたら人類を救う英雄になる素質があるのかもしれない。
自分が今持っている一万円札を破っても、自分には全く何の得もないし、後で銀行に行って交換してもらったり、もしかしたら紙幣を損壊することは犯罪※になるからとか頭の中で考えた結果破らないんだと、きちんと理由付けをしたとしても、本来紙である紙幣を破れないと言う理由にはならないというのがこの理論の核である。
結論だけを読んでみると、別に不思議なことは言ってないし、全くその通りだと思う。いろんな場面でこういうことはあるだろう。勉強するすると言ってしなかったり、健康のためにジョギングすると言いながら全然走らなかったりおそらく枚挙にいとまがないだろう。
しかし、である。何かこの一万円理論の理路がすっきりしない感が残るのはなぜなのだろうか?
これまでで一番書きづらいお題かも
今週のお題「バレンタインデー」
とりあえずお題は毎週欠かさず書いていこうと決めたのですが、今回のお題は・・・なかなか書きづらいものがあります。
毎年この時期になるとチョコレート卸問屋のように沢山のチョコが集まって、周りの男子に余剰分を還元していたような(そんな奴が居たかどうかは知りませんが)友人は私には居ませんでした。今から30年以上も前の話なので、今の状況がどうなっているかは全然わかりません。なんとなく今の若い人たちは、そもそも企業主導のこのようなイベントにそんなに熱心にならないのかもしれません。
逆に考えると、私がそのような年齢だった頃には「男女七歳にして席を同じゅうせず」とまでは行かなくても、男子と女子の間には明確な線引きがあり、ましてやその境界線を女子の側から一方的に越えるイベントはこのバレンタインデーを置いてほかにはないという状況だったのです。(うーん、あまりにも昔のことで記憶が曖昧だなー)
災害とチョコは忘れた頃にやってくるともいいますが、ごく希に私の所にもチョコがやってくることがありました。しかし、大概の場合まさにそれは災害に近く、その後しばらくは周囲の人間関係が落ち着かない状態になり、中には激しく揺り返しを起こしたりすることもあり、3月14日が過ぎるまでは避難生活を余儀なくされたものです。(スミマセン、実際に災害に遭われた方には不快な例えかもしれません)
ということで、最近はカミさんから毎年安定してもらえるようになった私ですが、ここ数年はSee'sのチョコレートをリクエストしております。
チョコレートというとベルギーが有名ですが、これはアメリカのブランドのチョコレートです。なぜかチョコなのにキャンディーと呼んでいるのもなんか面白いと思います。
味は変に凝った・・・と言うと語弊がありますが、有名な高級チョコレートブランドのものに比べると、比較的癖がないというか、ベタな感じで安心して食べられるのです。
先日は恵方巻きが大量に廃棄されているという悲しいニュースがありましたが、チョコに関しては、後日安売りされているだけでまだましかもしれません。しかし、あれだけは買う気にならないですが。
シナリオ教室 第一回を終えて
とりあえず自分自身の備忘録として書いておきます。
昨日、ついに八週間講座の第一回目がありました。先週のワークショップには私を含めて4人しか居なかったのですが、講義の教室に入ってみると、30人ほどの人が居て、しかもほとんどが若い人だったのでちょっと気後れしましたが、とにかく講義に集中することにしました。
講義の内容は一番初歩的なことから始まりました。シナリオとは何か?とかシナリオのフォーマットは?などで先週のワークショップでも聞いていたのですが、やはりきちんと体系立てて説明してもらうと納得できました。
講義の中で「映像に映らないもの」を五種類あげられたのですが、実際映像作品を見ているとそれらの事柄を目に見えるものや耳に聞こえるもので表現しようと工夫されているのがいろいろと思い当たりました。
その中でも特に難しいなと思ったのは「時間の経過」です。あれから何日たったとか、何時間、何分たったというのはカレンダーや時計をみせるか、テロップを出してしまうのが一番わかりやすい方法ですがそれだとまあ「ベタ」表現になってしまいます。
映画「カリオストロの城」でマシンガンで撃たれて意識不明になって寝ていたルパンが起きてから、意識がはっきりしてきたときに次元に「あれから何日たった?」と聞きますが、まさに会話の中でうまく時間経過を表現していたなと思いました。
それ以外にも画面に映らないものとしては、目的、状況、人間関係や感情などもあげられていましたが、それを見せていくのがドラマだと思うので、その辺は当然でしょう。
とりあえず宿題をやって第二回に備えたいと思います。