常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

理想の暮らし2

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◯イメージ!イメージ!
想像せよ。理想の暮らしを。戦え。何を? 人生を。
というわけで、もう少し自分にとっての「理想の暮らし」とは、どんなものなのか、妄想を続けてみたい。パブリックイメージリミテッド。
もちろん万人に向けてのそれではなく、既に半世紀をこの世界で生きてきて、コロナ禍前からやわらか戦車のように「後向きの興味」全開の私にとっての「理想の暮らし」である。
その「後向きの興味」についてだが、フィリップ・K・ディックのユービックのように、既に自分の中では世界は逆転を始めているのかもしれない。後向きの興味は、昔読んだ絵本「ウサギの耳はなぜ長い?」の話に出てくる、人間の寿命50歳を超えたことで既に折り返し地点を超えて生きている事から自然に起こる現象なのでは無いかとも思えてくる。
理想なんだから、あまり現実にこだわらずにまさにイメージの中の理想の世界を想像してみたい。

 

◯50代の理想はそれまでとは違う?
純白のテスラ、温泉付きの別荘、モンローの生まれ変わりみたいな女と寝床で大吟醸…みたいな理想は既に遠い過去の話だ。
だいたい金で買えるものの価値はバブルと共に全てその真の姿をらさしているので、今更そんなものを理想とは思わない。
では、何が理想の暮らしなのか。一番は暮らしていて毎日が楽しいことだろう。それにはまず健康だ。健康のためには運動だろう。私だったらいつもやっている杖道が普通に出来ることだ。ということは、杖道の道場が近くにあることは大事だろう。
運動して家に帰る、または日々の仕事をして家に帰ればやはり体を休める為の場所であるから寝床と風呂が大事であろう。

身体中の力を振り絞って、全力で走りたいとか、全身がバラバラになる様な轟音を聴きたいとか、そんな欲望はもはや半世紀を生きた身体では、望みを持つことすら想像力がもたない気がする。それでも理想の暮らしなどを夢見るためには、その空になったビールの缶のような身体の内側に、飲み干したコーヒーに入れたのに混ぜるのを忘れて溶け残った砂糖のようなどろりとしたものを丁寧に掬い上げるしかない。

 

◯理想の暮らしの基盤としての家
もう若く無い。それはよーくわかった。だから、理想の暮らしというもののためには、その基盤となるべき場所、つまり路上に吐き出された唾液の如き心細くなった欲望を、再びこの世にあるためにふさわしい形まで育て上げる為の厩舎の様な家が必要なのだろう。名白楽無くして名馬なし。己の欲望という、暴れ馬になるべくして生まれて来なければならない子馬を、本当に鼻先から尻尾の毛の先まで目にも眩い黄金の金箔を貼った(金閣寺か)美丈夫に育て上げなければならない。
家はそんな場所でなければならないとなると、また大変な一大事業である。

History Is Made at Night
歴史は夜作られる。高校の頃友人達と、ある裕福な親を持つ友人の邸宅の庭先にテントを張って夜明かしした事がある。その時ふと頭に浮かんだ言葉がこの言葉だったのだが、今検索してみると、古いアメリカ映画のタイトルであり、その内容はちょっとびっくりする様なストーリーだった。興味のある方はリンク先を参照して下さい。
https://www.allcinema.net/cinema/25295
何故このタイトルがこの内容の映画に付けられたのか?は映画を観ないで語れるものではないが、17歳の頭に浮んだ意味とは異なるのは確かだろう。そして50歳を過ぎた今の頭に浮かぶ意味の方が、近いに違いない。
私がもし家を建てたなら、その家にはこのタイトルを飾ろうと思う。歴史は欲望によって作られるものだとわかったからだ。そしてそれはこの映画にこのタイトルを付けた人の考えたこととそんなに大きく違わないと思う。