常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

文章に吸いこまれる魅力〜 金子光晴「どくろ杯」を読んだ

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大純情くん

小さい頃になんとなく覚えてしまった言葉の原典がなんなのかを知りたいと思うことはないだろうか? 私は先日中学生の時に友人からもらった松本零士の「大純情くん」という漫画に出てくる格言の出典がふと気になって調べてみた。昔と違って今はインターネットの検索を使うと大抵のことは調べられる。おかげで何十年もわからなかったことが、ほんの一瞬のうちにネットに蓄積された情報の中から拾い出され霧が晴れたように克明な姿を見ることが可能になる。

その結果は正に驚愕だった。この漫画に出てくる格言は全て松本零士の創作だったのである。(By Wikipedia)私が憶えていた一節は以下の文である。

「悔しさが男を作る。惨めさが男を作る。復讐心が真にお前を強靭(偉大な?)な男に作り上げる。」

主人公がストーリー上で大変悔しい思いを抱いたときに、世界名言集のような本を開くと、その時にふさわしい格言が出てくるのだ。今になって思えば、ストーリーに沿いすぎているし、作者が偽の格言を作って物語の補完をしていたのだとわかる。それがいかにも格言らしい言葉で、何十年も記憶に残っているのだから、やはり松本零士は優れたクリエーターだと思う。

 

 

 

 

 

金子光晴の自伝的小説

今回読んだ「どくろ杯」は詩人金子光晴の自伝的小説である。自身の三〇代(昭和三年頃)の話を七〇代(昭和40年代後半)になってから書いた話だ。先程の漫画の内容のようにネットで気軽に検索できるような時代ではないし、そもそも個人の体験の内容なので、記憶を便りに書くしかないとは思うが、著者本人も当時の友人に詳細を尋ねると逆に自分の記憶力の良さを褒められる始末だったと後書きに書いてある。

事実読んでみると、その当時の情景が脳裏に浮かぶのだが、その表現の言葉の解像度の高さに驚く。詩人としての言葉の選び方が素晴らしいからだと思うが、何度も読み返して味わいたいと思わせる魅力がある文章だ。

実は金子光晴は詩人だそうである。若い時に詩集「こがね蟲」を出して、詩才を認められてからこの五年間の放浪に出ている。もともと、今回金子光晴について知ったのは、以下の本を店頭で見かけたからである。

 

 

今回読んだ「どくろ杯」の最初の方に「満州は妻子を連れて松杉を植えに行く所だが、上海は日本でひとりものが何年かいてほとぼりを冷ます所だ」(原文ではありません。記憶で書いています)という下りがある。金子とその妻は上海に行くわけだが、満州の方の「松杉を植えに行く所」というのはどういう意味かわからなかった。しかしぼんやりと、木を植える→根を生やす→永住する、みたいな意味だろうという事はわかった。そこで早速ネットで検索してみるとやはり昔はそういう言い回しがあった様だ。家を建て、庭を持ち、そこに松や杉を植えると言うようなことから来ているようである。

今は使われなくなった言い回しだが、死語というのとは違う。今でも読めばそのニュアンスがぼんやりとわかるし「その土地で生きていくために必死で頑張る」というような内容を「松杉を植える」とサラッと書けるような語彙というか言語感覚が素晴らしいと思った。

 

どくろ杯とは?(ネタバレ注意)

タイトルの「どくろ杯」とは何か?について書いておきたい。それをネタバレととる人がいるかも知れないが、あしからずご了承いただきたい。

「どくろ杯」とは、この本の中の記述をそのまま記せば「蒙古人の処女の頭蓋骨を加工して内側に銀を貼って杯にしたもの」のことである。実物がどういうものなのかは、写真も絵も無いので何とも言えないが、昔ビレッジバンガードかどこかの雑貨屋かお土産物屋で見た「頭蓋骨の上の鉢の部分がスパッと切り落とされたような形状の灰皿」を見た記憶が蘇った。恐らくそのような形の杯なのでは無いかと思う。

そのような盃が、どのような形で出てくるのかは本文を読んでいただきたいが、我々が今生きている現代においてはそんじょそこらにあるものでは無い。しかし、三〇年前を振り返ってこの「上海からパリを巡る放浪の旅」の一冊目のタイトルにこの「どくろ杯」を選んだ理由は全体を読むとなんとなくわかる気がする。(もしかしたら「こがね蟲」とおなじバランスの文字だからそうつけたのかもしれない)

 

一番の魅力は文章全体に漂うユーモアか

かなり時間がたってから書いたことによって、自分の事なのに他人事のように思い入れ無く書くことが出来たのがメリットだったと言うようなことを書いてあったが、それが本当にキャラクターとしての自分というような突き放した感じがあり、その距離感が悲惨な状況にもかかわらずユーモラスな情景にしていると思う。正直明日の食べ物にも困るような状況が何度も出てくるし、他の登場人物も切羽詰まった状況である事が多いのに、読んでいてもあまり悲壮感を感じない(どころか笑える)のが、この本の最大の魅力だと思う。是非続刊「ねむれ巴里」「西ひがし」を読んでみようと思う。