常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

「Harry Potter and the Philosopher’s Stone」を読んだ

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ついに、17章までなんとか読み切った。本当に同時に買ったオーディオブックのスティーブン・フライの朗読あっての読書だった。この人の七色の声というか、臨場感のある 朗読は、そのあとで見た映画よりもむしろ面白い。
私は常々、本や映画やゲームの面白さは、いかに「参加」出来るかにかかっていると思うのだが、これには少し説明が必要だろう。「参加」というのは、自分の頭を使うということである。本、映画、ゲームの中でおそらく映画は一番参加しにくい。全ての情報が目と耳から入ってくるのでそれらを合成して情報として受け取るだけだからだ。その合成はほとんど無意識に脳内で行われており2時間ぐらい経つと頭の中にストーリーが出来上がっている。それらを同時に楽しむわけだが、楽しんでいる時間も2時間だ。
その後の人生の中で思い出してまた楽しむことが出来るかも知れないが、その様な深い情報を持った映画はなかなかないだろう。また、深い(層の厚い)情報には、それを受け取るこちら側にも深い知識を要求される。それらを兼ね備えていなければ、いくら監督が映画のワンカット、シーンに深い情報を埋め込んでいてもそこに到達することができない。(町山智浩さんの解説本をよむとそういう深い楽しみを引き出してくれているので、本当に凄いと思う。)

ハリーポッターのストーリーは広く知られていると思うので、あらすじ等は書かない。ネタバレになると思うが、読んでみてどこがすごいと思ったかを書きたいと思う。

 

 

⒈右肩上がりのストーリー展開
以前読んだベストセラーコードにも書いてあったが、ハリーポッターは典型的な右肩上がりのストーリー構造になっている。それはむしろ小説の方が顕著で、映画だけを観た人はあまり印象がないかもしれない。小説では初めハリーが引き取られるダーズリー家がいかにひどい人間の集まりかを描写する。しかも、ダーズリー一家は魔法や超常現象などを全く信じないという偏狭な人たちなのである。そこへ預けられて育てられるハリーは本当に大変だろうと読むものが心配せずにはいられないのである。

 

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⒉明快なキャラクター設定
先述のダーズリー家の人々もそうだし、ホグワーツの先生、生徒達ももともと文字しかない小説の上でキャラクターの設定が明確に描写されており、読む上でもはっきりと誰が誰かわかる。これは映像化する時かなり楽だったと思う。以前読んだ「映画の脚本を書くためにあなたがしなければならないこと」にも書かれていたが、キャラクターとは行動なのである。その人物の行動がキャラクター(性格)を表しているということであるが、まさしくハリーやハーマイオニー、ロンの行動と言動からキャラクターが見える。これは著者が子供向けに書こうと思ったから、ある程度カリカチュアライズされているにしても、お手本にするべきだと思った。

 

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⒊伏線の張り方
読者を引き込むためには、サスペンスの要素は欠かせない。そのためには伏線(読み進めていくと明らかになる事をチラ見せすること)が重要になってくるが、もちろん既に皆さんご承知のとおり、全7作からなるシリーズになている。そのシリーズへの伏線と、今回の「賢者の石」の中で回収する伏線が散りばめられており、一冊を読み終わったあとで満足感と続きへの期待感がバランスよく形成される。この辺は、著者がどの辺まで計算、計画して書いていたのかは判らないが、おそらく大まかなシリーズ構想は最初にあったと思う。(まだ、シリーズ全部読んだわけではないのでその点は推測です)

 

Harry Potter the Complete Audio Collection

Harry Potter the Complete Audio Collection

 

 

 

ホグワーツ(魔法使いのための学校)と魔法省
これが、この物語で一番凄い発明だと思うが、魔法使いの学校だけでなく、その先の魔法省というものがあり、魔法省の仕事というのは一般人から魔法の存在を隠すことを仕事としているという設定である。魔法使いのお話でありながら、現代劇なのだ。剣と魔法のファンタジー世界ではなく、今私たちが生きているこの世界と同次元に存在(隠されているが)すると言い切っっている所が凄いのである。1番目のダーズリー家にハリーが預けられることも、魔法使いと普通の人間が共存しているその仕組みを身近に見せるために是非とも必要な設定だったのだろう。

 

最後に映画版の主人公とその周辺の人物のキャスティングと私の脳内映像との差について少し触れるが、主人公であるハリーは、もっとシャープなイメージだった。映画版のダニエル・ラドクリフは品が良すぎるというか、育ちが良すぎる感じがしてしまう。ロンに関してはよくわからないが、もう少し包容力のあるタイプのような気がするので、これもちょっと違うような気がする。ハーマイオニーエマ・ワトソンが美人すぎたと思う。もう少しガリ勉タイプで頭でっかちなイメージだ。まあこの辺はきっと散々論じられていると思うので何を今更感が一杯だが、逆に、映画のイメージがあっても文章を読むことで、明確なキャラクターが別に浮かび上がってくるあたりが、J・K・ローリングがうまく描写しているということだと思う。

 

ハリー・ポッターと秘密の部屋: Harry Potter and the Chamber of Secrets

ハリー・ポッターと秘密の部屋: Harry Potter and the Chamber of Secrets

 

 ↑もちろん次はこれを読みます。