常盤平蔵のつぶやき

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「恐怖の報酬(完全版)」を観た

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2018年も押し詰まった12月16日の日曜日、新宿シネマートで「恐怖の報酬(完全版)を観た。デジタルリマスターされているとはいえ、1976年の映画なので、古臭い感じがするかと危惧していたが、決して古びた映画ではなかった。ただし、一つのシーンだけは若干違和感があったのでそれは後述する。全体としては、そのバッドエンドな結末も含めて見応えのある面白い映画だった事は確かである。

sorcerer2018.com

◯あらすじ
もともと、「恐怖の報酬」という映画があって、そのリメイクなので、基本的なストーリーはオリジナル版によっている。
すでにタイトルが最大のネタバレという気もするが、ここからネタバレになります。
殺し屋、テロリスト、投資家、アイリッシュマフィアの4人の男がそれぞれの悪事の末に国外逃亡する。逃亡した先は南米の架空の独裁国家だ。そこで最下層の暮らしを続ける四人に転機が訪れる。ジャングル奥地で開発していた油田で事故が起きて火災が発生する。それを消すにはダイナマイトの爆風で消すしかないということになる。そこで石油会社の人間は町からジャングルの奥地にダイナマイトを運ぶトラックのドライバーを募る。それに飛びつく四人。しかしダイナマイトは保管状態が悪くニトログリセリンが涌出しており容器の底に液体の状態で溜まっているため、少しの震動でも爆発してしまう。石油基地までの道中、嵐の吊り橋や反政府ゲリラ、倒木などの障害をなんとかくぐり抜けて最後まで生き残った主人公は、残りニマイルを徒歩で踏破する。生還して唯一報酬を受け取ることのできた主人公。飛行機を酒場で待っているところで自分を狙う刺客がちょうど店の前に降り立つところで終わる。

 

〇最後近くの心象シーンとラスト
ラスト近く、一人だけ生き残った主人公はほとんど夢遊病者のようにトラックを運転し続けて奇妙な岩だらけの場所にたどり着く。一緒にトラック乗っていて途中でゲリラとの戦いで死んだ殺し屋の笑い声が虚ろに響く(この辺から主人公の心象風景が重なってくる)何処へ行く?何処へも行けないという自問自答のようなつぶやきも混じってくる。
こういう演出は最近の映画では見なくなった。昔の日本映画ではよくあった。多重露出やカラーフィルターなどを利用して奇妙な映像に作り替えて主人公の心象を表すという手法だ。これはもうちょっと今の映画としては辛い。
しかし、そのあと主人公は後目的地まで二マイルを残して止まったトラックを捨てて、なんと両手でダイナマイトの箱をもって夜道を歩いてくるのである。目の前には轟々と炎を吹き上げる油田がある。そこへ向かっておぼつかない足取りで進んでくる主人公。油田の作業員達が主人公に気がつき駆け寄ってくる。ダイナマイトの箱を奪い取る作業員達。その後、酒場で飛行機を待つシーンになるのだが、そこで主人公は最後に時間はあるかと聞いて、酒場で掃除をしている現地の女に踊ってくれと言うのだ。ここが私には引っかかった。
なぜ主人公はこの女に踊ることを求めたのだろうか?もしかするとそれをせずに酒場を離れていれば、追っ手の殺し屋からも逃れる事が出来たのかもしれない。だとするとますますこの行為は、このタイトル「恐怖の報酬」と密接に関連してくると思われる。

◯原題「SORCERER」
冒頭にも書いたが、「恐怖の報酬」というタイトルの映画は、白黒時代に同名の映画があり、そのリメイク(あるいはオマージュ)として制作された。しかし、フリードキン監督はリメイクするに当たってそのタイトルを「SORCERER(ソーサラー)」としている。ソーサラーとは、かつて「ウイザードリィ」などのロールプレイングゲームをやった人にはおなじみの魔法使い系の職業だが、どちらかというと悪い魔法使いという印象がある。
しかし、ソーサラーには別の意味があり、この映画での意味もそちらだと思われる。「運命を司るもの」である。映画の冒頭タイトルバックにはマヤ、アステカ文明のような仮面の石像が映る。これが主人公を含む四人が二台に分かれて乗るトラックのうち一台の正面から見た姿、フェンダー部分がむき出しの歯のように見えるデザインによく似ているのである。そして、そのトラックは、アラブのテロリストと投資家が乗って行き、最後は山道を快調に走っているときに前輪がパンクして路肩に突っ込みあえなく二台のニトログリセリンが爆発して文字通りの木っ端微塵になってしまう。
この死に方が四人それぞれのやってきたやり方に符合していると解説している人もいたが、投資家は協力者を自殺に追い込んでいるが、自らは自殺したわけではないし、殺し屋もゲリラに撃ち殺されたが、何かそこに符合があるとは思えない。むしろあっけなく死んでいく3人に対して主人公だけが、恐怖の報酬を得ることで死ぬ(実際に死んだかどうかは画面には映らない)ことから、運命を操られるものとして描かれていると思う。では、ソーサラーは誰なのか?最後に主人公が高飛びする際にその手はずを整えた男の顔が映る。彼がソーサラーなのか?いや、違うだろう。

〇運命を司るものとは
この映画のストーリーを作っているのは脚本家、監督だろう。この場合「運命を司るもの」はウイリアム・フリードキン監督である。そんな答えは反則?それはもちろんごもっともなのだが私が一つ気になったこの映画の解説に私の好きなゲーム作家(?)小島秀夫監督の記事があった。初公開時この映画は短縮版として公開され、オリジナルの「恐怖の報酬」と同じ結末に変えられたのだそうだ。それはフリードキン監督が登場人物たちの運命を司ったストーリー自体を無効にしていたのである。
別の記事で知ったのだが、この1976年というのは「スターウオーズ Episode4 New Hope」が公開された年だったそうである。その大ヒットのおかげでこの「SORCERER」をそのまま公開してもそのバッドエンド的なラストに誰も喜ばないと映画配給会社は判断し30分も短縮した上で、主人公は恐怖に対する報酬を受け取れたという結末に作り替えたのだそうだ。
ハリウッドで作られる映画も、スターウォーズを境に大仕掛けな娯楽作品が主流になっていき、先ほどの記事で小島監督が危惧していたような監督の作家性よりも収益が最終的には優先され作品の筋までゆがめられるようになった。その趨勢に乗った組のルーカスでさえ、自身の創り上げたスターウォーズEpisode1〜3のストーリーが、ファンが観たいと望まれて作ったはずなのに酷評され、最終的にはスターウォーズというフォーマットをディズニーが買い取って、ファンが望む形のストーリーを作り続けることになった。しかし、今年公開の「ハン・ソロ」ではやはり投資家からの横やりが入り途中で監督交代という混乱があったようだ。ハリウッドでの映画作りは大金が動くビジネスであり、失敗は許されないのだろう。
今回完全版として復活し、監督が司る運命どおりに生きた(死んだ?)主人公によって完結した「作品」としての映画を我々が観られたのはフリードキン監督の三十年を超える執念があったからだ。本物の「SORCERER」はその運命の糸を引く手を絶対に離さないのだ。

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