常盤平蔵のつぶやき

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映画二本立て「グレイテスト・ショーマン」と「 スリー・ビルボード」を観た

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3/4日曜日は映画を二本見た。吉祥寺オデオンで「スリー・ビルボード」を見るためにそのための時間調整として吉祥寺プラザで「グレイテスト・ショーマン」を観た。

なんとも贅沢な時間調整だが、考えてみれば私の小さい頃は、映画館は系列があり、そのロードショーは新作を二本立てだった。今みたいに完全入れ替えでは無かったので、同じ映画を1日に二回連続で見ることもできた。ただし、その間に挟まってるおめあてでない映画を観ないといけないのだが。

 

そんなわけでSF映画ラブロマンスが二本立てだったりしたので、仕方なく観た映画というのもある。意外にそういうのが記憶に残っているものだ。吉川晃司の「ユー・ガッタ・チャンス」は「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」と同時上映だったので、当時アニメファンだった私は、どうしてももう一回観たくて、吉川晃司がゴジラの様に東京湾を泳いで上陸する場面を見たのだが監督も大森一樹でなかなか爽やかな青春映画だったと思う。

 

You gotta chance吉川晃司・シナリオ写真集

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しかし、今回の2本立てはとりあえず、見たくなくてたまたま見たというわけではなく、一応選んで見に行ったものだ。とは言うものの「グレイテスト・ショーマン」は全然期待していなかったのだが、歌や台詞がとにかく心に響くのだった。やはり作り手が映画のクリエイターとしての悩みと重ねている部分があるのだろう。その部分がこちらにもビシビシと感じられて、涙腺が緩みっぱなしだった。お陰で目に入った花粉も全て洗い流すことができた。

 

 

グレイテスト・ショーマン(サウンドトラック)

グレイテスト・ショーマン(サウンドトラック)

 

 

グレイテスト・ショーマン
実在の人物であるP.T.バーナムをモチーフに、夢を諦めない男の生き様を描いたミュージカル。今風の音楽とキレのあるダンスで、最初から最後まで緩むことなく見せるのはすごいと思う。出てくるサーカス団員も奇妙だが美しく描かれていた。別に歴史修正主義なわけじゃないと思うが、これが史実だと思う子供がいたら問題だとは思う。
シナリオを勉強する人間としては、その構成やメッセージの出し方なんかがすごく参考になった。キャラクターの作り方もそれぞれが王道な造形で、お手本のようだった。

 

スリー・ビルボード
そしてこちらである。昨夜主演女優がアカデミー主演女優賞をとったことからもわかると思うが、主役の女優が素晴らしい演技だった。炭火の様にじわじわと彼女の感情が伝わるのだ。ほとんど表情は変わらないのにである。女優自身が監督に次の映画で役をくれと逆オファーしたぐらいだから、元から気合充分なのは当然としても、並々ならぬ熱量を感じた。

 

※ここからネタバレになります。

 

主人公 復讐→愛
映画が始まる直前に自分の眼の前の席に女が来て座ったので、またしても、画面の端に半円形の欠けができてイラっとしたのだが、朽ちかけた三枚の看板を見るうちにそんな事も全く気にならないぐらいに引き込まれた。画面に現れた主演女優がただならぬ雰囲気を醸し出しているのだ。それもそのはず、また毎度おなじみ町山智浩さんの解説で、この役のテーマソングはコレですというところがあるのだが、そのイメージは西部劇の音楽なのである。

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この三枚のビルボードは、続・荒野の用心棒でジャンゴが引きずってくる棺桶と象徴しているものは同じだろう。そしてチェーホフの言う通り、舞台にライフル銃があれば、それは発砲されなければならないのだ。事実そこに名前を書かれたウィルビー署長は自殺してしまう。主人公は孤軍奮闘しているかに見えて、見知らぬメキシコ人にて助けられたり、ビルボードを貼り付ける仕事をした黒人に助けられたりと、快進撃を続ける。途中友人が窮地に立たされたりといくつかの山谷を超えて、警察署側の人間と直接ではないが、対決を果たしその結果二人の運命は思わぬ方向へと進み出す。

 

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ウィルビー署長→死亡
主人公に直接対決を挑まれるこの警察署長は末期ガンに侵されており、余命いくばくもない。最初はそれを盾に主人公と交渉しようとするが、逆に主人公の強い意志を知ることになる。
普通こう言う話だと、警察署長が悪徳の人で、それを倒す事を目的に話が加速して行くものだが、この映画では実際は物凄くいい人なのである。「田舎の善人」なのだ。

 

「田舎の善人」とは、この映画の中で、最初の方に出てくる広告会社の人が読んでいる本、フラナリーオコナーの短編のタイトルである。町山智浩さんの指摘で、早速図書館で借りてきて読んだのだが、実はウィルビーという名前は、この本のその話の中に出てくる地名だった。
彼の奥さん役は、どこかで見たことがあると思ってパンフレットを見ると、リメイクされたロボコップでも奥さん役をやっていた人だった。ロボコップでは、オリジナルでは奥さんは全く出てこない。しかし、リメイクでは重要な役として出てくる。自分の夫を生き返らせるためにロボコップになることを承諾するという決断を迫られる。
その姿は、夢にも見そうなほどにエロスに溢れており(感想には個人差があります)、彼が肉体を失った悲しみをより引き立たせる役割があったと思う。今回の役も、幸せの絶頂で自ら死を選んだ署長に残された未亡人としての対比を最大限にするために、その容姿は使われていた。

 

ディクスン警部→ただのディクスン
最終的に警察を解雇されてしまうのだが、彼は一貫して署長サイドの人間だ。その理由は彼が署長の事を心から尊敬していたからである。その尊敬は実は報われない恋の側面も持っている。実は彼はゲイだったのだ。それが彼が劇中でヘッドホンできいているアバのチキチータから読み取れるらしいのだが、私にはわからなかった。しかし、署長の遺書で「ゲイと言われたら性差別主義者と言ってやれ」とかはっきり書いてある。そのことの一番の理解者は署長だったのだ。


その署長が死んだ事で彼の怒りは頂点に達した。主人公サイドの人間に理不尽な暴力を振るった事で、さらなる主人公からの報復を受ける。しかし、その際に署長からの手紙を読んで彼は愛に目覚めるのだ。この場合の愛はエロスではなくアガペーの方である。
その結果があのラストシーンへとつながるのだろう。主人公も、怒りと暴力応酬では何も救えないという事を、別れた夫の新しい恋人の言葉によって気付く。そして二人で愛を行うために、未だ見ぬ悪を退治しにいくのである。世界を救うヒーローコンビの誕生だ。
アメリカがこれまで世界の警察官として、他国の争いに介入し続けてきたことの理由は、こういう動機にあったと教えてくれた気がした。そういう意味では、この映画もアンチトランプのメッセージを持っている。

 

善人はなかなかいない
フラナリーオコナーの短編集に善人はなかなかいないというのがあって、その話がこの映画のモチーフとなっていると、パンフレットの町山智浩さんが書いている。
前述の短編集にも載っている話で、早速読んで見たのだが、この中では、最後に登場人物を皆殺しにするはみ出しものという悪人が出てくる。皆殺しの場面で最後の一人になっ老婦人とこのはみ出しものが行うやりとりが、この話の焦点なのだ。
このはみ出しものが、オリジナル版のロボコップに出てくるクラレンスという悪人を思わせる。暴力と恩寵というテーマは、おそらくポールバーホーベン監督の映画にも通じるものがある。

 


フラナリーオコナーは、暴力は一種の恩寵であると考えていたらしい。恩寵という概念には馴染みがないので、それについて詳しく語るのは難しい。キリスト教における神の恵み、愛というところか。
先ほどの短編のラストのはみ出しものと老婦人のやりとりは、殺される直前、その恩寵というものを理解した老婦人とそれを与えられた犯罪者、もしくはそうなるきっかけを与えたのは命を奪うという行為を与えた犯罪者の側、の両側面があるだろう。そういうもののの応酬がこの映画の中にあったと思う。

 

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

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フラナリー・オコナー全短篇〈下〉 (ちくま文庫)

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