6年前から杖道の稽古をしている。
杖の道とかいて杖道。知らない人には何のことかさっぱりだと思うので、今回はしっかり説明したいと思う。なぜしっかり説明するかというと、今後もこのトピックに関しては書き続けていこうと思っているからだ。しかし、いざ説明するとなると何から始めたら良いのか非常に迷う。
にもかかわらず、なぜ説明しようとするのか?
それにははっきり理由がある。杖道を少しでも広めたいと切に願っているからである。
なぜ広めたいのか?
もちろん杖道が素晴らしいものだからである。
先日読んだ内田樹と光岡英稔の共著である「生存教室」(下記参照)で内田樹先生は「人類70億人全てが合気道家になればいいと思っている」と書かれていたが、私も人類70億人全てとは言わないが、杖道人口がもっともっと増えてくれても構わないと切に思っている。
この本のおかげで読むことになった漫画「暗殺教室」は意外(と言っては失礼だが)に面白かったが、その件は今回は触れないことにする。
まず、杖道とは何かについて説明する。
杖道とは武道の一種である。世の中には空手や柔道、剣道と言ったいわゆる武道といわれるものが沢山あるが、その中で武器術となると、剣道が最もメジャーで、その次が居合道だろう。その次となるともう思い浮かばないという方がほとんどだと思う。私も恥ずかしながら上記2つ以外に武器術を挙げろと言われても以前は何も浮かばなかった。
今なら手裏剣とか鎖鎌、吹き矢など色々あげることができる。しかしそれらは武道としては成立していない。それぞれの武術で道場を構えている方が世の中に存在するのは知っているが、それだけでは武「道」とはいえないと思う。
ここで武術と武道の違いに関しても説明しなければならない。しかしこれにも共通の見解はないと思われる。誤解を恐れずに私のこれまで見聞きしてきた中で得た情報を元にざっくり言うと、、まず「術」は術技そのものを覚えることが目的である。一方「道」は術技を学ぶことを通して精神的に向上(何を持って向上というかは大変難しいが)することを目指しているものだというところだろうか。
杖道の成り立ち(それ自体が非常に面白いドラマである)は下記の本に詳しく書かれている。それ以上のことを私が説明することは不可能なのでここでは細かいことには触れないが、一点だけ書いておきたいことがある。
まず、柔道は嘉納治五郎がいくつかの流派の柔術を習った上で、それらの技を統合したうえで、ほぼ別のものに作り替えたものである。※1
※1このあたり間違ったことを書くといろいろ問題がありそうなのでWikiのリンクを張っておく。
次に剣道は元々北辰一刀流の千葉道場で行われていた竹刀稽古から派生しているが、そのルールは戦後のGHQによる武道禁止令を経た後竹刀競技として復活した時点でのものになっていると考えられる。※2
※2このあたり間違ったことを書くといろいろ問題がありそうなのでWikiのリンクを張っておく。
さらに居合道は・・・えーと、※3
※3このあたり間違ったことを書くといろいろ問題がありそうなのでWikiのリンクを張っておく。
杖道はその元になっている武術として「神道夢想流杖術」というものがある。※4
※4このあたり間違ったことを書くといろいろ問題がありそうなのでWikiのリンクを張っておく。
ここまでは同じなのだが、杖道に限って違うと思われることが一つある。それは、まさに「杖道」は「神道夢想流杖術」だけをベースに、そこから危険性を排除した型を作りあげたという点が異なる。
言いたいことの前置きが長くなったので、いったい何を言いたいのか全然伝わらない気がするが、とにかく「神道夢想流杖術>杖道」と言うことなのだ。
つまり何が言いたいかというと、杖道をやる以上はいずれ杖術をやらなければならないときが来ると言うことである。
この件についてはまたいずれ続きを書きたいと思う。