常盤平蔵のつぶやき

五つのWと一つのH、Web logの原点を探る。

煉獄からの卒業

今週のお題「卒業」

春このシーズンにふさわしいこのお題。しかし以前のお題「20歳」に対するエントリーでも書いたように、春というのは気分の落ち着かない季節である。その理由は正に卒業や入学というリセット&シャッフルイベントのためだ。それまで1年間かそれ以上築き上げてきた人間関係や環境が一夜にして無に帰すのである。

 

tokiwa-heizo.hatenablog.com

 

それはたいていの場合苦痛を伴うものだろう。しかしこの春私は珍しく歓喜をもって卒業することが出来そうだ。それは通勤(という名の)煉獄からの卒業だ。

 

思えば昨年の春、転職した私は自ら志願して満員電車通勤というBootCampに参加した。いや、正確に言えばBootCampに行く前に最前線に送られたと言ってもいいだろう。梨畑五十朗の私が訓練もせずいきなり最前線である。

 

東京でどの路線の通勤が「煉獄」かは意見の割れるところかもしれない。しかし、その中でも常に上位に食い込むこ激戦区であることは恐らく誰の意見もそんなに変わらないのでは無いか。その路線とは「中央・総武線(快速)」である。

 

昨年の春から吉祥寺から市川まで途中お茶の水で各停の乗り換えて通っていた。吉祥寺駅では『たかの友梨ビューティークリニック」の看板の前から乗ることにしていた。その看板の女性の意味深なまなざしがよもや「そんな装備で大丈夫か?」という意味だと気がつくはずも無い。

私が乗る時間の吉祥寺からの快速はそこまでぎゅうぎゅうではない。座席もごく希に一つ二つ空くこともある。座席の前の立ち席ポジションを確保するのもそんなに難しくは無い。最初ショルダーバッグを使用して、電車に乗っても網棚には預けないでいたのだがあっという間に肩に激痛が走るようになった。周りを見回すと私の三倍ぐらい大きな鞄を平然と肩から提げてスマホでゲームに興じる歴戦の勇者たちがいるのだが、中年デビューの新兵である私はあっけなく降参した。急いでリュックのように背負える手提げ鞄をゲットし、乗車したら出来るだけ網棚に預けるようにした。

 

ある朝いつものように「意味深なまなざし」の下で電車を待っていると、私がいつも乗る車両の一部ががら空きになっている。おお、何かわからないがラッキーだとそそくさと乗り込んだ私はどこかの戦士が何かに敗れ去った後を見て愕然とした。床には白っぽい液体が加速と減速につられて前後に広がりつつあった。しかし、そのおかげでその前の席が3つも空いている。私はその戦士の冥福を祈りつつその液体をまたいで一番端に座った。やがて次の停車駅に着くとわずかな停車時間の間に駅員による的確な現場復旧が行われ、電車の床にはわずかなおがくずを残して、何事も無かったかのように電車は走り続けた。プロの仕事だった。この時私は積年の謎だった『電車の床に落ちているおがくず」の真実を知り、ひとしきり心の中で涙した。

 

運がよいと荻窪あたりで降りる人がいたりするので、そこから座れたりするのだが、大抵は無理だ。田舎の電車だと恐らく同じ時間に乗る人間はほとんど毎日顔を見るメンバーなので、段々覚えてしまうのだが、中央線に乗る人間は、常に毎日半数は入れ替わっている気がする。それでも「胸ポケットにラッキーストライクを入れている男」は中野で降りるとか、少しずつ覚えていくものだ。しかし、立ち席ポジションを選ぶときでも、目の前の人が比較的早く降りそうかというのは全然わからないものだ。経験則として実はドア近の席は意外に短距離で降りる人が多い気がする。

 

そんな感じで秋を迎えた頃、朝起きたら腰に激痛が走り、ぎっくり腰を再発した。それでもしばらくは中央線の戦場で踏みとどまっていたが、やはり寄る年波には勝てず転戦することにした。井の頭線経由で銀座線、千代田線を使い松戸まで行くというルートでも勤務先に通えると言うことがわかったので、そちらに切り替えた。この路線だとほぼ100%座っていける。時間が早いせいだが、渋谷まで出るの時が一番リスクが高いが、そこから先はむしろ通常の通勤とは逆方向なので全然空いている。

 

そうなってからはむしろ電車の中は読書の時間になったので、週に三冊読んだこともあった。なんせ一日4時間読書できるわけである。私も今までの人生でこんなに一定期間内に本を読んだことは無い。いままでは寝る前の10分ぐらいに読むのがせいぜいだったので、長い話は読めず、自然と評論やエッセイ、実用本になっていたのだが、一時間以上読み続けられるというのは本当に貴重だった。

 

そんな通勤生活ともあと少しで卒業である。後半は全然煉獄じゃないけど、とにかく一日のうち4時間を通勤に費やさなければならないのは(例え本が読めるとしても)やはり異常なことだと思った。通勤中に一番思ったのは、半ズボンの制服を着たお坊ちゃんからくたびれたスーツを着こなすサラリーマン紳士までおそらくずーっとこういう通勤を続けている人が首都圏には多いのだろう。まさに鍛え方が違う。そうでなければ企業戦士はつとまらない。聞くとやるでは大違い、ありきたりな結論ではあるが通勤電車恐るべしであった。