東京で暮らしていて最近特に感じるのは、駅や公共のトイレがきれいだと言うことだ。「割れ窓理論」によって、一つでも落書きを許せば続々と後から追随する人間が出てくるから、清掃する人たちがこまめに消しているのだろう。
昔九州・長崎は島原のフェリーの待合室にある男子トイレに入ったとき、小用の便器の目の前に「一歩前へ」と書いた張り紙があって、その横にマジックで「○○汽船は殿様商売しよんね」と書いてあって、何も命令口調で書いてあるからといってそこまで反感持たなくていいのではないかと思ったが、そういう落書きもほとんど見かけない。
かつての公衆トイレの壁と言えば「謎(だけど公知)な記号」とか「ボランティア精神あふれる女性の電話番号」なるものが書かれていたり大変賑やかだったと思う。そういうものはどこへ行ったのだろうか?別に世の中からなくなって困るどころかうれしいものの一つだと思うが、一方で人間の感情まで消えたわけではあるまい。
そこでふと思い当たったのがタイトルにある個人的な「トイレの壁」だ。みんなが電車の中でスイスイと指で触ってるあの板こそがそれなのではないだろうか。昔2ちゃんねるなんかの書き込みはその名の通り「便所の落書き」と言われていた。匿名なので不満やストレスのはけ口としての書き込みも多かった。今は私が2ちゃんねるをほとんど見なくなってしまったのでどうなっているかわからないが、恐らく今も変わらないだろう。
そのおかげで、現実の「トイレの壁」に書く必要がなくなったのでないか。ローカルなトイレの壁に書いても読む人はたかがしれているが、公的な「@トイレの壁」であれば一度に数万単位の目に触れる。その方がうっぷんの発散には効果的だろう。
自分としては、このブログがそういうものにならないようにしようと、努力はしているがたまにはそういうものも書いてみようかと思う今日この頃である。