ウォーキング・デッド コンパクト DVD-BOX シーズン1
- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- 発売日: 2015/07/22
- メディア: DVD
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ウォーキング・デッド コンパクト DVD-BOX シーズン1
TEDでJJエイブラムス監督の話を見た。大変感銘を受けた。
「E.T」は離婚の話、「ダイ・ハード」も離婚の話、というくだりはある意味アメリカ映画はすべて家族の話というとらえ方からすると、家族にとっての危機=離婚なので当たり前なのかもしれない。
そのあとで「ジョーズ」は何の話なのでしょう?というくだりがあって、男が新しい街でやっていけるのか?試練と再生の話なのだというのも、まだ家族の大黒柱=男、父親だった時の話なのでやはり家族の話なのだろう。
やはり人間というのは一人ではなくまず一番近くで家族とつながっている。物語の基本は人間だが、人間は家族を持っているものなのだ。たとえ一人であっても、その背後には必ず家族、親、兄弟がいるのである。
タイトルにも書かれているが「謎の箱」というたとえがとても良い。それが何かはこの動画を見ていただければすぐにわかることだが、これって「旅人のカバン」の話と同じだと思う。ただ「謎の箱」のほうがいろいろと応用が利くんじゃないだろうか。
汎用性がありすぎて特定の作用をもたらすことがなくなる危険もあるが、より高度な概念運用としてはありだと思う。
何のための概念運用か。もちろん物語を作るためである。
動画の中でエイブラムス監督はスターウォーズエピソード4の冒頭を説明しながらいう。女性が何かをロボットに託している、これも謎の箱。その女性は何者なのか?実は反乱軍のリーダーでありお姫様である。これも謎の箱。ルークはベン・ケノービに会う。実はベンはオビ=ワンだった。これも謎の箱。
「謎の箱」とはその人のキャラクターのことであり、箱の外側からは中に何が入っているか見えません。そこから少しずつ中身が見えてくる。人物の行動によって中身(キャラクター)が明らかになっていく。
これは最近読んだシド・フィールドの「映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと」に書いてあったことと全く同じで、それをわかりやすく言い換えたものだと解釈できる。
映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術
もう一つ、テクノロジーも謎の箱、イマジネーションをわきおこすと同時に、そのイマジネーションを実現する道具として我々の前に存在するし、それは今スマホのカメラですら昔の大きなビデオカメラよりも画質もよいし、それらを編集するソフトも一般の人が手に入れることが出来る時代になったと言っていた。
だが、最後で「トムの手」の話である。このトムはもちろんトムクルーズのことなのだが、ミッション:インポッシブル3の中で鼻の中に爆弾を入れられるシーンが出てくる。この時、もちろん爆弾を入れるのは悪役の俳優なのだが、その人にやらせると加減がわからない。そこで画面外に肘が見切れるように撮ることで、トム自身にその動作をやらせると言うアイディアを思いついたのだ。
そこで最後に「大事なことなので三回言いました!」と言わんばかりに「トムの手!x3」というのだが、やはり面白い映画を作るのはアイディアなんだなと痛感させられた。
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前回観た「ゴースト・イン・ザ・シェル」が久々の空振りだったのでその欠損を埋めるべく公開直後の「メッセージ」を新宿のTOHOシネマズで観てきた。
公開前に「謎の物体」がばかうけと言うスナック菓子に見えるという評判が日本で広がりそれに反応した映画の広報が監督にそう言わせるという記事が載っていたが、映画の方は難解な部類に入るもので、とても「ばかうけ」するとは思えない映画だった。
主役の言語学者を演じたエイミー・アダムスは映画「マン・オブ・スティール」でスーパーマンの恋人役のロイス・レインを演じていた人だが、あの時の初々しい感じはなくちょっと疲れた中年女性(大学の先生なのでそれなりの貫禄がないとおかしいからだろう)に見える。実はこれが既にこの映画の仕掛けだったのだが、それは後ほど。
あらすじは、ある日、地球上十二カ所にほぼ同時に謎の飛行物体が出現する。それぞれの出現場所の国々は、なんとかしてその物体の中にいる「宇宙人」とコンタクトしようと試みる。アメリカでは言語学者と物理学者がコンビで飛行物体の中に入り宇宙人とどうにかしてコミュニケーションを取ろうと奮闘する・・・というはなしである。
二人の学者を派遣したのは軍であり、その目的は「Youはなにしに地球へ?」と聞くためだが、もちろん言葉が全く通じないため、まずは宇宙人が話している言語を解読するために言語学者が呼ばれると言う設定がリアルだ。
だいたい今までの宇宙人はE.Tにしてもすぐ英語を覚えてしまう。もしかして全宇宙でも英語が共通語なのかと思ってしまうぐらい簡単にだ。
言語を操る能力は人類には普遍的に持っているものである。なので同じように言語を使うエイリアンであっても原理的には習得可能であり、翻訳も可能である。
もう一つ、母国語では無い言語を後から習得すると思考様式に変化が生じるという説が紹介される。まずこれがこの物語の一番大きな仕掛けである。
さらにもう一つ、映画の冒頭で主人公のモノローグが入る。「記憶とは不思議である」と言った内容のものなのだが、これもこの物語の大きな仕掛けを表している。
***この後ネタバレ注意!!***
いいですかー、ネタバレをしますよー。
主人公である言語学者は、エイリアンの言葉を習得する事で、エイリアン独自の時間の解釈を習得する。そのことで主人公は自分の人生の情報を脳があらかじめ全部記憶(?)しており、それにアクセスできるようになる事で、危機を乗り切るのである。
映画も小説も始めがあって終わりがある。時間の流れは基本的にそう進むものであると観ている人間は考える。それを逆手に取った仕掛けなのである。
映画の冒頭、主人公の「娘」の映像がフラッシュ的に流れる。生まれてからおそらくティーンエイジの時に死んだと思われる映像だ。ここでこれを観た観客は、すでに娘を産んで、さらに失ったのだなと解釈する。実はそれはまだ「これから起きる事」なのだ。
何だかちょっと騙された気分になるのである。シックスセンスも、主人公がすでに死んでいたという最大の仕掛けがあるが、確かに幽霊が主人公というのは前代未聞であるが、そのことが映画のラストで観客にわかったとき、全ての謎が解けるという意味では気持ちよくだまされることが出来た。
今回のSF的な仕掛け(解釈)によって時間を操れるようになる?と言うオチはなんとなくもやもやする。
今回出てきたエイリアンの姿も劇中で「ヘプタポッド」(七本足)という名前で呼ばれる、タコ型である。昔の火星人のイメージを現代風にした様な形で、高度な知性と文明を持った宇宙人であるが、なんだか霧のような、液体のような所に住んでいて、墨で書いたような文字を吐き出す。どう見てもタコである。リドリー・スコットの「プロメテウス」にでてきたイカ星人に負けない不気味さである。
考えてみれば「プロメテウス」もファーストコンタクトを扱っていたが、今回の宇宙人はあれよりは穏やかで友好的だ。なんせその時間を見る能力を地球人に授けてくれるのである。
映画を観た帰り、コンビニで早速ばかうけを買って食べてみた。左右非対称なその不思議な形を観ながらビールを飲んだ。その”どこかで食べたような”薄い塩味は、とてもよくビールに合った。
まずこの「ディスる」と言う言葉はご存じだろうか?
私も、なんとなく悪口を言うとかネガティブなことを言うと言うような意味だろうなと思ってはいたのだが、正確な意味を知らなかったので調べてみた。
元々アメリカのラッパーが使っていた言葉らしい。英語では「diss」と書くようだ。で、その語源はなんと「Disrespect」尊敬するrespectに否定の接頭詞disが着いているので反対の意味「尊敬しない」あるいは「軽蔑する」という意味だ。
と言うわけで本題である。
先日武蔵境駅近辺のラーメン屋探訪をしていて、駅の北側にある横浜家系ラーメンの「つばさ家」に行ったときの話である。
https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132003/13041952/
ラーメン自体は家系で商店街にある「せい家」と似たような味で普通に美味しかった。交差点を挟んではす向かいに「丸亀製麺」が出来たので苦戦しているのかとも思ったが、お客さんもたくさん入っていて繁盛しているようだった。
私は入り口に近い方のカウンター席に座ったのだが、その角の反対側に短く2席だけある場所に女子が二人座っていた。年齢は20代から30代のあいだである。
ラーメンが出来るのを待っている間、聞くともなく二人の会話を聞いていた。何やら動物の話をしているので、そういえば線路を挟んだ向こう側には「日本獣医生命科学大学」があったことを思い出した。どうやらそこの学生か、関係者らしかった。最初は何やら同級生か同僚の女子に変な奴がいると「ディスって」いたのだが、そのうちに馬の話になり
女A「馬は可愛いよね。頭もいいし。牛は・・」
女B「馬は推したらどいてくれるし、引っ張ればついてくるけど、牛はねー、押したら押し返してくるし、引っ張っても全然ついてこないもんね」
女A「ほんと!牛はマジ死ねって感じ」
女B「この前搾乳してたら、横の牛に頭ツキされて転ばされたからね。マジ最低」
と、こんな感じで牛の悪口を言いながら、ラーメンをすすっていた。
とりあえずラーメンの味は普通だったが、この会話を聞けたので楽しく昼飯を食べることが出来た。
私も動物は好きなので、馬も牛も遠くから見ている限りでは同じように可愛いとおもっていたのだが、確かに牛は頑固で言うことを聞かない人のことを牛に例えることも、昔はあったような気がする。獣医のように家畜に接することが無ければ、馬はいいけど牛はダメというような感想は持たないと思うので貴重な経験であった。
私の好きな映画監督押井守が撮った不朽の名作「攻殻機動隊」のリメイク権をあのスピルバーグが買って、作らせたのが本作「ゴースト・イン・ザ・シェル」なのだが、公開前には沢山話題を聞いたが、公開後にパタッと話を聞かなくなってしまった。
私も前売り券を買って観に行くことは確定していたのだが、このGWの最終日やっと見ることが出来た。
その時点で「あれ?」っと思ったのは、すでに多くの映画館で上映が終了していたことである。慌てて近所で観られる映画館を探したら池袋の映画館で何とか席を確保できたのだが、日本語吹き替え版だった。
普段なら日本語吹き替えは絶対パスなのだが、この作品に限ってはあえてこっちを選ぶという選択もありだと思ったのだ。理由は
「吹き替えの声優さんたちがオリジナルと同じキャストだから」
攻殻機動隊 DVD BOOK by押井守 GHOST IN THE SHELL (講談社キャラクターズA)
公開前から「スカヨハが少佐はどうよ?」(スカーレット・ヨハンソンが東洋人という設定の主人公「草薙素子」役なのはまずいんじゃないの?)と言われていたが、同じく公開前にされたらしい押井監督のインタビューで、そのことは全然問題ないとされていた。
この点は私も映画を観ての感想としては全く同意できる。(押井監督と同じく私もスカヨハのファンでもあるので)
この映画が凡作になった理由はズバリ「新鮮味がない」からだろう。
※ここからはネタバレになります。
監督が原作やアニメ(映画版だけでなくS.A.C等も含む)を愛してやまない感じは、画面の端々の「お遊び」でよーっくわかった。結局そのことが、少佐を大きく変えることを不可能にしたのではないか。
ヒーロー、ヒロインにとってオリジナルであることは絶対に必要だ。スパイダーマンにしろバットマンにしろリメイクされるたびに新しいキャラクターになっている。今回の少佐はキャラクターも焼き直しになってしまっているので、一番大事なスーパーヒロインっぷりが全く伝わってこない。
冷静に考えると「窓の外から飛び込んで、あっという間に一人でマシンガンを持った男たち(おそらくはサイボーグ)を制圧する」というのは常人離れした技だが、それってオリジナルが世に出て以降、真っ先に「マトリックス」で真似され、それ以後もたくさんの模倣シーンを生んできた。
それをリメイクだからやってもいいと思ったのかもしれないが、それではリメイクする意味がないだろう。
やはりスーパーヒーロー(ヒロイン)は映画史上でも唯一無二の活躍をしなければ、映画を背負えないのだということがよく分かった。(あれ?ネタバレしてないや)
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健康診断の結果を皆さんはどのぐらい真剣に受け止めているだろうか?
最近書店で以下の本を見つけたので買ってみた。
正直40過ぎてからコレステロールが高い、肝臓の値が悪いなどいろいろ「要精密検査」というコメントが付いている項目があるようになった。
一度それで、血中の脂肪分が多い(疑いがある)ので精密検査に来いという知らせが、健康診断を受けた病院から来た。もう何年も前のことだが、それで時間をとって病院の予約をして、実際にその精密検査というものを受けてみたのだが、やったことは同じように採血してその結果と、問診だけであった。そのあとで、看護師だか保健師だかよくわからない年配の女性に
「缶コーヒーは飲みますか?」
「そうですね、飲みますね」
「一日に何本?」
「まあ、一本か二本ぐらいですね」
するとその年配の女性は勝ち誇ったように
「缶コーヒー一本には砂糖がどのぐらい含まれているか知っていますか?」
と言った。ようするに糖分をたくさん採るとその結果血中に脂肪が増えるという話だった。
「缶コーヒーでもブラックなら問題ないのですね?」
「問題ありません。これからは缶コーヒーを飲むならせめてブラックにしてください」
「わかりました」
しかし、話はそこで終わらなかった。
「お酒は飲まれますか?」
「そうですね、飲みますね」
「一日にどのぐらい?ビールですか?日本酒?」
「まあ、缶ビールなら一本、お酒なら1合ぐらいですね」
「アルコールを飲むとやはり血中の脂肪が増えるのです」
「そうなのですか。しかし、飲まないとやってられない日もありますよね?」
「・・・まあ、ほどほどにされたらいいでしょう」
というようなやり取りをして終了だった。
結局その後、何か薬を処方されるわけでもなく今まで通りの生活をしている。
これはいったい何なのか?
冒頭の本のタイトルを見てピンと来たのだが、要するに健康診断というのは病院にとって潜在的顧客を探すプロモーション、マーケティングなのである。
2年前に千葉から引っ越してきて去年から東京で働いているので、健康診断も東京の病院で受けるようになった。最初の年は東京の病院は丁寧にやるなあ、細かいなあと思っていたが当たり前である。土地の値段から、働く人間のコストまで押しなべて千葉より高い東京だ。その分どこかで稼がなければならない。そこで微に入り細に入りケチをつけられるところを調べ上げて、顧客として迎え直したいのだ。
バリウムのレントゲンを千葉で受けていたときは、専用のバスであったこともあるのだろうが、ぐるぐる回されている時間はせいぜい10分ぐらいだろう。しかし、今回東京の病院で受けた時はたっぷりその倍はぐるぐる回されたと思う。なんだかやたら丁寧に見ていると思ったが、その分レントゲンを浴びていたのだからかえって体に悪そうだ。
そして、今回の健康診断の結果に「胃下部隆起の疑い」といういちゃもんがついていた。胃カメラを飲めというのである。私の知り合いで、どうせ異常があったら胃カメラを飲むことになるんだから、バリウムなんて絶対飲まないという人がいたが、それが正解だ。こうやって二段階でやっているのも、少しでも検査代を稼ぐための手段だろう。私も来年からは最初から胃カメラを飲むことにしようと硬く決心した。