常盤平蔵のつぶやき

ものづくりからもの書きへの転身を目指す文章修行のブログです。

「裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル」を読んだ

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お盆前に宮澤伊織の「裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル」を読んだ。
元々ネットの記事で「百合」小説として紹介されていたので、なるほど読んでみるとそういう方面の需要もあるとは思った。しかし私の興味はネットロア(ネットロア=ネット・フォークロアを縮めたもの。和製英語のネット用語)、もしくは都市伝説のような部分であり、以前おおハマりしたゲームの「サイレン」シリーズのような部分だった。
サイレンも元々のネタは「2ちゃんねる」の書き込みだったとおもうので、今回の小説もそこは同じである。

 

 

サイレンでは「津山13人殺し」がもとになっていて、そこに八百比丘尼などの古来からある怪奇伝承などの存在を絡めた上で、異世界からの存在が現実に介入して来ていると言う話だった。ホラーとしての演出が素晴らしすぎてCMが放送禁止になったりしているが、この小説はホラー部分はかなり低めで、やはり「百合」的な二人の主人公のやりとりにフォーカスしているようだ。

 ↓ものすごく怖い 

SIREN

SIREN

 

恐らくだが、主人公二人の名前「空魚(そらお)」と「鳥子(とりこ)」というのは諸星大二郎のマンガ「栞と紙魚子の怪奇事件簿」からインスパイアされているのでないだろうか。マンガの方の二人の主人公の名前に「鳥」と言う文字はまったく使われていないが、名前に魚という漢字を入れる時点でかなり珍しいと思う。そもそも女の子二人が怪奇現象に興味を持って冒険するという話のフォーマットがそっくりだ。そういう意味では「栞と紙魚子」も百合マンガなのだろうか。

 

 

※ここからネタバレになります

第一話で空魚が「くねくね」によって行動不能にされたときに、丁度そこに現れて助ける鳥子という登場の仕方が、バディものとしての話を予感させる。そして、最終的に「くねくね」を倒すことでオーパーツが手に入り、それを研究している人間からの報酬が得られるというゲーム的なフォーマットも完成する。さらにその「くねくね」を倒す過程で異世界のものを見る能力と、触れる能力をそれぞれが手に入れる。それぞれの能力では敵は倒せないが、見ることと触れることを合わせることで、窮地を脱することが出来るようになる当たりも素晴らしいと思った。また、異世界への入り方も都市伝説からの引用で、廃墟であったり、エレベーターをある法則にそって上下させることでいつの間にか別世界へ入っている…というような描写がでてきて面白い。

この話に出てくる怪異に関して検索するとpixiv辞典にたどり着く。一見するとなんだかよくわからない絵だが、本来描き表すのが難しいような対象を萌え絵にまで持って行っているものもあり、それぞれの絵師さんたちのイマジネーションに感心するが、そういう発想もこの小説を書く上でのベースになっているのではないだろうか。

・くねくね

dic.pixiv.net

・八尺様

dic.pixiv.net

・きさらぎ駅

dic.pixiv.net

また、その裏世界のことに関してアドバイスしてくれる小桜という研究者が出てくるが、その容姿が大人なのに少女のような外観というある意味これも定番的な博士で、いってみれば「博士と助手」パターンなのだが、実はこの博士は自分は極度の怖がりで裏世界には行きたくないうえに、実はその裏世界の全容を研究していると言いながらもまだ何もわかっていないなど、全然頼りにならない。ここら辺、例えば何か裏世界の存在の法則とか成り立ちみたいなものがわかっていたら、研究者とか、オーパーツの買い取り先みたいなものにも説得力が生まれるような気もするが、二巻をちょっと読み始めて観た時点でも恐らくそれは設定されていないようだ。この話自体のベースがインタビューで描かれていたように、ストーリーを通じて「百合」をすることであり、(裏)世界の秘密を解き明かすことにないからだろう。

一巻のファイル3「ステーション・フェブラリー」では裏世界に迷い込んだ米軍実験部隊が出てくるが、この「きさらぎ駅」というのも有名なネットロアだというのを今回初めて知った。もともとの話は静岡県で女の人が夜に電車に乗ったら「きさらぎ駅」という駅に着いたという書き込みを最後に行方不明になったというものだそうだ。そういえばゲーム「Steins;Gate」でも出てきたが、アメリカのネット掲示板でも「ジョン・タイター」というタイムトラベラーの書き込みがあったという事実?から触発されているが、ネット掲示板というものは、ある意味人間の想像力がいろいろな形で発揮される場所だ。
二巻の最初でこの米軍実験部隊を救出にいく話が出てくるが、もともと沖縄にいた部隊を、裏世界にはいった「ゲート」を通じて救出する。この作者は軍事、特に兵器に関してもかなり詳しいようで、空魚に軽い銃をカスタムでセットアップするところの描写は、説得力があった。私も銃器に関してはそんなに詳しくないが、読んでいて楽しかった。

裏世界が何の象徴なのか?とかテーマは?とか難しいことを考えなくても、楽しめる話であり、今後も空魚と鳥子の冒険を読みたいと思う。

 

 

「ウエストワールド シーズン1」を観終わった

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AmazonPrime Video で見られるHBOのドラマ「WESTWORLD」が本当に面白い。シーズン2はすでにアメリカでは放映中の様だ。観られる日が楽しみである。本当に面白い!と思えるテレビシリーズドラマは何年か前にはまった「バトルスター・ギャラクティカ」のシリーズ以来だった。

 

 

 

先日の海の日の連休を使って一気に第一話から第十話までファーストシーズンを見終わった。一話当たり一時間のドラマだが、本当に始まりの数分から、終わり頃の数分間まで、全く間延びすることの無い見事な脚本で、それだけでも感動する。この猛暑の中で外に出るのもためらわれたが、このドラマのおかげで連休を有意義に過ごすことが出来た。

◯元ネタは70年代の映画
元ネタというか、七〇年代に作られた映画「ウエストワールド」が元になっているが、あの頃も第一次人工知能ブームの余韻があったのだろう。原作はマイケル・クライトンと聞けば「ジュラシックパーク」の方が思い出されるが、いわゆるこのパークという設定はこの人の専売特許なのだろうか?
基本は古い映画のリメイク。それを現代ならではのネタを仕込んでいるため全く新しい楽しみを見出せる。バトルスター・ギャラクティカの時と同じで、同じ設定でもアイデア次第でこんなに面白くできると思わせてくれる。

 

 

 

◯ストーリー
最先端の技術で作られたロボットの「ホスト」がパークに来た客のあらゆる要求に応えて究極のごっこ遊びができる場所がデロスという会社が提供するウエストワールドだ。ここでは「殺し」(もちろん相手はロボットだから死なないので、一時的な機能停止だ)も含めたあらゆる行動が自由だ。本当の西部開拓時代がそこまで無法な世界だったかどうかはわからないが、銀河鉄道999に出てくる「自由な惑星」みたいな感じだと言ったらわかる人はわかるだろう。

 


そこでロボットの「ホスト」達はシナリオ通りの行動を毎日繰り返している。そこに人間の客「ゲスト」が勝手な行動を追加してくるのでシナリオは予定調和では終わらないが、ある程度即興的な反応もできるレベルのロボットだ。この辺り、前回のブログにも書いたAIには絶対に出来そうにないが、それが出来るAIやロボットが完成しているという前提でのお話という事である。

 

 

tokiwa-heizo.hatenablog.com

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 

パークは営業を開始してからすでに30年以上たっているという設定だ。という事はもしこれが現代の話だとして30年前と言うと・・・1990年代と言うことになる。前作の映画をそのまま引き継いでいると言う設定ではない様だ。さらに言えば、このドラマパーク外での生活がどの様に営まれているかは一切映らない。この事によって、時代が本当はいつなのかは特定されない様になっている。この設定というか、ドラマとしてのシナリオはいい決断をしたと思う。パークの外の世界を知らないという事は、ホストの視点と同じだからだ。視聴者にもホストの方に感情移入させる為だろう。
ストーリーはデロスという運営会社及びそこに雇われている社員テレサ、リー、エルシー(人間)と、パークの肝であるホストを開発した天才博士、フォード(人間)、30年以上パークに通っているという謎の客、黒服の男(人間)とホスト達、ドロレス、メイヴ、テッド(ロボット)とのそれぞれの思惑が複雑に絡み合っているため、説明するのがかなり難しい。そこでそれぞれの主要な登場人物の思惑を書いてみる事にする。

◯フォード博士
アンソニー・ホプキンス演じるパークのホストを開発した天才だが、パーク創業当時にはパートナーがいたことが中盤に明らかになる。名前はアーノルド。アーノルドはロボットは自我を持つ可能性があると信じて開発をしていた。この部分がドラマの初期からミステリーとして最後まで引っ張っていく事になる。ドラマの最初の方では、フォードのスタンスはホストはあくまで機械であり、自我を持つなどという事はあり得ないと考えており、アーノルドと対立していた様だ。しかしドラマの最終回で、アーノルドと同じ考えに到達したようだ。その為、自分のシナリオを発動させドロレスに自分を殺させて、それと同時にその他のホストを使って会社の役員や招待客を皆殺しにするシーンは、元ネタの映画から考えればそこに落ち着くのは当たり前だったのかもしれない。ただ、そこに至る道筋が文字通り一筋縄ではいかないのだ。
運営会社のシナリオ担当者が自分のシナリオ「レッドリバーオデッセイ」を披露するときに「生きたまま自分の内臓を食べる…」というエピソードもあるよというと「くだらん」と一蹴するのはレクター博士役をやったアンソニー・ホプキンスへのパロディだろう。

 

 

◯ドロレス
パーク創業当時からいるホストでアーノルドの調整を受けていた。その為自我を持っているという設定だ。そこで問題になるのは、じゃあなぜアーノルドを殺して、最後にまたフォードを殺すことができたのか?自我はあってもロボットでもあるので、折りたたみのタブレットみたいな端末でコントロールできてしまう。それは途中でバーナードがフォードにされる事もそうだが、そういう二面性、自我、つまり自分の意思、考えを持っている事と機械であるがゆえに命令には絶対服従であることは矛盾せずホストの中に存在する。
アーノルドがドロレスのために仕込んだ「メイズ」というゲームが出てくるのだが、
フォードが解説するところによるとアーノルドが考えていた「精神」というか意識はピラミッド構造になっており、一番下に記憶があり、それに基づく即興があって、その上に…何があるかはわからないと言うことになっていたが(自我だろう)それは実はピラミッド構造では無くマトリョーシカのような入れ子構造になっていると途中でモデルが変わる。それを具体的に表しているのが「MAZE」(迷路)だという事だった。

ちなみに、Amazonが売っているスマートスピーカーALEXAでこの「MAZE」がノベルゲームとして遊べるという記事があったので自宅のALEXAに何度も「Open WestWorld!」と言ってるのだが「知らん」と言われるのはなぜなのだろうか?

japanese.engadget.com

◯黒服の男=ウイリアム
この登場人物の若い頃、初めてパークに来た頃のエピソードが実は途中で挿入されてくる。これが同じ人物と思ってみるか、全く別の人が今パークで体験している事なのかと思ってみるかで、頭の中の整理状態は全然違ってくる。私はネットで実は同一人物というのを先に見てしまっていたのでそこまで混乱しかなった。彼を狂わせたのはドロレスなのだが、ドロレスはアーノルドが自我を与えているので、人間と同じ様に愛してしまってもおかしくはないというのが肝だ。
俳優はエド・ハリスで、なんとなく映画版のユル・ブリンナーがやっていたガンマンを彷彿とさせる外観で出てくる。

 

◯アーノルド=バーナード
フォードと一緒にパーク創業時にホストを開発していたもう一人の天才。彼の考えではホストは自我を持つ(あるいはいずれ持つ?)事になる。その上で、ゲストの欲望を満たすだけの存在であるならば、このパーク内にいる事は地獄で生きることを意味する。そこから救いたいと考えてパーク開業直前にドロレスに命じてホストと自分自身を殺害させる。
その後残されたフォードは、全ての記憶を消去して修理、なんとか開業に間に合わせたという過去がある。おそらくその後フォードはアーノルドの「ホストは自我を持つ」という可能性を検証し続けたのだろう。その過程でアーノルドそっくりのバーナードを作って、様々な可能性を試した結果、同じ結論に至りあのラストの虐殺へと繋がったようだ。

 

◯JJエイブラムスも制作に関わってる
JJエイブラムスが「トムの手」で書いた様に今回のドラマでも参加しており、各所で秘密の箱を使っている。
まずはホストの設定をうまく使っている。ホストは時間が経っても同じ見た目で、人間は年をとる。その事を使って同じ人物の若い頃の話と、今の話を交互に移す事でいかにも別の人間のように見せることが出来る。観ている側にはわかりにくいが、それこそがミステリーであり、なんでもない事も見逃さないようにという観客の集中力を高める事につながっている。

 

◯オリジナル版との違い
オリジナル版との違いといっても、別にストーリーに変更があるわけではない。この場合のオリジナルというのはアメリカで放映されたもののことだ。それとの比較では、いくつか違いがあるようだ。
まず一つが、今回の「WESTWORLD」はAmazonプライム・ビデオで見られるのは吹き替え版の方だけだ。
私は基本的に海の向こうのドラマはオリジナル音声プラス字幕で観るのが好きなので、最初は気が乗らなかったのだが、全10話を見終わる頃には、むしろ吹き替えで良かったと思っている。
なぜかと言うと吹き替えている人たちの演技が大変上手いのだ。決して間に合わせで作ったわけではないクオリティである。当たり前かもしれないが最初は言葉がと顔周りの動作があってないので違和感がある。しかしそれを超えると、フラットで感情を込めた台詞がしっかりこっちに伝わってくる。アニメを見慣れている自分には実はその方がいいのではないかと思ったぐらいだ。(ハリウッド版ゴーストインザシェルの時もそうだった)また、私の小さい頃はテレビの土曜洋画劇場や金曜ロードショーで観る洋画は吹き替えが当たり前だったのである。

 

tokiwa-heizo.hatenablog.com

 


また、もう一点は人体の局部にぼかしが入っている点である。基本的にロボットなんだからいいじゃないかと思うが、それはあくまで設定で基本的にロボット役の俳優さん達は、メンテナンスを受ける時や、倉庫にしまわれている時はスッポンポンである。男性の場合は否応無しに局部が写ってしまうわけだが、女性でもぼかしが入っている。という事は・・・まあそれは確認したい人は輸入版を観るしかない。何れにしてもヘアまでは写っている。
こちらに関しても、私としては見慣れているボカシがかかっている方が、ドラマに集中できてよいと思った。

◯セリフ
良いドラマ、好きなドラマを見た後は、劇中の人物の真似をしたくならないだろうか?中学時代にガンダムをみて、シャアのセリフ「認めたくないものだな。自分自身の、若さゆえの過ちというものを」を言ってみたりするチャンスは、そのほとんどが若さゆえの過ちではなかったが、無数にあった。その度に脳裏をよぎるぐらいだから、どれだけ深く自分に刻み込まれているのだろうと思う。
このドラマを見終わって、しばらく経ってからバーナードの真似がしたくてたまらなくなった。これも吹替版のおかげだろう。英語のセリフを真似るのは難しい。

◯実際にパークを作ったら
もし本当にウエストワールドやるなら、実在のタレントの顔をスキャンして作ればもっと受ける。何と言ってもそんな相手を好き放題できるのだから。その辺の事を製作陣も考えなかったわけじゃないと思うが、むしろパークのホスト役の俳優は、皆かなり個性的な顔の人を選んでいる様に感じた。そう言う発想とは逆にホストとしての独自性(個性)を持たせる事で、自我を持つ存在、ユニークな存在と思ってもらう様にキャステングされていた気がする。

 

〇人がロボットを演じること

ターミネーターシュワルツェネッガーが殺人ロボットを演じているが、見ている方はもちろん人間がロボットを演じている事をいわば「お約束」として脳内で変換して観ている。その事が一種の脳内ごっこになっており、それをすることが面白のではないかというのが私の、シュワちゃんの出ていないターミネーターが全く楽しめない理由なのではないかと思っていたのだが、今回のドラマでももちろん人間がロボットを演じている。音声コマンドで「機能を停止」と言われると、その場で静止するように出来ているが、そこは最新のデジタル技術で、静止画と動画を合成しているため、本当にピタッと止まる。しかしそれ以外で「感情を抑制」とか「解析モードに入れ」みたいな音声コマンドにも対応するが、それらは全て役者の演技である。そこにこのドラマの一番の楽しみがある気がする。恐らく演じる役者もそこは機械になりきらないと出来ない演技だし、普段使わない演技力を試されるためにかなりやりがいを感じてやった部分なのではないかと思うのだ。

 

 ↓面白くないやつ

↓ 面白いやつ

 

 

◯シーズン2
シーズン1のラストにも出てきていたSHOGUNWORLDは日本の侍が戦をしていた時代をモデルにしているようだ。これがシーズン2では目玉になってくるようである。日本人としては、おそらくアメリカ人が好むサムライの話になっているんじゃないかと心配だが、このシーズン1のテーマの方をさらに掘り下げるのは難しいだろう。その部分をどの様に深めていってくれるのかが楽しみだ。

「AI vs.教科書が読めない子供たち」を読んだ

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この本を読む前に将棋ソフト「ポナンザ」が人間に勝つまでの話を書いた本を読んだ。

 

 


この本で、AIだとか機械学習とかについてある程度勉強してAIがこれからどんどん賢くなったら、人間を超えていき、世界を変えて、スカイネットとかスペリオールドミナントなんていう時代が来たりするのでは無いかとぼんやり思っていたのだが、今回の本を読んで、それは全く見当違いと言うことがわかった。それがわかったことは良かったのだが、別の意味でこの本は衝撃的な内容であった。

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 これからの子供たちが大人になったときの仕事が大変だ

この本は二部構成になっており、前半は著者が率いていたプロジェクトで「東ロボくん」というAIにいろいろと知恵を施して東大入試を受けさせる内容であり、AIが何が出来て、何が出来ないかを明らかにする内容である。結果として「東ロボくん」は東大に受かるだけの実力を備えることは出来なかったが、そのことをふまえてその「出来ないAI」でもこのレベルのことは出来る(むしろ得意)ということから、今後10年でAIに奪われる職業、残る職業というものを考察すると同時に、今の子供たちに読解力がないという事実をスタンダードリーディングテストを通じて明らかにする。やばいよ〜やばいよ〜、今の子供たち、AIに仕事とられるよ〜!という話なのである。

 

読解力がない!

このテストが私にはかなりショックであった。出来ないのである。文章を書くことを得意と思っていた私としては、読むこと、書いてある文章を読みとることはそれなりに自信を持っていた。しかし、次から次へと間違うのである。文章が読めていないのだ。論理的にかかれている文章から、きちんと事実を読みとることが出来ない。中学、高校のレベルの教科書の文章である。当然その道を通ってきた訳だが、どうして学校の成績が悪かったか理解できた気がする。まとまった量の試験結果を統計処理した結果を見てさらに落ち込んだ。どんな文章でも、正解率8割以上というグループがいるのである。それが所謂旧帝大に入学した学生だった。つまり、そのレベルの人間は、教科書の文章を一回でも読めばその内容がきちんと頭にはいるのである。特別試験勉強をする必要もないのだ。

 

秀才の正体

私が中学生の頃にもクラスに一人か二人はそういう奴がいた。試験前に一切勉強しないにも関わらず、100点とかそれに近い点数をとるのである。確かにそういう生徒たちはその後、東大、京大、阪大という旧帝大に入ったと風の噂で聞いた。友達としてもそんなに面白い奴では無かったが(向こうもそう思っていたのだろう)何にしても優秀であった。そいつらは読解力が人よりも優れていたのだった。

 

読解力を上げなければ!
この本の中では、読解力は年をとっても伸びると書いてある。実は私にとってはそれがさらにショックであった。先程も述べたように中学、高校とまさに読解力がなかったせいで、学校の成績はずーっと低空飛行をしていた。しかし、曲がりなりにも大学に入り、自分としても難しい本も読んで、難しい話をするようになり、それなりに読解力も上がったと信じていた。しかし、この本の中にある例題を解いて、ページをめくるたびに間違いまくる。読解力ぜんぜん上がってないじゃん!ということなのである。

こんな読解力でシナリオライターなんかになれるのか?たしかにシナリオライターはAIに奪われない仕事かもしれないが、そもそもなれなければ奪われるも何もあったもんではない。読解力をあげなければと真剣に思ったのであった。
ただ、読解力はあくまで文字を読んで文章の意味を正確にとる能力だ。映像から意味を読みとる能力とは異なると思いたい。そうでないとこのブログで映画評論なんてとてもかけないと言うことになってしまいそうだから。

 

教科書を悪文にしているもの

さらにその後考えたのだが、そもそも教科書の文章に問題があるのでは無いか?この本の中にも、スタンダードリーディングテストに間違ったことを「教科書の悪文ぶり」に関するクレームとして著者に訴えてくる人が少なからずいたと書いてある。しかし、悪文かどうかはともかく、その教科書で現に教育現場で子供たちは日々勉強している現実を考えると、それを読み解く力、読解力が必要なのは間違いない。それは私もそう思う。だが、その先にはその悪文を良文に直す努力もするべきでは無いのか?

教科書というのは教科書検定を合格したものだけが出版されているわけだから、その検定が、教科書の文章をかなり歪ませているのではないだろうか?いわゆる新しい日本の歴史教科書を作る会みたいに、自虐史観を変えたいとか、政治的な思惑をなんとか潜ませようとする人間の意図を読み取り、それをニュートラライズさせるために更におかしな文章になっているのではないだろうか?それが教科書の文章を悪文にしている理由なのではないだろうか。

 

わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

わかったつもり?読解力がつかない本当の原因? (光文社新書)

 

 

「レディ・プレイヤー・ワン」を観た(+Oculus Go)

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#「レディ・プレイヤー・ワン」を観た
もう2週間前になるが、5月13日日曜日に、渋谷のTOHOシネマズで「レディ・プレイヤー・ワン」を観た。今回は突然思い立って観に行ったので前売り券も買わず、正規の大人料金で見た。果たしてその金額に見合う内容だっただろうか。

 

 

##あらすじ
2075年、世界はますます混乱していて、さらに人類はそれを解決しようとすることを諦め掛けていた。そのような世界で人々が求めるのは逃避である。「オアシス」というネット上のサイバースペース(ウイリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」は本当に時代を先取りしていた)での娯楽に逃げ込んでいた。そこにはあらゆる娯楽があり、そこで現実世界と同じように様々な経験と生活に必要な糧までを得て生きている。
「オアシス」はその世界を作った人間の趣味により80年代のカルチャーをベースにしている。音楽、ファッション、映画なども全て80年代のものが中心だ。
その創立者が死んで、突然この「オアシス」内に秘密の鍵を3つ隠した。それらを見つけた人間には、「オアシス」の全権利を与えるということが宣言されたため、各プレイヤーはその鍵を探している。

 

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

 

 


主人公は、創立者の人生を深く調べることでその謎を解き、最終的に3つの鍵を手に入れる。そして「オアシス」の権利を得てやった事は「オアシス」を週に2日は休みにするという事だった。仮想世界より現実の方がいいからというのがその理由だ。
これに、そのオアシスの権利を手に入れるために、何千人もの従業員プレイヤーを雇っている企業が絡んでくる。そいつらが主人公がゲットした鍵を得るために、色々と妨害してくるのだが・・・正直この結末には・・・平凡を通り越して怒りすら覚えた。

 

##これでいいのかスピルバーグ
映画の冒頭、第1の鍵を見つけるためのゲームはレースゲームで、主人公の乗る「バックトゥーザフューチャー」のデロリアンと「AKIRA」の通称「金田のバイク」がカーチェイスするシーンは、確かに感無量なものがあった。私が高校生ぐらいの時に地元の本屋で電話帳みたいな漫画「AKIRA」の単行本を買っていた頃がフラッシュバックした。また、デロリアンは、つい先日Amazonプライムビデオで三部作を一気に見直して、やはり名作であることを再確認したばかりである。

 

 


そういう人間にとっては、いちいち画面の端に映るキャラクターやアイテムが何であるかを確認する度に記憶のフラグが立っていくのだが、それは逆に映画単体で見た時には何の意味も持たない引用の洪水だ。
「アレって、アレだよね」と記憶を共有する仲間同士で画面を見ながら一時停止して語り合うにはいいかもしれないが、ストーリーとしてその辺にどれだけの意味があるのか。

 

AKIRA 〈Blu-ray〉

AKIRA 〈Blu-ray〉

 

 

#オアシスに行きたい
と、ここまでが見た直後の感想だ。後からじわじわ効いてくるのはゲーム世界「オアシス」の存在だった。ストーリーと言うより、その入れ物である現実と「オアシス」の対比が一番印象に残ったのである。現実世界のグダグダっぷり、国内政治を見ても森友加計学園問題の顛末をめぐる与野党の攻防の泥仕合。海外を見ればトランプ、北朝鮮の茶番劇と見るに堪えないものばかりで、今そこにある問題は完全に置き去り状態だ。映画の中の未来で無くて、いままさに「オアシス」が必要だ。
そこで私の取った行動は・・・「Oculus Go」を購入することだった。現時点でスタンドアローンVR世界に入ることのゴーグルとしては、もう一つLenovo製の「MIrage Solo」があるが、ネットでその比較記事を読むと、少なくとも現時点では「Oculus Go」のほうが「オアシス」に近そうに思えたからだ。まあ、値段が手頃というのもあったが・・・

 

www.oculus.com

 

#「Oculus Go」
ここからは「Oculus Go」の使用感レビューになります。私は実はOculusのDK2を購入して、しばらく試してみたことがあるので、VRゴーグル自体は全くの初めてと言うわけでは無い。さらに、スマホをはめ込んで3D映像などを見ることの出来る市販のゴーグルも何回か試している。その上で、この「Oculus Go」だが、まず、スタンドアローンで確実にコンテンツを楽しむことが出来るという点で、今までで一番いいと思う。これがこのまま進化していけば、いずれは「オアシス」に行ける日も近いのではないかと思う。

 

#3D酔いはやっぱりおきる
FPSのゲームなんかを長時間やっていると、たまに3D酔いをすることがあるが、その時の体調にもよると思うのだが、このゴーグルもちょっとでも体調が悪いとか、何かのきっかけで酔ってしまうことがあった。個人的には空腹時とかがやばい気がする。これはヘッドトラッキングの精度が高いほど酔わない可というと、そうでもない気がする。普通のモニターでFPSをやっていても酔うときは酔うからだ。

 

#やっぱり重い
あとは、やはり目の前5cmぐらいの所にスマホと同じような機械をぶら下げている。それを支えているのは頭の後頭部まで回り込んだゴムバンドだ。やはりこれが重たい。おかげで、なぜか首の後ろの筋肉と言うより側頭部から顎を支えている筋肉がパンパンになった。なぜかはわからない。そのおかげで、孫悟空のわっかをはめられているような痛みを覚えた。現在はだいぶ楽になったが、そもそも「Oculus Go」と関連があったかどうかは謎だ。

 

#キラーコンテンツ
恵比寿方面のアプリはまあキラーコンテンツとしては、安定だとは思うが、一般に普及するためには意味が無いので、少なくともインストールベースを増やす効果はあるだろう。爆発的に普及するためには、もう少し何かがでてこないと難しいだろう。ジェットコースターやホラー系のアプリは、1,2回やったら飽きてしまう。その辺は「オアシス」でも2Dでもできるゲームsか提示されていなかったと思う。
今のところ、それが何かはわからないが、きっとこの入れ物に似合う何かが出てくると思う。それはこの映画で提示されたものとは似ても似つかないものかも知れない。

「人はなぜ物語を求めるのか」を読んだ。

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GW中に「人はなぜ物語を求めるのか」という本を読んだ。

これまでシナリオの勉強のために結構な数を読んできたが、いわゆるナラトロジー(という言葉も今回初めて知りました)あるいは物語学のような学問分野を知りたい人にはとてもいい入門書だと思った。

 

 


それだけでなく、今の自分に生きづらさを感じているような人にも、人間は本質的に物語を求めるということがその一因になっていると解き明かしてくれる。


本の中で「二度生まれ」という概念が出てくるが、要するにアインシュタインの言葉「常識とは18歳までに集めた偏見のコレクションにすぎない」という言葉と同じで、生きづらさの正体は、それまでに集めた「偏見」によって形作られた自分自身の人生のストーリーに囚われている状態というのがこの本の主張のである。

 

二度生まれの説話とはこんな話だそうだ。
あなたが真っ暗闇の中、崖を滑り落ちているとする。その途中で偶然手に当たった枝を掴んで何とか落下を止めることができた。しかし周りは真っ暗で、枝を掴んでいるだけで、それ以上何処かに取り付く島があるわけではない。
そのうちに手も痺れてきて、枝を握っているのはもう限界になる。
手を離したくはないが、もうダメだ。あなたの手は枝に掴まっている力はない。あなたは落ちる。しかし、僅か15cm下に地面があり、あなたは大の字になって地面に寝転がる。大地とは神の恩寵であり、あなたが思い切って手を離せば、神は受け止めてくれる・・・と。

 

自分が思い込んでいるストーリーにしがみついていないで、思い切って手を離せば違う自分になれるという意味にも解釈できる。自分は、これと良く似た話を以前読んだ記憶がある。それはリチャード・バックの「イリュージョン」だ。

 

イリュージョン (集英社文庫 ハ 3-1)

イリュージョン (集英社文庫 ハ 3-1)

 

 

巻頭にある救世主の例え話で、水の中で暮らしている生き物が岸や水草にしがみついて暮らしている世界がある。その中の一人が、退屈でたまらないからという理由で手を離す。流れに身を任せたその生き物は、一度ひどく岩に叩きつけられるが、それでも岩にしがみつくのを嫌がったので、それ以上はどこにもぶつかる事はなかった。下流へと流されていく途中で、下にはしがみついて生きているその他の生き物たちが、その一人を見上げて、すごい、飛んでるぞ、あいつは救世主だと囁く。しかし、どんどん流されていくためにあっという間に伝説になってしまう。伝説の救世主の誕生だ。しかし、当の流れて行った生き物はこう思う。みんなも手を離せばいいのに、と。

 

私自身もこのストーリーのように、しがみつくのをやめて手を離したつもりだ。確かに一度毎日2時間の通勤というひどい目にもあった。しかし、それでもしがみつくのを嫌がったので、今の暮らしがあるのだと思う。これからも転がり続けていきたい。南回帰線越えれば過去は皆蜃気楼だ。

www.youtube.com

 

 

「リメンバー・ミー」を観た

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5月6日に吉祥寺オデオンで14:05の回に「リメンバー・ミー」を観た。予約して決済した後で吹き替え版ということに気がついたが、後の祭りだった。しかも、同時上映として「アナと雪の女王・王国のクリスマス」みたいなおまけ上映があった。その結果、私の横には小学生ぐらいの女の子が一人で座っており、キャラメルコーンを食べながら映画を鑑賞していた。お陰で私は隣の少女の口から漂うコーンスナック特有の甘ったるい香り付きで鑑賞することになった。

オデオンは、なんというか、本当に古き良き(悪しき)映画館の要素が今も健在なので、どうしてもノスタルジックな気分になる。シネコンばかりの現在こういう形の映画館はどんどんなくなって行くだろう。吉祥寺にはもう一軒先日「グレイテストショーマン」を観た吉祥寺プラザという映画館もあるが、大事にしなければと思う。

 

 

##アナと雪の女王
最初にまず、アナと雪の女王のその後のストーリーを描いたものを見た。正直あの雪だるまのオラフというのは、酷い外観(というかキャラクターデザイン)だと思うが、その声を当てているのがピエール瀧なのである。おそらく本編の方でもそうだったと思うが、なんかあの喋り方を聞いていると苛立ちを感じるのはなぜだろう?とにかく無理やりオラフに問題を起こさせて、それが解決するというマッチポンプな展開で小学生でなくてもスナック菓子を食べながらでないと観ていられない内容であったと思う。

 

東ハト キャラメルコーン 80g×12袋

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##リメンバー・ミー
こちらは、前評判から泣ける話と聞いていたので、ハンカチは用意して見始めた。

「死者の日」というものがメキシコにはあって、その日は一年に一度死んだ人が現世に戻ってきて家族や子孫と一緒に過ごす日ということだが、これはキリスト教的にはない話だろう。しかし、我々日本人はまさに「お盆」という風習があり、一年に一回死んだ人や祖先の霊が戻ってくるというストーリーを信じている。今回の映画の最初の方でそのシステムが明快に説明される。

まず①死んだ人が現世に帰ってくるには生きている時に一緒に過ごした人がその人のことを覚えていて、祭壇に写真を飾っていなければ死者の国を出て現世につながる橋を渡ることはできない。

また、②メキシコでは小動物(犬、猫、鳥、トカゲなど)が魂を導く精霊みたいなものを兼ねており、死者の国にも自由に行き来できるし、霊も見えるということになっているようだ。

そして③死者の国に行った人は、現世にいる人が一人もその人のことを覚えていなくなった時点で「二度目の死」を迎え死者の国からも消滅する。

##この映画のストーリー(ネタバレです)
このリメンバー・ミーの物語の中では主人公の少年は音楽が好きで音楽で身を立てて生きたいと考えている。
ある年の死者の日、広場で音楽コンテストが開かれることになった。そのコンテストに出て、自分の音楽の才能を家族に認めさせたいと思い、そのことを家族に訴えるが聞き入れてもらえない。
その家族の先祖がミュージシャンを志して家を出たことで、一家は稼ぎ頭を失い、遺された母が靴職人として家族を支えた。そのことからその家では音楽は禁止になっているのだ。
その先祖のミュージシャンが、少年の憧れの人である国民的に有名ミュージシャンではないかという情報がもたらされる。主人公はこれまでその人のビデオを観ながらこっそりと音楽の練習をしていたのだ。
どうしてもコンテストに出たい主人公は、憧れの、国民的に有名なミュージシャンの墓にあるギターを盗んでコンテストに出ようとする。自分の先祖であると考えているため、許されると思ったのだ。
しかし死者の日に死者のものを盗んだということで、呪われ、死者の国にいってしまう。そこで、主人公の祖先のミュージシャンがどうして家族と離れることになったかという謎が明かされる。
実は国民的に有名なミュージシャンに曲を提供していたのが先祖のミュージシャンであり、彼は本当は家に帰りたかったが、その国民的有名ミュージシャンに殺されたために家に帰れなかったのだった。
そのことを死者の国で知り、現世のそれ以外の家族に伝えたことで、音楽をやることも許され、末永く幸せに過ごしました、めでたしめでたし・・・という話だった。

リメンバー・ミーでは、家族全員が「ミュージシャンの先祖は家族を捨てていったので、音楽はロクなものじゃない」というストーリーに取り憑かれていたが、死者の国を冒険して真実を持ち帰った主人公によって、その呪いから解放されたという話とも言えるだろう。

正直、映画が終わって明るくなるのが大変困った。前回の「グレイテスト・ショーマン」の時よりも涙を流していたのはなぜだったのか?正直よくわからない。死者の記憶をたどるとき、楽しかった思い出しか浮かんでこないからかもしれない。それが永遠に失われたことを再認識するとき、人は涙するのだろう。

 

 

「シェイプ・オブ・ウオーター」を観た

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劇場と作品
4月15日、吉祥寺オデオンで「シェイプオブウオーター」を観た。1日一回の上映になっており、19時15分からだったのだが、観客の入り具合はまあまあだった。日曜日の夜に劇場で映画を観るというも案外楽しいなと思った。

今年度アカデミー作品賞受賞作品であり、革命的な作品と言われている。それはホラーで怪獣映画が初めてアカデミー賞をとったからだそうだ。ただ、それだけではないようだ。

毎度おなじみ町山さんの解説によると、今回の授賞式はマイノリティへの配慮というか視線に満ちていたようである。プレゼンターのコメントがほとんどそういう方面への配慮に溢れていたそうである。しかし、アメリカに住んで、トランプ政権下の空気を感じていないと何を言っているかわからないと言っていた。この絵以外に出てくる半魚人も「実際には存在しない」が、それは「存在するのにいない事にされている」マイノリティの人々と同じだ。昨年まではそういうマイノリティの映画はヒットしないといわれていたが、今年から変わったのだという。その象徴がこの作品のアカデミー賞受賞なのだろう。

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※ここからは基本的には映画を観た人向けの内容です。ストーリーには直接触れていませんが、内容はネタバレしています。

 

登場人物
・イライザ
主人公は白人女性だし、なぜマイノリティなのか最初わからなかったが、1962年のアメリカでは口がきけないという事は、障害者であり、障害者はマイノリティなのであった。
この主人公が、始まって1分で風呂場で◯◯◯ーするという、驚愕の展開なのだが、その性の悦びに関しても、メジャーとマイナーの対比が描かれている。(メジャーの方は後で出てくる役人のストリクトランド)
この女優さんは以前にウディアレンのブルージャスミンという映画で見たことがあったことを思い出した。この時も、ちょっとラリっているのかな?と思わせる演技だったが、濃いと言うか、クセになると言うか、後に残る印象深い演技を見せる女優さんだなと思う。

 

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ガイルズ(画家)
イライザの隣の部屋に住んでいるイラストレーターのおじさんが描いている絵は、ノーマン・ロックウエルの描いていた様な絵であり、まさにアメリカの幸せな時代を象徴するような絵なのである。しかし、彼はホモセクシャルであり、やはりマイノリティだ。おそらく会社を解雇されたのも、その事が会社にバレたからだろう。パイ屋の若い男になんとか気に入られようとするが、逆に酷い目にあう。この辺りのくだりは、「マグノリア」に出てきたクイズ少年のおじさんにも似たようなエピソードがあったが、そもそもなぜあんな軽薄そうな兄ちゃんに惚れるのかがわからないが、その辺の心理は女性と同じなのだろうか?

 

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半魚人
これを書いてしまうと既にネタバレかもしれないが、半漁人の風貌が日本の特撮ヒーロー物に出てくるマスクのようである。おそらく50歳近い人しか知らないと思うが「超人ビュビューン」に出てくるバシャーンとか、凛々しい口元は「人造人間キカイダー」や「イナズマン」を思わせる造形だった。ギレルモデルトロ監督はおそらくこの辺の特撮にも知見があると思われるので、そこから引用している可能性も高い。しかし、この口元の造形は、最初違和感を感じた部分である。オリジナルの大アマゾンの半漁人は口が耳まで裂けたグロテスクな顔をしている。しかし今回の彼は目は両生類のカエルやイモリを思わせる二重の瞼を持っているが、全体としてはスマートでありX-MENの中に出てきても違和感はないデザインだ。これは実はラストシーンで大事な意味を持つ。イライザとキスをするのである。その場合ワニ口ではそのシーンが全然締まらないだろう。町山さんの解説によると、ギレルモデルトロ監督は、まさに先述の「大アマゾンの半魚人」で、半魚人=中南米の人という立場から、半魚人がヒロインと結ばれてハッピーエンドになる話を6歳に初めてその映画を見た時から想像し、自分で漫画を描いていたという事だから、あのラストシーンは非常に思い入れがあるものであったと思うし、そうであるからには美しいシーンでなければならず、あのような引き締まった面立ちの半魚人の王子様になったのだろう。

 

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ストリックランド
1962年は国家主義のもとで邁進する役人が威張っていた時代のようだ。ストリックランドはその代表だが、それ以外の人間はほぼ名前がない。上官のハリル元帥に完全に支配されている。
イライザ、ゼルダとのトイレの中での会話は傑作だ。
「人間(男)には二種類いる」と言う話には色々なバリエーションがあるが、今回のも記憶に残る分類だった。いわく、小便をする前に手を洗う男と、小便をした後で手を洗う男に分かれるらしい。そして後から洗うやつは軟弱者だそうだ。
その後彼は半魚人に左手の指を2本食いちぎられる。食いちぎられた指はつなぎ直しても元どおりにはならない。劇中の時間経過とともにどんどん黒ずんでいき、最後の決戦前には自らその腐った指を引きちぎるのである。これもシナリオ的には段々とストリックランドが追い詰められていく様がその指に象徴されていたと思う。先ほどのイライザはオナニー、ストリックランドは子供(これがまたノーマンロックウエルの絵のような家族なのもあえてそういう描写なのだろう)が学校に出かけてから嫁さんと昼間っから堂々と○ァッ○するシーンがあって、ケツに思いっきりボカシが入っていたが、そのシーンの最中にも嫁さんにも「指から血が出てる」と言わせている。また、しばらく後では「指が臭う」と同僚に言われるシーンもあり、着実に観客にもその事を意識させる演出が繰り返されていた。非常にうまいと思った。
この俳優さんは「マン・オブ・スティール」でもゾッド将軍の役でものすごく悪そうな顔をしている。日本人でいえば遠藤憲一のような感じだ。今回ものその悪人顔を余すところなく発揮している。

 

 

ゼルダ
イライザの友人で職場では一番の理解者。個人的にはハゼみたいな顔で、この両生類が主役の映画の舞台に選ばれたんじゃないかとおもった。
ストリックランドが半魚人を逃した犯人を探して家に来た時も、脅されてもイライザの事を喋らなかったのに、横にいたいつもは無口なダンナがペロッと喋ってしまったことに対して怒り以下の台詞を言う。
「喋らないなら、今も黙っていて欲しかった。」
何となくこの描写だけで、当時の黒人の置かれた立場が分かる気がする。

 

ホフシュテイン博士
ソ連のスパイでありながら、半魚人に魅せられた一人。殺して解剖しようとするストリックランドに抗議する。アメリカ名はボブだったが、後半イライザに本名を告げるシーンがある。本名イコール本心と言ってもいいだろう。ただ、この映画、政府の秘密研究機関ということになっているが、そういう側面からの半魚人に関するエピソードはまったく出てこない。その辺のところを担うキャラクターであったはずだが、ソ連のスパイである事しか描かれなかった。これは監督の意図したものであったと思うが、60年代とはいえ今の科学の基礎が築かれたのはあの時代なので、もう少しあっても良かったのでは無いだろうか?

その他の登場人物
・ハリル元帥
偉い人で、偉そうになってしまった人。その当時のアメリカを象徴しているのだろう。

ソ連の特務機関員
その当時のソ連を象徴しているのだろう。

普遍的なテーマ
この映画には、あらゆる創作物(フィクション)が持つ側面としての普遍性があると思う。それは、存在しないことになっているものに生き続ける場所を与えることだ。その彼らだけが運び続ける真実がある。私も子供の頃沢山の特撮ヒーローやアニメに出てくるヒーロー、ヒロインをみた。実際の世界ではどんなに困ってもヒーローは助けに来てくれない。自分でなんとかするしかない。だからこれはファンタジーだ。忘れ去られたマイノリティたちの声なき声(まさに主人公は声がない)が人の記憶の中で生き続けている可能性を具体的に示してくれた。
そして、マイノリティ同士の連帯感だけではない、未知の存在への興味。そこにしか居場所のないものたち。そういう今のアメリカが忘れているものを、しっかりと意識させるためにこの映画に賞を与えたのだろう。

タイトル
最後にタイトルについて。サイモン&ガーファンクルの歌に「サウンド・オブ・サイレンス」(沈黙の音)というのがあるが、まさにこの映画のタイトルも「シェイプ・オブ・ウオーター」(水の形)である。両方に共通するのは、どちらも本来存在しないものという点だ。無音の状況に「シーン」と擬音を当てたのは手塚治虫の発明だが、本来形のない水についてこのような美しい物語を生み出したデルトロ監督は本当に素晴らしい。

 

サウンド・オブ・サイレンス

サウンド・オブ・サイレンス